29 / 59
時也編 2
4
しおりを挟む
それでも、膝を抱えたまま考え事をしているだけでもお腹は空くもので。
ぐだぐだと考えていても解決する術なんてあるわけがなく、それでも時間は過ぎていくため時間の経過と共に昼に食べたものが消化された僕のお腹は〈く~っ〉と控えめな主張をして僕に空腹を訴えてくる。
空腹に気付いていなかったのにその音を聞いてしまうとお腹が空いている事を自覚するのだから不思議だ。
そして、空腹を自覚した以上食べないという選択肢はなく、それならば何を食べようかと冷蔵庫の中を思い浮かべる。冷凍したご飯はもちろんあるし、常備菜も何種類か残っていたはずだ。お腹は空いたけれどガッツリ食べたい気分でもないから空腹を満たす事ができればそれでいいと適当に支度をする。
そしてふと手を止めて思う。
今までの事は無駄ではないと。
ご飯を多めに炊いて冷凍しておいたり、常備菜を作っておいたり。そんな事ができるようになったのは一也との時間があったからで、確かに僕は独りになったけれど、良い終わり方ではなかったけれど、だけどトータルで考えればマイナスではなかったように思う。
別れ方を間違えなければ友人として続く未来があっただろうか、と考えてみるけれど〈無いな…〉と考え、2人で共に歩む未来を思い描く事ができないばかりでなく友人としての未来すら考えられないほどに一也に対して興味がないことに苦笑する。
記憶も経験も消す事はできないから様々な想いで辛くなったり、悲しくなったりする事はもちろんあるけれど、それは僕の気持ちの問題なだけで一也への未練ではない。
相手に対する怒りや悲しみは興味があるからこそ感じるもので、興味がなくなってしまえば何も感じる事はない。
だから一也の電話に出る気は無かったし、どんなに酷いメッセージでも返信するという選択肢は無かった。
ただ、こんな男にこんな風に思わせてしまった自分を、こんな男を大切に思い、こんな男と共に過ごしたいと思っていた自分を腹立たしく思っただけ。
きっと一也の中で僕は〈待て〉をすれば吠えることなく噛むこともなく、ただただ大人しく待っている存在だったのだろう。
でも僕は忠犬じゃない。
尽くし、尽くされる関係ならば忠犬にもなるけれど、放っておかれたあげく捨てられてしまったただの野良犬だ。野良犬に忠誠心や従順さを求めても、信頼関係なく手を伸ばせば噛まれるだけなんだ。
ただ、一也に対して今更マイナスの感情すら抱くことのない僕は噛み付くことすらせずにその存在を抹消したのだけど…。
それでは付き合っていた時の想いも間違いだったのかと問われればそれもまた違い、2人で過ごした時間は僕の中では大切な時間だったと思っているし、僕を成長させるために必要だった時間であり、これからの僕の礎となる時間だと思いもする。
彼との事だって終わり方こそよく無かったけれど、彼が何の前触れもなく僕から離れていったせいで〈好き〉な気持ちを持て余してしまいしばらくは辛い日々を送ってしまったけれど、それでも新しい環境に身を置き自分に向き合えばその時間は必要だったのだと思えてしまうのだから不思議だ。
もう関係ないと、関心もないと思いながらも彼や一也のことを考える事はあるけれど、特に彼に関しては〈幸せ〉に過ごせている、家庭を築いている彼を想像して辛くなったこともあるけれど、今となっては彼の家庭が誰もが羨むほど幸せであれば良いとすら思える。
人は〈不幸〉であればあるだけ〈幸せ〉だった時を思い出し、その時間を美化して思いを馳せてしまう。だから彼にしても一也にしても今が〈幸せ〉ならば僕のことを思い出すこともないだろう。
あの2人に共通する事といえば〈僕〉を自分の好きなように扱い、一方的に別れを選んだという事。だから少なくとも〈僕〉に対して自分に優位な気持ちしか持ってないだろう。そうなると〈僕〉に対してはマイナスな記憶よりもプラスな記憶の方が多いはずだ。
自分の思うようにならない事があると自分に従順な相手に救いを求めるのはありがちな事だから、パートナーとの関係に不満を持って僕を思い出すことなどあって欲しく無いと思う僕は考えすぎなのだろうか?
2人の〈幸せ〉を願うわけではないけれど、僕のことを思い出すことすらしてほしくないので〈幸せ〉であって欲しいと思う事はきっと間違いじゃない。
そして僕は彼や一也のために彼らの〈幸せ〉を願っているわけでもない。
ただただ僕を思い出す事なく、僕を煩わす事なく過ごして欲しいから〈幸せ〉であって欲しい願うだけだ。
何かがストンと落ちたような気がした。
彼や一也の事を思い出す胸の痛みは〈幸せ〉な時間を懐かしみ、その頃に戻れたらと思う未練だと思っていたけれど、よくよく考えてみるとそんな風に思ってしまう自分への苛立ちなのではないのかと。
いつまでも〈僕〉を大切にしてくれなかった相手に対する未練を持ってしまう〈僕〉の事を好きになれず、痛みを感じるたびに落ち込んでしまったけれど、落ち込んでいるのは〈僕〉が駄目なんだと思ってしまうその痛みに対する苛立ちだったんだと思うと途端に気持ちが楽になる気がした。
そう思えば彼と一也の事を思い出してしまっても気持ちが沈むこともなく、用意した食事もしっかり食べている自分は思うよりも図太いのかもしれないと笑えてくるから不思議だ。
友人のパートナーを見て〈独り〉を思い知り少しばかりナーバスになってしまったけれど、それでもこの時間も僕には必要だったと思える日がいつか来るはずだと考える事ができる自分に驚く。
環境は良くも悪くも人を変えるのだろう。前の職場だって決して環境が悪かったわけではない。むしろ友人と話をしていても恵まれてると思う事が多かった。ただ、一也との関係を知られるのを恐れて人との距離をあまり縮め過ぎないようにしていたけれど、今の職場はなんと言うか人との距離感が絶妙で。
言いたくない事や聞きたくない事は言わない聞かないのだけれど、だからと言ってお互いに無関心ではないし、毎日同じ空間で過ごすうちに相手の環境などの情報も増えていく。その情報を必要以上に覚えてはいないけれど、それでも何となく理解はしているため会話の時に困る事はない。
この心地よさの原因は何かと考えても具体的な何かがあるわけではなく、きっと僕の置かれている環境に変化があったせいで気持ちの変化が出た事と、同性のパートナーの存在を隠している後ろめたさが無くなったことが大きいのだろうと結論づける。
彼と別れた時にはもう一也からアプローチを受けていたため常に恋愛に向き合っていたけれど〈恋愛〉から離れて自分と向き合うのも悪くないかもしれない。
そして恋愛から遠ざかるために何をすれば良いのか考えて思い至った事は僕には趣味と呼べるようなものがないということだった。
高校の時にやっていたスポーツは部活を引退した時からやっていない。
料理は嫌いじゃないけれど、必要に駆られて始めた事で趣味と言うほどではない。料理が趣味だと言うのならカレーはスパイスから作らなければと思うのは偏見だろうか?
映画は嫌いじゃないけれどよほど観たいものがなければ映画館に足を運ぶ気にはなれない。
図書館が近くにあれば、と思い検索してみると気軽にいける範囲には見当たらず、その時点で足を向けようとは思えなくなった。
それならばと〈20代 男子 趣味〉と検索してみるけれどスマホゲームやSNSに続き読書、写真・カメラ、カラオケと続き心を動かされるものはない。
読書は嫌いじゃないけれど〈趣味〉と言える程の読書量は無い。スマホゲームは時間を持て余した時にパズルゲームをやるくらいで SNSに至っては覗きはしても自分で発信する事はない。
スマホのカメラで写真を撮ることもないし、カラオケはお付き合いで行く事もあったけれど歌う事はない。
つまらない人間。
そんな言葉が思い浮かび、だから…とネガティヴな事を考えそうになって思い直す。時間は沢山あるのだ、やりたい事がなければできそうな事から始めればいい。
そう思い手っ取り早くできる事は何かと考えると読書か料理に行き付き、取り敢えず本棚に並べてある本を1冊取り出す。読もうと思い買ったものの読まずにいた本は自己啓発本と呼ばれるものから小説、中には絵本もあるけれど取り出した本は〈木〉を題材にした絵本だった。自分で買った本が並ぶ中にある色褪せた絵本は子どもの頃にプレゼントされたもの。
実も枝も、幹さえも捧げ、報われる事なく朽ちていくだけの存在になっても相手を想い続け、最後の最後に切り株しか残っていない自分の身を休息の場として捧げる話。
この木のような人間に育ってほしいと親からのメッセージなのかと思うと気が滅入る。
こんな風に全てを投げ打っても相手は受け取るだけで、それなのに切り株になった身で最後に休息の場を与える事ができた事でこの木は本当に幸せを感じたのだろうか?
少し前の僕ならば過ぎた献身は相手への想いと感じたのだろうけど、以前この本を読んだ時にはこんな風に相手に尽くす事ができたらと思ったけれど、今の僕はそんな風に思えない。
見返りを求めるわけではないけれど、自分の想いと相手の想いが違い過ぎると上手くいかないのだと身をもって学習したからだろう。
相手を想い、相手に尽くし、相手の望む自分であれば上手くいくと思っていたけれどそんなのは幻想だ。
いくら相手を思っていても自分だけを見てくれるわけではないし、尽くしたところでそれが常となれば当たり前となってしまう。
相手の望む自分であろうとしても〈相手の望む自分〉と〈自分が思う相手の望む自分〉が同じだとは限らないのだ。
「難しいな…」
思わず溢れてしまった言葉。
恋愛だけじゃない。
毎日の生活の中でも相手との思いが違えばどうしても齟齬が生まれてしまう。高校の時の部活だって、自分は選手としてではなくてマネージャーとして重宝されている事は気付いていた。
練習してもなかなか伸びず、マネージャー業に1人奮闘する先輩が気になってしまい、それならばと手伝いをするうちにプレイヤーとしてではなくマネージャーとしての役割を求められるようになってしまったことに気づいた時には全てが遅かった。
マネージャーにならないかと言われ、それでもプレイヤーとしての自分を諦めきれずにその打診を断ったけれど、それでも結局試合の度に求められたのはマネージャーとしての僕だった。
あの時にプレイヤーとしての自分を諦めず、ベンチ要員だとしても頑張り続けていたら未来は変わっていたかもしれない。
〈たられば〉を言っても仕方ない事は分かっているけれど、人生の分岐点において〈こうしていたら〉〈こうだったら〉は付きものだけど、何を言っても時間は戻らないのだから考えても無駄なのに、それなのに考えてしまうあれこれ。
だったら彼と付き合う前の高校生の頃に、一也と付き合う前の大学生の頃に戻りたいのかと考えるとそれはまた別の話で、高校生の頃のあの献身があったからこそ先輩との接点が生まれたのだし、一也と上手くいかなくて環境を変えようと決断したからこそ今の会社での人間関係があるのだから全てが無駄だったわけでもないとも思う自分もいる。
結局考え方一つで見方は様々に変わっていくのだ。
ポジティブに考えればより良い方向に、ネガティヴに考えればより悪い方向に向かうのだろう。
それならば何事もポジティブに捉えれば良い。これは毎日の薫さんの言動から学んだ事。
明日の昼に薫さんに話を聞いてもらえないかな…。
人を頼ることのできない僕が頼りたいと初めて思った相手はどうやら薫さんらしい。
その日はベッドで横になり改めて絵本を読み直し、やっぱり以前のような感想にならない事に自分の気持ちの変化を感じる。
それが良い事なのか悪い事なのか、そんなのは分からないけれど自分自身としては〈悪くない〉と思うのならばそれで良いのだろう。歳を重ねていけば考え方も変わるのだし、物事の受け止め方も変わって当然だ。
電気を消してからも眠いと思うものの思考は止まらず今までのことを思い返しては以前とは違うように考える事ができることに気がつく。
辛い、悲しいと思っていたけれど辛い、悲しいと思ってしまう自分が許せなかったのかもしれない。
自分のことを顧みてくれない相手に対していつまでも未練を断ち切れない自分を持て余していただけかもしれない。
考え方を変えるだけでこんなに楽になるのならば今まで苦しんだのはなんだったのだろうと思うものの、苦しんでもがいたからこそこんな風に思えるようになったのかもしれないとまたしても思考はループしながら眠りについたのだった。
ぐだぐだと考えていても解決する術なんてあるわけがなく、それでも時間は過ぎていくため時間の経過と共に昼に食べたものが消化された僕のお腹は〈く~っ〉と控えめな主張をして僕に空腹を訴えてくる。
空腹に気付いていなかったのにその音を聞いてしまうとお腹が空いている事を自覚するのだから不思議だ。
そして、空腹を自覚した以上食べないという選択肢はなく、それならば何を食べようかと冷蔵庫の中を思い浮かべる。冷凍したご飯はもちろんあるし、常備菜も何種類か残っていたはずだ。お腹は空いたけれどガッツリ食べたい気分でもないから空腹を満たす事ができればそれでいいと適当に支度をする。
そしてふと手を止めて思う。
今までの事は無駄ではないと。
ご飯を多めに炊いて冷凍しておいたり、常備菜を作っておいたり。そんな事ができるようになったのは一也との時間があったからで、確かに僕は独りになったけれど、良い終わり方ではなかったけれど、だけどトータルで考えればマイナスではなかったように思う。
別れ方を間違えなければ友人として続く未来があっただろうか、と考えてみるけれど〈無いな…〉と考え、2人で共に歩む未来を思い描く事ができないばかりでなく友人としての未来すら考えられないほどに一也に対して興味がないことに苦笑する。
記憶も経験も消す事はできないから様々な想いで辛くなったり、悲しくなったりする事はもちろんあるけれど、それは僕の気持ちの問題なだけで一也への未練ではない。
相手に対する怒りや悲しみは興味があるからこそ感じるもので、興味がなくなってしまえば何も感じる事はない。
だから一也の電話に出る気は無かったし、どんなに酷いメッセージでも返信するという選択肢は無かった。
ただ、こんな男にこんな風に思わせてしまった自分を、こんな男を大切に思い、こんな男と共に過ごしたいと思っていた自分を腹立たしく思っただけ。
きっと一也の中で僕は〈待て〉をすれば吠えることなく噛むこともなく、ただただ大人しく待っている存在だったのだろう。
でも僕は忠犬じゃない。
尽くし、尽くされる関係ならば忠犬にもなるけれど、放っておかれたあげく捨てられてしまったただの野良犬だ。野良犬に忠誠心や従順さを求めても、信頼関係なく手を伸ばせば噛まれるだけなんだ。
ただ、一也に対して今更マイナスの感情すら抱くことのない僕は噛み付くことすらせずにその存在を抹消したのだけど…。
それでは付き合っていた時の想いも間違いだったのかと問われればそれもまた違い、2人で過ごした時間は僕の中では大切な時間だったと思っているし、僕を成長させるために必要だった時間であり、これからの僕の礎となる時間だと思いもする。
彼との事だって終わり方こそよく無かったけれど、彼が何の前触れもなく僕から離れていったせいで〈好き〉な気持ちを持て余してしまいしばらくは辛い日々を送ってしまったけれど、それでも新しい環境に身を置き自分に向き合えばその時間は必要だったのだと思えてしまうのだから不思議だ。
もう関係ないと、関心もないと思いながらも彼や一也のことを考える事はあるけれど、特に彼に関しては〈幸せ〉に過ごせている、家庭を築いている彼を想像して辛くなったこともあるけれど、今となっては彼の家庭が誰もが羨むほど幸せであれば良いとすら思える。
人は〈不幸〉であればあるだけ〈幸せ〉だった時を思い出し、その時間を美化して思いを馳せてしまう。だから彼にしても一也にしても今が〈幸せ〉ならば僕のことを思い出すこともないだろう。
あの2人に共通する事といえば〈僕〉を自分の好きなように扱い、一方的に別れを選んだという事。だから少なくとも〈僕〉に対して自分に優位な気持ちしか持ってないだろう。そうなると〈僕〉に対してはマイナスな記憶よりもプラスな記憶の方が多いはずだ。
自分の思うようにならない事があると自分に従順な相手に救いを求めるのはありがちな事だから、パートナーとの関係に不満を持って僕を思い出すことなどあって欲しく無いと思う僕は考えすぎなのだろうか?
2人の〈幸せ〉を願うわけではないけれど、僕のことを思い出すことすらしてほしくないので〈幸せ〉であって欲しいと思う事はきっと間違いじゃない。
そして僕は彼や一也のために彼らの〈幸せ〉を願っているわけでもない。
ただただ僕を思い出す事なく、僕を煩わす事なく過ごして欲しいから〈幸せ〉であって欲しい願うだけだ。
何かがストンと落ちたような気がした。
彼や一也の事を思い出す胸の痛みは〈幸せ〉な時間を懐かしみ、その頃に戻れたらと思う未練だと思っていたけれど、よくよく考えてみるとそんな風に思ってしまう自分への苛立ちなのではないのかと。
いつまでも〈僕〉を大切にしてくれなかった相手に対する未練を持ってしまう〈僕〉の事を好きになれず、痛みを感じるたびに落ち込んでしまったけれど、落ち込んでいるのは〈僕〉が駄目なんだと思ってしまうその痛みに対する苛立ちだったんだと思うと途端に気持ちが楽になる気がした。
そう思えば彼と一也の事を思い出してしまっても気持ちが沈むこともなく、用意した食事もしっかり食べている自分は思うよりも図太いのかもしれないと笑えてくるから不思議だ。
友人のパートナーを見て〈独り〉を思い知り少しばかりナーバスになってしまったけれど、それでもこの時間も僕には必要だったと思える日がいつか来るはずだと考える事ができる自分に驚く。
環境は良くも悪くも人を変えるのだろう。前の職場だって決して環境が悪かったわけではない。むしろ友人と話をしていても恵まれてると思う事が多かった。ただ、一也との関係を知られるのを恐れて人との距離をあまり縮め過ぎないようにしていたけれど、今の職場はなんと言うか人との距離感が絶妙で。
言いたくない事や聞きたくない事は言わない聞かないのだけれど、だからと言ってお互いに無関心ではないし、毎日同じ空間で過ごすうちに相手の環境などの情報も増えていく。その情報を必要以上に覚えてはいないけれど、それでも何となく理解はしているため会話の時に困る事はない。
この心地よさの原因は何かと考えても具体的な何かがあるわけではなく、きっと僕の置かれている環境に変化があったせいで気持ちの変化が出た事と、同性のパートナーの存在を隠している後ろめたさが無くなったことが大きいのだろうと結論づける。
彼と別れた時にはもう一也からアプローチを受けていたため常に恋愛に向き合っていたけれど〈恋愛〉から離れて自分と向き合うのも悪くないかもしれない。
そして恋愛から遠ざかるために何をすれば良いのか考えて思い至った事は僕には趣味と呼べるようなものがないということだった。
高校の時にやっていたスポーツは部活を引退した時からやっていない。
料理は嫌いじゃないけれど、必要に駆られて始めた事で趣味と言うほどではない。料理が趣味だと言うのならカレーはスパイスから作らなければと思うのは偏見だろうか?
映画は嫌いじゃないけれどよほど観たいものがなければ映画館に足を運ぶ気にはなれない。
図書館が近くにあれば、と思い検索してみると気軽にいける範囲には見当たらず、その時点で足を向けようとは思えなくなった。
それならばと〈20代 男子 趣味〉と検索してみるけれどスマホゲームやSNSに続き読書、写真・カメラ、カラオケと続き心を動かされるものはない。
読書は嫌いじゃないけれど〈趣味〉と言える程の読書量は無い。スマホゲームは時間を持て余した時にパズルゲームをやるくらいで SNSに至っては覗きはしても自分で発信する事はない。
スマホのカメラで写真を撮ることもないし、カラオケはお付き合いで行く事もあったけれど歌う事はない。
つまらない人間。
そんな言葉が思い浮かび、だから…とネガティヴな事を考えそうになって思い直す。時間は沢山あるのだ、やりたい事がなければできそうな事から始めればいい。
そう思い手っ取り早くできる事は何かと考えると読書か料理に行き付き、取り敢えず本棚に並べてある本を1冊取り出す。読もうと思い買ったものの読まずにいた本は自己啓発本と呼ばれるものから小説、中には絵本もあるけれど取り出した本は〈木〉を題材にした絵本だった。自分で買った本が並ぶ中にある色褪せた絵本は子どもの頃にプレゼントされたもの。
実も枝も、幹さえも捧げ、報われる事なく朽ちていくだけの存在になっても相手を想い続け、最後の最後に切り株しか残っていない自分の身を休息の場として捧げる話。
この木のような人間に育ってほしいと親からのメッセージなのかと思うと気が滅入る。
こんな風に全てを投げ打っても相手は受け取るだけで、それなのに切り株になった身で最後に休息の場を与える事ができた事でこの木は本当に幸せを感じたのだろうか?
少し前の僕ならば過ぎた献身は相手への想いと感じたのだろうけど、以前この本を読んだ時にはこんな風に相手に尽くす事ができたらと思ったけれど、今の僕はそんな風に思えない。
見返りを求めるわけではないけれど、自分の想いと相手の想いが違い過ぎると上手くいかないのだと身をもって学習したからだろう。
相手を想い、相手に尽くし、相手の望む自分であれば上手くいくと思っていたけれどそんなのは幻想だ。
いくら相手を思っていても自分だけを見てくれるわけではないし、尽くしたところでそれが常となれば当たり前となってしまう。
相手の望む自分であろうとしても〈相手の望む自分〉と〈自分が思う相手の望む自分〉が同じだとは限らないのだ。
「難しいな…」
思わず溢れてしまった言葉。
恋愛だけじゃない。
毎日の生活の中でも相手との思いが違えばどうしても齟齬が生まれてしまう。高校の時の部活だって、自分は選手としてではなくてマネージャーとして重宝されている事は気付いていた。
練習してもなかなか伸びず、マネージャー業に1人奮闘する先輩が気になってしまい、それならばと手伝いをするうちにプレイヤーとしてではなくマネージャーとしての役割を求められるようになってしまったことに気づいた時には全てが遅かった。
マネージャーにならないかと言われ、それでもプレイヤーとしての自分を諦めきれずにその打診を断ったけれど、それでも結局試合の度に求められたのはマネージャーとしての僕だった。
あの時にプレイヤーとしての自分を諦めず、ベンチ要員だとしても頑張り続けていたら未来は変わっていたかもしれない。
〈たられば〉を言っても仕方ない事は分かっているけれど、人生の分岐点において〈こうしていたら〉〈こうだったら〉は付きものだけど、何を言っても時間は戻らないのだから考えても無駄なのに、それなのに考えてしまうあれこれ。
だったら彼と付き合う前の高校生の頃に、一也と付き合う前の大学生の頃に戻りたいのかと考えるとそれはまた別の話で、高校生の頃のあの献身があったからこそ先輩との接点が生まれたのだし、一也と上手くいかなくて環境を変えようと決断したからこそ今の会社での人間関係があるのだから全てが無駄だったわけでもないとも思う自分もいる。
結局考え方一つで見方は様々に変わっていくのだ。
ポジティブに考えればより良い方向に、ネガティヴに考えればより悪い方向に向かうのだろう。
それならば何事もポジティブに捉えれば良い。これは毎日の薫さんの言動から学んだ事。
明日の昼に薫さんに話を聞いてもらえないかな…。
人を頼ることのできない僕が頼りたいと初めて思った相手はどうやら薫さんらしい。
その日はベッドで横になり改めて絵本を読み直し、やっぱり以前のような感想にならない事に自分の気持ちの変化を感じる。
それが良い事なのか悪い事なのか、そんなのは分からないけれど自分自身としては〈悪くない〉と思うのならばそれで良いのだろう。歳を重ねていけば考え方も変わるのだし、物事の受け止め方も変わって当然だ。
電気を消してからも眠いと思うものの思考は止まらず今までのことを思い返しては以前とは違うように考える事ができることに気がつく。
辛い、悲しいと思っていたけれど辛い、悲しいと思ってしまう自分が許せなかったのかもしれない。
自分のことを顧みてくれない相手に対していつまでも未練を断ち切れない自分を持て余していただけかもしれない。
考え方を変えるだけでこんなに楽になるのならば今まで苦しんだのはなんだったのだろうと思うものの、苦しんでもがいたからこそこんな風に思えるようになったのかもしれないとまたしても思考はループしながら眠りについたのだった。
21
お気に入りに追加
215
あなたにおすすめの小説
愛していた王に捨てられて愛人になった少年は騎士に娶られる
彩月野生
BL
湖に落ちた十六歳の少年文斗は異世界にやって来てしまった。
国王と愛し合うようになった筈なのに、王は突然妃を迎え、文斗は愛人として扱われるようになり、さらには騎士と結婚して子供を産めと強要されてしまう。
王を愛する気持ちを捨てられないまま、文斗は騎士との結婚生活を送るのだが、騎士への感情の変化に戸惑うようになる。
(誤字脱字報告は不要)
Fatal scent
みるく汰 にい
BL
__運命なんて信じない、信じたくない。
男女とは別の性別、第2性が存在するようになってから、幾分かの時が過ぎた。
もはやオメガは子供を産み育てるだけの役割だとするには前時代的で、全ての性は平等になりつつある。
当たり前のようにアルファはオメガを求め、オメガもまたアルファの唯一を願った。それも続きはしない。どれだけ愛し合おうと"運命"には敵わない。
鼻腔をくすぐる柔らかい匂いが、ぼくを邪魔する。もう傷つきたくない、唯一なんていらない。
「ぼくに構わないでくれ、うんざりだ」
アルファに捨てられたオメガ、清水 璃暖(しみず りのん)
「うん、その顔も可愛い」
オメガを甘やかす人たらしアルファ、東雲 暖(しののめ だん)
目が覚めたら、カノジョの兄に迫られていた件
水野七緒
BL
ワケあってクラスメイトの女子と交際中の青野 行春(あおの ゆきはる)。そんな彼が、ある日あわや貞操の危機に。彼を襲ったのは星井夏樹(ほしい なつき)──まさかの、交際中のカノジョの「お兄さん」。だが、どうも様子がおかしくて──
※「目が覚めたら、妹の彼氏とつきあうことになっていた件」の続編(サイドストーリー)です。
※前作を読まなくてもわかるように執筆するつもりですが、前作も読んでいただけると有り難いです。
※エンドは1種類の予定ですが、2種類になるかもしれません。
成長率マシマシスキルを選んだら無職判定されて追放されました。~スキルマニアに助けられましたが染まらないようにしたいと思います~
m-kawa
ファンタジー
第5回集英社Web小説大賞、奨励賞受賞。書籍化します。
書籍化に伴い、この作品はアルファポリスから削除予定となりますので、あしからずご承知おきください。
【第七部開始】
召喚魔法陣から逃げようとした主人公は、逃げ遅れたせいで召喚に遅刻してしまう。だが他のクラスメイトと違って任意のスキルを選べるようになっていた。しかし選んだ成長率マシマシスキルは自分の得意なものが現れないスキルだったのか、召喚先の国で無職判定をされて追い出されてしまう。
一方で微妙な職業が出てしまい、肩身の狭い思いをしていたヒロインも追い出される主人公の後を追って飛び出してしまった。
だがしかし、追い出された先は平民が住まう街などではなく、危険な魔物が住まう森の中だった!
突如始まったサバイバルに、成長率マシマシスキルは果たして役に立つのか!
魔物に襲われた主人公の運命やいかに!
※小説家になろう様とカクヨム様にも投稿しています。
※カクヨムにて先行公開中
獣人王と番の寵妃
沖田弥子
BL
オメガの天は舞手として、獣人王の後宮に参内する。だがそれは妃になるためではなく、幼い頃に翡翠の欠片を授けてくれた獣人を捜すためだった。宴で粗相をした天を、エドと名乗るアルファの獣人が庇ってくれた。彼に不埒な真似をされて戸惑うが、後日川辺でふたりは再会を果たす。以来、王以外の獣人と会うことは罪と知りながらも逢瀬を重ねる。エドに灯籠流しの夜に会おうと告げられ、それを最後にしようと決めるが、逢引きが告発されてしまう。天は懲罰として刑務庭送りになり――
僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました
楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたアルフォン伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。
ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。
喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。
「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」
契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。
アルフォンのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。
推しの完璧超人お兄様になっちゃった
紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。
そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。
ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。
そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる