Ωだから仕方ない。

佳乃

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【side:羽琉】【番候補】と【運命】と【唯一】と。

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 始まりはいつもと変わらない朝だった。

 入学式当日も車まで僕を迎えにきてくれた燈哉はいつもと同じように僕の鞄を持ってくれる。

 車から降りる時、鞄を受け取る時にさりげなく僕に触れるのはマーキングのためだろう。歩く時だって手を繋いで歩くことはしないけれど、時折触れ合うのは自分の存在を刻みつけるため。

 歩きながらお互いの制服姿を褒め合い、春休みにあったことを話し、納得のいく挨拶の文章が書けたのかと聞く。
 番候補だから同じクラスになることは当然だと思っていたけれど、それでも掲示されたクラス分けで名前を探し、同じクラスに僕と燈哉の名前を確認して安心する。

 伊織の名前を見付けて「あ、伊織も一緒だよ」と言った時に少しだけ、本当に少しだけ眉間に皺を寄せたのを見逃してはいなかったけど、「伊織も一緒なら燈哉が休まないといけない時でも安心だね」と言ってみる。

「高等部は単位もあるから休まないようにするつもりだけど………、そうだな」

 はっきりと休まないと言わないのは予防線なのかもしれない。そして、僕の狡さを知ってのことかもしれない。

 僕だけでなく、同級生に【番】だったり【番候補】がいる場合は同じクラスになるのは暗黙の了解で、Ωを守るためにも必要な措置だと周囲も納得している。だけど、割り切れない想いを抱いてしまうのも仕方のないことで、僕であれ燈哉であれ、まだ【番】ではないことを理由に想いを向けられてしまうこともある。

 僕に関して言えば、燈哉以外には興味は無いし、燈哉という鉄壁の守りがある。そして、良くも悪くも【仲真のΩ】という父の悪評が僕を守ってくれたりもする。父の行いは僕からαを遠ざける理由にもなったけど、僕をαから守る理由にもなっているのだ。
 中には僕に好意の視線を向ける相手も居るけれど、燈哉がいれば、そして伊織と政文がいればそれ以上のことは何も無い。ただただ燈哉を苛立たせ、燈哉の想いを再確認するためだけの存在。

 燈哉に関しては僕以外に好意を向けることはないけれど、それでも諦めきれないのは僕と燈哉がまだ番っていないから。中にはその好意を伝える果敢なΩもいたけれど、『その時が来たら自分は羽琉と番うから』とはっきりと断ってくれる。
 僕にまだヒートが来ていないことを公言しているのと同じだけど、だからこそ守られる存在である僕のために、燈哉に想いを向けた相手はΩだけでなく、αでもβでも同じクラスにならないように配慮されることになる。
 僕の身体の弱さも、僕の心の弱さも知られているのだからそのための措置でもあるのだろう。

 それが例え、偽りの弱さを含んでいるとしても。

 そして、それが燈哉にバレているとしても。



「羽琉、春休みに体調崩すことはなかった?」
 
 入学式の行われるホールに向かいながら口を開いた燈哉は電話でも伝えたはずなのに同じ質問を繰り返す。

「大丈夫だったよ?
 熱が出ることもなかったし、食欲もあるし。何で?」

「ちょっと気になっただけだよ。
 環境が変わる時って、羽琉、体調崩しやすいから。面識のある相手も多いけど、外部からの生徒も増えるから緊張するだろう?」

「燈哉ってば、心配し過ぎ。
 燈哉がいてくれれば大丈夫だし、伊織や政文だっているし」

 この時、燈哉の名前だけを呼べばこの先の出来事は違っていたのかと考える事がある。

 燈哉だけが大切だと、側にいて欲しいのは燈哉だけだと。

 僕だけを見て、僕だけに触れて欲しいと。

 試さなければよかった。

 素直になればよかった。

 燈哉の想いを信じ過ぎていた僕は、燈哉の想いが僕以外に向くことなんて想像したことも無かったんだ。


⌘⌘⌘


 その瞬間がいつだったかなんて僕は知らない。

「羽琉、先に座ってて。
 伊織が同じクラスだから心配ないから」

 ホールの入り口でクラスの並びを確認し、自分のクラスの並びに向かおうとした時に言われた言葉。
 何かがおかしいとはっきりと思ったのはその時。あの時僕が感じていたのはきっと、焦燥感。

 普段、あまり感情を露わにすることのない燈哉はキョロキョロと辺りを見渡すと伊織を見つけたようで安心したように僕を自分の席に向かうよう促すと、もう一度何かを探し始める。

 「ごめん、羽琉は先に座ってて」

 再度そう促され、戸惑う僕を置き去りにしてどこかに向かってしまう。

 何かがおかしい。

 何かがいつもと違う。

 この時点でいつもと違う様子に燈哉らしくないと思ったものの、新入生代表挨拶の準備があるのだろうと自分に言い聞かせて指定された自分の席に向かう。
 名簿順で指定された席の周りは知った顔ばかりで「燈哉は?」と声をかけられるけれど「挨拶の準備かな?」と曖昧に答えることしかできなかった。

「珍しいね」

「いつもベッタリな燈哉は?」

 僕の姿を見た伊織と政文が意外そうな顔をする。誰が見てもひとりで席に向かう僕は不思議に見えるのだろう。

「先に座ってるように言われた」

「珍しいね」

 よほど驚いたのだろう、伊織が同じ言葉を繰り返し、政文は伊織に何か耳打ちする。ふたりの仲の良さは相変わらずなようで、その姿を視界の端にとらえながら燈哉の姿を探す。見慣れたはずの景色のはずなのに、燈哉がいないだけで知らない景色に見えるから不思議だ。



「ねぇ、アレ」

 そして聞こえてきた驚きの声。

「え?燈哉君?」

「羽琉君は?」

「ちょ、アレって」

「マジで?」

 燈哉の名前と自分の名前が出た事で声の主たちの視線の先に顔を向ける。
 そこに見えたのは燈哉と、燈哉と同じくらい背の高い男子生徒が楽しそうに話しているところでふたりはとても仲が良さそうに見える。だけど燈哉と並ぶ男子生徒は見覚えが無く、高等部からの入学生だろうと誰かが言うのが聞こえた。

 もしかして塾で知り合った相手なのだろうか、そう思い相手を観察した時に見つけてしまったネックガード。

 そして、Ωから声をかけられても決して表情を崩すことのなかった燈哉が甘く微笑むのを見てしまった。

 【運命】

 そんな言葉が思い浮かぶ。

 僕にしか見せないはずの表情をして見せた燈哉に憤りを感じるのは僕を裏切ったからなのだろうか。

 僕を放っておいて僕じゃないΩに微笑みかけたことが許せなくて、僕じゃないΩに甘さを見せる燈哉に嫌悪する。

 僕のαなのに。

 【運命】という言葉が頭に浮かんだけれど、本当に【運命】であれば互いのフェロモンにもっと反応するだろう。であれば、【運命】ではなくて【唯一】なのかもしれない。
 【唯一】だなんて、最悪じゃないか。

 本能で惹かれ合う【運命】はフェロモンを抑えることで抗うこともできるけれど、フェロモンに惑わされるのではない【唯一】の方が質が悪い。
 フェロモンならば抑制剤で抑えることができるけれど、感情は抑制剤で抑えることなんてできないのだから。

 視線を絡ませながら甘さを隠そうとしない燈哉に少しずつ視線が集まっていく。

 最悪だ、最悪だ、最悪だ。

「あれ、良いの?」

 離せない視線と気遣う視線を比べたらどちらが多いのか、僕を揶揄する言葉と気遣う言葉を比べたらどちらが多いのか。

「僕たち、付き合ってるわけじゃないし」

 そう答えたのはせめてものプライド。
 【番候補】であって【番】じゃないのは周知の事実で、僕がいいように燈哉を振り回しているのだって気付かないふりをしていた人も多いはずだ。

 【番候補】というだけで燈哉を縛り付けたけれど身体の関係があるわけじゃないし、正式な契約があるわけでもない。
 ただただ燈哉を離したくなくて、燈哉から離れたくなくて強いてきただけの一方的な束縛の言葉。
 【番候補】なんて言葉は【運命】や【唯一】名前では何の効力も持たない契約的な言葉でしかない。

「でも」

 伊織が何か言いたそうにしているけれど、狡い僕はこの先の自分のことしか考えていなかった。

 燈哉が僕から離れてしまったら、強いαの庇護が無くなってしまったらどうなるのか。校内は心配ないと言われているけれど、校内であっても咎められることなく僕を蹂躙する方法だって無いわけじゃない。
 燈哉の言葉のせいで初めてのヒートすら迎えていないと認識されている僕に誘発剤を与えれば、そしてその上で強いフェロモンを浴びせれば…。

 初めてだから気付いていなかったようだ。初めてだから抑制剤を持っていなかった。初めてだから動揺して縋り付いてきた。

 だから自分はヒートを鎮める手助けだと思い身体を重ねただけ。

 言い訳なんて何とでもできてしまう。
 一般的にヒートを迎える前の時期ならばできない言い訳が、高等部であれば信憑性を増してしまう。実際、急なヒートでどうすることもできず、αに身を任せるしかなかったという事例を耳にしたことは1度や2度じゃない。
 保健室には抑制剤はもちろん用意してあるけれど、薬が合わないことだってもちろんあるし、そんな時のためにアフターピルも常備してあることは中等部の時に保健の授業で教えられた事だ。

 気持ちが悪い。

 視線が痛い。

 燈哉の行動と周りの視線、そして見てしまった光景はこの先、ずっと僕を苦しめることになる。
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