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後編
海辺に理性に 4
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木製で4本の柱に屋根を乗せた簡易ガゼボとでもいう場所の下にシートを広げ、昼食をすませたところだ。
屋根の下は木陰を作るだけではなく、ほど良く涼しい風が流れていた。
ここは、ゼビロス大陸でも、さらに南に位置している。
陽射しがきついので、遮るものがなければ、ファニーの体に良くない。
あらかじめ言っておいた通り、ファウストが手配したという。
それとともに、ゼビロスにいた名も知らない「葉」が集まっていたようだ。
周囲の景色に溶け込ませていたらしく、姿は見せずにいた。
伯爵にしても、吹き抜ける風にうっすらと「葉」たちの存在を感じていたに過ぎない。
ただ、その心地良さから姿は見せずとも「葉」たちが楽しんでいるのは伝わっていた。
(申し訳ございません。伯爵様とファニー様が、こうして並んでおられるのを見るのが初めてのものも多く、浮かれ散らしているようにございます)
(好きにさせてやれ。こんな機会は稀だろうからな)
ファウストは「枝」なので、半島伝いにゼビロスへと移った。
だが、「葉」には命の期限があり、リセリアで生じたものは、皆、命が尽きている。
今となっては、ゼビロスに広がった伯爵の闇から生じたものしかいない。
ひと目ファニーを見ようとリセリアに来ることはあっただろうが、頻繁に訪れることはできなかったはずだ。
思うと、リセリアにいる「葉」に比べ、不憫に感じられる。
カーリー曰くの「浮かれ散らす」のも無理はない気がした。
(それにしても、先ほどは喩えではなく、永遠の眠りにつくかと思ったぞ)
(刺激が強過ぎにございました)
(まったくだ。どうすれば良いのだろうな……私の羊は……)
あまりにも無邪気というか、危機感がないというか。
もちろん安心感をいだいてもらっているのは、望むところではある。
とはいえ、完全に安心しきられると、それはそれで困る。
(カーリー……私は、ずいぶんと穢れてしまったようだ……邪な考えはいだかぬようにと思っていても……これでは羊に襲い掛かる狼と同じではないか)
(伯爵様、好意あるお相手に性的な魅力を感じるのは、一般的なことにございます。これまで会われた、どの女性にも、そのような衝動をお感じにはなられなかったのではございませんか?)
(ないな)
思い返すまでもない。
相手への対応を性別により区別することはあっても、男女に関わらず性的な「衝動」を感じたことはなかったからだ。
言葉ひとつで、心臓が止まるのではないかというほど、自分の「性」を意識させられたこともなかった。
性的な魅力とは異性間のものだけではない。
同性間でも有り得ることだし、魅力の感じ方も人それぞれに異なる。
伯爵は、そう考えていた。
つまり、単に伯爵が誰に対しても性的に無関心だっただけだ。
これまでは。
なのに、ファニーに対しては自制心が、パリーンと簡単に壊れる。
砕け散った自制心の欠片を拾い集めようと、まだしも理性が働いているのは救いかもしれない。
そのせいで、ほかのすべての思考が止まってしまうとしても。
(僭越ではございますが、これを機に、ファニー様とのふれあいを増やすべきかと存じます。少しでもファニー様が不快を示されるようであれば、それを線引きとなさればよろしいのでは?)
(しかし……)
読み間違えて「一線を越えてしまったら」と思い、返答に躊躇する。
「あっつっ!!」
声に驚いて、ファニーの姿を探した。
砂浜から海辺まで歩いて行こうとしていたようだ。
慌てて立ち上がり、ファニーに駆け寄る。
「砂が熱かったのですね?」
「はい。こんなに熱いとは思わなくって」
ファニーは、左右の足を交互に上げ下げしていた。
どういうことだと、伯爵は怪訝に感じる。
が、カーリーに呼びかける前に、ナタリーが追って来た。
「伯爵様、ファニー様をおかかえくださいませ」
「なに……?」
「海に入ろうにも、これではファニー様が痛い思いをなさいます。伯爵様がかかえて海に入ってくだされば痛い思いもなさらず、溺れる心配もなく、安心ではございませんか」
「な、ナタリー、それは伯爵様に申し訳な……」
「あなたが嫌でなければ、そのようにしましょう」
感情が、理性をも蹴飛ばしてしまった。
カーリーやナタリーが仕組んだことだとわかっていて、乗っかっている。
そもそも2人は、伯爵と「共感」しているのだ。
もっと彼女と親しくなりたいという、心の底にある想いを悟られたのだろう。
「私は嫌じゃないですけど、本当にいいんですか? 子羊より重いですよ?」
「かまいませんよ。あなたをかかえるくらい、どうということもありません」
物理的には。
蹴飛ばした理性を引き戻しつつ、伯爵はファニーの足元に跪く。
そして、両手を広げて見せた。
「さあ、こちらに。首につかまってください」
ひょいっと抱きあげることもできたが、力加減に不安がある。
エティカのことで、ファニーは「頑丈」だと言っていたが、安心しきれずにいた。
「それじゃあ……よろしくお願いします……」
ファニーが近づいて来て、伯爵の首に、そろっと両腕を回してくる。
肩に、ファニーの髪が、さわさわとふれていた。
心臓が止まるかもしれない。
一瞬、そう思ったが、むしろ鼓動は速まっている。
ファニーに露見するのは避けたいので、早々に立ち上がることにした。
ファニーの両膝の裏に右腕を入れ、持ち上げながら立ち上がる。
「わあ! 私まで背が高くなったみたいです、伯爵様!」
「このまま海に入りますが、怖くはないですか?」
「はい! 伯爵様と一緒なら、ちっとも怖くないです!」
ファニーの明るい声と笑顔に、伯爵も微笑み返した。
───私の可愛い大事な羊……どうか私を後ろ足で蹴飛ばさないでおくれ。
屋根の下は木陰を作るだけではなく、ほど良く涼しい風が流れていた。
ここは、ゼビロス大陸でも、さらに南に位置している。
陽射しがきついので、遮るものがなければ、ファニーの体に良くない。
あらかじめ言っておいた通り、ファウストが手配したという。
それとともに、ゼビロスにいた名も知らない「葉」が集まっていたようだ。
周囲の景色に溶け込ませていたらしく、姿は見せずにいた。
伯爵にしても、吹き抜ける風にうっすらと「葉」たちの存在を感じていたに過ぎない。
ただ、その心地良さから姿は見せずとも「葉」たちが楽しんでいるのは伝わっていた。
(申し訳ございません。伯爵様とファニー様が、こうして並んでおられるのを見るのが初めてのものも多く、浮かれ散らしているようにございます)
(好きにさせてやれ。こんな機会は稀だろうからな)
ファウストは「枝」なので、半島伝いにゼビロスへと移った。
だが、「葉」には命の期限があり、リセリアで生じたものは、皆、命が尽きている。
今となっては、ゼビロスに広がった伯爵の闇から生じたものしかいない。
ひと目ファニーを見ようとリセリアに来ることはあっただろうが、頻繁に訪れることはできなかったはずだ。
思うと、リセリアにいる「葉」に比べ、不憫に感じられる。
カーリー曰くの「浮かれ散らす」のも無理はない気がした。
(それにしても、先ほどは喩えではなく、永遠の眠りにつくかと思ったぞ)
(刺激が強過ぎにございました)
(まったくだ。どうすれば良いのだろうな……私の羊は……)
あまりにも無邪気というか、危機感がないというか。
もちろん安心感をいだいてもらっているのは、望むところではある。
とはいえ、完全に安心しきられると、それはそれで困る。
(カーリー……私は、ずいぶんと穢れてしまったようだ……邪な考えはいだかぬようにと思っていても……これでは羊に襲い掛かる狼と同じではないか)
(伯爵様、好意あるお相手に性的な魅力を感じるのは、一般的なことにございます。これまで会われた、どの女性にも、そのような衝動をお感じにはなられなかったのではございませんか?)
(ないな)
思い返すまでもない。
相手への対応を性別により区別することはあっても、男女に関わらず性的な「衝動」を感じたことはなかったからだ。
言葉ひとつで、心臓が止まるのではないかというほど、自分の「性」を意識させられたこともなかった。
性的な魅力とは異性間のものだけではない。
同性間でも有り得ることだし、魅力の感じ方も人それぞれに異なる。
伯爵は、そう考えていた。
つまり、単に伯爵が誰に対しても性的に無関心だっただけだ。
これまでは。
なのに、ファニーに対しては自制心が、パリーンと簡単に壊れる。
砕け散った自制心の欠片を拾い集めようと、まだしも理性が働いているのは救いかもしれない。
そのせいで、ほかのすべての思考が止まってしまうとしても。
(僭越ではございますが、これを機に、ファニー様とのふれあいを増やすべきかと存じます。少しでもファニー様が不快を示されるようであれば、それを線引きとなさればよろしいのでは?)
(しかし……)
読み間違えて「一線を越えてしまったら」と思い、返答に躊躇する。
「あっつっ!!」
声に驚いて、ファニーの姿を探した。
砂浜から海辺まで歩いて行こうとしていたようだ。
慌てて立ち上がり、ファニーに駆け寄る。
「砂が熱かったのですね?」
「はい。こんなに熱いとは思わなくって」
ファニーは、左右の足を交互に上げ下げしていた。
どういうことだと、伯爵は怪訝に感じる。
が、カーリーに呼びかける前に、ナタリーが追って来た。
「伯爵様、ファニー様をおかかえくださいませ」
「なに……?」
「海に入ろうにも、これではファニー様が痛い思いをなさいます。伯爵様がかかえて海に入ってくだされば痛い思いもなさらず、溺れる心配もなく、安心ではございませんか」
「な、ナタリー、それは伯爵様に申し訳な……」
「あなたが嫌でなければ、そのようにしましょう」
感情が、理性をも蹴飛ばしてしまった。
カーリーやナタリーが仕組んだことだとわかっていて、乗っかっている。
そもそも2人は、伯爵と「共感」しているのだ。
もっと彼女と親しくなりたいという、心の底にある想いを悟られたのだろう。
「私は嫌じゃないですけど、本当にいいんですか? 子羊より重いですよ?」
「かまいませんよ。あなたをかかえるくらい、どうということもありません」
物理的には。
蹴飛ばした理性を引き戻しつつ、伯爵はファニーの足元に跪く。
そして、両手を広げて見せた。
「さあ、こちらに。首につかまってください」
ひょいっと抱きあげることもできたが、力加減に不安がある。
エティカのことで、ファニーは「頑丈」だと言っていたが、安心しきれずにいた。
「それじゃあ……よろしくお願いします……」
ファニーが近づいて来て、伯爵の首に、そろっと両腕を回してくる。
肩に、ファニーの髪が、さわさわとふれていた。
心臓が止まるかもしれない。
一瞬、そう思ったが、むしろ鼓動は速まっている。
ファニーに露見するのは避けたいので、早々に立ち上がることにした。
ファニーの両膝の裏に右腕を入れ、持ち上げながら立ち上がる。
「わあ! 私まで背が高くなったみたいです、伯爵様!」
「このまま海に入りますが、怖くはないですか?」
「はい! 伯爵様と一緒なら、ちっとも怖くないです!」
ファニーの明るい声と笑顔に、伯爵も微笑み返した。
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