手〈取捨選択のその先に〉

佳乃

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時也編 2

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「大丈夫と言うか…。
 大丈夫と言えば大丈夫だし、大丈夫じゃないと言えば大丈夫じゃない」
「何ですか、それ」
 僕の質問に社長は困った顔をして橘さんはニヤニヤしている。
「航太は僕にベタ惚れだから」
 ニヤニヤしながらそう言った橘さんは、それでもとても嬉しそうに見える。
「芳美以外は誰でも一緒だったから男でも女でもなんでも良かった。
 芳美がいればそれでいいし、芳美じゃないなら誰でもいいし、どうでもいい」
「本当、最低だよね。
 歴代の彼女に謝れ」
 歴代という事は少なくとも2人はお付き合いした相手がいるという事だろう。

「そもそも俺は好きな人がいるから付き合えないって言ってるのにそれでも良いからって言われて付き合っただけで自分からなんて事は一度もないぞ?」
「モテ自慢?」
「そうじゃなくて。
 別にお前以外となんて付き合いたいと思わなかったけどそれでもって言われて〈付き合ってみたら好きになれるかも〉〈好きになったらお前を諦められるかも〉って思ったから」
「それで何人と付き合ったんだっけ?」
 僕は何を見せられているんだろうと思わないでもなかったけれど、どうやら彼や一也とは事情が違うらしい。
 社長は恋愛対象は橘さんだけで、あとは同性でも異性でも同じだったということだろう。
「社長は橘さんしか好きになったことないんですか?」
 2人の話が途切れたところでもう一度聞いてみる。僕の存在を忘れていたわけではないけれど2人での会話になってしまったことにバツの悪そうな顔を見せたけれど、それでも社長は答えてくれる。
「まぁ、芳美の事が好きだって自覚するまでは彼女だっていたし、芳美だって彼女いたし。
 どこにでもいる高校生だったぞ」
「だよね。
 尊人や康紀と合コンとかしたしね」
「それはお前らが無理やり」
「そう言っていつも1番可愛い子に気に入られるの航太だったじゃん」
 どうやら本当に高校生らしい高校生だったようだ。それならば何がきっかけだったのかが気になってしまう。
「社長はいつ橘さんのことが好きだって気付いたんですか?」
 聞き過ぎかと思ったけれど聞かずにはいられなかった。聞いて良いことなのかどうかを考えることすら忘れて口に出してしまった言葉だったけれど、2人とも嫌な顔することなく記憶を辿りながら答えてくれる。

「多分、
就活が始まるくらいからかな?
 高校卒業する時もどうせこれからも一緒に遊ぶだろうって全然淋しいとか思わなかったし、何ならお互い彼女連れで遊んだりもしてたし。
 だけど尊人や康紀がどこに就職しようが何してようが別に何とも思わないのに芳美が就職した先で誰かと恋愛をして結婚する事を考えたら落ち着かなくて自覚した。
 きっと就職する事でその先の人生、〈家庭を持つ〉事が頭に浮かんだんだろうな。
 学生の間はフワフワした恋愛が楽しいけど就職してからだと将来を見据えるようになるだろ?」
「それで告白したんですか?」
「しなかったよ。
 しばらくはどうして良いのかわからなくて連絡も取らなかったし、就活もあったし」
 社長は思い出すようにゆっくりと言葉を続ける。
「色々考えたぞ。
 就職先が物理的に離れれば諦めるしかないかと思ったし、別の誰か、異性の恋人の隣に立つ自分も、誰かの隣に立つ芳美も想像したし。
 自分の将来もどこに就職してどうやって生きていきたいかとか。
 その中で1番しっくり来るのが芳美と一緒に過ごしている自分だった」
 そう言って笑うけれど、その表情は何か思い詰めた表情で。その時のことを思い出しているのかと、聞いてはいけないことだったのかと思うけれど、そんな社長の握られた拳に橘さんが手をそっと添えるのを見てほっとしながらも〈羨ましい〉と思ってしまった僕は駄目な人間なのだろうか。

「でもな、加賀美だって同性と付き合う時に色々な葛藤があったと思うけどこればっかりは、好きなってしまったら理屈じゃないんだよ。
 性別とか、将来の事とか、色々考えても結論は芳美が好きだという事実で。
 だけど芳美との未来を現実問題として考えると先ずは家族が障害になるだろうし、社会的な地位だって同性婚カップルに対しては理解が無いに等しい。〈ファーストレディ〉って言葉だって異性婚が前提の言葉だろ?
 大きな会社でのレセプションは夫婦同伴が前提になっているところだって多いし、俺が他の会社のお偉いさんと会う時だって挨拶がわりに〈そろそろ結婚しろ〉なんて言われることも多い。
〈子どもを持ってこそ一人前だ〉なんて言われることだってあるし、とにかくまだ同性婚は色々と障壁も多い。
 だから自分がいくら芳美の事が好きでも巻き込めないと思ったんだ」
 軽い気持ちで聞いたわけではなかったけれど、そこまで考えても橘さんじゃないと駄目だったのかと、今度こそ明確に〈羨ましい〉と嫉妬する。そこまで考えてくれた相手、社長と彼や一也とはそもそもの考え方が違ったのだろう。

「万が一好きだと告げて上手くいったとしても人間の感情なんて変わるものだ。
 同性である俺を芳美が受け入れてくれたとしてもそれが永遠に続かなかったら。
 芳美が俺の事を受け入れてしまった後でやっぱり異性が良いと思ってしまった時に、その時に芳美がちゃんと異性と恋愛ができるのか。
 付き合ってみて違うと思った時に芳美の将来に責任が持てるのか」
「そもそも何ではじめから僕が受け身の前提?逆だってあり得たかもしれないのに」
「それは無い」
 途中、口を挟んだ橘さんの言葉は即座に否定される。そして、僕も社長の意見に頷いてしまった。橘さんは拗ねたようなそぶりを見せるけれど…そんなところが〈そういう事〉だと気付いていないのだろうか?
 そんな閑話を挟み、社長が再び口を開く。
「学生のうちはまだ良い。
 若かったからで済むけれど、現実として就職をして自分で生活をしていく事を見据えると、その先のことを考えると告げてはいけないと思ったんだ。
 今まで当たり前に描いていた将来設計が崩れるんだ。自分が育った家庭のように父がいて、母がいて、子どもがいて。
 家の庭でバーベキューして、休みの日には動物園に行って。
 何なら友達同士で集まって何かするとなったら当然仲の良かった尊人や康紀と家族ぐるみで遊ぶ未来だって思い描いた事だってあるし。
 そんな風に思い描いていた未来が無くなるんだから簡単に自分の気持ちを告げるべきでは無いと思ったんだ」
 社長の言葉一言一言が考えさせられる言葉だった。
「もしも好きだと告げて芳美が離れて行ったら。
 受け入れてくれても、もしも芳美が異性を好きになった時に俺に言い出せなくてその気持ちを押し殺して俺と付き合い続けたら。
 とにかく考えて考えて、はじめは諦めようと思ったんだ。
 芳美との未来が無いからって他の相手を探そうとは思わなかったけれど、声をかけてくれた相手に好きな人がいるからと伝えて〈それでも良い〉って言われたら付き合ううちに好きになれるかも、芳美を忘れる事ができるかもとその気持ちに甘えて。
 でもそんな関係、続くわけがなくて何度か繰り返して諦めた。
 嫌いじゃないけど好きでもない。
 そんな相手と一緒にいたって楽しいわけないからな」
 社長に告白した相手はどんな気持ちで、何を期待してそう言ったのだろう。〈好きな人〉が男性だと知っていたら諦めたのだろうか?それとも少しの希望に縋ってでも社長との未来を夢見たのか。

「加賀美君はどうだった?
 その相手のこと、どう思って付き合ったの?」
 社長の話を聞く僕をみて橘さんも何か思うところがあったのだろう、そう口を開きつつ話を続ける。
「僕は当然だけど航太がそんな風に思ってるなんて気付いてなかったんだ。
 連絡が来なくなったのも就活が忙しいせいだと思ってたし、自分も就活があったし。たまに尊人や康紀から航太の話を聞いても僕に気を使って連絡してこないだけかと思ってたし」
 そう言いながら尊人さんと康紀さんは高校卒業後は専門学校に進学したためその当時はもう就職済みだったと教えられる。
「好きだって言われたときも冗談だと思ったし。
 だってさ、お互いの彼女どころか初めての相手やその時の場所まで知ってるんだよ?ビデオとか一緒に見て交代でトイレ行ったり」
 急に話の方向が変わり戸惑うけれど、僕には経験のないことだったからそんなものなのかと驚きもあった。僕も彼や一也と付き合わなければそんな風に一緒に過ごす事のできる友達が出来ていたのだろうか?
「でもさ、見計らったかのように彼女のいないタイミングで本気だからって言われたら考えないわけにもいかないじゃない?正直なところ勘弁してくれって思ったし」
 そう言ってコーヒーに手を伸ばすけれどすっかり冷めてしまったそれに顔を顰める。こんなに話し込んでしまって大丈夫かと思うけれど、今話さなければ次の機会がいつ来るかわからない。そう思いながら橘さんの次の言葉を待つ。
「だからはじめは無理だって断ったんだよ。だけど変わらない態度で連絡してくるし、尊人や康紀と遊ぶ時は当然のように呼ばれるし。
 尊人や康紀に彼女ができて結婚の話が出るようになった時にこのままみんな結婚して、もしも僕も結婚して、そうしたら航太はどうするんだろうって思ったら急に怖くなってさ」
 そのタイミングで今度は社長が橘さんの手に自分の手を重ねる。その動作は自然で、普段から2人の間で繰り返される動作なのかもしれない。
「航太にもパートナーができればみんなで集まったりできるけど、航太だけで参加してくれるのかとか、航太にパートナーができたとしてもしもそれが同性なら尊人や康紀みたいに連れてくるのかとか、そしたら僕のことを好きって言ったのに他の男をパートナーとして選ぶのかって腹が立ってさ。
 いつの間にか航太は僕のことが好きで当たり前だから、ずっとそうであって欲しいって思ってしまったは、そしたらこっちの負けだよね」
 悔しそうな口調なのに嬉しそうな笑顔を見せる橘さんはとても魅力的に見えた。そして、絆されてしまう事が理解できてしまい僕も話を聞いて欲しくて口を開く。

「僕も同じでした。初めての彼は部活のOBで、色々と指導してもらう内に連絡先を交換したんです。部活を引退した後も受験のことを心配してくれたり、自分の経験を踏まえて受験のアドバイスをくれたり。
 僕の中では頼れるお兄さんで、実家では〈長男〉として〈兄〉としてしっかりしないといけないと思っていた僕にとって唯一甘えることのできる相手でした。
 好きだって言われたとき、他の誰かが僕の隣に立つのが我慢できないって言われたとき嬉しかったんです。
 だから断った時に彼と接点がなくなることを考えると怖くて、そう思うって事は彼の事が好きなんだろうって思ったんです」
「それって依存じゃないの?」
「今思うとそうかもしれないです。
 でもその時は、一人暮らしを始めるタイミングだったから彼がいなくなったら頼れる相手もいなくなるし、それに対して不安に思うって事はやっぱり彼の事が好きなんだって。

 だから、そんな風に始まったから彼はずっと僕のことを好きでいてくれるって思ってたんです。彼が僕から離れていくなんて考えたこともなかった。
 将来の事なんて考えた事なかったけど、それでもずっと一緒にいられると思ってたんです」
 言葉に出すと改めて自覚する自分の気持ち。一也にも話したことのない事を社長や初対面の橘さんに話すことに躊躇いはなかった。
 ただただ話を聞いてもらいたかった。








 
 
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