Ωだから仕方ない。

佳乃

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〈ひとり〉と〈独り〉。

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 何が起こっているのか理解したくなかったけれど、理解するしかなかった。
 燈哉は見付けてしまったのだろう。

 付き纏う僕を気遣う視線と、収まることのない騒めき。

「羽琉、保健室行く?」

 僕の顔色はきっと良くないのだろう。
 政文がそう声をかけてくれるけれど、それに答えることができず、それでも「行こうか?」と優しく問われて小さく頷く。

「ボク、隆臣さんに連絡してくるよ」

 そう言って伊織は体育館の外に出て行った。
 燈哉がいない時には伊織がそばにいてくれることが多く、何かあった時のためにと隆臣と連絡先を交換したのは燈哉の方が先だったのか、伊織の方が先だったのか。

「大丈夫?
 無理そうなら先生呼んでこようか?」
 
 なかなか立ち上がらない僕を心配してくれるけど、保健医をここに呼ばれるのは恥ずかしいと思いゆっくりと立ち上がる。メンタルが弱い僕はその変化がすぐに体調に現れてしまうため今もきっと酷い顔をしているはずだ。
 持ち上がりで進級した同級生も、今の状況を理解している。

「羽琉、行くよ」

 僕を気遣う声や、燈哉を非難する声。
 中には僕を嘲笑うような声も聞こえるけれど、全てを無視して政文に付き添ってもらい保健室に向かうために歩き出す。

「触るなっ‼︎」

 その声が聞こえたのは政文の手が僕の背に触れた時だった。
 周囲の騒めきと迫り来る刺す様な気配。何が起こっているかは分かったけれど、何でそうなるのかが理解できない。

 『触るな』と聞こえた声は燈哉の声で、言われたのはきっと政文。だけど、僕を気遣ってくれる政文にそんな声をかける権利は燈哉には無い。

「気持ち悪い…」

 僕を放っておいたくせに僕を気遣う政文に声を荒げる燈哉が気持ち悪い。
 政文を威嚇する燈哉も、その気配も気持ち悪い。
 そもそも、今こうなっている原因は燈哉の行動なのに、燈哉が声を荒げる理由が分からない。
 蹲るのを我慢して、燈哉の声も無視をして保健室に向かおうとするけれど、思う様に足が動かない。

「大丈夫、行くよ」

 燈哉の威嚇にも動じずに僕の背を押す政文も幼稚舎からの友人だからか、向けられる威嚇に動じる事なく僕の背中をそっと押してくれる。

「政文っ‼︎」

 燈哉の声が、燈哉の威嚇が僕を震えさせる。足が止まりそうになるけれど、政文が威嚇を遮断するように背後にいてくれるせいでなんとか歩けている状態だ。

 体育館の中は燈哉の威嚇のせいか、シーンと静まり返っている。持ち上がりで入学した生徒が多いのだから何が起こっているかなんて一目瞭然だろう。

 自分が囲っていたΩをαが手放すわけがない。Ωにとって番となるαは唯一だけど、αは頸を噛むだけでΩの事を無限に番にできてしまうのだから。
 だから、〈自分だけのΩ〉を見付けても〈誰かのΩ〉を番にすることだってできてしまう。

 〈燈哉のΩ〉が見つかったのに政文を威嚇するのは〈自分が庇護してきたΩ〉、僕のことを自分の所有物だとでも思っているからなのかもしれない。

「政文、羽琉に触るな」

 燈哉の気配が近づいてくるけれど、顔を上げる事ができないまま足を進める。背中に当てられた政文の手だけが今の救いだ。

「ねぇ、急にどうしたの?
 なんか皆んな、怯えてるよ?」

 燈哉の言葉に被せられる声。
 高くもなく、低くもなく、耳に心地良い声は誰のものだろう?

「涼夏、ちょっと待ってて」

 燈哉の威嚇に動じることのないその声と、聞き覚えのない名前。
 そして、その声に向けられる燈哉の優しい声色。
 声の主は、涼夏と呼ばれたのは燈哉の腕に抱かれていた彼の事だと理解する。
 Ωなのに燈哉の威嚇に動じる事なく声をかける事ができるのは何故だろう?
 この威嚇に萎縮することなく燈哉に近づく事ができるだなんて、それだけで僕は負けを認めるしかない。

「政文、気持ち悪い…」

 負けを認めてしまった途端、どうしようもなくて足が止まってしまう。お腹の中をグチャグチャと掻き回されるような感覚。目の前が暗くなって蹲ってしまう。

「羽琉っ」

 燈哉が近づいてくる気配がする。

「嫌っ、怖い」

 無意識に口から出る言葉。

「政文、助けて」

「えっ、羽琉?」
 
 政文の焦った声と「大丈夫、保健医呼んできたから」と告げられる優しい声。聞き覚えのある声だけど、それを誰かの判断も付かない。

「政文、許すから羽琉のこと保健室まで連れて行ってあげて」

「わかった」

 そのやり取りで声の主が伊織だと気づく。隆臣に電話をした後で保険医を呼びに行ってくれたのだろう。

「先生、政文が連れて行きますから」

 そんな伊織の声が聞こえてふわりと身体が浮く。蹲った僕を政文が抱き上げてくれてのだろう。「止めろ」とか「羽琉に触るな」なんて燈哉の声が聞こえたような気がしたけれど、「煩いっ」と先ほどとは全く違う鋭い伊織の声が聞こえる。
 伊織も幼稚園からずっと一緒だし、政文も伊織もαだからか2人揃えば燈哉の威嚇に怯むこともない。

「伊織、ごめん」

 頼るしかないのだけど申し訳なく思いそう告げると「政文の方が力あるしね」と優しく返してくれる。
 政文も伊織もαであってもΩに対して恋愛的な感情を持つ事がないと公言しているし、普段から気にかけてくれているせいで安心して身を任せてしまう。

「隆臣さんに連絡しておいたから大丈夫だからね」

 αだけどΩに間違われることの多い伊織は嫉妬深く、必要以上に僕に触れることも触れられることも良しとしない。ただ、嫉妬ももちろんあるのだけれど僕がΩであるが故の配慮もあって、もしも僕の唯一に出会った時に余計な〈匂い〉を纏っていてはいけないからと常々政文にも言い聞かせている。
 燈哉に対しては僕のことを唯一であるように扱っていたため容認していたけれど、どうやらそれは先ほどの行動によって覆されることになるらしい。

「燈哉は羽琉じゃなくてもいいみたいだし。ほら、そっちの子が不安そうにしてるよ。
 羽琉のことはボクたちに任せてくれたら大丈夫だし、隆臣さんにももう連絡したから」

 自分に言われているわけでもないのに突き放されるような言い方にどうしていいのか分からなくなる。「羽琉、気にするな」と政文に言われても感情のコントロールができず涙がこぼれ落ちる。

「伊織、羽琉泣いてるから止めとけ。
 燈哉はこっち来るな」

 政文の言葉に反論するような声が聞こえたけれど、何を言っているのか聞き取る事ができない。苦しくて苦しくて、悲しくて切なくて。
 僕を選んでくれたと思っていた燈哉は唯一を見つけたのだろう。
 普段なら僕に寄り添って、僕を守ってくれていたのに〈抗えない者〉を見つけてしまったのだから仕方ない。
 自分にそう言い聞かせるものの目の前で起こったことを受け入れる事ができず、政文に遮断されていても気付いてしまうほどの燈哉の威嚇にますます身を竦める。

「羽琉っ」

 燈哉の声が聞こえたけれど、それに応える術も、気力も僕には無かった。

「式が始まるから戻りなさい」

「ほら、戻るよ」

 保健医の諭すような声と伊織が誰かを促す声。諭されているのはきっと燈哉だろう。まだ自分が僕を運ぶと抵抗しているのかもしれないけれど保健医に逆らうことはできないし、燈哉には外せない用事もある。

「政文、ごめん」

「気にするな」

 僕を抱えた政文は「燈哉の新入生代表の挨拶なんて興味無いし」と続ける。

「羽琉は隆臣さんが来るまで寝てれば良いから」

 その言葉に無言で頷き目を閉じる。
 頭では何が起こったのか理解しているのに、それを受け入れたくなくて気持ちがついていかない。言葉に出せない想いが体内で渦巻いているようで気持ちが悪い。

「政文君も戻るんだよ?」

 保健医の言葉に「え~?」と異論の声をあげるけど、全て予定調和のやり取り。僕を保健室のベッドまで連れて行けば政文は体育館に戻るのだろう。

 心細いけれど、それでも〈ひとり〉になりたかった。頭の中では『Ωだから仕方ない』と言い慣れた言葉を繰り返す。

 Ωだから仕方ない。

 Ωだから〈唯一〉が現れてしまった相手を諦めるしかない。

 Ωだから〈唯一〉がいる相手に囲われる事になっても諦めるしかない。

 Ωだからαに選ばれなければ諦めるしかない。

 Ωだから。

 Ωだから。

 Ωだから。

「隆臣さん、きっとすぐ来るから」

 軽々と僕を運びベッドに横たえた政文は、そう言って僕の頭を撫でると「じゃあ、戻ります」と保健室を出る。

 清潔なシーツと消毒の香り。

「熱、測ろうか?」

 穏やかな保健医の声。

 今までなら保健室に運ばれた僕を燈哉が甲斐甲斐しくお世話してくれたのに、今の僕は〈独り〉だ。
 保健医しかいない〈ひとり〉の状態で、誰も僕を顧みない〈独り〉の状態。
 保健医は自分の居場所である保健室ではそこに組み込まれた存在だし、僕の心配はしてくれても僕の心には寄り添ってくれない。

「Ωだから仕方ない」

 入院していたあの頃を思い出して呟くように自分に言い聞かせる。

 体調を崩せば保護者に連絡が行くのが通常の対応なのに父にも父親にも連絡が行くことはなく、迎えに来るのはいつも隆臣。
 きっと、連絡があった時点でクリニックに予約を入れられているだろう。

 僕の1番近くにいるのは隆臣だけど、隆臣は僕の環境に組み込まれた〈者〉だからやっぱり僕は〈ひとり〉で、それでも〈仕事〉ではあるけれど僕に寄り添ってくれているから完全な〈独り〉ではない。

 僕の気持ちを父よりも、父親よりも、誰よりも理解しているのは隆臣だから。
 だけどβの隆臣にはαとΩの関係を理解するのは難しいようで、αの燈哉に依存し切った僕のことを、性差がはっきりする前から燈哉を頼り切っていた僕のことを心配していたことも気づいていた。

 αとΩの関係について僕のために勉強をしてくれたし、父と父親、そして僕の関係を見てきたためその性質も理解している。

 だけど、βとして生活している隆臣は変わりやすい恋愛感情を知っているから、運命に囚われず感情が変化することを知っているからこんな日が来ることを心配していたのかもしれない。

「燈哉」

 僕から離れていくだろう相手の名前を呼ぶと涙が止まらない。

「Ωだから仕方ない」

 言い聞かせながら〈同じΩなのに〉と心が波立つ。

 選ばれない僕と選ばれた彼は何が違うのだろう。

 


 
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