Ωだから仕方ない。

佳乃

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【ふたり】の会話と【ふたり】との会話。

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『わかった、じゃあ退院したら遊びに行くよ』

 突然の言葉に「え?」と声を上げてしまう。伊織も政文も僕のことを気にかけてくれていたけれど、校外で会ったことなんてないのだから僕がそんな声を上げたのは仕方のないこと。だけど、電話の向こうからは『そんな驚くことか?』と呆れた声が聞こえる。

 幼稚舎の頃から長期休みは検査入院と療養。長期休みじゃなくても調子を崩せば入院になってしまうため帰宅後は家で過ごすことが当たり前の生活。
 登下校は車での送迎だし、自分の番を囲う場所に入る人間は最小限にしたい父親の意向で特定の人物しか入ることのできない我が家は友人を呼ぶこともできない。

「遊ぶって言われても、僕の家は人呼べないし」

『そんなこと知ってるよ。
 でも退院したらどこかで療養するんでしょ?』

「そうだけど…」

『あ、もしかして海外とか?』

「海外は無理かな」

『そんなに体調悪いの?』

「違う、パスポート持ってない」

 僕の言葉に電話の向こうで伊織が笑う。

『海外じゃないなら僕と政文が遊びに行くよ。Ω専用の施設に入るわけじゃないでしょ?』

『それって、羽琉の体調次第では外出もできたりするのか?』

「どうだろう?
 明日の診察の時に聞いてみる」

 ふたりに圧倒されて曖昧な返事を返す。退院さえしてしまえば自由に過ごす事ができるはずだけど、素直にそれを告げることはできなかった。

『羽琉と遊べるの、楽しみだね』

 少し浮かれた伊織の声は僕に向けられたものなのか、政文に向けられたものなのか。
『伊織、はしゃぎ過ぎじゃないか?』と少し呆れたような声が聞こえたけれど、『だって、』と何か話している気配はするけれど内容までは聞こえない。

『羽琉、宿題手伝うって口実は?』

 ふたりの間で何か結論が出たのか、政文がそう言ったのはきっと僕が受け入れやすいように考えた末の結果。
 結局、休みの間中やる事がなくてひたすら宿題を終わらせるのは毎年恒例のこと。手伝ってもらわないと困る、なんてことは全く無いのだけれど、何か理由が欲しかったのだろう。

『早く終わらせたら遊び放題だよね?』

『放題かどうかは知らないけどな』

「僕、邪魔じゃないの?」

 不意に燈哉と涼夏の会話を思い出してしまい言葉が溢れる。僕がいなければ、2人だけならば何でもできるし何処にでも行けるのだから。

『なんで?』
『なんでだ?』

 ふたりの声が重なる。
 本気で不思議に思っているのが伝わってくる。

「僕がいたらふたりで過ごせないし、行けない場所もあるだろうし、できないこともあるだろうし」

『うん、それがどうかしたの?』

『ふたりがいいならそもそも遊びに行くなんて言わないし、羽琉がいて行けない場所とか、できないことって何だ?』

『え、羽琉の行きたくない場所とかやりたくないことじゃなくて?』

『それ、羽琉の希望聞けばいいだけじゃないのか?』

『だよね』

 電話の向こうでのやり取りに、僕のことを気遣って尊重してくれるやり取りに泣きそうになってしまいグッと唇を結ぶ目の前でこのやりとりを見せられていたらきっと泣いてしまっていただろう。

『羽琉?』

 僕が無言になったのを心配したのか、優しい声色で伊織が名前を呼んでくれる。【あの子】なんて言い方をせずに大切に呼ばれる自分の名前が嬉しくて、それでも湿った声を聞かせたくなくて意思表示をするために「ん?」と短く返事をする。

『こっちで盛り上がっちゃってごめん。
 とりあえず療養先決まったら教えて?
 遊びに行くし、療養先で何か出来ることがないか調べるから』

『羽琉も一緒にやりたいこととかあったら考えておいて。
 急に悪かったな、長くなったけど疲れてないか?』

「大丈夫。
 伊織も政文もありがとう」

『こちらこそ、連絡くれてありがとう』

『もし羽琉が連絡しずらいときは隆臣さん経由でも大丈夫だからな』

「うん。
 明日の診察の後でまた連絡するね」

『『分かった』』

 重なった言葉にふたりの仲の良さを感じて知らず知らずのうちに微笑んでしまう。伊織と政文と過ごす時間は快適だ。

「じゃあ、また連絡するね」

『待ってるから』

 そんな言葉で終わった会話。
 電話をする前は悲観的な気持ちになっていたのに、このまま夏の間中この場所で過ごす事になるのかもなんて思っていたのに、伊織と政文と過ごすことを考えると気分が軽くなる。
 もし叶わなくても、明日、相談して駄目だと言われたとしてもふたりが僕のために言ってくれた言葉だけで疎まれてばかりなわけではないのだと思う事ができる。
 駄目だと言われても、それをふたりに伝えたとしても心配をさせてしまう事はあっても喜ばれることはないだろう。

 思った以上に燈哉と涼夏の会話にダメージを受けていたのだと再確認するけれど、それ以上に伊織と政文の言葉に救われる。

「燈哉もこんな風に約束してるのかな…」

 浮上したはずの気持ちを沈ませる必要はないと思いつつ、それでも考えてしまう【ふたり】のこと。

 伊織と政文は相変わらず仲が良くて、良好な関係のせいか校内でも公認の中で、それでも諦めきれずに声をかけるΩの子もいるけれど、ふたりがブレる様子は全く無い。
 そのせいで僕とふたりが一緒にいる事に対して燈哉は寛容だったはずなのに、涼夏が現れたせいで僕の日常は大きく変化してしまった。

 そもそも燈哉は何をどうしたいのだろう?

 僕にマーキングを施し、僕を縛り付け、僕を支配する。ネックガードと頸の間に舌を這わせ、僕の欲望を煽るくせに唇を重ねるだけのキスすらしてくれない。
 僕にヒートが来ていなくてもキスをすることはできるし、舌を絡めることも身体を重ねることだってできる。それなのに僕が能動的に振る舞う事が許せないのか、マーキングする時には後ろから押さえつけるようにされるため抵抗もできないし、必要以上に僕が近づこうとすればさりげなく身体を離されてしまう。
 マーキングだって、以前のように正面から抱きしめてくれたら背中に腕を回す事ができるのに。そうしたら一方的に押さえつけられる恐怖から逃れる事ができるかもしれないのに。
 そんな風に燈哉を受け入れる準備はできていると意思表示すらできないまま、気付けば【あの子】と名前すら呼んでもらえない関係になってしまっていた。

 僕の前ではあの子のことを涼夏と呼ぶのに、涼夏の前では羽琉ではなくて【あの子】と呼ぶ燈哉はそれでも僕のことを手放す気はないのだろうか。

 涼夏の残り香をさせるのは涼夏に触れるから。

 マーキングするくせに僕が触れようとすると逃げるのは僕の香りを残したくないから。

 マーキングされているうちは僕の方が優位に立っていると思い込もうとしたけれど、そもそもの立ち位置が違っていたのだろう。
 いつまでも夢を見ていた僕が馬鹿だったのかもしれない。

〈療養って、どこにいくか決めた?〉

 燈哉の事を考えたくなくて気持ちを切り替えようと隆臣にメッセージを送る。

《まだですが?》

《希望がありますか?》

 すぐに返ってきたメッセージ。
 希望と言われても具体的な場所を思い浮かべる事ができないため曖昧な希望を伝える。

〈あまり遠くじゃないところ〉

〈あと、移動しやすいところ〉

《移動ですか?》

《移動は車ですよ?》

〈僕じゃなくて〉

 伊織と政文の事を伝えようと思うものな説明が難しくてメッセージが止まってしまう。ふたりが来てくれると素直に伝えていいものかと考え、指が動かなくなってしまう。

《伊織さんと政文さんには連絡しましたか?》

 先に動いたのは隆臣だった。
 沈黙に耐えかねたのか、僕の答えを待たずに送られてきたメッセージ。

〈うん〉

〈療養先に遊びに来たいって〉

〈宿題、一緒にやろうって〉

《それで遠くなくて移動のしやすいところですか?》

〈うん〉

〈駄目?〉

《駄目じゃないですよ》

《良さそうな場所、調べてみます》

〈お願い〉

《じゃあ、しっかり食べて体力戻さないといけないですね》

〈ちゃんと食べてるよ?〉

《差し入れ、期待しててくださいね》

 あれほど差し入れはいらないと言ったはずなのに、諦める気のない隆臣に〈たくさん持ってきても食べられないからね〉とだけ返しておく。そう言っておかないと、備え付けの冷蔵庫がいっぱいになるくらい持ってきそうだ。

《明日は昼頃に伺いますので今夜はしっかり寝て、体力の回復に努めてくださいね》

〈分かった〉

《こちらを出る前に連絡します》

〈了解です〉

 そんな風に終えたメッセージ。
 落ち込んでいた気持ちが浮上したのは聞いてしまった【ふたり】の会話を自分を気遣ってくれる【ふたり】との会話で上書きしたせいなのか、それとも隆臣の気遣いのおかげなのか。

 少しだけ前向きになったおかげで今夜は眠れそうな気がした。

 
 
 






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