Ωだから仕方ない。

佳乃

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流動的な関係。

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 燈哉と僕は付き合っていたわけじゃない。
 もちろん婚約だってしていない。
 ただ、幼い頃に言われた未来の約束を僕だけが信じて、大切にしているだけ。

 幼稚舎に通う頃から僕のことを気にしてくれていた燈哉は、その後の進路が同じだったせいもあり腐れ縁のようにその関係は続いていた。
 系列の初等部、中等部、高等部と順調に進級し、そんな中で庇護する者と庇護される者として過ごしてきた僕たちは周囲からも〈そういう関係〉だと思われていたし、僕自身も「羽琉の事は俺が守るから」という言葉を信じていた。
 幼稚舎の頃から僕のことを気にして僕を守ってくれていた燈哉は、幼い頃に僕が口癖にしていた「Ωだからしかたない」を覚えていて、自身がαだと診断を受けた時にそう言ってくれたのだ。

 嬉しかった。

 隆臣に言われてから人前では口にしてはいけない言葉だと理解して隆臣の前以外では心の中で唱えていたおまじないの言葉を覚えてくれたのが嬉しくて、自分を守ると言ってくれたその気持ちが嬉しくて。
 いつも気にかけてくれて、いつも優しくしてくれる相手を好きにならないわけがない。
 だけど少しずつ少しずつ育っていったこの気持ちは僕だけが大切にしていただけで、僕たちの関係は燈哉がαだったせいで、僕がΩだったせいで、もっと言ってしまえば燈哉の義務感だけで成り立っていたのだと気付いたのは高等部に進級してすぐ。

 幼稚舎から系列の初等部、中等部、高等部と進んだ僕たちだったけど、進級する度に転校する生徒も転入する生徒もいるため友人関係に変化がないわけではない。
 仲の良かった友人が転校してしまったりすることもあるし、転入生がやってくることもある。
 中等部まではそのまま進むのに、高等部になると明確な進路の希望が出てきて外部を受ける友人もいた。
 そんな環境の中で高等部から涼夏が入学してきたのがストレスフルの始まり。

「同じクラスだったよ」

 ほとんどが系列の中等部からの持ち上がりだからかあまり新鮮味のない顔ぶれの中、車から降りた僕を見つけた燈哉はそう言いながら僕の鞄を持ってくれる。

「そうなんだ?
 3年間、よろしくお願いします」

 言葉は丁寧だけど嬉しさを隠すように少しふざけてそう告げる。高等部になるとクラス替えがないため卒業まで燈哉と同じクラスで過ごすことになる。
 燈哉が同じクラスだと告げられた時には嬉しさと安心感と、ほんの少しの期待感があった。
 身体が弱いせいかまだヒートを迎えていない僕だったけど、この3年間の間にはきっとヒートを迎えるだろう。そんな時期だから、燈哉が同じクラスならば〈その時〉にいち早く気付いてもらえるはずだ。
 そう信じていた。
 だって、燈哉は僕を守ると言ってくれてるのだから。

 そんなふうに燈哉を頼ってしまうのは些細な言葉が発端だった。

 少しずつ性差を理解してくると、Ωと診断受けたわけではないのにΩだろうと思われていた僕は早熟な同級生の揶揄いのネタにされる事もあった。

「羽琉って4月生まれのくせに小さっ」

「仕方ないよ、Ωだし」

「まぁ、あれくらい小さい方が可愛いしね」

「オレ、βだけど羽琉ならいいかな」

 そんな風に言われ、〈性〉の対象にされていることに気付き戸惑ってしまう。今まで同じ教室で友人として過ごしていた相手からの言葉に恐怖を感じてしまう。
 確かに、成長の遅い僕はαからはもちろん、βからも逃げることは不可能だろう。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 友人の言葉に身体が竦む。
 ネックガードに守られているはずの頸がチリチリする。
 本能的に守るように頸に手を伸ばして守るように押さえようとした時に、急に出てきた大きな手が僕の動きを止めた。

「ひっ」

 情けない声が出たけれど「大丈夫」と聞こえてきたのは燈哉の声だった。「そんなふうに庇ったら面白がられるだけだよ」そう言って安心させるように僕の手を握る。

「すごく無神経なこと言ってるって、分かってる?」

 僕に向けられた声とは違い、冷めたい声色でそう告げた燈哉は話をしていた友人に向かって威圧を向ける。
 ヒリヒリするような威圧にまた僕の手は頸を守ろうとするけれど、燈哉の手にそれを阻まれてしまう。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 目の前の友人たちも、燈哉の威圧も怖かった。燈哉の放つ威圧に身体が震え出す。

「ちょ、燈哉。
 羽琉が…」

 燈哉の威圧を向けられたβの友人が焦る。僕の小ささを嗤ったαの友人は青くなっているけれど、僕もきっと似たようなものだろう。
 友人の言葉で僕を見た燈哉はやっと自分のしでかしたことに気付き、慌てて威圧を抑えて「ごめん」と僕を気遣う。謝った燈哉に軽くうなづいて見せると「ごめん、ちょっと休みたい」とそのまま机に突っ伏してしまったのは仕方ないことだろう。

「さっきの、セクハラだから」

 僕の様子を見ながらそう告げる燈哉に「ちょっと冗談で」と返した友人たちは「でも羽琉、怖がってたよ」と言われて「ごめん」と答える。

「本人が嫌がったら冗談だと思って言ったこともセクハラだからね」

 冷たい燈哉の言葉に「ちょっと、悪ふざけが過ぎた」と答えた友人たちに「もういいよ」と机に伏せたまま答える。
 こんなことで僕の居場所がなくなるのは困ってしまう。だから寛容なふりをして、そんなに気にしていないふりをするしかなかった。

 まだまだこの輪の中から外れるわけにはいかないのだから。



 そんなことがあったせいで一段と過保護になった燈哉は常に僕の隣に立ち、僕を守ってくれた。
 友人たちも少しずつ性差のデリケートさを理解して自分達の振る舞いを自覚するようになると自ずと行動に現れるもので、高等部に進級した今は燈哉が心配する必要はないのだけど、この関係はずっと続くのだと思っていたんだ。

 あの時までは。

 入学式の行われる体育館に足を踏み入れた時に僕が感じたのは焦燥。
 何かがおかしいと心が騒つく。
 そして、燈哉が感じていたのは高揚だったようだ。
 体育館に入った瞬間キョロキョロとし出す燈哉はいつもなら真っ先に僕の席を確認するはずなのに、視線は他のクラスのに生徒を捉えている。
 いつもと違う燈哉の様子に不安を覚えながら様子を伺っていると「ごめん、羽琉は先に座ってて」と僕を置き去りにして歩き出す。

 この時点でいつもと違う燈哉の様子に戸惑い焦るものの、高等部に進級したのだからと自分に言い聞かせて指定された自分の席に座る。名簿順で指定された席の周りは知った顔ばかりで「燈哉は?」と声をかけられるけれど「分かんない」としか答えることはできなかった。

「珍しいね」

 そう声をかけてきたのは名簿が近いせいで仲良くなった伊織だった。

「いつもベッタリな燈哉は?」

 そう言ったのは伊織のパートナーの政文。クラスは違うけれど伊織と一緒にいることが多いせいで僕とも仲良くしてくれている。
 そして、人が変わっても言われることは同じ。
 燈哉がどうしてるのかは僕が聞きたいと思いながら「先に座ってるように言われた」と答えれば意外そうな顔をされる。

「珍しいね」

 よほど驚いたのか、同じ言葉を繰り返されてしまう。それだけ僕たちは常に一緒に行動しているというイメージが強いのだろう。
 珍しいと言われても何も答えることのできない僕は自分の席で入学式が始まるのを待つしかないのだけど、視線はどうしても燈哉を探してしまう。
 政文は自分の席に戻ることなく伊織と話し込んでいる。
 式が始まるまでにはまだ時間はあるものの、いつもなら開式ギリギリまで側にいる燈哉がいないだけで見慣れた風景が初めての場所に見える。

「ねぇ、アレ」

 そして聞こえてきた驚きの声。

「え?燈哉君?」

「羽琉君は?」

「ちょ、アレって」

「マジで?」

 燈哉の名前と自分の名前が出た事で声の主たちの視線の先に顔を向ける。
 そこに見えたのは燈哉と、燈哉と同じくらい背の高い男子生徒が楽しそうに話しているところでふたりはとても仲が良さそうに見える。だけど燈哉と並ぶ男子生徒は見覚えが無く、高等部からの入学生だろうと誰かが言うのが聞こえた。

 見たくないのに見てしまう2人の姿。
 そして、見付けたくなかったのに見付けてしまった首元のネックガード。

 彼は、Ωだ。

 誰とでも分け隔てなく接する燈哉だから僕以外の生徒と話をする姿はよく目にしていたけれど、今の燈哉の表情にいつもは見せることのない甘さを見つけてしまう。

【運命】

 そんな言葉が思い浮かぶ。
 だけど〈運命の番〉であればお互いのフェロモンにもっと反応し合うはずなのに、そんな様子はない。
 ただ、視線を絡ませながら甘さを隠そうとしない燈哉に少しずつ視線が集まっていく。

「あれ、良いの?」

 離せない視線と気遣う視線を比べたらどちらが多いのか、そんなことを考えながら伊織の言葉に「僕たち、付き合ってるわけじゃないし」と小さく答える。

「でも」

 付き合ってるわけじゃないけど、僕の周りの人間を選別しているのは燈哉だ。だから伊織が心配するのは、周りが気遣う視線を僕に向けるのは不思議じゃない。

 気持ちが悪い。
 視線が痛い。
 燈哉の行動と周りの視線、そして見てしまった光景はこの先、ずっと僕を苦しめることになる。

「あっ」

 誰かが小さく声を上げたのは、燈哉がそっと彼を抱きしめた時だった。
 

 
 

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