Ωだから仕方ない。

佳乃

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真綿に隠された針。

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 2限目も保健室で過ごし、身体の強張りも取れたため保健医に教室に戻ると告げて服装を整える。
 ジャケットは脱がされていたけれど、スラックスは履いたままだったためシワが気にならないことに安心する。

「顔色も悪くないからいいと思うけど、何かあったら戻って来てもいいから」

 その言葉にお礼を告げて教室に向かうけれど、その足は重い。

「羽琉ちゃん、また保健室?」

「教室までひとりで大丈夫?」

 揶揄いとも心配とも取れる言葉が聞こえるけれど、「あれ、でも燈哉のマーキング」と誰かが言い出す。

「そう言えば朝から中庭で、」

「何それ、燈哉君の本命って誰?」

 朝からあんなことを燈哉にされたのを見られていたのだろう。好奇と憶測が入り乱れる。
 2人きりになりたくないからと中庭を選んだけれど、こんな事になるなら人目に付かないところで話せばよかったと後悔する。そう言えばあの時、伊織と政文の声が聞こえた気がしたけれど、ふたりにはまた燈哉と過ごすと告げなければいけないのだと気付き思わずため息が溢れる。
 燈哉とふたりで過ごすのは正直気が進まないけれど、今朝のようなことを繰り返されると思うと拒否することは賢い選択だと思えない。
 僕は流され、従うしかないのだ。

「Ωだから仕方ない」

 おまじないなのか、呪いなのか、その言葉をまた自分に言い聞かせる。
 何かを言いたそうな視線に晒されながら歩くのは苦痛だ。αにしても、Ωにしても、そしてβでさえ燈哉の態度とマーキングのせいで僕を遠巻きにする。そのせいで守られているのだから不満を口にするのは許されないのだと分かっていても、自分の置かれた状況を考えるとそれならば誰か代わってくれと言いたくなってしまう。

「羽琉、もう大丈夫なの?」

 教室に戻った僕に声をかけたのは燈哉で、クラスメイトは僕を遠巻きに見ているだけ。伊織は何か言いたそうな顔をしているけれど、燈哉にマーキングされた僕に遠慮しているのだろう。

「大丈夫」

 短く答えて自分の席に着くとスマホの振動がメッセージが来たことを伝える。

《大丈夫?
 燈哉が今まで通りって言ってるけど、羽琉はどうしたい?》

 直接話しかけられないせいか、そんなふうに送られて来たメッセージに〈燈哉の言う通りにする〉と答えることができず、言いたいことはたくさんあるのにその言葉を飲み込む。
 本当は伊織と政文と一緒にいたいし、燈哉のことは怖くて仕方がない。
 彼、涼夏のことは気になるし、周りの視線は憐れみと嫌悪が入り混じっているようで居た堪れない。
 だけど、強いαである燈哉からマーキングを受けていれば直接的な影響は少ないだろう。そう思えば燈哉に従うのが一番良い選択肢なのだと諦めるしかない。

《大丈夫?》

 きっと色々と要約した言葉なのだと頭で理解していても、その無責任な言葉に少しだけ苛立つ。

 大丈夫なんかじゃない。

 大丈夫であるわけない。

 でも、それを伝える術は僕にはないから〈大丈夫 ありがとう〉とだけ返信する。

 気付いて欲しい。

 気付かないで欲しい。

 燈哉が怖い。

 だけど、燈哉から離れられない。

 何事もなかったかのように授業を受け、昼休みは燈哉と過ごす。伊織と政文は何か言いたそうな顔をしていたけれど、僕が困ったような顔で「大丈夫だから」と言えばそれ以上何も言えないはずだ。

 中等部の頃のように過ごす毎日は燈哉に守られて真綿に包まれたような毎日だけど、その真綿の中に隠された針は僕を怯えさせ、少しずつ少しずつ僕を傷付けていく。

 あれから涼夏の香りを纏っていることはないけれど、時折香る残り香を燈哉は隠すことをしなくなった。その事が僕を少しずつ少しずつ傷付けていく。
 残り香に気付いても何も言わないと気付けば今度は涼夏のことを話すようになる。
 僕に対して甘いと思っていたけれど、僕に対する甘さと涼夏に対する甘さが違うと気付くのはすぐだった。

 それは残酷な真実。

 燈哉の僕に対する甘さは愛玩動物に対するそれで、僕を甘やかし、僕を支配する。
 僕が意に沿わないことをすれば躾と称して威嚇で従わせ、僕の動きを封じることに戸惑いを見せることはない。

 だけど涼夏のことはその意思を尊重し、意に沿わなければ折衷案を考え2人の気持ちをすり合わせるのだと嬉しそうに口にした燈哉は僕の変化に気付くことはない。
 きっも、涼夏に対して威圧で従わせるなんてことはしないのだろう。

 大切にするふりをしているだけで、僕のやられていることは虐待と同じだ。

 燈哉に好かれなければ。

 燈哉の言葉に従わなければ嫌われてしまうかもしれない。

 嫌われてしまったら僕は独りになってしまうのだから、燈哉の言葉は絶対。

 そんなふうに自分に言い聞かせるけれど、自分と涼夏の扱いの差に気付いてしまう度に苦い澱が蓄積され、真綿に隠された針は少しずつ少しずつ僕の傷を広げていく。

 そんな毎日を送っていてストレスが溜まらないわけがない。

 ご飯を食べても美味しくない。

 ベッドに入ってもなかなか寝付けない。

 マーキングと称して燈哉が車に乗り込めば硬直するし、車から降りようとするとマーキングされた自分を恥じて足が竦む。
 燈哉のマーキングは日を追うごとに執拗になり、はじめは頸に唇を落とすだけだったその行動はやがてネックガードでは隠れない首筋に舌を這わすようになり、僕が拒否できないと気付けばその隙間から舌をねじ込み、僕の頸に直接触れるようになっていった。
 舌をねじ込むことはできても噛むことはできない。だけどデリケートな部分を執拗に舐められ、恐怖が振り切れるのはすぐだった。
 恐怖で動悸が早くなるのを快楽からくる興奮だと思えばその音に、その舌の熱さに吐息が漏れる。
 隆臣は保護者がわりだと言っても燈哉の存在を父親が黙認しているせいで何もいうことができない。
 もうやめて欲しい、そう思っても燈哉の威嚇が怖くて従うことしかできない。

 授業中は誰からも干渉されないから落ち着いていられるけれど、休み時間は燈哉に見張られている気がして休まらない。

 本当は学校に行くのも億劫だけど隆臣に心配かけたくはないし、そんなふうに思っているのに少しでも長く燈哉の隣にいたい、自分の知らない間に涼夏と番になって欲しくないと思ってしまう自分に戸惑い、結局は学校に行ってしまうのだ。

 少しずつ少しずつ蝕まれていくけれど、それでも燈哉といたいと願ってしまう。

 時折顔を合わせる父は僕の変化に気付くことなく「燈哉君とは仲良くしてる?」と微笑む。
 きっと燈哉のマーキングを微笑ましく思っているのだろう。
 父に燈哉のことを告げれば悲しむだろうし、父に知られれば父親に知られることになる。その時、僕に与えられる選択肢は家を離れて然るべき施設の併設された学校に転校するか、父親が選んだαとの縁を結ぶしかない。

 その選択肢は以前ならば考えることすら拒否していたけれど、最近はそれも悪くないのかと思い始めている。
 転校すれば燈哉と涼夏が一緒にいたとしても僕には関係ないし、父親の選んだαと縁を結べば燈哉のマーキングも必要なくなる。

 今は燈哉の近くにいなければいけないと自分に言い聞かせて過ごしているけれど、物理的に離れてしまえば燈哉に庇護される理由も無くなるのだ。
 それはとても名案に思えた。



「羽琉、最近食欲無い?」

 今日も昼休みは燈哉と一緒だけど今朝見た光景が頭から離れず全くお腹が空かない。それどころか、燈哉が近くにいるだけでお腹の中をかき混ぜられるような不快感がある。

「ごめん、燈哉。
 僕、今日無理みたい」

 そう告げると心配そうな顔を見せるけれど、「ちょっと隆臣に連絡してくる」と言って燈哉から離れれば不快感がおさまる。定期試験も終わり、暑さは日に日に増していく。
 もしかしたらこれは気温に身体がついていかないだけかもしれない、そう思い込もうとしてみても燈哉と物理的に距離ができれば不快感がおさまるのだから原因が何かなんて明らかだ。

「隆臣、ごめん。
 お弁当食べられない」

 そう言って電話をすれば「すぐに迎えに行きます」と答えてくれる。
 いつもなら少し渋るのに即答だったのは、今朝のことを隆臣も気にしていたからだろう。
 燈哉に車まで送ってもらった方がいいのかと考えながら教室に戻ると驚きの声が上がる。

「燈哉君なら多分、あそこにいると思うよ?」

 そう言って教えられた美術準備室に向かう。なんでそんなところにと思いはしたけれど、予定の変更を告げずに帰るわけにはいかないと、燈哉の許可を取らずに帰るべきでは無いと何かに駆り立てられるように向かってしまった。

 そして聞いてしまったあの会話。

「あの子、夏休みは入院するんだ。
 毎年のことだけど検査入院してそのまま過ごすか、退院してもどこかで療養だし」

「じゃあ、その間は安心だね」

 聞いてしまってその内容に「安心、か」と自嘲の笑みが浮かぶ。僕を心配しての言葉ならば嬉しいけれど、僕の不調を喜ぶようなその言葉には諦めの感情しか湧いてこない。

 邪魔者は自分なのだと再確認させられるけれど、そう言えば先ほど場所を教えてくれたのは涼夏やボクと同じ男性Ωだった思い出す。
 僕にふたりの会話を聞かせ、その仲を見せつけたかったのかもしれない。この場所を提供したのもきっと彼だったのだろう。彼は確か美術部だったはずだ。

 唯一のできた燈哉から離れず、伊織や政文から気にかけてもらっている僕は、パートナー不在のΩから嫌われているのかもしれない。
 そんなことを考えている間も聞こえてくるふたりの声。

「ならさ、その間は沢山遊べるね」

「そうだな。
 行きたい場所があれば考えておいてくれ」

 優しい声色。
 どんな顔をしているのか見たかったけれど、これ以上扉を動かせば僕の存在に気づかれてしまう。
 僕には向けない優しい声色と、僕には見せない優しい笑顔。
 僕が彼なら良かったのに。

 泣きたくなる気持ちを抑えて扉から離れる。

 教室に戻り、荷物をまとめる。
 並べて置いてあったはずの燈哉の弁当が見当たらないのは食べ終わったからなのか、涼夏と食べるためなのか。
 きっと僕が帰るだろうと予測していたのかもしれないけれど居た堪れない。

 勝手に帰って怒らせるのは得策ではないと燈哉を探したけれど、こんなことなら声をかけずにさっさと帰ればよかったと後悔する。ふたりの居場所を教えてくれたあのクラスメイトは澄ました顔をして食事をしているけれど、その表情に嘲りを感じてしまうのは僕の被害妄想なのだろうか。

 燈哉を待つ必要はないと判断して〈予定が入ったので今日は帰ります〉と歩きながらメッセージを送る。しばらく眺めていたけれど、既読が付くことはないのが答えなのだろう。

「車、出して」

 駐車場でひとりで待っていた僕を見て隆臣が驚いた顔を見せたけど、車に乗り込みそう告げれば隆臣は速やかに車を発進させる。

 後部座席に乗り込んだ僕はシートに身体を埋め、不調の原因に向き合わないままそっと目を瞑った。
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