113 / 129
羽琉 大切に想う気持ち。
しおりを挟む
「果物、入れ替えておきましたから」
話が終わると何もなかったかのようにそう言った隆臣に呆れてしまう。そもそも食べきれない量の差し入れを毎日入れ替える必要もない。見舞客が来るわけでもないのだからそうそう減るものでもないのだから。
「隆臣さあ、僕の食べる量把握してるよね」
「当たり前です」
「じゃあ、自分の持ってきてる量がおかしいとか思わない?」
「残ることは想定内です」
楽しそうに笑う隆臣は「それに、入れ替えているのは生菓子と果物くらいですよ」とよくわからない主張をする。
「………太っても知らないからね」
そう言えば「私が全ていただいてるわけじゃないですから」と返される。
「羽琉さん、私が全て用意してると思ってるみたいですけど違いますからね。
持ち帰った物も、私がいただくのは果物くらいですよ。
あ、そう言えば伝言があったんでした。
『盗られちゃダメだよ』と『素直になりなさい』だそうです」
その文言で隆臣の言葉の意味を理解する。
「それって、」
「羽琉さんがどうしても嫌なら逃げるのも仕方ないけど、自分の気持ちを伝えないままだと後悔するから、と。
あと『盗られるくらいならこちらから捨ててやれ」と言って嗜められていました」
「相変わらずなんだね、」
「ですね。
でも羽琉さんの味方ですよ。
口では強いことを言っていましたが、今の状況に心配そうな顔をしていました」
「それにしても、直接話すのなんて最初の挨拶の時以来じゃない、もしかして?
よく許したね」
父と僕が接触することを嫌がったのは父の考えに染まることを防ぐためだったようだけど、隆臣に会わせないのはただの嫉妬。Ω性を最大限に利用して好き勝手していた父を囲い込み、縛り付け、自分から離れられないようにした父親。彼は僕のために父から離すと言ったけれど、それも真実ではあるものの、根本に有るのは自分のΩを自分以外の目に晒したくないという想い。
そんな父親が父を隆臣に会わせたことが意外だった。
「それは言い過ぎじゃないですか?
それに、自分の息子が苦しんでる時に知らない顔ができるほど無関心じゃないと言って、直接話を聞くことを希望されたようです。
もっと頼りになると思ったのに、期待外れだと言われてしまいましたけど」
そんなふうに言いながらも笑顔を見せるのは、隆臣の中にあった懸念が解消されたからなのかもしれない。
「酷いこと言うね、僕のこと放っておいたくせに」
「本当にそうですよね」
口ではそう言いながらもそれが本気だとは思わない。
「燈哉の話したいことって何なのかな」
「何なんでしょうね。
でも、羽琉さんが思うような話じゃないと思うんですけどね」
一番近い位置で僕たちを見ていた隆臣の言葉は僕を期待させるけど、一番近い位置で見ていたからこそ気付かない事だってあるんじゃないのかと思ってしまう。
僕が両親の気持ちに気付かなかったように。
僕が隆臣の想いに気付かなかったように。
「話がしたくないわけじゃないけど、時間が欲しいんだ。
何を聞かされても動揺しないように、自分の気持ちに向き合う時間が欲しい」
「それは、大切なことだと思います。
もしも、もしも羽琉さんが傷付いて燈哉さん達と関わりたくないと言うのなら、この場所を離れたいと言うのならその時は私が側にいます。
羽琉さんが大切に思える相手と出会うまでですけどね」
「そこは自分が大切にするって言うところじゃないの?」
「大切にしてますよ、今でも十分。
でもきっと、私が大切に思う気持ちは家族の情みたいなもので、羽琉さんが求めてるものとは違いますから」
「そんなの知ってるよ。
でも、言葉だけでもそう言って欲しかった」
「分かってますよ」
そう言って「私は、羽琉さんの幸せを見届けるまではずっと側にいますから」と僕の頭を撫でる。
いくつになっても安心できるのは、隆臣が僕にとって家族と同じ立ち位置だからだと自覚する。
隆臣が側にいてくれるのなら何があっても乗り越えられるのかもしれない。
温かい手が僕をそう思わせてくれる。
「大丈夫だと思えたらちゃんと言うから」
僕の言葉に「分かりました」と答えた隆臣の声は、とても優しいものだった。
⌘ 隆臣 ⌘
「果物、入れ替えておきましたから」
長い長い話を終え、自分語りをしてしまったことを恥ずかしく思い、気持ちを切り替えるために何もなかったかのように装ってみる。
少しでも食べられるものをと思い用意し始めた軽食だったけれど、それを知った羽琉の両親はアレがいいコレがいいと過剰な勢いで用意をするため毎日入れ替える羽目になっている。
せめて1日置きにと提案してみたものの、持ち帰ったものは家で食べるから問題ないと言われてしまった。
「隆臣さあ、僕の食べる量把握してるよね」
背を向けた私にかけられる言葉には呆れた響きがある。毎日繰り返されるこの行動に疑問を持つのも仕方がないことだろう。
「当たり前です」
「じゃあ、自分の持ってきてる量がおかしいとか思わない?」
「残ることは想定内です。それに、入れ替えているのは生菓子と果物くらいですよ」
「………太っても知らないからね」
あまりに呆れた様子に「私が全ていただいてるわけじゃないですから」と返し、仕方なく毎日入れ替えられる生菓子の理由を告げてみる。
「羽琉さん、私が全て用意してると思ってるみたいですけど違いますからね。
持ち帰った物も、私がいただくのは果物くらいですよ。
あ、そう言えば伝言があったんでした。
『盗られちゃダメだよ』と『素直になりなさい』だそうです」
その文言に羽琉が驚いた顔を見せる。
「それって、」
「羽琉さんがどうしても嫌なら逃げるのも仕方ないけれど、自分の気持ちを伝えないままだと後悔するから、と。
あと『盗られるくらいならこちらから捨ててやれ」と言って嗜められてました」
私の言葉を聞き思案気な顔を見せたものの、「相変わらずなんだね、」と苦笑いを見せる。言葉の意味を正しく理解したのだろう。
「ですね。
でも羽琉さんの味方ですよ。
口では強いことを言っていましたが、今の状況に心配そうな顔をしていました」
「それにしても、直接話すのなんて最初の挨拶の時以来じゃない、もしかして?
よく許したね」
自分に向けられた言葉に対しては何も言わず、Ωの父と私が会ったことを驚き、それをαの父が許した事に意外そうな顔を見せる。
「それは言い過ぎじゃないですか?
それに、自分の息子が苦しんでる時に知らない顔ができるほど無関心じゃないと言って、直接話を聞くことを希望されたようです。
もっと頼りになると思ったのに、期待外れだと言われてしまいましたけど」
あの時のことを思い出すと薄ら笑いを浮かべてしまうのは仕方のないことだろう。羽琉を心配して滅茶苦茶なことを言い出すΩの父と、それを止めるαの父。エキサイトして私との距離が近付くと威嚇を放ち、「隆臣君相手に何してるの?」と呆れられていた。
『信頼できない相手に羽琉のこと任せたの?』
その言葉で自分の期待されていたことを改めて痛感し、自分の不甲斐なさを自覚する。だけど、その言葉で自分のやるべきことを改めて気付かされる。
信頼してくれていた事実に気持ちが引き締まり、信頼してくれていた事実に喜びを感じてしまう。
「酷いこと言うね、僕のこと放っておいたくせに」
「本当にそうですよね」
拗ねた顔をした羽琉に適当に相槌を返す。だってこれは、本心では無いから。
「燈哉の話したいことって何なのかな」
「何なんでしょうね。
でも、羽琉さんが思うような話じゃないと思うんですけどね」
一番近い位置でふたりを見ていた自分には、燈哉の気持ちが離れているとは思えなかった。
もしも羽琉と離れたいのなら毎朝の執拗なマーキングは必要無いのだから。それこそ意中のΩの匂いをさせたまま羽琉の側にあり続け、羽琉が音を上げるのを待てばいいだけのことだ。
仲真との繋がりが、と言うけれどあの父親がそれだけのことで仇を成すとも思えない。ふたりの関係が解消されたとして、今までの感謝を伝えてそれで終了だろう。ただそれだけのこと。
自分の子どもだから当然羽琉のことは可愛いのだろうけど、それを引きずることはないし、ビジネスの面でも今まで以上に関係を深めることをやめても今ある関係を変えることはないはずだ。
だって、狭い世界の中では強いαである燈哉だけど、もっと羽琉に相応しい相手がいないわけでは無いのだから。
自分が逐一伝えなくてもふたりの状況は両親に伝わっていただろう。クリニックに掛かれば連絡だって行くはずだ。羽琉が体調を崩しても介入しないのはふたりの関係を解消させる必要がないからなのだろう。
それに、羽琉に対する視線と、彼に対する視線の違いを自分は知っているから。
マーキングを施す時にミラー越しに見てしまった燈哉は普段の彼からは想像できないほどに余裕が無く、熱を孕んだ目で執拗に頸に口付け羽琉を支配しようとしていた。
手放したくない、手放せない。
その熱にネックガードが溶かされるのではないかと心配になる程だった。
それに応えるかのように声を漏らす羽琉はその気持ちに気付いているはずなのに、それなのにその気持ちを素直に受け止めることができず、日々弱っていくことしかできなかった。
そう思っていたけれど、諦めて受け入れて弱っていったわけでは無くて、弱ることで燈哉の関心を惹きたかったのかもしれない。
あの日、楽しそうに歩くふたりから羽琉を遠ざけたのは羽琉の顔色が悪かったからで、あの状況で執拗なマーキングをされてしまったらどうなってしまうのかと心配だったから。
肉体的にも弱り、精神的にも弱った時に執拗なマーキングを施されることで何かが起こってしまうと危惧したから。
ヒートの兆候に気付いていたわけではないけれど、それでも羽琉の変化を感じていたのかもしれない。
「話がしたくないわけじゃないけど、時間が欲しいんだ。
何を聞かされても動揺しないように、自分の気持ちに向き合う時間が欲しい」
「それは、大切なことだと思います。
もしも、もしも羽琉さんが傷付いて燈哉さん達と関わりたくないと言うのなら、この場所を離れたいと言うのならその時は私が側にいます。
羽琉さんが大切に思える相手と出会うまでですけどね」
こんな言葉で安心できるとは思えなかったけれどそれでも言ってみる。
Ωの羽琉を満たすことはできないけれど、βであっても寄り添うことはできるのだから。
「そこは自分が大切にするって言うところじゃないの?」
「大切にしてますよ、今でも十分。
でもきっと、私が大切に思う気持ちは家族の情みたいなもので、羽琉さんが求めてるものとは違いますから」
「そんなの知ってるよ。
でも、言葉だけでもそう言って欲しかった」
「分かってますよ」
そう言って「私は、羽琉さんの幸せを見届けるまではずっと側にいますから」と羽琉の頭を撫でる。
体調を崩した小さな羽琉が心配で、何もできないことがもどかしくて少しでも心が安らぐのならとしてきた習慣。
成長と共に無くなってしまった習慣だけど、嫌がられることはない。
「大丈夫だと思えたらちゃんと言うから」
「分かりました」
そう答え、その手をそっと離した。
話が終わると何もなかったかのようにそう言った隆臣に呆れてしまう。そもそも食べきれない量の差し入れを毎日入れ替える必要もない。見舞客が来るわけでもないのだからそうそう減るものでもないのだから。
「隆臣さあ、僕の食べる量把握してるよね」
「当たり前です」
「じゃあ、自分の持ってきてる量がおかしいとか思わない?」
「残ることは想定内です」
楽しそうに笑う隆臣は「それに、入れ替えているのは生菓子と果物くらいですよ」とよくわからない主張をする。
「………太っても知らないからね」
そう言えば「私が全ていただいてるわけじゃないですから」と返される。
「羽琉さん、私が全て用意してると思ってるみたいですけど違いますからね。
持ち帰った物も、私がいただくのは果物くらいですよ。
あ、そう言えば伝言があったんでした。
『盗られちゃダメだよ』と『素直になりなさい』だそうです」
その文言で隆臣の言葉の意味を理解する。
「それって、」
「羽琉さんがどうしても嫌なら逃げるのも仕方ないけど、自分の気持ちを伝えないままだと後悔するから、と。
あと『盗られるくらいならこちらから捨ててやれ」と言って嗜められていました」
「相変わらずなんだね、」
「ですね。
でも羽琉さんの味方ですよ。
口では強いことを言っていましたが、今の状況に心配そうな顔をしていました」
「それにしても、直接話すのなんて最初の挨拶の時以来じゃない、もしかして?
よく許したね」
父と僕が接触することを嫌がったのは父の考えに染まることを防ぐためだったようだけど、隆臣に会わせないのはただの嫉妬。Ω性を最大限に利用して好き勝手していた父を囲い込み、縛り付け、自分から離れられないようにした父親。彼は僕のために父から離すと言ったけれど、それも真実ではあるものの、根本に有るのは自分のΩを自分以外の目に晒したくないという想い。
そんな父親が父を隆臣に会わせたことが意外だった。
「それは言い過ぎじゃないですか?
それに、自分の息子が苦しんでる時に知らない顔ができるほど無関心じゃないと言って、直接話を聞くことを希望されたようです。
もっと頼りになると思ったのに、期待外れだと言われてしまいましたけど」
そんなふうに言いながらも笑顔を見せるのは、隆臣の中にあった懸念が解消されたからなのかもしれない。
「酷いこと言うね、僕のこと放っておいたくせに」
「本当にそうですよね」
口ではそう言いながらもそれが本気だとは思わない。
「燈哉の話したいことって何なのかな」
「何なんでしょうね。
でも、羽琉さんが思うような話じゃないと思うんですけどね」
一番近い位置で僕たちを見ていた隆臣の言葉は僕を期待させるけど、一番近い位置で見ていたからこそ気付かない事だってあるんじゃないのかと思ってしまう。
僕が両親の気持ちに気付かなかったように。
僕が隆臣の想いに気付かなかったように。
「話がしたくないわけじゃないけど、時間が欲しいんだ。
何を聞かされても動揺しないように、自分の気持ちに向き合う時間が欲しい」
「それは、大切なことだと思います。
もしも、もしも羽琉さんが傷付いて燈哉さん達と関わりたくないと言うのなら、この場所を離れたいと言うのならその時は私が側にいます。
羽琉さんが大切に思える相手と出会うまでですけどね」
「そこは自分が大切にするって言うところじゃないの?」
「大切にしてますよ、今でも十分。
でもきっと、私が大切に思う気持ちは家族の情みたいなもので、羽琉さんが求めてるものとは違いますから」
「そんなの知ってるよ。
でも、言葉だけでもそう言って欲しかった」
「分かってますよ」
そう言って「私は、羽琉さんの幸せを見届けるまではずっと側にいますから」と僕の頭を撫でる。
いくつになっても安心できるのは、隆臣が僕にとって家族と同じ立ち位置だからだと自覚する。
隆臣が側にいてくれるのなら何があっても乗り越えられるのかもしれない。
温かい手が僕をそう思わせてくれる。
「大丈夫だと思えたらちゃんと言うから」
僕の言葉に「分かりました」と答えた隆臣の声は、とても優しいものだった。
⌘ 隆臣 ⌘
「果物、入れ替えておきましたから」
長い長い話を終え、自分語りをしてしまったことを恥ずかしく思い、気持ちを切り替えるために何もなかったかのように装ってみる。
少しでも食べられるものをと思い用意し始めた軽食だったけれど、それを知った羽琉の両親はアレがいいコレがいいと過剰な勢いで用意をするため毎日入れ替える羽目になっている。
せめて1日置きにと提案してみたものの、持ち帰ったものは家で食べるから問題ないと言われてしまった。
「隆臣さあ、僕の食べる量把握してるよね」
背を向けた私にかけられる言葉には呆れた響きがある。毎日繰り返されるこの行動に疑問を持つのも仕方がないことだろう。
「当たり前です」
「じゃあ、自分の持ってきてる量がおかしいとか思わない?」
「残ることは想定内です。それに、入れ替えているのは生菓子と果物くらいですよ」
「………太っても知らないからね」
あまりに呆れた様子に「私が全ていただいてるわけじゃないですから」と返し、仕方なく毎日入れ替えられる生菓子の理由を告げてみる。
「羽琉さん、私が全て用意してると思ってるみたいですけど違いますからね。
持ち帰った物も、私がいただくのは果物くらいですよ。
あ、そう言えば伝言があったんでした。
『盗られちゃダメだよ』と『素直になりなさい』だそうです」
その文言に羽琉が驚いた顔を見せる。
「それって、」
「羽琉さんがどうしても嫌なら逃げるのも仕方ないけれど、自分の気持ちを伝えないままだと後悔するから、と。
あと『盗られるくらいならこちらから捨ててやれ」と言って嗜められてました」
私の言葉を聞き思案気な顔を見せたものの、「相変わらずなんだね、」と苦笑いを見せる。言葉の意味を正しく理解したのだろう。
「ですね。
でも羽琉さんの味方ですよ。
口では強いことを言っていましたが、今の状況に心配そうな顔をしていました」
「それにしても、直接話すのなんて最初の挨拶の時以来じゃない、もしかして?
よく許したね」
自分に向けられた言葉に対しては何も言わず、Ωの父と私が会ったことを驚き、それをαの父が許した事に意外そうな顔を見せる。
「それは言い過ぎじゃないですか?
それに、自分の息子が苦しんでる時に知らない顔ができるほど無関心じゃないと言って、直接話を聞くことを希望されたようです。
もっと頼りになると思ったのに、期待外れだと言われてしまいましたけど」
あの時のことを思い出すと薄ら笑いを浮かべてしまうのは仕方のないことだろう。羽琉を心配して滅茶苦茶なことを言い出すΩの父と、それを止めるαの父。エキサイトして私との距離が近付くと威嚇を放ち、「隆臣君相手に何してるの?」と呆れられていた。
『信頼できない相手に羽琉のこと任せたの?』
その言葉で自分の期待されていたことを改めて痛感し、自分の不甲斐なさを自覚する。だけど、その言葉で自分のやるべきことを改めて気付かされる。
信頼してくれていた事実に気持ちが引き締まり、信頼してくれていた事実に喜びを感じてしまう。
「酷いこと言うね、僕のこと放っておいたくせに」
「本当にそうですよね」
拗ねた顔をした羽琉に適当に相槌を返す。だってこれは、本心では無いから。
「燈哉の話したいことって何なのかな」
「何なんでしょうね。
でも、羽琉さんが思うような話じゃないと思うんですけどね」
一番近い位置でふたりを見ていた自分には、燈哉の気持ちが離れているとは思えなかった。
もしも羽琉と離れたいのなら毎朝の執拗なマーキングは必要無いのだから。それこそ意中のΩの匂いをさせたまま羽琉の側にあり続け、羽琉が音を上げるのを待てばいいだけのことだ。
仲真との繋がりが、と言うけれどあの父親がそれだけのことで仇を成すとも思えない。ふたりの関係が解消されたとして、今までの感謝を伝えてそれで終了だろう。ただそれだけのこと。
自分の子どもだから当然羽琉のことは可愛いのだろうけど、それを引きずることはないし、ビジネスの面でも今まで以上に関係を深めることをやめても今ある関係を変えることはないはずだ。
だって、狭い世界の中では強いαである燈哉だけど、もっと羽琉に相応しい相手がいないわけでは無いのだから。
自分が逐一伝えなくてもふたりの状況は両親に伝わっていただろう。クリニックに掛かれば連絡だって行くはずだ。羽琉が体調を崩しても介入しないのはふたりの関係を解消させる必要がないからなのだろう。
それに、羽琉に対する視線と、彼に対する視線の違いを自分は知っているから。
マーキングを施す時にミラー越しに見てしまった燈哉は普段の彼からは想像できないほどに余裕が無く、熱を孕んだ目で執拗に頸に口付け羽琉を支配しようとしていた。
手放したくない、手放せない。
その熱にネックガードが溶かされるのではないかと心配になる程だった。
それに応えるかのように声を漏らす羽琉はその気持ちに気付いているはずなのに、それなのにその気持ちを素直に受け止めることができず、日々弱っていくことしかできなかった。
そう思っていたけれど、諦めて受け入れて弱っていったわけでは無くて、弱ることで燈哉の関心を惹きたかったのかもしれない。
あの日、楽しそうに歩くふたりから羽琉を遠ざけたのは羽琉の顔色が悪かったからで、あの状況で執拗なマーキングをされてしまったらどうなってしまうのかと心配だったから。
肉体的にも弱り、精神的にも弱った時に執拗なマーキングを施されることで何かが起こってしまうと危惧したから。
ヒートの兆候に気付いていたわけではないけれど、それでも羽琉の変化を感じていたのかもしれない。
「話がしたくないわけじゃないけど、時間が欲しいんだ。
何を聞かされても動揺しないように、自分の気持ちに向き合う時間が欲しい」
「それは、大切なことだと思います。
もしも、もしも羽琉さんが傷付いて燈哉さん達と関わりたくないと言うのなら、この場所を離れたいと言うのならその時は私が側にいます。
羽琉さんが大切に思える相手と出会うまでですけどね」
こんな言葉で安心できるとは思えなかったけれどそれでも言ってみる。
Ωの羽琉を満たすことはできないけれど、βであっても寄り添うことはできるのだから。
「そこは自分が大切にするって言うところじゃないの?」
「大切にしてますよ、今でも十分。
でもきっと、私が大切に思う気持ちは家族の情みたいなもので、羽琉さんが求めてるものとは違いますから」
「そんなの知ってるよ。
でも、言葉だけでもそう言って欲しかった」
「分かってますよ」
そう言って「私は、羽琉さんの幸せを見届けるまではずっと側にいますから」と羽琉の頭を撫でる。
体調を崩した小さな羽琉が心配で、何もできないことがもどかしくて少しでも心が安らぐのならとしてきた習慣。
成長と共に無くなってしまった習慣だけど、嫌がられることはない。
「大丈夫だと思えたらちゃんと言うから」
「分かりました」
そう答え、その手をそっと離した。
34
お気に入りに追加
223
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる