手〈取捨選択のその先に〉

佳乃

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時也編 2

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 週の始めの月曜日は今まで〈また1週間仕事だ〉と思っていたけれど、最近は仕事に行くのが楽しみでもある。
 待つ相手がいなくなって職場でしか人と接することがないのもひとつの理由だけど、引け目を感じながらしていた仕事も最近は自分の役割を理解して動くことができるようになったせいでやりがいを感じることもできるようになったことも理由のひとつだろう。

 だからと言って部屋で過ごす時間が淋しいからかと考えてみるとそれは違うと即答できるほどに快適だ。
 彼と付き合っていた頃は何かと彼の部屋に出入りしていたせいで自分の部屋は〈ここじゃない〉と思う気持ちがあった。
 一也と付き合っていた頃は週末に2人で過ごすために〈2人で過ごしやすい部屋〉にすることを重視したため1人の時間に〈淋しい〉と思ってしまうのが常だった。
 今の部屋は僕が、僕のために、僕の過ごしやすいように作り上げたものだから過ごしやすくて当たり前だと思うけれど、実家にいた頃の自分の部屋だって子どもの頃から少しずつ少しずつ作り上げていった部屋だったのに居心地は良くなかった。
 結局は場所の問題ではなくて気持ちの問題なのかもしれない。

 部屋で過ごしやすくなると部屋でできることを考えるようになり、手っ取り早く思いついたのが料理だったせいで夏前に落ちてしまった体重は気付けば元に戻り、心なしか体調もいいような気がする。
 今朝も朝食をしっかり食べ、あるものを適当に弁当箱に詰める。ウインナーは焼くだけでいいし、面倒な時は冷凍食品だって使う。前日の夕食を簡単に済ませてしまった時には弁当用におかずの取置きもできないため冷凍食品は必需品だ。
 そして、こんな風に適当な自分の料理はやはり趣味と呼べるほどのものでもないだろうと苦笑いする。

 そんなことを考えながら身支度をして家を出る。通勤に時間がかからない分余裕があるためのんびりと歩くこの時間は嫌いじゃない。
 住宅街に続く道を逆流するのは僕だけではないはずだけど、駅に向かう人が多いため時間がズレるのだろう。人気の少ない道をゆっくり歩くと小さな発見がいくつもあって朝から和まされることも多い。
 今まで気にしなかった道端の雑草や民家のガーデニング。会社から駅に向かうとそれなりに賑わっているけれど、住宅街に続くこの道は〈閑静な〉と言えなくもない。会社までの道のりの途中で小さな看板を掲げるお宅もあるけれど、気にはなるものの何があるのか確かめる勇気はまだない。いつか、そこのドアから人が出てくるタイミングがあれば声をかけてみようかと考えるだけで楽しくなるのは僕の心が安定しているからだろうか。

 会社への道のりをのんびり楽しみ、会社につけばすでに出社している社長と挨拶を交わして席に着く。会社といっても少人数の会社は上の階が住居施設になっている建物の一階店舗を事務所として借りているため上階に住居を構える社長は毎朝出社が早い。
 申し訳なく思い早めに出社したら〈唯一の1人の時間を邪魔するな〉と叱られてしまった。パートナーと一緒に暮らしているため朝の1人の時間は貴重なので気にするなということらしいけれど、それ理解したのは異動してしばらくしてから。社長は…とにかく口が悪いというか、言葉がキツイというか。誤解されがちで勿体無いと思うのだけど〈慣れれば憎まれ口も可愛いものと先輩方が言うためそんなものなのかと思うようにもなってきた。

「慣れたか?」
 異動して3ヶ月ほどになった僕に珍しく話しかけてきた社長に驚き顔を上げると普段はキツイことばかり言う口から僕を気遣う言葉が続く。
「最近、いい顔になったと思ったけどまた顔が変わったな」
 そう言って笑うけれど、僕にも自覚があるため気恥ずかしくなってしまう。
「ありがとうございます。
 皆さんに甘やかされて居心地がいいです。正直、外から来た年下の上司なんて嫌がられるかと思ってたので居心地良すぎてもっと頑張らないとって思ってます」
 昨日、敦志に話したことを社長にも話してみる。こんな機会、次があるかどうかわからないため言える時に言いたいことを言ってしまおうと僕の言葉が多くなる。
「頑張り過ぎるな」
 それなのに社長のつれない言葉が返ってきてしまい、返答に困っているとニヤリと笑い次の言葉を僕に投げかける。
「十分頑張ってるから今のままでいい。
 年上とか年下とか関係ないし、うちの会社で1番仕事ができるのは間違いなく加賀美だ。
 仕事をしてる量が多いから仕事ができるわけじゃないんだから人と比べるな」
「でも」
「適材適所。
 尊人と康紀は考えるより動くのが得意だから動く仕事はあの2人に任せればいい。薫さんはどちらもできるから加賀美が困った時はサポートして貰えばいいし、バイトを動かすのも薫に任せればいい。
 加賀美は何を求められてここに来たかを考えろ。協力する事は大切だけど、人の仕事に手を出すな」
 決して優しいだけの言葉ではないし、アドバイスと言うほど親切なものではない。事実を事実として伝え、自分が何をするべきかを考えるよう促され、導かれる。
「上司として3人がどうしたら動きやすいかを考えるのも加賀美の仕事だからな。
 まぁ、自覚なしに色々やってるみたいだから今のままで問題ない。
 尊人や康紀も資料が見やすいだけじゃなくてアドバイスが的確で業者と会う時に困ることがないって褒めてたぞ」
 そう言い終わるタイミングで誰かが出社してきた音がする。
「無理せず、今のまま自分のやりたいようにやればいい。
 駄目な時はちゃんと言うから自信を持て」
 そう言って締められた言葉に見透かされていると落ち込みたくなるけれど、そこでグッと堪えて社長の目を見る。
「頑張ります」
「頑張り過ぎるなよ」
 そんな風に会話が終わったタイミングで入っていたのは康紀さんで、その後すぐに薫さんが出社して最後に尊人さんが出社するのがいつもの光景だ。

 みんなそれぞれの週末を過ごしたのだろう。普段の朝とは違い気怠げだけど充実した顔を見ると少しだけ羨ましいな、と思ってしまう。
 僕はどんな顔をしているのだろうかと思いながら今週の大まかな予定の打ち合わせをし、細かい予定への打ち合わせに移行する。
 誰がどこに行くのか、僕が顔を出した方がいい場所は何処か。
 資料の準備は。
 それぞれの持ち場の進み具合は。
 相手の出してきた状況によって予定を組み、それぞれの仕事に入ると社長への報告を済ませ、次に支持する事になるだろう案件の資料を集め次にアポを取る相手を決める。自分で考えて自分で動く事によって起こる化学反応に初めは怯えることもあったけれど、少しずつ成果が出るたびにやりがいを感じ、仕事の内容と担当するのが誰かでどこの誰と組んで仕事をすればいいかを考えて、上手く行くたびに手応えを感じるようになった。
 それでも〈机上の空論〉と言われることを恐れ、自分も外に出た方がいいのではないかと焦り、それを社長に感じ取られてしまったのだろう。

〈頑張り過ぎるな〉
 頑張れと言われて、言われたように頑張れば褒められる。それが当たり前だと思っていたけれど、そうじゃない時もあるのだとこの歳になってやっと理解する。
〈頑張ってね〉と母に言われ頑張り続けた日々。成績が落ちたところで、できなかったからと言って責められる事はなかったけれど、結果を出さなければ僕を見てくれないと思い込んでいたあの頃。
 何もしなくても関心を得られる弟と違い、頑張ることで母に認められたかったあの頃の僕。
 結局、どれだけ頑張っても、その時は褒めてもらえても母の関心の中心は弟だったのだけれど…。
「時也君、今日はお昼どうする?」
 仕事中だと言うのにそんなことを考えてしまっていたせいか、薫さんに声をかけられ休憩時間になっていたことに気付く。
「薫さんが弁当なら一緒に」
 毎日弁当を持ってくる薫さんだから素直に一緒にと言えばいいのに、万が一持っていなかったらと考えてそんな風に予防線を張るのは癖になっているからなのか、臆病さ故か。それでも薫さんは僕の周りくどさを気にせず「じゃあ、一緒に食べよ」と笑ってくれる。ここで否定的なことを言われたらまた心を閉ざしたくなるけれど、薫さんはただただ優しい。

「薫さんは何か趣味ってありますか?」
 弁当を食べ終わり、薫さんが入れてくれたお茶を飲みながら聞いてみる。女性だからお茶を入れるのは薫さん、と決まっているわけではなくて美味しいお茶が飲みたいから薫さんが入れると決まっているところは前の会社と似ていて笑ってしまうのだけど、同じ茶葉で入れても味が違うのは本当に不思議だ。
「趣味?
 結婚する前は旅行もよく行ったし、買い物も好きだったけど今は何だろう?
 料理教室行ってた時もあるけど料理はもう日常だし」
 そう言って考え込む。
「趣味か…。
 庭で野菜育てるのは楽しいかな。すぐ食べられる葉物とかプチトマトとか。
 ガーデニングだなんて言えないけど趣味といえば趣味かも」
 言いながらスマホを開き写真見えてくれる。庭にあるのだろう、そこまで広くない花壇に植えられた野菜に思わず頬がほころぶ。
「本当はさ、ハーブガーデンにしたいとか季節ごとに花を植えたいとか色々考えてたのに子どもが小さい時にプチトマト植えたのがきっかけで花壇じゃなくて家庭菜園になってる」
 口ではそんなことを言うけれど、その表情は嬉しそうだ。きっとこの家庭菜園にはいろいろな思い出が詰まっているのだろう。

「時也君は趣味は?」
 聞かれたら聞き返す。礼儀みたいなものだけど、望んでいた話の流れに素直に口を開く。
「趣味、無いから何か始めようと思うのに何も見つからなくて。
 昨日も色々調べたけど何がしたいかすら思いつかなくて」
「真面目だなぁ」
 僕の言葉を受けて薫さんは苦笑いをする。
「趣味って生活に直結してないけどやってて楽しいことだと思うんだ。
 尊人君の山登りもそうだし、うちの家庭菜園もだけどやらなくても生活に困らないけどそれでもやりたいこと?」
「ですよね。
 そう思うと読書くらいしか思いつかなくて」
「料理は?」
「料理は生活に直結してます。
 それに、料理が趣味って言うならカレーはスパイスから作るくらいじゃないと駄目じゃないですか?」
「やだ、それ何?
 時也君、面白過ぎる」
「面白いですか?」
「それは固定観念だよ。
 カレーをスパイスから作らなくてもカレーをアレンジして作るようになったら趣味でいいんじゃない?
 箱に書いてある通りに作れば美味しく出来るのに、それに手間を加え始めたらもう趣味でいいと思うよ。
 水の代わりにトマト缶使ったり、残ったカレーで他の料理作ったり」
「それ、普通にやりませんか?」
「やる人もいるし、やらない人もいる。
 必要に迫られてやる人もいるだろうけど、アレンジし出したら趣味でいいと思うよ。
 大体さ、スパイスからカレー作るなんて凄い手間なんだよ。たくさん種類揃えないといけないけど少しずつしか使わないから結局捨てる羽目になるし。
 そこまでするようになったら趣味通り越してマニアだから」
 言葉に熱が入るのはもしかしたらスパイスを捨てた経験があるのかもしれない。
「でもさ、一人暮らしでちゃんとご飯作って、弁当まで持ってくるんだから時也君の趣味は料理って言って問題ないと思うけどね。
 時也君は色々と難しく考え過ぎ。
 料理してて楽しいならそれはもう趣味だよ」
 その後、1人だと作るよりも買った方が安い事もあるとか、材料は何をどのくらい買う方がコスパがいいのかとか、大量に安く買って大丈夫なものと駄目なもの、買い過ぎた時の対処法を教えてもらい、昼を済ませて出先から戻ってきた尊人さんが途中から話に加わり「それ実践してるうちの奥さん、もしかして偉い?」と呟くと「ちゃんといつも美味しいご飯ありがとうって伝えてる?」との突っ込みに「当たり前」と得意そうに答える尊人さんは奥さんに対する〈好き〉が溢れてて。
 何気ない時間にした何気ない会話がこうやって僕の気持ちを穏やかにして、僕の気持ちを前向きにする。

「例えばさ、どんな料理でもアレンジし出したら趣味って言っていいんだからそこから始めたら?
 やる前から自分でハードル上げてたら何も始められないよ」
 薫さんはやっぱりお母さんのようだ。
 


 


 







 
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