Ωだから仕方ない。

佳乃

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【side:羽琉】変化する想い、変化してしまう想い。

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 2限目も保健室で過ごし、昂りを抑え込み制服を整える。ジャケットは脱がされていたけれど、スラックスは履いたままだったためシワが気にならないことに安堵する。

「教室に戻ります」

 そう告げた僕に「顔色も悪くないからいいと思うけど、何かあったら戻って来てもいいから」と言った保健医は昨日のやり取りをどう思い僕と燈哉をふたりきりにしたのかと思うけれど、その言葉にお礼を告げて教室に向かう。

「羽琉ちゃん、また保健室?」

「教室までひとりで大丈夫?」

 揶揄いとも心配とも取れる言葉に足取りが重くなるけれど、「あれ、でも燈哉のマーキング」と誰かが言い出す。

「そう言えば朝から中庭で、」

「何それ、燈哉君の本命って誰?」

 朝から僕に対する執着を見せた燈哉を多くの生徒が目にしているだろう。好奇と憶測が入り乱れる。

 この話がもっと広まればいい。そして、この話が今居涼夏の耳に入ればいい。自分が【唯一】だと思っていたのにそうじゃなかったと知って、僕のように傷付けばいい。

「Ωだから仕方ない」

 そう、僕だって彼だってΩなのだから仕方ないのだ。αに翻弄され、αに傷付けられ、それでも諦めきれず、αを求めるのはΩの本能なのだから。

 何かを言いたそうな視線に晒されながら歩くのは苦痛だけど、この視線を逆手に取る事はできないかと考える。可哀想なふりをして同情を集め、その視線を味方にする。そう考えて可哀想なふりをしなくても十分可哀想なことに気付いてしまう。

 だって僕は【番候補】を失いそうになっている【野良Ω候補】なのだから。

 燈哉からの施しを、マーキングを失うわけにはいかないのだと改めて自覚する。【野良Ω】になってしまったら、燈哉から守られなくなってしまったら僕はきっと想ってもいない相手に蹂躙されるだけだろう。

「羽琉、もう大丈夫なの?」

 教室に戻った僕に声をかけたのは燈哉で、クラスメイトは僕を遠巻きに見ているだけ。伊織は何か言いたそうな顔をしているけれど、燈哉にマーキングされた僕に遠慮しているのだろう。

「大丈夫」

 僕は燈哉にそう言って微笑みかけた。

《大丈夫?
 燈哉が今まで通りって言ってるけど、羽琉はどうしたい?》

 席に着くと同時に送られてきたメッセージには〈燈哉の言う通りにする〉と答える。伊織と政文と過ごしていたら燈哉を盗られてしまうから。

 今居涼夏から少しでも離れさせたくて、少しでも燈哉の側にいたくて。

 周りの視線に憐れみと嫌悪が入り混じっているように感じるのはきっと気のせいじゃない。僕が燈哉から引き離したΩは今の僕を見て嗤っているだろう。

《大丈夫?》

 きっと色々と要約した言葉なのだと頭で理解していても、その無責任な言葉に少しだけ苛立つ。大切な人を失いそうになっているのだから大丈夫なはずがない。それでも〈大丈夫 ありがとう〉とだけ返信したのはこれ以上関わられることを面倒だと思ったから。

 燈哉が欠席する時はふたりと過ごしていたけれど、それももうやめた方がいいだろう。燈哉以外のαに関わっている場合じゃない。

 何事もなかったかのように授業を受け、昼休みは燈哉と過ごす。伊織と政文は何か言いたそうな顔をしていたけれど、僕が困ったような顔で「大丈夫だから」と言えばそれ以上何も言えないはずだ。

 中等部の頃のように過ごす毎日は燈哉に守られて真綿に包まれたような毎日で、だけど真綿の中に隠された刃が僕の傷口が塞がることを許してくれない。

 あれから彼の香りを纏う事はないし、いつからか残り香もほとんど感じる事は無くなった。だけど、残り香がなくても燈哉の口から彼の名前が何度も何度も零れ落ち、その度に僕の傷は広がっていく。

 僕に対して甘いと思っていたけれど、僕に対する甘さと彼に対する甘さが違うと気付くのはすぐだった。

 それは残酷な真実。

 今までは僕の意見を尊重してくれたのに、気がつけば愛玩動物のように甘やかして閉じ込めて、僕を支配しようとするだけ。以前なら僕を導いてくれたその口は、甘いことだけを囁き僕を籠絡しようとする。

 だけど彼に対しては自分と対等に扱い、その意思を尊重し、意に沿わなければ折衷案を考え2人の気持ちをすり合わせているように見える。
 そう、かつての僕たちのように。

 僕はどこで間違えてしまったのだろう。

 僕たちは何を間違ってしまったのだろう。

「一度、涼夏と話してみないか?」

 何度も繰り返される燈哉の言葉。
 その度に拒否すればいつかは諦めてくれるのだろうか。彼と話すことなんて何もないし、彼と話したいとも思えない。
 彼を目の前にして『燈哉を返してと』懇願すれば何かが変わるのだろうかとも思うけれど、それをするには僕のプライドは高過ぎる。

 燈哉の口から『涼夏』という名前が出る度に僕の傷口は少しずつ開き、『涼夏』という名前が出る度に僕の体液は流れ出す。交換されることのない体液はただただ流れ落ちるだけ。
 
 ふたりが並ぶ姿を見る事はないけれど、燈哉の言葉で彼の気配を感じる度に不安になり、僕の傷を深くする。いっそのこと休んでしまおうかと思うけれど、僕がいなければふたりで過ごす時間が増えるだけだと思うとそれもできない。休んでしまえばふたりが喜ぶだけだと自分に言い聞かせ、毎朝車に乗り込む。

「羽琉さん、大丈夫ですか?」

 隆臣の言葉に「何かあったら燈哉がなんとかしてくれるから」と答える僕はその目には哀れに写っているのだろうか。
 何かあったことに気付いても僕の選択を否定する事はない。ただただ見守るのは優しさなのか、それだけの関係だからなのか。

 駐車場に着くと車に乗り込む燈哉に何も言わず、僕にマーキングを施すことにも見て見ぬ振り、聞いて聞かぬ振りを繰り返す。隆臣が何も言わないせいで日々エスカレートしていくマーキングは日を追うごとに執拗になっていく。
 はじめは頸に唇を落とすだけだったその行動はやがてネックガードでは隠れない首筋に舌を這わすようになり、僕が拒否しないと気付けばその隙間から舌をねじ込み、僕の頸に直接触れるようになっていく。

 舌をねじ込むことはできても噛むことはできない。だけどデリケートな部分を執拗に舐められ、何も感じないわけがない。燈哉の香りと執拗に這う舌は僕の鼓動を早め、快楽を与える。燈哉の息遣いに、その舌の熱さに漏れそうになる吐息を堪えようとすればネックガードに軽く歯を立ていつかした約束を思い起こさせようとする。

 触れられたい、噛まれたい。

 触れられたくない、噛まれたくない。

 本能で求めるモノと理性が求めるモノが違い過ぎて戸惑う。だけど燈哉の行為を拒否することなんてできないし、このまま身をまかせてしまいたくなる。
 ふたりはまだ番っていないのだから、彼よりも先に噛んでもらえたらもしかしたらヒートが来てなくても番になれるのではないかとあり得ないことまで考えてしまう。

 そんな毎日を送っていてストレスが溜まらないわけがない。

 ご飯を食べても美味しくないし、ベッドに入ってもなかなか寝付けない。
 授業中は誰からも干渉されないけれど、休み時間になると僕の様子を伺う伊織の視線が付き纏う。燈哉がいるせいで直接接触してくる事はないけれど、監視されているようで息苦しい。

「今日は休みますか?」

 隆臣が見かねてそういうこともあったけれど、休めば彼が喜ぶだけだと思いその申し出を拒絶する。
 燈哉にマーキングされれば当然だけど僕の匂いは染み付いていくだろう。体液の交換をした時のように纏わりつく事はないけれど、それでも互いの匂いは消える事なく残っていく。

 僕の匂いが薄くなり、彼の匂いに塗り潰されるなんて許せるはずがない。
 だけど、彼との話し合いを拒否しても何度も持ちかけられるし、僕の気持ちを知っているはずなのに転入生である彼にテスト対策まで施すと言い始める。もともと週末に僕と会うことはないけれど、まだ【番候補】のままだから一応許可を取るための言葉。
 以前、週末は彼と過ごすと言っていたことを思い出し、仕方なく頷く。

「涼夏が慣れるまでだから」

「転入生だからテスト対策とか、頼れる相手もいないだろうし」

 言い訳のような言葉が僕の傷口を広げていく。

 テストの前の週末を過ごし、月曜日に車に乗り込んできた燈哉からは僕の匂いは消え失せ、代わりに彼の残り香が車内に広がる。

「嫌っ、」

 彼の香りが許せなくて拒否の言葉が出るけれど、「羽琉、駄目だよ」と抱きしめられれば逃げることはできない。
 香り以外はいつもと変わらない執拗なマーキング。熱い舌はいつもと同じなのに、その日は昂ることもなく、吐息が漏れることもなかった。

 そんなことがあれば彼に対する僕の警戒はますます強くなってしまう。事あるごとにされる話し合いの提案を受け入れることなんて当然できず、僕の頑なな態度に燈哉も少しずつ変化していく。

 今までは僕に寄り添ってくれたのに、僕を批判して彼を擁護する言動をするようになった。
 今まで体調が悪くても食べないと体力が保たないからと根気よく食事に付き合ってくれたのに、「食べられないなら仕方ないね」と優しいふりをされるようになった。
 朝の執拗なマーキングは相変わらずで校内では僕と過ごすことも変わらないのに少しずつ変わっていく僕に対する想いを感じとり、僕から離れていく予兆に怯える日々。

 時折顔を合わせる父は僕の変化に気付くことなく「燈哉君とは仲良くしてる?」と微笑むけれど、「うん」と小さく頷くことしかできない。
 父親と番関係を結んだ父は僕に施されたマーキングを感じることはできないから「毎日、マーキングしてもらってるし」
と告げれば満足そうな顔を見せる。
 燈哉との関係は破綻しそうになっているけれど、まだ破綻してないのだから僕は嘘をついたわけじゃない。

 そんな時に見てしまった仲睦まじく歩くふたり。

 その日はいつもよりも道が混んでいたせいでほんの少しだけ登校時間がずれてしまい、電車の到着時間と重なった通学路は電車通学の生徒が多く歩いていた。
 そんな中で見つけてしまった燈哉と彼は僕に気付くことなく楽しそうに笑い合っている。中等部の頃にもこんなことがあったけれど、あの時は燈哉が僕の車を見つけて笑顔で手を振ってくれたのにとため息が溢れる。

 僕の変化に気付いたのか、隆臣の気遣いでいつもとは違う駐車場で降り、途中で迎えに出てきた伊織と政文と共に教室に向かう。廊下で談笑するふたりを見つけて僕がいなくなればあの光景は日常として受け入れられていくのだろうと考え、それならそれで仕方ないと自分の席に向かう。

 自分の席に座る僕を見つけた燈哉が驚いた顔を見せたけど、適当な言い訳をしてその場をやり過ごし、いつもと同じ時間を過ごす。
 伊織や燈哉が怒っていた気がするけれど、僕にはもうどうでもいい。このまま燈哉が僕から離れていくのなら諦めるしかないのだろう。
 それならば今、一緒に過ごすことのできる時間を誰にも壊されたくないと思ってしまうのはこの先ふたりで過ごす時間を思い描くことができなくなってしまったため。

 燈哉と過ごせる時間はあとどれだけあるのだろう。



「羽琉、最近食欲無い?」

 今更な燈哉の言葉に鼻白らむ。
 あの日、燈哉に染みついた彼の香りは僕を蝕み続ける。

 今日も昼休みは燈哉と一緒だけど今朝見た光景が頭から離れず全くお腹が空かないし、燈哉が近くにいるだけでお腹の中をかき混ぜられるような不快感で自分に限界が来たことを悟る。

「ごめん、燈哉。
 僕、今日無理みたい」

 そう告げると心配そうな顔を見せるけれど、「ちょっと隆臣に連絡してくる」と言って燈哉から離れれば不快感がおさまる。
 今まで燈哉に対して感じたことのなかった不快感に戸惑うけれど、これが正直な反応なのかもしれない。今まで認めたくなかっただけで、身体も心もとっくに限界を迎えていたのだろう。

 定期試験も終わり、暑さは日に日に増していく。気温の変化も僕の身体を弱らせていく。

「隆臣、ごめん。
 お弁当食べられない」

 初めての僕からの本気のSOS。
 食べられないふりをすることはあったけれどそれを告げたことの無かった僕が口にした言葉に息を呑み「すぐに迎えに行きます」と答えた隆臣も今朝の異変を気にしていたのかもしれない。

 駐車場まで燈哉と歩くことを考えると不安になるけれど、それでも少しだけでも一緒にいたいと願ってしまう。だけど僕に突きつけられた現実はそんな甘いものじゃ無かった。

「燈哉君なら多分、あそこにいると思うよ?」

 そう言って教えられた美術準備室で聞いた会話で知ってしまった燈哉の本音。

 夏休みを一緒に過ごしたことのない僕と、夏休みを一緒に過ごす約束をした彼。

 名前を呼ばれる彼と、名前すら呼ばれない僕。

 そして僕の不在を、僕の不調を喜ぶようなふたりの会話。

 邪魔者は自分なのだと再確認させられ、そう言えば先ほど場所を教えてくれたのは彼や僕と同じ男性Ωだった思い出す。僕にふたりの会話を聞かせ、その仲を見せつける意図があったのか、それとも偶然なのか分からないけれど、この場所を提供したのもきっと彼だったのだろう。彼は確か美術部だったはずだ。

 唯一のできた燈哉から離れず、伊織や政文から気にかけてもらっている僕は、パートナー不在のΩから嫌われているのかもしれない。そう考えて「今更か、」と自嘲する。
 燈哉に近付くΩを許さず、自分に気持ちを向けるαは放置してその様子を見せ付けてきたのだから好かれるわけがない。自分のしたことは結局自分に返ってくるのだろう。

 まだ続いている会話、聞こえてくる優しい声色。燈哉の表情が見たいと思うけど、扉を動かせば僕の存在に気づかれてしまうだろう。
 
 僕が彼なら良かったのに。

 泣きたくなる気持ちを抑えて扉から離れ、逃げ出すことしかできなかった。

 教室に戻り、荷物をまとめる。
 連絡をした方がいいのかとも思ったけれど、ふたりの邪魔をしてはいけないと思い直し鞄を持ち駐車場に向かう。誰も僕のことなんて気にしていないと思いながらも、クラスメイトに嗤われているような気がしてしまい居た堪れない。

〈予定が入ったので今日は帰ります〉

 車を待つ間にメッセージを送る。
 既読がつかないのはふたりで楽しい時間を過ごしているからだろう。

「車、出して」

 駐車場でひとりで待っていた僕を見て隆臣が驚いた顔を見せたけど、車に乗り込みそう告げれば隆臣は速やかに車を発進させる。後部座席に乗り込んだ僕はシートに身体を埋め、不調の原因に向き合わないままそっと目を瞑った。

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