手〈取捨選択のその先に〉

佳乃

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時也編 2

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「僕のパートナーも男性でしたよ」
 そう言って「いただきます」とコーヒーを手に取る。緊張して手が震えそうになるけれど、それでも冷静を装う。
 自分のパートナーの話をしたのはあの時、一也に彼のことを話した時くらいで人に話すようなことじゃないと言わないでおいた事実。だけど、話すのならば今しかないと思っての行動だ。

「本当か?」
「馬鹿航太、そんな聞き方するな!
 加賀美君は話したい?
 それとも僕たちが事実だけ知っていればいい?」
 社長は普段から攻めるような口調なのか、橘さんがフォローしている姿がとても自然で否定されているわけではないのだとホッとする。
 それならば話しておくのもいいのかもしれない。敢えて知らせる必要はなかったけれど、隠す事はできるけれど、それでも橘さんに聞いてほしいと思ったから僕は口を開く。
「聞いてもらってもいいですか?」

 僕の言葉に2人が頷いたのを確認して話す決心が固まった。
「就職して少ししてから同級生と付き合ってました」
 そんな風に話し始めた僕の言葉に2人は耳を傾けてくれた。
 付き合った経緯を簡単に説明してどれくらい付き合っていたか、どうして駄目になったのかをなるべく感情が入らないように説明していく。
 時折橘さんの質問が入るものの、社長はずっと無言だ。

「待って、加賀美君。
 その人の前にも誰かと付き合ってる?」
「その前は先輩でした」
「最近まで付き合ってた子は浮気でしょ?
 じゃあそっちの先輩は?」
「子どもができたから結婚するって」
「それ、いつ?」
「大学生の頃です」
「そっか…。
 加賀美君、いい奴だね」

 人に言いにくい事はきっと聞かされた相手は困るような事で、だから言わないようにしていたけれど橘さんの反応が予想と違いどう反応すればいいのかわからなかった。
 一也の時も彼の時も、事実を受け止めて諦めて逃げる事しかできなかった僕が〈いい奴〉だなんて、理解できない。

「だってさ、パートナーの相手のことを考えて身を引いたんでしょ?
 正直、加賀美君のパートナーだった2人は屑だと思うよ」
「逃げただけです」
「逃げるが勝ちって知ってる?
 同じ土俵に立つ必要ないし、そんな屑達にその価値もない」
 橘さんの言葉は僕を擁護してくれる言葉だったけれど素直に受け入れる事はできなかった。
「僕は、自分が傷付きたくなくて諦めただけで相手のことなんて考えてないし」
「でも傷付いたでしょ?」
 その言葉には素直に頷く。
 だけど僕は相手のことを考えて身を引きたわけじゃ無いし、いい奴でもない。
 同じ土俵につく勇気がなかっただけで、ただ臆病だっただけだ。
「子どもを諦めて欲しいなんて言えないし、同じようにまた子どもができたって言われるのが怖かっただけです。
 同じ理由で傷付きたくなかったからちゃんと話をすることもしないまま逃げ出しただけです」
 そう、彼の時も一也の時も言いたいことも言わずに自分の気持ちに蓋をして逃げ出しただけだ。だけど、それは僕にとって〈僕〉を守るために必要だった事だから仕方がないと思っているけれど、それでもあの時ちゃんと気持ちを伝えていたらと思わなかったわけでは無い。
「じゃあ、その時に子どもを諦めて自分を選んで欲しいって言わなかった理由を考えたことある?」
「だから諦めるしか選択肢は」
「言う事だってひとつの選択肢だよ。
 でもそうだね、そんなこと言う奴だからもしも加賀美君の言葉で加賀美君を選んでも何かある度に〈あの時に子どもが産まれてたら〉とか〈あの時に彼女を選んでたら〉って言うんだろうね」
 そう言って笑うけれど、その笑顔は嫌そうな顔に見えてしまう。

「彼にじゃなくて彼女に全て話して2人の関係を壊す事だってできるのにしなかったんだろう?」
 橘さんの表情を見てか今度は社長が口を開く。
「どちらの相手にしても調べる方法も会う方法も無いわけじゃない。だけどそれをしなかったのは何でだ?」
「だって、相手の人は僕たちの関係を知らないんだろうし、それを言って子供に何かあったら…」
「そう考えられるから強いんだよ」
 そんな事じゃない、そんな綺麗事じゃない。僕は自分が悪者になるのが怖くて、僕が被害者面していれば相手が悪いのだと思えるからそうやって自分の気持ちを宥めただけ。
「そんなのじゃないです」
「なくないよ。
 子供に何かあれば自分のところに戻ってきてくれるかも、彼女に自分の存在をバラせば別れるかも、そんな風に考えるのは別におかしくないどころか普通だろ?」
「でも、」
「一定数、と言うか案外そんな風に思う人間の方が多いんじゃないか?
 元の関係に戻れないなら向こうの関係も壊してやるとか」
「だから僕はいい奴なわけじゃなくて狡いだけなんです。
 自分が悪者になりたくないから、自分は被害者でいたいから」
 口に出して気付いてしまう自分の本心。
 
 そう、別にいい奴でもないし優しいわけでもない。
 本当は未練だってあったし、子どもができたのは何かの間違いで僕の元に戻ってきてくれるかも、一緒にいたのはただの同僚で落ち着いたら一也から連絡が来るかも、そんな風な期待もあったし夢想もした。
 だけど現実は彼は僕よりも家庭を選び、一也も僕のメッセージに応えることは無かった。
 だから諦めただけで、追い縋って疎まれるのが怖くて我慢しただけで、やっぱりいい奴でも何でもない。
 これまでの経験で、培ってきた本能で〈大切なもの〉ができてしまった相手に愛を求めても、追い縋ってみても意味がない事を知ってしまっていたから。
 だったら僕が平穏であるために、僕の事を思い出さないように2人には幸せであって欲しいと思う。
 どんな形であれ〈僕〉の事を思い出して欲しくないから、見苦しく縋って悪い印象を与えるよりも〈少しだけ良い思い出〉として残るだけの、きっかけがなければ思い出すこともないような薄い存在。
 そして、それは家族にも言える事で弟夫婦と両親の関係が良好であれば、家族が増えて幸せであれば僕の存在なんてどうでもいいものになるのだから、だからやっぱり幸せであって欲しいと願う。
 自分では何も動かず、逃げて距離を取るだけなのに自分の害にならないように相手の幸せを願い、その存在を無かったものにしてもらおうと思う僕はただただ狡いだけだ。

「被害者でいたいって、変なの」
 揶揄うような言葉に顔を上げると橘さんがぼくを見て笑っているけれど、その目は思いの外優しくて戸惑ってしまう。
「被害者でいたいって、被害者じゃん。
 何も悪いことしてないのに他の女と子作りしたり、何も悪いことしてないのに職場の女とイチャイチャして連絡してこなかったり。
 何もしなくても加賀美君は被害者なのに何でそんなにゴチャゴチャ考えるの?」
「でも、僕が相手の気持ちにちゃんと気付いてたら。
 僕が何かを怠ったせいで他のに目を向けたんだったら」
「それならそれでちゃんと終わらせてから次に行くのが筋だ」
 橘さんだけでなく社長までも僕を擁護するような事を言い始めてしまい居心地が悪い。
「大体さ、恋愛なんて1人でするものじゃないし。特に僕のたちみたいな関係はどちらかが他に目を向けたら、目を向けた先が異性であったら残された方は諦めるしか手段はないんだ。
 加賀美君みたいに子供ができたなんて言われたら…子供を望むことのできない関係でそれを言われてしまったら諦めるしかないし、自分の心を殺すしかない。
 何をどう頑張っても子を成すことのできない関係で、それなのにそれを言われてしまったら心を殺してでも納得するしかないんだよ。
 子供の命を奪う権利なんてないから、そう思うしかない仕打ちをされた時点で心を殺されてるんだから被害者でしかないんだよ。
 だって子供の命を救うために自分の心を殺してるんだもん」
 発想の転換というのだろうか。橘さんの言葉に、〈心を殺してる〉という言葉であの時の気持ちを思い出してそういう事だったのかと納得してしまう。

 彼と別れた時、何が悪かったのか、何をすれば良かったのかと考え、それでも答えが出なくてベッドに入っても眠れない夜をいくつも過ごした。それでも相談できる相手もいなしい、異変に気づかれて話してしまうのが怖くて学校では〈楽しく〉過ごしていた。落ち込んでいてもそれを外に出さないように気をつけ、泣き喚く事なく、そんな風に過ごすことのできる自分は案外図太いのかもしれないと思ったこともあったけれど、橘さんの言葉を借りるのならば僕は図太いのではなく〈心を殺された〉せいで喜怒哀楽の中の怒るという感情と、哀しむという感情が希薄になっていたのだ、きっと。

「そもそもな、加賀美の考え方は根本的に間違ってるぞ」
 そう言って社長が口を開くためその言葉に耳を傾ける。
「その、何だ。
 話を聞いてる感じだと加賀美はその、受ける立場だろ?」
 そんなふうに言い出して橘さんに「何言い出すの?」と叱られるけれど「大事なところだから」と制して話の続きを口にする。
「子どもを望めないっていうけどそれはお互い様というか、それこそ加賀美の相手は女を相手に子どもを作ることだって可能だし実際そうだった。
 だけど加賀美の立場だとそれすら不可能というか…、その、何だ。
 加賀美が女性と付き合う選択肢もあるけれど、それでも相手に比べてハードルが高いのは加賀美のほうじゃないのか?」
「うわ、航太最低」
 社長の言葉に橘さんは呆れるけれど、その言葉が意味する事は僕自身考えた事があることだから素直に受け取る事ができた。
「そう言われるとそうなんですけど…。
 正直、この先女性を好きになる可能性を考えてみた時に〈出来るのか〉考えた事はあります」
「だよな、」
「だよなって、航太は立場違うじゃん」
 思わずという感じで突っ込んだ橘さんだったけれど、2人の雰囲気でそうではないかと予測をしていた関係はどうやら正解だったらしい。
「だからだよ。
 もしも異性を好きになった時のことを考えて俺だって色々悩んだんだから。
 その時になって芳美が悩んで相手に気持ちを伝えるのを躊躇うようなことがあったらと思うとお前に気持ちを伝えることが怖かった」
「馬鹿、加賀美君の前で何言い出すんだよ。そもそも航太なんて彼女いたことあったじゃん」
「それは…」
 痛いところを突かれたのか社長がバツの悪そうな顔をするけれど橘さんの顔だって真っ赤だ。
 それよりも僕は社長に彼女がいたことが気になってしまい口を開く。

「社長は同性でも異性でも大丈夫なんですか?」
 正直な話、僕にとって一番気になる事だった。彼ははっきりと言った事はないけれど、同性相手は初めてだったと言ったことがあった。それは、異性と付き合ったことがあるからこその言葉だろう。そして一也は同性とも異性とも付き合っていたのを実際この目で見てきた。
 現実問題、異性と恋愛ができるのならば異性をパートナーとして選べば同性をパートナーに選ぶよりも生きやすいだろう。
 多様性を認めるよう動き出した社会であっても偏見がなくなるわけではない。
 学生の頃は〈彼女は?〉と聞かれ、社会人になればそれに加えて〈結婚相手は?〉とか〈結婚は?〉と聞かれ。
 それらは全て異性のパートナーがいることを前提に話が始まるのだから〈一般的に見て〉パートナーと言えば異性であると言う概念があるのだろう。
 


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