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羽琉 それぞれの想いの行き着く先。
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『俺はね、伊織の側にいられればそれで良かったんだ。
羽琉が俺たちのこと利用することだって想定してたし、そのために伊織に話を持ちかけたし。燈哉が羽琉から離れることなんてないから、いつかは諦めるしかないだろうって。
本当に駄目だと自覚した時にそこに付け込んで慰めて、甘やかして、俺から離れられなくなればいいとすら思ってた。
もしも羽琉と燈哉が駄目になったとしても伊織じゃあ弱いし。だから、自分が側にいることを条件に羽琉との関係を手助けすることまで考えてた』
電話の向こうで嗤った気配がする。
それは僕を嗤うのではなくて、自分の言葉を蔑むような笑い。
「手助けって?」
『俺との関係を続けることを条件に、俺も一緒に羽琉を庇護するって』
「ごめん、よく分からない」
『当たり前だよ、自分でもおかしいと思うし。
でも伊織と羽琉がうまくいくように手助けして、その見返りに伊織との関係を本物にしたいと思ったんだ』
「それって、もしかして」
『そう。
羽琉を囲った伊織を俺が囲うことで想いを遂げようと思ったんだ』
衝撃だった。
伊織と政文との仲を疑っていなかったし、伊織の僕に対する優しさは友情からくるものだと思っていた。だけど伊織と政文の関係は歪なもので、伊織の僕に対する優しさは友情ではなくて愛情だったことに驚くことしかできない。
僕には何も見えていなかったのだ。
燈哉の気持ちも、伊織の想いも、政文の打算も。
『悪いな、前置きもなくこんな話をして』
「うん。驚いたし、消化できないし、正直怖い」
素直にそう言うと電話の向こうで政文が笑う。その笑いは先ほどの蔑んだものではなくて可笑しそうなもので、ますます混乱してしまう。
『羽琉はΩだから。
αなんてこんなもんだよ?
自分の欲しいと思った相手には執着するし、自分の欲しいと思った相手を手放す気はないし』
「じゃあ燈哉も、」
『羽琉が欲しいんだと思うよ』
「………そうなら良かったのにね」
僕に向けられていた執着は【番候補】という肩書きに対してで、本当に欲しいのは彼なのだろうと卑屈なことを考える。僕のことを【あの子】と呼んで、楽しそうに夏の予定を話していた事実が僕を傷付ける。
『今だって、羽琉のことを欲しがってると思うけど』
「そうなら良いんだけどね、」
何も見えてなかった僕は周りを操っているつもりだったけど、結局は独りよがりだったのだろう。
その証拠に労って欲しいこんな時にぶつけられる本音の数々。
隆臣は自分の過ちを話し、僕を正すと告げ、僕の幸せを見届けると言ってくれた。
政文は伊織といるために僕の存在を利用し、伊織といるためになら僕を囲った伊織を自分が囲うと言い放った。
操るつもりが、都合の良いように動かされていただけなのかもと思ってしまう。
「それで、伊織と政文の関係は分かったけど、僕に何を聞きたかったの?」
『燈哉から聞かれたんだ』
「燈哉から、何を?」
予想をしていなかった名前に驚き、思わず聞き返す。今までそんなそぶりを見せることなく話していたくせに、今更出された名前に動揺する。
『夏休みに羽琉に会うのかって』
「いつ?」
『羽琉に連絡した2、3日後かな?
きっと、伊織が余計なこと言ったんだろうな』
きっと僕の意図も、計画が無くなったことを伊織が伝えていないこともお見通しなのだろう。だからこその探りを入れるような言葉と、だからこその本音。
「なんて言ったの?」
その頃ならもう燈哉からのメッセージは受け取っていた頃だと思いながら聞いてみる。あのメッセージはふたりと会うことで、その関係が変化することを恐れて探りを入れるためのものだったのかと疑心暗鬼になってしまう。
『会わないって言っておいた。
嘘言う必要は無いから療養の許可が降りなかったから中止になったって、伊織から聞いたまま答えておいた』
「じゃあ燈哉は知ってたんだ、」
僕に直接問わず政文に探りを入れ、隆臣に話したいと伝える。僕はどこまでも蚊帳の外だ。
「その時、何か言ってなかった?」
『電話だったから断言はできないけど、たぶんホッとしてた。でも、直接顔を合わせてたら威圧されてたんじゃないか?
そんなこと直接羽琉に聞けばいいのにって言ったらアイツ、メッセージじゃ聞けないし、電話しても出てくれないかもしれないって落ち込んでたし』
「落ち込んでたんだ?」
こんな時にでも燈哉が僕のことで気持ちを乱していたと聞けば嬉しくなってしまう。その一瞬でも彼のことを忘れて、僕のことだけを考えてくれたのなら2人との約束も無駄ではなかったのだろう。
『そんな嬉しそうな声出すくらいなら学校辞めるとか言わずに燈哉と話してみたら?』
呆れたような声にそれができればこんなに悩むことはないと言いたくなるけれど、燈哉を庇うような響きを言葉の端々に感じてその理由を知りたくなる。
「政文は何か聞いてるの?」
『どうだろうね。
でも、あまり伊織を振り回さないで欲しいとは思ってるし、結論を出したとしても伊織を譲る気は無いよ』
何か知っていると匂わせながらも核心に触れることのない言葉に苛つく。惚気ではないけれど、僕に対する宣戦布告にも感じてしまう。
と言うことは、燈哉が僕から離れても伊織と僕が番うことを許さないということなのだろう。
「さっきと言ってることが違うんじゃないの?伊織が僕と番えるように協力する代わりに、伊織のことを手に入れるって言ってたくせに」
『そういうプランも有ったって話だから』
電話の向こうで笑う政文が憎たらしい。
『そもそも、燈哉以外のαに触られるの駄目なくせに』
「政文、それっ、」
『だから、今居に触れた燈哉が許せなかったんだろ?
今までだって、色々許せなかったことをちゃんと言わずに来たからこんなになったんじゃないのか?』
何でも知っているふうなその言葉に苛立つけれど、隆臣だけでなく政文にまでバレていたことで自分で思っていた通りに周りが欺けていなかったことを思い知る。そして、思い上がっていた自分を恥ずかしく思う。
「なんで燈哉も気付いてなかったこと、政文が気付いてるの?
苛々するんだけど」
『それ、本性?
何年一緒に過ごして、何年見てると思ってるの?』
「見てたのは伊織でしょ?」
『伊織見ようとすると羽琉が視界に入るんだから仕方ないよね。
だから多分、羽琉のことも燈哉のことも、お前たちが思ってる以上に俺は理解してると思うよ。
羽琉と燈哉の関係が変わるなんて思ってなかったから伊織にも夢を見させてたけど、現実にそうなるのは面白くないし。
せっかくの夏を無駄にしたく無いから早く決着付けて、伊織に報告してやって。そしたら俺が慰めるから』
勝手なことばかり言う政文の言葉だけど、その言葉に少しだけ希望を見出す。
「伊織に泣きつくかもしれないよ?」
『そんな気無いくせに』
「だって、伊織は友達だし」
『一線越えなければいいし、何なら引導渡してくれたら慰めるし』
「どっちにしても慰めるんだ」
『当たり前だろう?
何年我慢してると思ってるの?
だからそっちもいい加減ハッキリさせてくれ』
大丈夫だとは言ってくれないけれど、駄目だとも言わない政文はきっと何かを知っているのだろう。
「政文は何を知ってるの?」
『さあね。
ただ、客観的に見ることができるから少しだけ羽琉よりも知ってることが多いのかもな』
具体的に何を知ってるとは言わないけれど、『長いこと悪かったな』と言って話が終わったことを告げる。
『俺に報告とかいらないけど、ハッキリしたら伊織にもハッキリ言ってやって。
頑張れよ』
その言葉に、覚悟を決めるしかなかった。
⌘ 政文 ⌘
〈伊織から聞きました〉
そんなメッセージを送ったのは夏休みに入って直ぐ。
伊織は夏の予定が無くなったと不満そうにしていたけれど、こんなふうになるだろうとは思っていた。勢いに負けて主治医に聞いてみると言った羽琉だったけど、俺が、というよりも燈哉以外のαに触れられることのできないのに俺と伊織、ふたりのαと過ごすことなんて無理な話だ。
校内で一緒に過ごすのとはわけが違う。主治医から止められたのも体調ではなくて精神的な問題からなのかもしれない。
《ごめん、今年は病院で過ごすことになったから》
〈みたいだな〉
返ってきたメッセージに取り敢えずの返信をする。目的は羽琉の言葉を引き出すことだから。
《ごめんね、せっかく来てくれるって言ったのに》
〈別にいいよ〉
〈羽琉だって、少し困ってただろう?〉
あの日、伊織があまりにも嬉しそうで、その願いを叶えたくて加担したことに後悔はない。どうせ無くなる予定だとは思いながらそれに乗ってきた羽琉にだって、それなりの思惑があったのだろう。
ふたりの仲を邪魔したくないと言いながらも乗り気なフリをした羽琉は、俺たちの後ろにいる燈哉のことを見ながら返答をしていたのだろう、きっと。
燈哉を目の敵にしている伊織のことだから、約束を取り付けたことを自慢げに告げることは予測できたことだった。
《ごめん》
〈俺こそ、伊織が嬉しそうだったから悪ノリした〉
何に対してのごめんかなんて、そんなの分かってる。俺たちを利用しようとしていたことに対して、伊織の気持ちを利用したことについての謝罪なのだろう。
《仲良しだよね、ふたり》
そんな言葉が送られてきたせいで俺と伊織が付き合っていると信じていることを再認識させられ、少しだけ罪悪感を感じる。伊織が羽琉の側にいられるようにと始めた付き合っているフリだったから、嘘だと見抜かれないよう過剰な演出を心掛けたりもしていた。Ω避けのためでもあったけれど、羽琉が羨む行動をとればそのまま燈哉に伝わり、より信憑性を増すだろうと取ってきた行動だったけど、その行動が羽琉を苦しめたのかもしれないと気付いてしまったから。
一緒に登下校することだって、自分のできないことを今居はしている。テスト勉強だって、羽琉は過ごすことのできない時間を今居は燈哉と過ごしている。外部入学者である今居が困らないように手助けをすると聞かされた時は阿保かとも思ったけれど、自分が羽琉を隠すためにとった行動で迷惑をかけてしまったから少しでも力になりたいと言われてしまえばそれ否定もしにくい。今居がΩでなければ、それ以前にただの外部入学者であれば他の誰かが声をかけることがあったのかもしれないけれど、声をかけた相手が燈哉だったことで話がおかしくなってしまった感はある。
ただ、自分はそのことを知っているけれど羽琉はそれを知らないのだからそんなすふうに過ごすふたりに対して疑心暗鬼にもなってしまうのだろう。
〈羽琉、今って忙しい?〉
燈哉が何度も話したいと言っても羽琉がそれに応じることがなかったことは知っている。誤解を解いて、今居との関係を改めて説明したいのに頑なに拒まれるせいで身動きが取れない、そんなふうに言った時には自業自得だと思ったし、あんなにも執拗にマーキングをする前に話をするべきだと呆れもした。
だけど、羽琉が頑なになった理由が俺たちにもあるとしたら…。
燈哉の事情を俺の口から告げることはルール違反だけど、俺と伊織のことを伝えることはできる。それで伊織と羽琉の関係が悪くなったとしても、俺の案に乗った時点で伊織だって同罪なのだから仕方がないのだろう。
《宿題やってるだけだから暇だよ》
〈少し話せる?〉
《え、珍しいね》
《大丈夫だけど》
覚悟は決まっている。
羽琉の了承の返事を見て直ぐに電話をかけた。
『もしもし?』
「急に悪いな
『別に大丈夫だけど、珍しいね』
羽琉と電話で話すような仲ではないため当然のリアクションだろう。
「声、元気そうで安心した」
『うん、心配させた?』
「そうでもないかな。
療養に行かないのは体調不良だけじゃないんだろうなとは思ってるけど」
『伊織がそう言った?』
「伊織は本気で羽琉の体調心配してるよ」
当たり障りのないフリをして探るような会話。羽琉に悪いことをしてしまった自覚はあるけれど、その名前を呼ぶだけで愛しいと思ってしまう。
「伊織は羽琉のこと、本当に大切に思ってるから」
だけど、自分よりも羽琉を想っていることもずっと隣で見ているせいで面白くない気持ちを抑えることができない。
伊織や俺のことを利用して燈哉の気を引こうとしている羽琉に気付かず宝物のように扱っているけれど、伊織の宝物は伊織だけの宝物じゃない。
『ごめん、伊織に甘えすぎだったね』
何かを感じ取ったのか、羽琉の声が少し沈む。甘やかされて今まで過ごしてきたけれど、そろそろ現実と向き合うべきだろう。
「それはでも、伊織が望んだことだから。
それはそうと、2学期から羽琉はどうするの?」
今のままではいられない、そんな思いを込めて聞いてみる。
羽琉も燈哉も、伊織も俺も。
今居が入学してきたことによって歪んでしまった関係をこれ以上維持することが不可能だと自覚して、どうするのかを考え行動するしかないのだ。
『どうなんだろうね。
このままだと辞めることになるかな』
「辞める?」
『そうだね。
燈哉が【番候補】じゃなくなったら何言われるか分からなくない?
散々今まで好き勝手してきたし。
だったら新しい環境を探すか、お見合いして自分を大切にしてくれるαと番うのも一つの手だよね』
予想外の言葉に戸惑ってしまう。
燈哉と話し、今居との関係の誤解を解けばその関係は深まるだろうと思っていた。そうなれば伊織や俺に頼ることなく、αである俺たちとは距離を置いた方がいいのではないかと思ってした質問に予想外の答えが返ってきたせいで言葉が止まってしまう。
「燈哉はそれで良いって言ってるのか?」
やっと絞り出した言葉はそんな当たり障りのない言葉。燈哉の事情を知っている俺からすれば羽琉の誤解を何とかしたいと思うものの、それでもその役目は俺のものではないと踏み留まる。
『知らない。
でも夏休みは彼と沢山遊ぶって言ってたし』
「そんなこと、」
『あの日、聞いちゃったんだ。
ふたりで仲良さそうに夏休みの計画、立ててたよ』
あの日とは、燈哉がやましいことは何もないと言っていた時のことだろう。羽琉が何を聞いたのかは分からないけれど、この場で嘘を言うとも思えない。だから燈哉にとってはやましくないことなのだろうけど、羽琉にとってはそうではない事柄。
『僕が早めに休みに入ったから、もっと仲良くなってる?
校内でも仲良くしてるとか?』
誤解した様子の羽琉はそう言ってふたりの関係を探るけれど、羽琉が休む前とほとんど変わらないふたりの様子を正確に伝える。誤解を生まないように、羽琉が傷付かないように。
ただただ真実だけを伝えることで、燈哉への誤解が少しでも解けるように。
「燈哉と今居は羽琉がいなくなっても変わらなかったよ。駅までの道は一緒に歩いてるけど、校内では特別接触はしてない。
ただ、羽琉を送迎しないから玄関で別れて、玄関で待ち合わせてたけどな。
でもそれだけだ」
時折見かけたふたりの様子はフランクなもので、甘さを感じるものはない。親密さはあるけれど、ふたりのあの様子を見て恋愛関係にあるとは思わないだろう。だからなのだろうか、駅から学校までの道のりを過ごしていたのに不思議と今居を糾弾する声を聞くことはほとんど無かった。
校内で一緒に過ごすこともなく、登下校を共にしていてもフランクな関係。
羽琉がちゃんと見ていれば分かったはずの関係なのに、それを拒否してしまったため拗れてしまった燈哉と羽琉。
「羽琉は今居について何も聞いてないのか?あのふたり、羽琉が思ってるような関係じゃないと思うけど?」
『どうなんだろうね。
燈哉からは彼も含めて話をさせて欲しいって何回か言われてたけど、そんな話、聞きたくないじゃない?
だから拒否してた。
一緒に過ごしたいって、彼を守りたいって言われてそれを許したのに、それ以上僕に何を言うつもりなんだろうって。
許してくれてありがとうとか?
僕が会ったことで【公認】だと周りに知らせたいとか?』
「嫌だったんだ、」
『嫌に決まってる。
だけど、僕との関係は変わらないけど、自分のせいで危ない目に遭うかもしれない彼を守りたいって。僕との時間は今まで通り過ごすから、空いた時間で彼を守らせて欲しいって言われたら駄目って言えなくない?
それでもし彼に何かあったら…僕のせいになるんだよ?』
見え隠れする羽琉の本音。
燈哉を繋ぎ止めるためにどれだけの言葉を飲み込んでいたのだろう。
「燈哉とは連絡は取ってないのか?」
『メッセージは毎日届くよ。
当たり障りのない挨拶や事務報告みたいな一言とか』
「それだけ?」
『それだけ。
隆臣に顔を見て話をしたいって打診があったから夏休み中には会って話をするつもりだけどね』
その言葉に諦めの響きを感じてしまい、もしもの時を考えてしまう。大丈夫だとは思いながらも燈哉との関係が破綻した時のことを。
「仮定の話だけど、燈哉との関係を解消した時に伊織を選ぶという選択肢はあるか?」
『え?』
俺の言葉に羽琉が口籠る。
そして、少しの沈黙の後に聞かされた言葉で覚悟を決める。自分の話すことができることは話してしまおうと。そして、伊織に頼ろうと思わないように自分の気持ちを吐露してしまおうと。
『だって、伊織は政文と付き合ってるんでしょ?
それなのに僕が伊織選ぶわけないよね、』
「付き合ってないよ」
『だって、いつもふたりで一緒にいるし、付き合うことになったって伊織から聞いてたし』
「仕方なかったんだ、」
動揺する羽琉に言い聞かせるように、伊織への想いが伝わるように包み隠さず話すために「伊織、ごめん」と心の中で謝ってから言葉を続ける。
「本当は自分の口で言いたいだろうけど、中途半端に期待させたくないから」
そう言って伝えたのは伊織がずっと羽琉のことを想っていたという事実。
そして、付き合うフリをすることになった経緯を。
幼稚舎の頃から羽琉のことを気にしていたけれど羽琉に近付くことを禁止され、それなのに抜け駆けした燈哉のことを目の敵にしていたこと。
だけど羽琉が嬉しそうに燈哉の話をするため自分の感情を隠し、それでも側にいることを選んだこと。
側にいられるのなら気持ちを押し殺し、友人としてのスタンスでいいから寄り添いたいと願っていたこと。
それでもその距離感を危惧し始めた燈哉を安心させるために俺と付き合うふりをして、Ωと番う気はないと言ったこと。
『何でそんなこと、』
伊織の想いに全く気付いていなかったのだろう。その声から動揺が伝わってくるけれど、ここまできたら隠し通すことの方が羽琉のためにならないと思いが話を続ける。
自分の周囲にもっと目を向け、自分の立場を自覚し、自分がどうしたいのか、どうするべきなのかを考えるために。
だから俺の想いを伝え、意向を伝える。伊織を頼ることはして欲しくないと、伊織を渡す気はないと。
「そんなの簡単だよ。
伊織の側で、伊織の願いを叶えたかったから。
別に伊織は羽琉を奪おうとは思ってなかったんだよ、燈哉に敵うわけないし。
だけど羽琉のことを守りたいって、羽琉と一緒に過ごしたいって、それだけの理由で俺の提案を受け入れたんだ」
『提案?』
「そう、俺と付き合ってるふりをすれば燈哉は警戒を解くし、羽琉と一緒に過ごすことができるって」
『何それ。
そんな、伊織はそれでいいかもしれないけど政文は?
そもそも、何でそんな付き合ってるふりなんてしたの?』
燈哉だけを見て、燈哉だけが欲しかった羽琉には理解できないのだろう。
燈哉を手に入れるために周囲を利用した羽琉と、伊織が欲しくて自分を犠牲にした俺に大差はないはずなのに。
「そんなの伊織が好きだからだよ。
自分の好きな人の隣にいられるのならどんな待遇でも良かったんだ。
たぶん、燈哉も同じだと思うよ。
尽くしていれば自分の気持ちに気付いてくれるかもしれない、尽くしていれば自分を好きになってくれるかもしれない。報われなくても、それでも側にいて欲しいって」
『燈哉と同じって、僕はずっと燈哉のことが好きだったよ』
「そう?
好きっていうか、優越感じゃなかったのか?みんなから好かれる燈哉が自分の隣にいることで得意になって、自分にだけ向けられる気持ちを逆手にとって優越感に浸って。
少なくとも、羽琉の好きと燈哉の好きは違ってたと思うよ。
燈哉のは純粋な好きで、羽琉のは打算的な好き」
俺の言葉を否定しないのは自覚があるからかもしれない。だから、羽琉が自覚できるように自分の醜さも曝け出す。
羽琉だって全て曝け出して素直になるべきなのだから。
「まあ、俺も人のこと言えないんだけど。
俺はね、伊織の側にいられればそれで良かったんだ。
羽琉が俺たちのこと利用することだって想定してたし、そのために伊織に話を持ちかけたし。燈哉が羽琉から離れることなんてないから、いつかは諦めるしかないだろうって。
本当に駄目だと自覚した時にそこに付け込んで慰めて、甘やかして、俺から離れられなくなればいいとすら思ってた。
もしも羽琉と燈哉が駄目になったとしても伊織じゃあ弱いし。だから、自分が側にいることを条件に羽琉との関係を手助けすることまで考えてた」
言いながら伊織に対する執着に嗤ってしまう。αである伊織に対する気持ちは本物だけど、αである伊織とは番うことができない。それなのに諦めきれず、汚い手を使ってでも手に入れることを妄想してしまう自分が哀れに思えて嗤うしかなかった。
『手助けって?』
「俺との関係を続けることを条件に、俺も一緒に羽琉を庇護するって」
『ごめん、よく分からない』
「当たり前だよ、自分でもおかしいと思うし。
でも伊織と羽琉がうまくいくように手助けして、その見返りに伊織との関係を本物にしたいと思ったんだ」
『それって、もしかして』
「そう。
羽琉を囲った伊織を俺が囲うことで想いを遂げようと思ったんだ」
なんて醜い想いだろう。
庇護するべきΩを利用して、大切な人に取り入り、その思いを逆手に取って自分のものにしようだなんて。
燈哉と羽琉の関係が崩れることはないからこその妄想だったけど、現実にそれが叶う可能性が出てくると怖気付いてしまった。だからこそ、その気持ちをはっきりとさせ、その想いを遂げてほしいと願ってしまう。
羽琉が燈哉を求めるように俺だって伊織を求めているのだから、今は怖気付いていても目の前にそのチャンスがあれば利用してしまいたくなるのも本能だから。
「悪いな、前置きもなくこんな話をして」
『うん。驚いたし、消化できないし、正直怖い』
その率直な言葉に思わず笑ってしまう。蔑まれても仕方ないし、罵られても仕方のないことを言ったのに、素直な気持ちを伝えた羽琉はやっぱり庇護すべき存在なのだと思ってしまう。
妄想の中では可哀想な目に合わせてしまったけれど、実際問題、羽琉を目の前にしたらそれを遂行することなんてできないのだろう、きっと。
「羽琉はΩだから。
αなんてこんなもんだよ?
自分の欲しいと思った相手には執着するし、自分の欲しいと思った相手を手放す気はないし」
『じゃあ燈哉も、』
「羽琉が欲しいんだと思うよ」
『………そうなら良かったのにね』
自信の無さが声を小さくさせるのだろう。
燈哉の気持ちを代弁して、燈哉の計画を話して仕舞えば結論は直ぐ出るのにともどかしく思う。
「今だって、羽琉のことを欲しがってると思うけど」
『そうなら良いんだけどね、』
少しだけ軟化したのか、その声に柔らかさが戻る。
『それで、伊織と政文の関係は分かったけど、僕に何を聞きたかったの?』
「燈哉から聞かれたんだ」
『燈哉から、何を?』
これくらいなら話してもいいだろう、そう思って出した名前にわかりやすく羽琉が反応する。燈哉に対してもこんなふうに素直な反応を見せればいいのにと思ってしまう。
「夏休みに羽琉に会うのかって」
『いつ?』
「羽琉に連絡した2、3日後かな?
きっと、伊織が余計なこと言ったんだろうな」
伊織が羽琉との約束を黙っているはずがない。そして、その約束がなくなったことは話していないことは想定内。
羽琉の反応を見ると燈哉も何も言っていないのだろう、きっと。
『なんて言ったの?』
途端にソワソワし出す羽琉が可愛くて、恋愛感情はないけれど庇護すべき存在なのだと改めて自覚する。
それぞれとのやりとりを時系列に並べて確認しているのかもしれない。
「会わないって言っておいた。
嘘言う必要は無いから療養の許可が降りなかったから中止になったって、伊織から聞いたまま答えておいた」
『じゃあ燈哉は知ってたんだ。
その時、何か言ってなかった?』
「電話だったから断言はできないけど、たぶんホッとしてた。ただ、直接顔を合わせてたら威圧されてたんじゃないか?
そんなこと直接羽琉に聞けばいいのにって言ったらアイツ、メッセージじゃ聞けないし、電話しても出てくれないかもしれないって落ち込んでたし」
『落ち込んでたんだ?』
推測した燈哉の気持ちを交えて話せばその声に嬉しさが滲み出す。諦めると言いながら諦めきれない気持ちに希望が加わる。
「そんな嬉しそうな声出すくらいなら学校辞めるとか言わずに燈哉と話してみたら?」
思わずそんなことを言ってしまう。
互いを想い合っているのに拗れてしまった関係を解消する術を持っているのに、言葉が足りないせいで歪んでしまったふたりの関係。
『政文は何か聞いてるの?』
「どうだろうね。
でも、あまり伊織を振り回さないで欲しいとは思ってるし、結論を出したとしても伊織を譲る気は無いよ」
燈哉の気持ちも、羽琉の気持ちも知っている自分が少しだけそれぞれの背中を押せば直ぐに解決することなのに、伊織に夢を持たせたかったし、自分も夢を持ちたかったせいで拗れたままの関係。
だけど俺が手を貸してしまえば事あるごとに俺や伊織を頼ることをやめないだろう。伊織に希望を持たせないためにもそんな関係は解消するべきだ。
『さっきと言ってることが違うんじゃないの?伊織が僕と番えるように協力する代わりに、伊織のことを手に入れるって言ってたくせに』
「そういうプランも有ったって話だから」
拗ねた口調の羽琉に思わず笑ってしまう。
「そもそも、燈哉以外のαに触られるの駄目なくせに」
『政文、それっ、』
「だから、今居に触れた燈哉が許せなかったんだろ?
今までだって、色々許せなかったことをちゃんと言わずに来たからこんなになったんじゃないのか?」
あの日、燈哉が今居を抱きしめたせいで体調を崩した羽琉を保健室まで連れて行った時に泣いていたのは、感情のコントローができないせいだと思っていた。
止まらない涙と失せていく顔色。
そんなにもショックだったのかと思いながらベッドに降ろすと弛緩した身体に、俺に抱かれていた事で緊張していたことに気付く。
燈哉の行動でショックを受けていたのは確かだけど、それ以上にαである俺に密着したことが羽琉にとって大きなストレスになっていたのだろう。
自分は燈哉以外のαに触れられることに嫌悪感があるというのに、燈哉は自分以外のΩを抱きしめたことで自分の想いと燈哉の想いが違うのだと思ってしまったのかもしれない。
『なんで燈哉も気付いてなかったこと、政文が気付いてるの?
苛々するんだけど』
「それ、本性?
何年一緒に過ごして、何年みてると思ってるの?」
『見てたのは伊織でしょ?』
「伊織見ようとすると羽琉が視界に入るんだから仕方ないよね。
だから多分、羽琉のことも燈哉のことも、お前たちが思ってる以上に俺は理解してると思うよ。
羽琉と燈哉の関係が変わるなんて思ってなかったから伊織にも夢を見させてたけど、現実にそうなるのは面白くないし。
せっかくの夏を無駄にしたく無いから早く決着付けて、伊織に報告してやって。そしたら俺が慰めるから」
普段から弱々しく庇護したくなるようなΩを演じているだけで、これが羽琉の本性なのかもしれない。
『伊織に泣きつくかもしれないよ?』
「そんな気無いくせに」
『だって、伊織は友達だし』
「一線越えなければいいし、何なら引導渡してくれたら慰めるし」
『どっちにしても慰めるんだ』
「当たり前だろう?
何年我慢してると思ってるの?
だからそっちもいい加減ハッキリさせてくれ」
こんなふうに燈哉にも言いたいことを言えばいいのにと思いながら発破を掛けておく。
『政文は何を知ってるの?』
「さあね。
ただ、客観的に見ることができるから少しだけ羽琉よりも知ってることが多いのかもな」
具体的なことを言わないためにも『長いこと悪かったな』と言って話を締める。
「俺に報告とかいらないけど、ハッキリしたら伊織にもハッキリ言ってやって。
頑張れよ」
俺の言葉に返事をしたのかしなかったのか、『うん』と聞こえた気がしたから「じゃあ、」とだけ告げて通話を終える。
俺のできることはしたつもりだ。
余計なことかとも思ったけれど、そろそろ伊織だって羽琉から解放されるべきだろう。
「怒るかな、」
羽琉に言ってしまったことを叱られたらその怒りを受け止め、不満を引き出し、本音をぶつけてみよう。「好きだ」と伝えたらどんな反応が返ってくるのだろう。
傷心に漬け込む気はないけれど、それでも伊織に寄り添い、自分が必要だと思ってもらえるよう努力は惜しまないつもりだから。
羽琉が俺たちのこと利用することだって想定してたし、そのために伊織に話を持ちかけたし。燈哉が羽琉から離れることなんてないから、いつかは諦めるしかないだろうって。
本当に駄目だと自覚した時にそこに付け込んで慰めて、甘やかして、俺から離れられなくなればいいとすら思ってた。
もしも羽琉と燈哉が駄目になったとしても伊織じゃあ弱いし。だから、自分が側にいることを条件に羽琉との関係を手助けすることまで考えてた』
電話の向こうで嗤った気配がする。
それは僕を嗤うのではなくて、自分の言葉を蔑むような笑い。
「手助けって?」
『俺との関係を続けることを条件に、俺も一緒に羽琉を庇護するって』
「ごめん、よく分からない」
『当たり前だよ、自分でもおかしいと思うし。
でも伊織と羽琉がうまくいくように手助けして、その見返りに伊織との関係を本物にしたいと思ったんだ』
「それって、もしかして」
『そう。
羽琉を囲った伊織を俺が囲うことで想いを遂げようと思ったんだ』
衝撃だった。
伊織と政文との仲を疑っていなかったし、伊織の僕に対する優しさは友情からくるものだと思っていた。だけど伊織と政文の関係は歪なもので、伊織の僕に対する優しさは友情ではなくて愛情だったことに驚くことしかできない。
僕には何も見えていなかったのだ。
燈哉の気持ちも、伊織の想いも、政文の打算も。
『悪いな、前置きもなくこんな話をして』
「うん。驚いたし、消化できないし、正直怖い」
素直にそう言うと電話の向こうで政文が笑う。その笑いは先ほどの蔑んだものではなくて可笑しそうなもので、ますます混乱してしまう。
『羽琉はΩだから。
αなんてこんなもんだよ?
自分の欲しいと思った相手には執着するし、自分の欲しいと思った相手を手放す気はないし』
「じゃあ燈哉も、」
『羽琉が欲しいんだと思うよ』
「………そうなら良かったのにね」
僕に向けられていた執着は【番候補】という肩書きに対してで、本当に欲しいのは彼なのだろうと卑屈なことを考える。僕のことを【あの子】と呼んで、楽しそうに夏の予定を話していた事実が僕を傷付ける。
『今だって、羽琉のことを欲しがってると思うけど』
「そうなら良いんだけどね、」
何も見えてなかった僕は周りを操っているつもりだったけど、結局は独りよがりだったのだろう。
その証拠に労って欲しいこんな時にぶつけられる本音の数々。
隆臣は自分の過ちを話し、僕を正すと告げ、僕の幸せを見届けると言ってくれた。
政文は伊織といるために僕の存在を利用し、伊織といるためになら僕を囲った伊織を自分が囲うと言い放った。
操るつもりが、都合の良いように動かされていただけなのかもと思ってしまう。
「それで、伊織と政文の関係は分かったけど、僕に何を聞きたかったの?」
『燈哉から聞かれたんだ』
「燈哉から、何を?」
予想をしていなかった名前に驚き、思わず聞き返す。今までそんなそぶりを見せることなく話していたくせに、今更出された名前に動揺する。
『夏休みに羽琉に会うのかって』
「いつ?」
『羽琉に連絡した2、3日後かな?
きっと、伊織が余計なこと言ったんだろうな』
きっと僕の意図も、計画が無くなったことを伊織が伝えていないこともお見通しなのだろう。だからこその探りを入れるような言葉と、だからこその本音。
「なんて言ったの?」
その頃ならもう燈哉からのメッセージは受け取っていた頃だと思いながら聞いてみる。あのメッセージはふたりと会うことで、その関係が変化することを恐れて探りを入れるためのものだったのかと疑心暗鬼になってしまう。
『会わないって言っておいた。
嘘言う必要は無いから療養の許可が降りなかったから中止になったって、伊織から聞いたまま答えておいた』
「じゃあ燈哉は知ってたんだ、」
僕に直接問わず政文に探りを入れ、隆臣に話したいと伝える。僕はどこまでも蚊帳の外だ。
「その時、何か言ってなかった?」
『電話だったから断言はできないけど、たぶんホッとしてた。でも、直接顔を合わせてたら威圧されてたんじゃないか?
そんなこと直接羽琉に聞けばいいのにって言ったらアイツ、メッセージじゃ聞けないし、電話しても出てくれないかもしれないって落ち込んでたし』
「落ち込んでたんだ?」
こんな時にでも燈哉が僕のことで気持ちを乱していたと聞けば嬉しくなってしまう。その一瞬でも彼のことを忘れて、僕のことだけを考えてくれたのなら2人との約束も無駄ではなかったのだろう。
『そんな嬉しそうな声出すくらいなら学校辞めるとか言わずに燈哉と話してみたら?』
呆れたような声にそれができればこんなに悩むことはないと言いたくなるけれど、燈哉を庇うような響きを言葉の端々に感じてその理由を知りたくなる。
「政文は何か聞いてるの?」
『どうだろうね。
でも、あまり伊織を振り回さないで欲しいとは思ってるし、結論を出したとしても伊織を譲る気は無いよ』
何か知っていると匂わせながらも核心に触れることのない言葉に苛つく。惚気ではないけれど、僕に対する宣戦布告にも感じてしまう。
と言うことは、燈哉が僕から離れても伊織と僕が番うことを許さないということなのだろう。
「さっきと言ってることが違うんじゃないの?伊織が僕と番えるように協力する代わりに、伊織のことを手に入れるって言ってたくせに」
『そういうプランも有ったって話だから』
電話の向こうで笑う政文が憎たらしい。
『そもそも、燈哉以外のαに触られるの駄目なくせに』
「政文、それっ、」
『だから、今居に触れた燈哉が許せなかったんだろ?
今までだって、色々許せなかったことをちゃんと言わずに来たからこんなになったんじゃないのか?』
何でも知っているふうなその言葉に苛立つけれど、隆臣だけでなく政文にまでバレていたことで自分で思っていた通りに周りが欺けていなかったことを思い知る。そして、思い上がっていた自分を恥ずかしく思う。
「なんで燈哉も気付いてなかったこと、政文が気付いてるの?
苛々するんだけど」
『それ、本性?
何年一緒に過ごして、何年見てると思ってるの?』
「見てたのは伊織でしょ?」
『伊織見ようとすると羽琉が視界に入るんだから仕方ないよね。
だから多分、羽琉のことも燈哉のことも、お前たちが思ってる以上に俺は理解してると思うよ。
羽琉と燈哉の関係が変わるなんて思ってなかったから伊織にも夢を見させてたけど、現実にそうなるのは面白くないし。
せっかくの夏を無駄にしたく無いから早く決着付けて、伊織に報告してやって。そしたら俺が慰めるから』
勝手なことばかり言う政文の言葉だけど、その言葉に少しだけ希望を見出す。
「伊織に泣きつくかもしれないよ?」
『そんな気無いくせに』
「だって、伊織は友達だし」
『一線越えなければいいし、何なら引導渡してくれたら慰めるし』
「どっちにしても慰めるんだ」
『当たり前だろう?
何年我慢してると思ってるの?
だからそっちもいい加減ハッキリさせてくれ』
大丈夫だとは言ってくれないけれど、駄目だとも言わない政文はきっと何かを知っているのだろう。
「政文は何を知ってるの?」
『さあね。
ただ、客観的に見ることができるから少しだけ羽琉よりも知ってることが多いのかもな』
具体的に何を知ってるとは言わないけれど、『長いこと悪かったな』と言って話が終わったことを告げる。
『俺に報告とかいらないけど、ハッキリしたら伊織にもハッキリ言ってやって。
頑張れよ』
その言葉に、覚悟を決めるしかなかった。
⌘ 政文 ⌘
〈伊織から聞きました〉
そんなメッセージを送ったのは夏休みに入って直ぐ。
伊織は夏の予定が無くなったと不満そうにしていたけれど、こんなふうになるだろうとは思っていた。勢いに負けて主治医に聞いてみると言った羽琉だったけど、俺が、というよりも燈哉以外のαに触れられることのできないのに俺と伊織、ふたりのαと過ごすことなんて無理な話だ。
校内で一緒に過ごすのとはわけが違う。主治医から止められたのも体調ではなくて精神的な問題からなのかもしれない。
《ごめん、今年は病院で過ごすことになったから》
〈みたいだな〉
返ってきたメッセージに取り敢えずの返信をする。目的は羽琉の言葉を引き出すことだから。
《ごめんね、せっかく来てくれるって言ったのに》
〈別にいいよ〉
〈羽琉だって、少し困ってただろう?〉
あの日、伊織があまりにも嬉しそうで、その願いを叶えたくて加担したことに後悔はない。どうせ無くなる予定だとは思いながらそれに乗ってきた羽琉にだって、それなりの思惑があったのだろう。
ふたりの仲を邪魔したくないと言いながらも乗り気なフリをした羽琉は、俺たちの後ろにいる燈哉のことを見ながら返答をしていたのだろう、きっと。
燈哉を目の敵にしている伊織のことだから、約束を取り付けたことを自慢げに告げることは予測できたことだった。
《ごめん》
〈俺こそ、伊織が嬉しそうだったから悪ノリした〉
何に対してのごめんかなんて、そんなの分かってる。俺たちを利用しようとしていたことに対して、伊織の気持ちを利用したことについての謝罪なのだろう。
《仲良しだよね、ふたり》
そんな言葉が送られてきたせいで俺と伊織が付き合っていると信じていることを再認識させられ、少しだけ罪悪感を感じる。伊織が羽琉の側にいられるようにと始めた付き合っているフリだったから、嘘だと見抜かれないよう過剰な演出を心掛けたりもしていた。Ω避けのためでもあったけれど、羽琉が羨む行動をとればそのまま燈哉に伝わり、より信憑性を増すだろうと取ってきた行動だったけど、その行動が羽琉を苦しめたのかもしれないと気付いてしまったから。
一緒に登下校することだって、自分のできないことを今居はしている。テスト勉強だって、羽琉は過ごすことのできない時間を今居は燈哉と過ごしている。外部入学者である今居が困らないように手助けをすると聞かされた時は阿保かとも思ったけれど、自分が羽琉を隠すためにとった行動で迷惑をかけてしまったから少しでも力になりたいと言われてしまえばそれ否定もしにくい。今居がΩでなければ、それ以前にただの外部入学者であれば他の誰かが声をかけることがあったのかもしれないけれど、声をかけた相手が燈哉だったことで話がおかしくなってしまった感はある。
ただ、自分はそのことを知っているけれど羽琉はそれを知らないのだからそんなすふうに過ごすふたりに対して疑心暗鬼にもなってしまうのだろう。
〈羽琉、今って忙しい?〉
燈哉が何度も話したいと言っても羽琉がそれに応じることがなかったことは知っている。誤解を解いて、今居との関係を改めて説明したいのに頑なに拒まれるせいで身動きが取れない、そんなふうに言った時には自業自得だと思ったし、あんなにも執拗にマーキングをする前に話をするべきだと呆れもした。
だけど、羽琉が頑なになった理由が俺たちにもあるとしたら…。
燈哉の事情を俺の口から告げることはルール違反だけど、俺と伊織のことを伝えることはできる。それで伊織と羽琉の関係が悪くなったとしても、俺の案に乗った時点で伊織だって同罪なのだから仕方がないのだろう。
《宿題やってるだけだから暇だよ》
〈少し話せる?〉
《え、珍しいね》
《大丈夫だけど》
覚悟は決まっている。
羽琉の了承の返事を見て直ぐに電話をかけた。
『もしもし?』
「急に悪いな
『別に大丈夫だけど、珍しいね』
羽琉と電話で話すような仲ではないため当然のリアクションだろう。
「声、元気そうで安心した」
『うん、心配させた?』
「そうでもないかな。
療養に行かないのは体調不良だけじゃないんだろうなとは思ってるけど」
『伊織がそう言った?』
「伊織は本気で羽琉の体調心配してるよ」
当たり障りのないフリをして探るような会話。羽琉に悪いことをしてしまった自覚はあるけれど、その名前を呼ぶだけで愛しいと思ってしまう。
「伊織は羽琉のこと、本当に大切に思ってるから」
だけど、自分よりも羽琉を想っていることもずっと隣で見ているせいで面白くない気持ちを抑えることができない。
伊織や俺のことを利用して燈哉の気を引こうとしている羽琉に気付かず宝物のように扱っているけれど、伊織の宝物は伊織だけの宝物じゃない。
『ごめん、伊織に甘えすぎだったね』
何かを感じ取ったのか、羽琉の声が少し沈む。甘やかされて今まで過ごしてきたけれど、そろそろ現実と向き合うべきだろう。
「それはでも、伊織が望んだことだから。
それはそうと、2学期から羽琉はどうするの?」
今のままではいられない、そんな思いを込めて聞いてみる。
羽琉も燈哉も、伊織も俺も。
今居が入学してきたことによって歪んでしまった関係をこれ以上維持することが不可能だと自覚して、どうするのかを考え行動するしかないのだ。
『どうなんだろうね。
このままだと辞めることになるかな』
「辞める?」
『そうだね。
燈哉が【番候補】じゃなくなったら何言われるか分からなくない?
散々今まで好き勝手してきたし。
だったら新しい環境を探すか、お見合いして自分を大切にしてくれるαと番うのも一つの手だよね』
予想外の言葉に戸惑ってしまう。
燈哉と話し、今居との関係の誤解を解けばその関係は深まるだろうと思っていた。そうなれば伊織や俺に頼ることなく、αである俺たちとは距離を置いた方がいいのではないかと思ってした質問に予想外の答えが返ってきたせいで言葉が止まってしまう。
「燈哉はそれで良いって言ってるのか?」
やっと絞り出した言葉はそんな当たり障りのない言葉。燈哉の事情を知っている俺からすれば羽琉の誤解を何とかしたいと思うものの、それでもその役目は俺のものではないと踏み留まる。
『知らない。
でも夏休みは彼と沢山遊ぶって言ってたし』
「そんなこと、」
『あの日、聞いちゃったんだ。
ふたりで仲良さそうに夏休みの計画、立ててたよ』
あの日とは、燈哉がやましいことは何もないと言っていた時のことだろう。羽琉が何を聞いたのかは分からないけれど、この場で嘘を言うとも思えない。だから燈哉にとってはやましくないことなのだろうけど、羽琉にとってはそうではない事柄。
『僕が早めに休みに入ったから、もっと仲良くなってる?
校内でも仲良くしてるとか?』
誤解した様子の羽琉はそう言ってふたりの関係を探るけれど、羽琉が休む前とほとんど変わらないふたりの様子を正確に伝える。誤解を生まないように、羽琉が傷付かないように。
ただただ真実だけを伝えることで、燈哉への誤解が少しでも解けるように。
「燈哉と今居は羽琉がいなくなっても変わらなかったよ。駅までの道は一緒に歩いてるけど、校内では特別接触はしてない。
ただ、羽琉を送迎しないから玄関で別れて、玄関で待ち合わせてたけどな。
でもそれだけだ」
時折見かけたふたりの様子はフランクなもので、甘さを感じるものはない。親密さはあるけれど、ふたりのあの様子を見て恋愛関係にあるとは思わないだろう。だからなのだろうか、駅から学校までの道のりを過ごしていたのに不思議と今居を糾弾する声を聞くことはほとんど無かった。
校内で一緒に過ごすこともなく、登下校を共にしていてもフランクな関係。
羽琉がちゃんと見ていれば分かったはずの関係なのに、それを拒否してしまったため拗れてしまった燈哉と羽琉。
「羽琉は今居について何も聞いてないのか?あのふたり、羽琉が思ってるような関係じゃないと思うけど?」
『どうなんだろうね。
燈哉からは彼も含めて話をさせて欲しいって何回か言われてたけど、そんな話、聞きたくないじゃない?
だから拒否してた。
一緒に過ごしたいって、彼を守りたいって言われてそれを許したのに、それ以上僕に何を言うつもりなんだろうって。
許してくれてありがとうとか?
僕が会ったことで【公認】だと周りに知らせたいとか?』
「嫌だったんだ、」
『嫌に決まってる。
だけど、僕との関係は変わらないけど、自分のせいで危ない目に遭うかもしれない彼を守りたいって。僕との時間は今まで通り過ごすから、空いた時間で彼を守らせて欲しいって言われたら駄目って言えなくない?
それでもし彼に何かあったら…僕のせいになるんだよ?』
見え隠れする羽琉の本音。
燈哉を繋ぎ止めるためにどれだけの言葉を飲み込んでいたのだろう。
「燈哉とは連絡は取ってないのか?」
『メッセージは毎日届くよ。
当たり障りのない挨拶や事務報告みたいな一言とか』
「それだけ?」
『それだけ。
隆臣に顔を見て話をしたいって打診があったから夏休み中には会って話をするつもりだけどね』
その言葉に諦めの響きを感じてしまい、もしもの時を考えてしまう。大丈夫だとは思いながらも燈哉との関係が破綻した時のことを。
「仮定の話だけど、燈哉との関係を解消した時に伊織を選ぶという選択肢はあるか?」
『え?』
俺の言葉に羽琉が口籠る。
そして、少しの沈黙の後に聞かされた言葉で覚悟を決める。自分の話すことができることは話してしまおうと。そして、伊織に頼ろうと思わないように自分の気持ちを吐露してしまおうと。
『だって、伊織は政文と付き合ってるんでしょ?
それなのに僕が伊織選ぶわけないよね、』
「付き合ってないよ」
『だって、いつもふたりで一緒にいるし、付き合うことになったって伊織から聞いてたし』
「仕方なかったんだ、」
動揺する羽琉に言い聞かせるように、伊織への想いが伝わるように包み隠さず話すために「伊織、ごめん」と心の中で謝ってから言葉を続ける。
「本当は自分の口で言いたいだろうけど、中途半端に期待させたくないから」
そう言って伝えたのは伊織がずっと羽琉のことを想っていたという事実。
そして、付き合うフリをすることになった経緯を。
幼稚舎の頃から羽琉のことを気にしていたけれど羽琉に近付くことを禁止され、それなのに抜け駆けした燈哉のことを目の敵にしていたこと。
だけど羽琉が嬉しそうに燈哉の話をするため自分の感情を隠し、それでも側にいることを選んだこと。
側にいられるのなら気持ちを押し殺し、友人としてのスタンスでいいから寄り添いたいと願っていたこと。
それでもその距離感を危惧し始めた燈哉を安心させるために俺と付き合うふりをして、Ωと番う気はないと言ったこと。
『何でそんなこと、』
伊織の想いに全く気付いていなかったのだろう。その声から動揺が伝わってくるけれど、ここまできたら隠し通すことの方が羽琉のためにならないと思いが話を続ける。
自分の周囲にもっと目を向け、自分の立場を自覚し、自分がどうしたいのか、どうするべきなのかを考えるために。
だから俺の想いを伝え、意向を伝える。伊織を頼ることはして欲しくないと、伊織を渡す気はないと。
「そんなの簡単だよ。
伊織の側で、伊織の願いを叶えたかったから。
別に伊織は羽琉を奪おうとは思ってなかったんだよ、燈哉に敵うわけないし。
だけど羽琉のことを守りたいって、羽琉と一緒に過ごしたいって、それだけの理由で俺の提案を受け入れたんだ」
『提案?』
「そう、俺と付き合ってるふりをすれば燈哉は警戒を解くし、羽琉と一緒に過ごすことができるって」
『何それ。
そんな、伊織はそれでいいかもしれないけど政文は?
そもそも、何でそんな付き合ってるふりなんてしたの?』
燈哉だけを見て、燈哉だけが欲しかった羽琉には理解できないのだろう。
燈哉を手に入れるために周囲を利用した羽琉と、伊織が欲しくて自分を犠牲にした俺に大差はないはずなのに。
「そんなの伊織が好きだからだよ。
自分の好きな人の隣にいられるのならどんな待遇でも良かったんだ。
たぶん、燈哉も同じだと思うよ。
尽くしていれば自分の気持ちに気付いてくれるかもしれない、尽くしていれば自分を好きになってくれるかもしれない。報われなくても、それでも側にいて欲しいって」
『燈哉と同じって、僕はずっと燈哉のことが好きだったよ』
「そう?
好きっていうか、優越感じゃなかったのか?みんなから好かれる燈哉が自分の隣にいることで得意になって、自分にだけ向けられる気持ちを逆手にとって優越感に浸って。
少なくとも、羽琉の好きと燈哉の好きは違ってたと思うよ。
燈哉のは純粋な好きで、羽琉のは打算的な好き」
俺の言葉を否定しないのは自覚があるからかもしれない。だから、羽琉が自覚できるように自分の醜さも曝け出す。
羽琉だって全て曝け出して素直になるべきなのだから。
「まあ、俺も人のこと言えないんだけど。
俺はね、伊織の側にいられればそれで良かったんだ。
羽琉が俺たちのこと利用することだって想定してたし、そのために伊織に話を持ちかけたし。燈哉が羽琉から離れることなんてないから、いつかは諦めるしかないだろうって。
本当に駄目だと自覚した時にそこに付け込んで慰めて、甘やかして、俺から離れられなくなればいいとすら思ってた。
もしも羽琉と燈哉が駄目になったとしても伊織じゃあ弱いし。だから、自分が側にいることを条件に羽琉との関係を手助けすることまで考えてた」
言いながら伊織に対する執着に嗤ってしまう。αである伊織に対する気持ちは本物だけど、αである伊織とは番うことができない。それなのに諦めきれず、汚い手を使ってでも手に入れることを妄想してしまう自分が哀れに思えて嗤うしかなかった。
『手助けって?』
「俺との関係を続けることを条件に、俺も一緒に羽琉を庇護するって」
『ごめん、よく分からない』
「当たり前だよ、自分でもおかしいと思うし。
でも伊織と羽琉がうまくいくように手助けして、その見返りに伊織との関係を本物にしたいと思ったんだ」
『それって、もしかして』
「そう。
羽琉を囲った伊織を俺が囲うことで想いを遂げようと思ったんだ」
なんて醜い想いだろう。
庇護するべきΩを利用して、大切な人に取り入り、その思いを逆手に取って自分のものにしようだなんて。
燈哉と羽琉の関係が崩れることはないからこその妄想だったけど、現実にそれが叶う可能性が出てくると怖気付いてしまった。だからこそ、その気持ちをはっきりとさせ、その想いを遂げてほしいと願ってしまう。
羽琉が燈哉を求めるように俺だって伊織を求めているのだから、今は怖気付いていても目の前にそのチャンスがあれば利用してしまいたくなるのも本能だから。
「悪いな、前置きもなくこんな話をして」
『うん。驚いたし、消化できないし、正直怖い』
その率直な言葉に思わず笑ってしまう。蔑まれても仕方ないし、罵られても仕方のないことを言ったのに、素直な気持ちを伝えた羽琉はやっぱり庇護すべき存在なのだと思ってしまう。
妄想の中では可哀想な目に合わせてしまったけれど、実際問題、羽琉を目の前にしたらそれを遂行することなんてできないのだろう、きっと。
「羽琉はΩだから。
αなんてこんなもんだよ?
自分の欲しいと思った相手には執着するし、自分の欲しいと思った相手を手放す気はないし」
『じゃあ燈哉も、』
「羽琉が欲しいんだと思うよ」
『………そうなら良かったのにね』
自信の無さが声を小さくさせるのだろう。
燈哉の気持ちを代弁して、燈哉の計画を話して仕舞えば結論は直ぐ出るのにともどかしく思う。
「今だって、羽琉のことを欲しがってると思うけど」
『そうなら良いんだけどね、』
少しだけ軟化したのか、その声に柔らかさが戻る。
『それで、伊織と政文の関係は分かったけど、僕に何を聞きたかったの?』
「燈哉から聞かれたんだ」
『燈哉から、何を?』
これくらいなら話してもいいだろう、そう思って出した名前にわかりやすく羽琉が反応する。燈哉に対してもこんなふうに素直な反応を見せればいいのにと思ってしまう。
「夏休みに羽琉に会うのかって」
『いつ?』
「羽琉に連絡した2、3日後かな?
きっと、伊織が余計なこと言ったんだろうな」
伊織が羽琉との約束を黙っているはずがない。そして、その約束がなくなったことは話していないことは想定内。
羽琉の反応を見ると燈哉も何も言っていないのだろう、きっと。
『なんて言ったの?』
途端にソワソワし出す羽琉が可愛くて、恋愛感情はないけれど庇護すべき存在なのだと改めて自覚する。
それぞれとのやりとりを時系列に並べて確認しているのかもしれない。
「会わないって言っておいた。
嘘言う必要は無いから療養の許可が降りなかったから中止になったって、伊織から聞いたまま答えておいた」
『じゃあ燈哉は知ってたんだ。
その時、何か言ってなかった?』
「電話だったから断言はできないけど、たぶんホッとしてた。ただ、直接顔を合わせてたら威圧されてたんじゃないか?
そんなこと直接羽琉に聞けばいいのにって言ったらアイツ、メッセージじゃ聞けないし、電話しても出てくれないかもしれないって落ち込んでたし」
『落ち込んでたんだ?』
推測した燈哉の気持ちを交えて話せばその声に嬉しさが滲み出す。諦めると言いながら諦めきれない気持ちに希望が加わる。
「そんな嬉しそうな声出すくらいなら学校辞めるとか言わずに燈哉と話してみたら?」
思わずそんなことを言ってしまう。
互いを想い合っているのに拗れてしまった関係を解消する術を持っているのに、言葉が足りないせいで歪んでしまったふたりの関係。
『政文は何か聞いてるの?』
「どうだろうね。
でも、あまり伊織を振り回さないで欲しいとは思ってるし、結論を出したとしても伊織を譲る気は無いよ」
燈哉の気持ちも、羽琉の気持ちも知っている自分が少しだけそれぞれの背中を押せば直ぐに解決することなのに、伊織に夢を持たせたかったし、自分も夢を持ちたかったせいで拗れたままの関係。
だけど俺が手を貸してしまえば事あるごとに俺や伊織を頼ることをやめないだろう。伊織に希望を持たせないためにもそんな関係は解消するべきだ。
『さっきと言ってることが違うんじゃないの?伊織が僕と番えるように協力する代わりに、伊織のことを手に入れるって言ってたくせに』
「そういうプランも有ったって話だから」
拗ねた口調の羽琉に思わず笑ってしまう。
「そもそも、燈哉以外のαに触られるの駄目なくせに」
『政文、それっ、』
「だから、今居に触れた燈哉が許せなかったんだろ?
今までだって、色々許せなかったことをちゃんと言わずに来たからこんなになったんじゃないのか?」
あの日、燈哉が今居を抱きしめたせいで体調を崩した羽琉を保健室まで連れて行った時に泣いていたのは、感情のコントローができないせいだと思っていた。
止まらない涙と失せていく顔色。
そんなにもショックだったのかと思いながらベッドに降ろすと弛緩した身体に、俺に抱かれていた事で緊張していたことに気付く。
燈哉の行動でショックを受けていたのは確かだけど、それ以上にαである俺に密着したことが羽琉にとって大きなストレスになっていたのだろう。
自分は燈哉以外のαに触れられることに嫌悪感があるというのに、燈哉は自分以外のΩを抱きしめたことで自分の想いと燈哉の想いが違うのだと思ってしまったのかもしれない。
『なんで燈哉も気付いてなかったこと、政文が気付いてるの?
苛々するんだけど』
「それ、本性?
何年一緒に過ごして、何年みてると思ってるの?」
『見てたのは伊織でしょ?』
「伊織見ようとすると羽琉が視界に入るんだから仕方ないよね。
だから多分、羽琉のことも燈哉のことも、お前たちが思ってる以上に俺は理解してると思うよ。
羽琉と燈哉の関係が変わるなんて思ってなかったから伊織にも夢を見させてたけど、現実にそうなるのは面白くないし。
せっかくの夏を無駄にしたく無いから早く決着付けて、伊織に報告してやって。そしたら俺が慰めるから」
普段から弱々しく庇護したくなるようなΩを演じているだけで、これが羽琉の本性なのかもしれない。
『伊織に泣きつくかもしれないよ?』
「そんな気無いくせに」
『だって、伊織は友達だし』
「一線越えなければいいし、何なら引導渡してくれたら慰めるし」
『どっちにしても慰めるんだ』
「当たり前だろう?
何年我慢してると思ってるの?
だからそっちもいい加減ハッキリさせてくれ」
こんなふうに燈哉にも言いたいことを言えばいいのにと思いながら発破を掛けておく。
『政文は何を知ってるの?』
「さあね。
ただ、客観的に見ることができるから少しだけ羽琉よりも知ってることが多いのかもな」
具体的なことを言わないためにも『長いこと悪かったな』と言って話を締める。
「俺に報告とかいらないけど、ハッキリしたら伊織にもハッキリ言ってやって。
頑張れよ」
俺の言葉に返事をしたのかしなかったのか、『うん』と聞こえた気がしたから「じゃあ、」とだけ告げて通話を終える。
俺のできることはしたつもりだ。
余計なことかとも思ったけれど、そろそろ伊織だって羽琉から解放されるべきだろう。
「怒るかな、」
羽琉に言ってしまったことを叱られたらその怒りを受け止め、不満を引き出し、本音をぶつけてみよう。「好きだ」と伝えたらどんな反応が返ってくるのだろう。
傷心に漬け込む気はないけれど、それでも伊織に寄り添い、自分が必要だと思ってもらえるよう努力は惜しまないつもりだから。
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