手〈取捨選択のその先に〉

佳乃

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時也編 3

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「実家にあまり頼りたくないし、貯金はあるけど使いたくないし。
 そもそも、辞める予定じゃなかったから時間の使い方もわからないし」
 敦志といると昔の記憶に引きずられるのはその当時、飲み込んでいた言葉が多過ぎたせいでなのか、敦志の存在が引き金となるせいなのか、意図せず僕は饒舌になってしまう。
「辞める気なんてなかったんだよ?
 就活だって、あのまま就職させてくれないかと思ってたくらいだし」
「そうなの?」
 言ったことのなかった僕の願望。

 業務が日に日に増え、店主である彼の友人が商売を広げようとしているのは気付いていた。店番だけだった仕事内容に簡単な本の管理が加わり、それができる様になるとオンラインでの本の売買も手伝う様になった。
 店主はと言えば「時也がいると楽ができる」なんて嘯きながら珍しい本があると言われれば足を運び、家にある本を査定して欲しいと言われればすぐに出向き、取引をしてくれる出版社があれば挨拶に行く。
 小さな個人の本屋なんて今時流行らないと思ったけれど、店主がただの本好きではなくて〈売れる〉本を見抜くのが上手かったのか、売り上げは上々だったのはバイトの僕から見ても明らかだった。だけどその分、店主はかなり多忙な毎日だったから、僕が辞めた後は大変だったのではないかと心配になったりもした。
「僕のやる仕事が増えていく度にもしかしたら、って思ってたんだけどね」
 その言葉の裏側にあるのは〈彼と別れる日が来るなんて思ってもなかった〉という僕の本心。店主の彼だって、僕の事を当てにしていた様に思うのはきっと自惚じゃない。

「逃した魚は大きかったんじゃない?」
 敦志の言葉に一瞬動きが止まる。
 何が気付いているのだろうかと疑い、次の言葉が出てこない。
「だってさ、時間があればバイトに行ってただろ?シフトとか関係無しに。
 真面目ポイントだっけ?
 何回もそう言って色々断られた覚えがある」
 そう言われて勘繰り過ぎだったと胸を撫で下ろす。敦志だってきっと〈おかしい〉と思うことはあったはずだ。だけど、こうやって何も言わずにいてくれることがどれだけ僕の救いになっていたことか。
「そうなのかな?
 でも辞めるって言ったらあっさり了承されて拍子抜けだった」
 そう、笑い話にしてしまおう。言えないことの方が多いけれど、それでも話しを聞いてもらえば消化できる事だってたくさんあるんだ。
「まだ本屋やってるのかな?」
「やってるよ」
「行ったの?」
「本探してる時に名前見つけた」
 たまたまネットで本を探していた時に懐かしい店名を見つけた時に嬉しくなった気持ちを素直に話す。
「行ってみたい?」
 その言葉にはNOと首を振る。
 思い出して記憶に引きずられる事はあっても今更未練も何もない。バイト先としては申し分なかったけれど、ただそれだけのことだ。
 向こうだって今更僕が顔を出したところで〈誰だったっけ?〉といった感じだろう。

「そのまま本屋に就職してたら全然違う生活だったんだろうね」
 毎日の業務をこなし、彼の待つ家に帰り、彼と一緒に過ごす毎日は当時思い描いていた生活。彼と続いていたらもっと早い段階であの部屋を引き払っていたかもしれない。そうしたら一也との未来は無かったし、そもそも一也と知り合ってもいなかったかもしれない。
「それなら、本屋を辞めてくれてよかった」
 敦志がポツリとこぼす。
「時也がそのまま本屋に就職してたらきっと、こんな風に一緒に過ごす事もなかったんだよな」
 確かにそうだろう。
 彼と続いていたら、もっと言ってしまうと一也と続いていたら自室に敦志を招き入れる事はなかっただろう。
「まぁ、結果オーライなんだろうね」
 敦志とこうして過ごせる事は嬉しいけれど、今までの過程を思うと手放しで喜ぶことができない。だから結果オーライなのだ。
 食べながらその合間に話していたけれど、話が止まってしまったせいか2人して無言で箸を進める。
 美味しい食事なのに、何だか喉に小骨が引っかかっているようで少しだけ居心地が悪い。

 言葉の端々から感じる敦志が〈何か〉を知っている様な気配が気になってしまう。
「敦志は卒業してから何か変わった事ないの?」
 僕と敦志が今こうして一緒に過ごしているのは一也と付き合い、一也と別れ、職場を異動して引っ越したからだから僕はそれなりに変化している。
 だったら敦志はどうなのだろうと気になって聞いてみる。
「ひとり暮らし始めたのが1番の変化かな?」
 言いながら何か考えているけれど、何を考えているかわかるはずもなく、ただただ次の言葉を待つ。
「就職は当たり前だけど、一人暮らしして初めて〈淋しい〉って思った。
 家にいると当然家族がいるからそれぞれが部屋で何かしてるだけでも気配があるだろ?だけど1人だと本当に静かで心細いっていうか。
 うちなんて特に妹が騒がしかったからはじめの頃は無音の生活が苦痛でさ。
 ホームシックになるのかな?
 何でも自分でやらないといけないのにわからない事も多くて、理由付けて実家に電話したりしてさ」
 そう言って少し笑う。
「時也はそんな事なかった?」
 敦志の〈家〉はきっと、干渉するしないじゃなくて、お互いの存在を感じながら、それを心地よく思いながらの生活だったのだろう。だから、あんな風に妹さんと買い物にも行くし、学生時代に少しだけお世話になっただけの僕を気にしてくれる身内がいたりするのだろうと少し羨ましくなる。
「僕は、とにかく家を出たかったからホームシックは無かったかな?」
 思い出してみても家を出た事で淋しいと思ったことは無かった。ただただ、これで疎まれる事はないという安堵があっただけだ。あの当時はまだ彼と付き合ってはいなかったけれど、困ったことがあればすぐに手を差し伸べてくれる、そんな存在だった。だから、好きだと言われ、僕の隣にいたいと言われ、この人とならと全てを許したのだった。
 そう考えると彼に対する気持ちの始まりは〈好き〉と言うより〈give&take〉だったのかもしれない。

〈敦志side〉
「実家にあまり頼りたくないし、貯金はあるけど使いたくないし。
 そもそも、辞める予定じゃなかったから時間の使い方もわからないし」
 当時を思い出す様にポツポツを話し始めた時也の言葉を、その気持ちを引き出したくて余計な事を言わずに耳を傾ける。
 あの当時、急に断ち切られた縁に縋り付く事もせず、ただただ強かっている時也を見守っていたのは付け込みたくないと言う気持ちからだったけど、あの時に別れの理由を知っていたらもっと寄り添うことができたかもしれなかったのに、と後悔した事もあった。
 だけど、あの当時の時也に何があったのか問い詰めるのは理由を知らない俺にはできなかった事。まさか、あんな理由で別れたなんて想像もしていなかったから。
「辞める気なんてなかったんだよ?
 就活だって、あのまま就職させてくれないかと思ってたくらいだし」
「そうなの?」
 口を挟む気はなかったけれど、つい聞いてしまった。その言葉からも時也にとって彼との別れはそれ程までに唐突だったと言う事だろう。

「僕のやる仕事が増えていく度にもしかしたら、って思ってたんだけどね」
 確かに、その当時聞いていた業務内容はバイトの域を超えていた。時也にそんな事をやらせて店主は何をしているのかと疑問に思った事もある。
「逃した魚は大きかったんじゃない?」
 店主にしても、彼にしても、時也を手放すなんて見る目が無さ過ぎる。
 思わず言ってしまった言葉に時也の動きが止まったけれど、それに構わず言葉を続ける。俺の知っている事を誤魔化す様に、俺の気持ちを隠す様に。
「だってさ、時間があればバイトに行ってただろ?シフトとか関係無しに。
 真面目ポイントだっけ?
 何回もそう言って色々断られた覚えがある」
 だから、わざと茶化す様な言葉を続ける。真面目ポイントだなんて、彼に会うための口実だって知っていたけれど、その言葉で時也が安心するのなら騙されたふりをすることなんて造作もない。

「そうなのかな?
 でも辞めるって言ったらあっさり了承されて拍子抜けだった」
 そう、笑って言うけれど、どこか痛みを耐えたその笑顔は何処かでまだ彼を引きずっているのではないかと思わせるものだった。
「まだ本屋やってるのかな?」
「やってるよ」
「行ったの?」
「本探してる時に名前見つけた」
 たまたまネットで本を探していた時に懐かしい店名を見つけたと嬉しそうに話す様子を見れば〈未練〉では無さそうだけど、その名前に反応すると言う事は消化し切ったわけでもないのだろう。
「行ってみたい?」
 行きたいと言えば一緒に、と思ったけれど答えはNOだった。
「そのまま本屋に就職してたら全然違う生活だったんだろうね」
 そう言ってまた何かを考え込む時也は、彼と続いている未来に思いを馳せているのかもしれない。そう考え、思わず言ってしまった。
「それなら、本屋を辞めてくれて良かった。
 時也がそのまま本屋に就職してたらきっと、こんな風に一緒に過ごす事もなかったんだよな」
 こぼれ落ちる俺の本心。
 彼と別れてくれて良かった、三浦と別れてくれて良かった。
 こうして、一緒に過ごすことができて良かった。
 色々な意味を含んだ〈良かった〉は時也に対する独占欲。
 このまま俺と過ごす未来が続いて欲しいと願う俺の願望。
「まぁ、結果オーライなんだろうね」

 時也の言葉で何となく話が終わってしまい、止まりがちだった箸を進めることに専念する。
 時折、俺の言葉に訝しげな顔をしたものの、それについて何かを言う事はなかったためそのことに踏み込む事もできない。言いたい事を、伝えたい事を飲み込む居心地の悪さを感じているのはきっと俺だけじゃない。

「敦志は卒業してから何か変わった事ないの?」
 食事を終え、お茶を飲みながら次はどうしようかと考えあぐねていると、時也が先に口を開く。卒業してからほとんど会う事もなく、たまに連絡を取ってもゆっくり話す事もなかったせいで俺の情報は時也の中では卒業、就職以降はアップデートされていないのだろう。
「ひとり暮らし始めたのが1番の変化かな?」
 と言うか、それくらいしか変化はない。パートナーがいた時期もなく、たまに学生時代の友人と会う事はあっても特筆する様な事もない。変わったと言えば就職して収入を得る様になったせいで、妹のおねだりが加速したことぐらいだろう。
 だけど、目に見える変化はなくても気持ちの変化はあった。
「就職は当たり前だけど、一人暮らしして初めて〈淋しい〉って思った。
 家にいると当然家族がいるからそれぞれが部屋で何かしてるだけでも気配があるだろ?だけど1人だと本当に静かで心細いっていうか。
 うちなんて特に妹が騒がしかったからはじめの頃は無音の生活が苦痛でさ。
 ホームシックになるのかな?
 何でも自分でやらないといけないのにわからない事も多くて、理由付けて実家に電話したりしてさ」
 それくらいしか変化のない自分がおかしくて笑ってしまう。就職して一人暮らしをして、いちばんの変化がホームシックになった自分だなんて、そんな話しかできない自分が滑稽に思えてしまう。

「時也はそんな事なかった?」
 苦し紛れに聞いた言葉。
 だけど、それは時也にとってあまり楽しい質問ではなかったようだった。
「僕は、とにかく家を出たかったからホームシックは無かったかな?」
 少し考えてから出された言葉に戸惑うけれど、そう言えば学祭の時も家族には何も伝えていないと言っていたなと思い出す。
 あまり自分のことを話さない時也は、頼る相手がいない今、その相手に俺を選ぶと言う選択肢はあるのだろうか。






 
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