世界が終わる、次の日に。

佳乃

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紗凪

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「なんか仕事入った?」

 事務所に入るなりそう言ったボクに「有るわけないだろ」と顔を上げることすらせずに答えたのは、この会社の代表でもある友人の大輝。

「あの噂がデマだって分かれば仕事も戻ってくるだろうけど、あと何日だっけ。
 業務が滞ってるのはどこも一緒だからうちだけ仕事が無いわけじゃないし」

 そう言って「休みだと思って彼とのんびりしてれば」と顔を上げた大輝はボクの持ったスーツケースを見て言葉を止める。驚いた大輝の顔を見ながら思ったのは最後に出向先に行ってからなかなか次が入らないな、と言うことだった。どこの会社も自社のことで手一杯で、ボクたちみたいな緊急性の無い業務は後回しにされているのだろう。
 こんな時だから仕方ないとは思うけれど、こんな時だからこそ気を紛らわすために仕事をしたいと思ってしまう。

「どうした?
 喧嘩??」

 貴哉とのことは話してあったから「なんでこんな時に、」と呆れた声を出すけれど、こんな時だからこそおかしいとも思ったのだろう。
 貴哉と生活するようになってからも喧嘩らしい喧嘩をしたことがなかったせいで自分で言っていても納得できないという顔をしているけれど、世界が終わるかもしれないなんて言っている時に大きな荷物を持って事務所に顔を出したボクにかけることのできる言葉なんてそれくらいしかなかったのかもしれない。

「喧嘩じゃないよ。
 なんて言うんだろう、捨てられた?」

「捨てられた?って、なんで疑問形なの?」

「だって、もともとそんなに大切だったわけじゃないみたいだから捨てたっていうか、興味が無くなったのかな。
 そうなると積極的に捨てたわけじゃなくて、気が付いたら落ちてたっていうか、落とされてたっていうか」

 そう言ったボクに「とりあえず座れば」とソファを勧める。
 事務所と言ってもそれぞれのデスクと応接セットがあるだけの部屋だから、話をするなら当然だけどそちらの方が話しやすいだろう。客ではないから、と冷蔵庫から缶コーヒーを取り出して1本をボクの前に置く。お客さんが来ると丁寧に淹れるコーヒーだけど、本来甘いコーヒーが好きな大輝は普段は缶コーヒー派だ。

「興味が無くなったって、聞いていい?
 って言うか、聞いて欲しくて来たんだろう?」

「だね。
 それと、できればここのソファで寝る許可くれると嬉しい」

「別にこんなとこじゃなくて上の部屋、使えば?」

「え、でも、」

「残念なことに、今は独りだよ。
 世界が終わるなら俺じゃない別の相手と過ごしたいって、あの噂が流れ出してすぐに出て行った。
 ごめんな、追い出すみたいなことしておいて」

 大輝はそう言って申し訳なさそうな顔をしたけれど、自分と似た境遇に「え、大輝も?」と思わず言ってしまう。
 噂が流れ始めてすぐにということは随分前のことになるのだけど、その間にも何度も事務所にも顔を出していたのに全く気付かなかったことにも、全く話してくれなかったことにも驚きを隠すことができない。もしかしたらボクに気を遣って言えなかったのかと考えながらも貴哉の家を出る時はそれでも暗い気持ちを引きずっていたのに、最後の時に置いていかれたのが自分だけではないことに少しだけ救われる。

「大輝もって、紗凪も?」

「義務は果たしたし、どうせ終わるなら一緒にいたいって言われたんだって」

「誰に?」

「姉さん」

 ボクの答えに眉間に皺を寄せた大輝は「何でまた、」と小さく呟く。

「話せば長いけど、」

 そう前置きをしてボクは貴哉と姉の縁が切れていなかったこと、ボクが不出来だったせいで姉が後を継ぐしかなかったと噓を吐いていたこと。自分は後継を産むという義務を果たしたのだし、本当に世界が終わってしまうのなら数日でも良いから2人で過ごしたいと言われ、貴哉が姉のために仕事の後始末までしていた事をゆっくりを説明する。

 何か言いたいことがあるのだろう。途中で何度も口を開こうとしたけれど、そのたびに何かを思い直し口を噤む。

「矛盾してるんだよ。世界が終わるなら姉と一緒にいたいけど周りに迷惑かけるわけにはいかないから仕事の処理をしておいたって。
 戻ってくる気がないみたいなこと言ってるくせにボクの居場所がないと困るだろうからって、部屋はそのままにしておいてくれるんだって。いかにもボクのことを考えてますみたいなこと言うんだよね、恩着せがましく」

「それ、こっちに戻ってくる気はあるってこと?って言うか、お姉さんの旦那さんと子供は?」

「最後の日の直前まで義兄の実家に帰省するんだって」
 
「お姉さんは?」

「自分が行くと向こうの両親が遠慮するだろうから留守番するって言って留守番。その間、貴哉と過ごすみたいだよ」

 優秀な姉はきっと自分の評価が下がるようなことはしない。だからきっとしおらしく私は大丈夫だからとでも言って義兄を納得させたんだろうな、と呆れた気持ちになる。貴哉にボクのことを伝えた時のように自分を優位に置きながらも相手を立てるように話したのだろう。
 自分は貴哉と一緒になりたいけれど、ボクが家を継ぐ能力がないのだから仕方がないと嘘の事実で彼のことを納得させた時のように。

「だって、普通は最後の時くらい家族と過ごしたいと思うんじゃないのか?」

「そう思うけど姉さんは違ったみたいだね」

「え、でもお姉さんはともかく、ずっと紗凪と付き合ってたんだよな?」

「そう思ってたけど、身代わりだっただけみたいだよ」

「何だよ、それ」

 自分とボクを重ねているのか、大輝の表情は険しい。貴哉の話を聞き、今までの貴哉の言動を思い出し諦めるしか無いと思ってしまったけれど、本当は怒るべきだったのだろうと今更ながらに思う。

「お姉さん、そんなに良い女なの?」

「どうだろう。
 彼の話聞いてるとちょっと狡い人だよね、きっと。自分の願いを叶えるためなら平気で嘘の吐ける人みたい」

「みたいって、」

「だって、8つも離れてたらあんまり接点なんてないよ?
 ボクが中学生の時には姉さんもう家出てるし。たまに帰ってきても年が違い過ぎて一緒に何かすることもなかったし。
 姉さんが戻ってきた時にはボクはもう家出てたしね」

「………外見的に超美人とか?」

「化粧すると綺麗なのかもしれないけど、素顔は多分似てる」

「普通じゃん」

 思わずと言った感じに溢した言葉に苦笑いをしてしまう。

「普通だよ。
 これが傾国の美女とかなら諦めもつくけど、同じ顔なんだよね~」

 言っているうちにおかしくなってクスクスと笑い出したボクに戸惑った顔を見せた大輝だったけど、「美人は3日で飽きるって言うし」と訳のわからない慰めを始める。

「結局、初恋には敵わないんじゃない?」

「初恋だったの?」

「さあ、知らないけどね」

 そう答えたボクに大輝が苦笑いを見せる。そして、その呆れたような笑顔に少しだけ気持ちが軽くなる。呆れるようなことをしたのはボクじゃない。呆れるようなことをしたのは貴哉と姉なのだから。

 姉のところに行くと言われた時はその内容を理解できなかったけれど、ボクに何も知らせず仕事を片付け、ボクに何も言わずに姉に寄り添うと決めた貴哉に対して未練はある。それでももう一度向き合いたいかと言われればNOと答えるだろう。
 だって、自分は貴哉の1番にはなれなかったのだと思い知らされてしまったから。

「え、でも最後は家族で過ごすならこっちに戻ってくるんじゃないの?
 最後の最後は紗凪と過ごすつもりかもよ?」

「最後は一緒にいられなくても側にいたいんだって。
 帰ってくるとしたら世界が終わらなかった時なんじゃない?」

「本気で世界が終わると思ってるのか?
 彼も紗凪のお姉さんも」

「分かんない。
 少なくとも彼は信じてなかったと思うよ、ボクと話している時は馬鹿らしいって笑ってたし。だから最後の時は一緒にいるなんて、軽く言えたのかもしれないけど」

 そう言ったボクはどんな顔をしてたのかなんて自分で見ることなんてできないけれど、きっと落ち込んだ顔をしていたと思う。ボクの話を聞いてその荷物を見た大輝は「とりあえず、他の荷物持ちに行くか」と言ったけれど「あ、鍵、もう持ってない」と答えると呆れられてしまった。

「だって、今なんて部屋探しても見つからなさそうだから。
 生活費少ししか払わせてくれなかったし、積み立てておいた旅行代必要無くなったし。世界が終わらなければ買い換えれば良いと思って、今すぐ必要なもの以外は置いてきた。
 まあ…もしも戻ってきた時のための嫌がらせ?」

「うちが駄目だったらどうするつもりだったの?」

「贅沢にホテル暮らしとか?」

 そう答えたボクに「バカ」と笑った大輝は「もっと早く言ってくれれば布団とか用意しておいたのに」と不満そうな顔を見せる。
 ここにいた時に使っていた布団は貴哉と身体の関係を持つようになったせいで処分させられた。たまには別に寝たいと思うこともあったけれど、それを申し出る勇気はボクには無かったから「布団、もういらないよね」と言われた時に逆らうことはできなかったから。
 貴哉のことが好きで付き合っていたと思い込もうとしていたけれど、根本的なところでは恐怖で支配されたままだったのかもしれない。だからどのみち布団は買うしかなかったのだけど、とりあえず寝る場所さえあれば何とかなると甘く考えていた自分を反省する。

 残してきたものは季節外れの服と安物の家具。生活するための細かなものは正確にはボクのものとは言えないため未練なんて何もない。未練があるとしたら貴哉に対してだけなのだけど、未練はあっても元に戻りたいとは思っていないし、元に戻りたいと言われても頷くことなんてできない。

 身代わりでもいつかはボクを見てくれると思っていたのに、ボクは所詮身代わりでしかなかったと思い知らされたのだから当然だろう。
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