Ωだから仕方ない。

佳乃

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【side:羽琉】変化する環境と成長できない心。

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 療養と称して過ごした1週間は思った以上に快適で、「はじめての事だから」と時間があれば先生が顔を出してくれたおかげで退屈することもなかった。

 もともとタブレットも持参したし、学校の宿題だって持ってきていた。お気に入りの本だってベッドの横の棚に置いてある。
 だけど先生も看護師さんも「羽琉君がモデルケースになるから」と言って気にかけてくれるせいで少し落ち着かなくて、宿題はなかなか進まなかったし、本は読みかけのまま。
 落ち着かないけど少しだけ嬉しくて楽しい時間。
 僕のナカを知っている人に囲まれると言葉を選んで精神的に疲れてしまうけど、僕のソトしか知らない人に囲まれて言葉を選ばずに過ごす時間は僕の心を安定させ、受け止められることなく流される言葉が僕の口から零れ落ちる。

「羽琉君は、そう言えば2年生になって勉強難しくなった?」

 何気ない会話は僕を油断させる。

「え、簡単だよ?」

「そうなの?
 羽琉君は賢いんだね」

「だって、勉強できないと燈哉君に嫌われるかもしれないし」

「そう燈哉君が言ったの?」

「燈哉君はそんなこと言わないよ。
 でも燈哉君は凄いから僕も頑張りたいし、燈哉君のこと盗られたくないから」

「燈哉君が誰かに盗られるの?」

「分からないけど、燈哉君は優しいから」

 僕は気付いていなかったけど、先生は両親から色々と相談を受けていたらしくてこの時はきっと知りたいことを話すように誘導されていたのだと思う。

 初等部に入り体調を崩すことが少なくなってきていたのに今年に入り食欲が落ちたこと。
 朝、起こしに行ってもなかなか布団から出られないこと。
 何があったのか聞き出そうとしても口を噤んでしまうこと。

 両親には話せないことだけど、両親に話してしまうとまた燈哉に僕の狡さがバレてしまいそうで話せないことでも先生になら話すことができた。だって、先生は僕を通してしか燈哉のことを知らないから。
 機嫌が悪くても調子が悪いと言う、と言われたことを両親に伝えるのは憚られたけれど、先生になら素直に伝えることができた。
 だって、受け止められることなく流され零れ落ちる言葉だと思っていたから。

「何でお父さん達には言えないの?」

「だって、僕が嘘ついてるから怒られる」

「嘘なの?」

「嘘じゃないけど嘘みたいだから。
 だって、燈哉君が僕じゃない子のお世話してると悲しくて気持ち悪くなるけど、燈哉君が来てくれたらそうならないんだよ?
 だから燈哉君が僕のところに来てくれたら治るんだけど、燈哉君が僕のところに来てくれた時はまだ調子良くないんの」

 本当は燈哉に言いたかったのに言えなかったことを口にすると、自分の気持ちがよく分かる。
 ちゃんと口にすれば伝わったかもしれないのに、心配してくれることが嬉しくて隠してしまった気持ちを今更伝えることはできないのだとやっと気付く。

「その時に誰かが羽琉君にそれは違うよって言ってくれれば間違えなかったのかな?」

「分からない。
 でも、そうかもしれない」

「先生以外に話せる人、いないの?
 その燈哉君とか」

「そんなこと言ったら燈哉君に嫌われちゃう」

「そんなことないと思うけどね。
 お話しするのは大切なことだよ」

 この時のことをもっとちゃんと理解していれば、僕はもっと燈哉に対して素直になれたのかもしれない。だけど、話をするのは大切なことだと言った先生の言葉を正面から受け止めず、気持ちを隠したままで燈哉との対話することを選んでしまった。

 あれから、少しずつ言葉にして伝えようとはするものの、燈哉にはよく見て欲しくて自分の嫌な気持ちは素直に伝えることができないまま時間が過ぎていく。
 僕がヤキモチを妬くのは1年生のお世話をしているからだと気付いたのか気付いていないのか、それとも1年生が通学に慣れたせいなのか、いつの間にか燈哉の友人が1年生と手を繋いでいるのを目にすることも無くなった。

 不機嫌になることもなく過ぎていく毎日は、僕と燈哉の間に波風立てることもなく穏やかに過ぎていく。
 余計な一言を言った彼が、僕が不機嫌になることがなくなったのは自分の手柄だと言いたげな様子で見ていることに嫌な気持ちになるけれど、僕のリアクションでまた余計なことを言われるのが嫌で、彼の前では感情を大きく動かさないようにと防衛反応が働く。
 長期休みではない時の両親の不在時は彼が僕のお世話をすることになっていたのだけれど、「僕、もう大きいから」と言えば彼の仕事は僕の送迎だけとなった。
 その分、家のことをしてくれる女性の負担が増えてしまったけれど、「ごめんなさい」と謝った僕に「たまの残業も悪くないですよ」と笑ってくれる。
 燈哉のことを知らない彼女の前では何も言わなくて良いし、何も聞かれない。

 このままこの時間が続くと思っていた僕の前に隆臣が現れたのは、僕が誕生日を迎える4月のことだった。



「羽琉、3年生になったら羽琉に人付けるから」

 そう言われたのは春休みに入ってすぐのこと。

「今までの人は?」

 いつも送迎をお願いしていたけれど、家でのお世話もしてくれた時があったけれど、なんとなく苦手で名前を呼ぶことなく過ごしていたから咄嗟に名前で呼ぶことができなかった。知らないわけじゃないけれど、呼びたくない名前。
 それが僕たちの関係性を表しているのだけど、それに気付かず父親が話を始める。

「斉藤さんは別の場所でお仕事することになったから。
 新しい人は4月から来てくれるからね」

 当たり前のように告げられた言葉に少しショックを受ける。苦手に思っていた人だけど、新しい人はどんな人かと不安になってしまう。

「どんな人?
 斉藤さんみたいな人?」

 不安そうに聞く僕に「4月の1日に家に来てくれるから。あ、隆臣君、新しい人はこの家に住むから仲良くするんだよ」と言った父親は言葉を続ける。

「斉藤さんよりもだいぶ年下だけど、羽琉よりはお兄ちゃんだから。
 お父さんたちは羽琉と一緒にいられない時もあるけど、隆臣君はずっと一緒にいてくれるから色々話してみな」

「隆臣君?」

「そう、隆臣君。
 羽琉が学校に行ってる間はお父さんの仕事手伝ってもらうこともあるけど、羽琉に何かあった時にはすぐに来てくれるから仲良くしなね」

 僕の気持ちを汲んでくれることなく続けられる言葉。
 結局は僕のことが心配なわけじゃないのだと卑屈になるけれど、小さな声で「はい」と返事をしておく。



「岩瀬 隆臣です。
 羽琉さん、これからよろしくお願いします」

 父の言葉通り4月1日に家に来た隆臣の最初の言葉は型にはまったような挨拶だった。
 初等部の先生よりも、斉藤さんよりも、お父さんたちよりも若い隆臣にはじめは緊張したけれど、程よい距離感を保って隆臣との時間は快適だった。

 余計なことは言わないし、余計なことはしない。

 3年生にもなれば自分の事は自分で出来るため隆臣の手を煩わせる事はないし、隆臣も余計な手は出さない。
 話しかければ返事は返ってくるし、話しかけられれば返事を返す。

 ただ、それだけの関係。

 学校への送迎はしてくれるし、帰宅後も一緒にいてくれる。宿題をしていると見守ってくれるし、食事の時も一緒にいてくれる。
 僕がお風呂から出れば髪の毛を乾かすのを手伝ってくれて、ベッドに入ると「おやすみなさい」と言って自分の部屋に戻る。
 そんな毎日。

 ベッドの横には隆臣の部屋に直通の呼び出しベルが置いてあるため、何かあった時にはすぐに来てくれるという安心感があった。
 余計なことを知られたくない、余計なことを言われたくない、そんな僕にはちょうど良い距離感。
 だから隆臣の前では大人しく良い子のふりをして過ごした。だって、斉藤さんの時のように燈哉に余計なことを言われたくなかったから。

「羽琉さんは大人しいですね」

 一緒に過ごすようになってしばらくしてから言われた言葉に「Ωだから仕方ないんだよ」と咄嗟に答えてしまったのは事あるごとにその言葉を言い訳にしていたから。

 やりたい事だってたくさんあるし、言いたい事だってたくさんある。だけど出来ないことの方が多いし、言ってはいけない言葉だってたくさんある。
 そんな時に自分を慰めるための言葉だったけど、隆臣は気に入らなかったようで「何ですか、それ」と不快感を示す。

「仕方ないんだよ。
 やりたい事あっても無理すると調子悪くなるし、出来ない事だってたくさんあるし。僕、Ωだから仕方ないって、入院した時も誰かがそう言ってたし」

 これは嘘じゃない。
 4月生まれなのに小さいことも、なかなか増えなかった体重も、無理をするとすぐに崩してしまう体調も『Ωだから仕方ない』、その言葉で解決してしまうのだから。

「その言葉、あまり使わない方がいいですよ」

「何で?」

「Ωは一般的に容姿が良くて、力が弱いので自分を守るためにも人前では言わないでください。
 羽琉さんはΩらしいΩですし」

「でもΩだって見たら分かるんだから言っても言わなくても同じでしょ?」

「同じなんかじゃないです。
 それに、羽琉さんの言い方だと諦めてるように聞こえます」

「何を?」

「普通に過ごそうとする事を」

 隆臣の言いたかった事は今なら理解できるけど、その時の僕はどうせ普通に過ごせないのに何でそんな事を言われないといけないのか理解できなかった。
 だけどその気持ちを上手く言葉にできず、その話を受け入れて大人しくて良い子のふりを続ける事を選んだ僕は、気持ちの逃げ道を塞いでしまったことにまだ気付いていなかった。

 両親が何のために隆臣を選び、隆臣に僕を任せたのか。

 若い隆臣を僕のそばに置くことで僕に何を教えたかったのか。

 言葉足らずの僕たちは、こうして少しずつ心の距離を広げていったのかもしれない。
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