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後編
素朴さに忍耐に 1
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手に鞄を持ち、明らかに「わくわく」しているファニーに、胸が痛くなる。
可愛らしいと愛らしいが過ぎるのだ。
うっかり頭を撫でたくなったが、我慢する。
この前、カーリーに言われた言葉が頭の隅に引っ掛かっていた。
不用意なことをして「性的倒錯者」だと思われたくない。
思っていた以上に、年齢の壁を感じている。
同じくらいファニーが身分の壁を感じていると、伯爵は知らないのだ。
そのため、なかなか2人の距離は縮まらない。
互いの前にそびえる「壁」の質が、完全に異なっている。
「ファニー様、お荷物は、私がお持ちいたしましょう」
「お気遣いありがとうございます。でも、そんなに重くないので大丈夫ですよ」
カーリーの申し出に、ファニーがにこやかに返事をした。
残念がっている感覚が、伯爵に伝わってきて、少し面白い。
枝葉を統括していても、カーリーはファニーとの直接の関わりが少ないのだ。
ナタリーを羨ましがっているのは、自分だけではないらしい。
「あれ? 伯爵様の荷物はないんですか?」
伯爵も、カーリーも鞄などの荷物らしきものは手に持っていなかった。
カーリーは鍵を持たずとも「鍵穴」のある場所には、どこにでもいける。
そもそも「鍵」は、人が「鍵穴」を使えるよう物質化したものなのだ。
よって、カーリーは、いつでもどこからでも必要なものを用意できる。
「ほとんどは向こうで調達します。こちらの物は、あちらでは使えませんので」
「私の鞄にも、寝間着とかしか入ってないんですけどね」
ファニーが伯爵邸に泊まった際に、ナタリーが用意した寝間着を、最近のファニーは着ているそうだ。
生地が軽く開放感があるとのことで、ファニーも気に入っているらしい。
日常生活的な「報告」は、きちんと伯爵の耳に入っている。
入って来ないのは「内緒話」だけだ。
「それじゃあ、水着もゼビロスで買うんですか?」
「そうなりますね」
答えながら、にっこりする。
ゼビロスはリセリアよりも暑いが、水深の浅い海辺もたくさんあった。
人々は、海での水遊びを夏の楽しみにしている。
(カーリー)
(手配済みにございます)
カーリーが手配済みであれば、心配はいらない。
人で溢れた海辺に、ファニーを連れて行く気はなかった。
彼女はゼビロスに行くのも、海に入るのも初めてなのだ。
大勢の視線を気にしながらでは、楽しめなくなってしまう。
なにより不埒な目で、ファニーを見られたくない。
よって、とある海辺を借り切った。
伯爵とファニーが行く日は、この4人以外立ち入り禁止。
とはいえ「偶然」に入り込む輩がいないとも限らない。
悪意はなくとも、何気なく通りすがることもある。
(葉に落ち葉へと指示させ、周囲を隠す手筈も整えてございます)
(霧は周囲だけにしておけ。ファニーには綺麗な景色を見せたい)
(かしこまりました)
伯爵にとって、ゼビロス人は敵ではなくなった。
半島を襲っていた頃とは、ゼビロスも変わったのだ。
ファニーに危険が及ぶようなことはない。
過剰な警戒は窮屈だ。
「実は水着が高過ぎて買えなかったら、下着でいいかなって思ってたんです。でも、ナタリーから刺激が強過ぎるって言われたので……」
話の後半が、耳からすうっと抜けて行く。
それとともに、魂もスーッと抜けそうになった。
「下着には、ひらひらなんてついてないですし……」
ファニーは平気で話しているが、伯爵は平気ではない。
倒れそうだ。
あらぬ想像をしないよう、必死で耐えている。
自分は年長者であり、性的倒錯者でもない。
が、倒れそうだ。
「ファニー様、刺激が強過ぎるかと存じます」
「カーリーの言う通りにございますわ、ファニー様。私が必ず、なんとしても水着をご用意いたします」
「安いので、お願いね」
「承知いたしました。水着のことは、私にお任せくださいませ」
「服のことは任せてばっかりで悪いけど、私はアテにならないから、任せるよ」
3人の会話を聞いているうち、伯爵の時間が戻ってきた。
伯爵は「刺激の強い」話を頭から振りはらう。
下着姿や下着同然の姿をした女性を見たことがないとは言わない。
状況によっては、妖艶な下着をつけた女性を見たこともある。
だが、それは戦場で傷ついた女性や、伯爵に取り入ろうとした女性だ。
傷ついた女性には体を隠す布や服を与え、取り入ろうとしてきた女性たちからは即座に目をそらし、追いはらっていた。
相手に特別な好意をいだいていなかった伯爵にあったのは、善意と拒絶のみ。
───彼女は純朴で、なのに無自覚に大胆なところがある。
伯爵が最も好意をいだき、愛おしく思っている女性、それがファニーだ。
だからこそ、その口から出る「下着」との言葉は刺激的に過ぎる。
「伯爵様、ゼビロスには、2日の滞在予定となってございます。本日は、宿泊先の主に、ご挨拶いただきたく存じます」
「いいだろう。明日は、ゆっくりと散策をしたいからな」
伯爵が番人の鍵を取り出した。
ファニーが、きょとんと首をかしげている。
その顔をみつめて、伯爵は、くすっと笑った。
「ゼビロスには、少々、ツテがある、と言ったでしょう?」
可愛らしいと愛らしいが過ぎるのだ。
うっかり頭を撫でたくなったが、我慢する。
この前、カーリーに言われた言葉が頭の隅に引っ掛かっていた。
不用意なことをして「性的倒錯者」だと思われたくない。
思っていた以上に、年齢の壁を感じている。
同じくらいファニーが身分の壁を感じていると、伯爵は知らないのだ。
そのため、なかなか2人の距離は縮まらない。
互いの前にそびえる「壁」の質が、完全に異なっている。
「ファニー様、お荷物は、私がお持ちいたしましょう」
「お気遣いありがとうございます。でも、そんなに重くないので大丈夫ですよ」
カーリーの申し出に、ファニーがにこやかに返事をした。
残念がっている感覚が、伯爵に伝わってきて、少し面白い。
枝葉を統括していても、カーリーはファニーとの直接の関わりが少ないのだ。
ナタリーを羨ましがっているのは、自分だけではないらしい。
「あれ? 伯爵様の荷物はないんですか?」
伯爵も、カーリーも鞄などの荷物らしきものは手に持っていなかった。
カーリーは鍵を持たずとも「鍵穴」のある場所には、どこにでもいける。
そもそも「鍵」は、人が「鍵穴」を使えるよう物質化したものなのだ。
よって、カーリーは、いつでもどこからでも必要なものを用意できる。
「ほとんどは向こうで調達します。こちらの物は、あちらでは使えませんので」
「私の鞄にも、寝間着とかしか入ってないんですけどね」
ファニーが伯爵邸に泊まった際に、ナタリーが用意した寝間着を、最近のファニーは着ているそうだ。
生地が軽く開放感があるとのことで、ファニーも気に入っているらしい。
日常生活的な「報告」は、きちんと伯爵の耳に入っている。
入って来ないのは「内緒話」だけだ。
「それじゃあ、水着もゼビロスで買うんですか?」
「そうなりますね」
答えながら、にっこりする。
ゼビロスはリセリアよりも暑いが、水深の浅い海辺もたくさんあった。
人々は、海での水遊びを夏の楽しみにしている。
(カーリー)
(手配済みにございます)
カーリーが手配済みであれば、心配はいらない。
人で溢れた海辺に、ファニーを連れて行く気はなかった。
彼女はゼビロスに行くのも、海に入るのも初めてなのだ。
大勢の視線を気にしながらでは、楽しめなくなってしまう。
なにより不埒な目で、ファニーを見られたくない。
よって、とある海辺を借り切った。
伯爵とファニーが行く日は、この4人以外立ち入り禁止。
とはいえ「偶然」に入り込む輩がいないとも限らない。
悪意はなくとも、何気なく通りすがることもある。
(葉に落ち葉へと指示させ、周囲を隠す手筈も整えてございます)
(霧は周囲だけにしておけ。ファニーには綺麗な景色を見せたい)
(かしこまりました)
伯爵にとって、ゼビロス人は敵ではなくなった。
半島を襲っていた頃とは、ゼビロスも変わったのだ。
ファニーに危険が及ぶようなことはない。
過剰な警戒は窮屈だ。
「実は水着が高過ぎて買えなかったら、下着でいいかなって思ってたんです。でも、ナタリーから刺激が強過ぎるって言われたので……」
話の後半が、耳からすうっと抜けて行く。
それとともに、魂もスーッと抜けそうになった。
「下着には、ひらひらなんてついてないですし……」
ファニーは平気で話しているが、伯爵は平気ではない。
倒れそうだ。
あらぬ想像をしないよう、必死で耐えている。
自分は年長者であり、性的倒錯者でもない。
が、倒れそうだ。
「ファニー様、刺激が強過ぎるかと存じます」
「カーリーの言う通りにございますわ、ファニー様。私が必ず、なんとしても水着をご用意いたします」
「安いので、お願いね」
「承知いたしました。水着のことは、私にお任せくださいませ」
「服のことは任せてばっかりで悪いけど、私はアテにならないから、任せるよ」
3人の会話を聞いているうち、伯爵の時間が戻ってきた。
伯爵は「刺激の強い」話を頭から振りはらう。
下着姿や下着同然の姿をした女性を見たことがないとは言わない。
状況によっては、妖艶な下着をつけた女性を見たこともある。
だが、それは戦場で傷ついた女性や、伯爵に取り入ろうとした女性だ。
傷ついた女性には体を隠す布や服を与え、取り入ろうとしてきた女性たちからは即座に目をそらし、追いはらっていた。
相手に特別な好意をいだいていなかった伯爵にあったのは、善意と拒絶のみ。
───彼女は純朴で、なのに無自覚に大胆なところがある。
伯爵が最も好意をいだき、愛おしく思っている女性、それがファニーだ。
だからこそ、その口から出る「下着」との言葉は刺激的に過ぎる。
「伯爵様、ゼビロスには、2日の滞在予定となってございます。本日は、宿泊先の主に、ご挨拶いただきたく存じます」
「いいだろう。明日は、ゆっくりと散策をしたいからな」
伯爵が番人の鍵を取り出した。
ファニーが、きょとんと首をかしげている。
その顔をみつめて、伯爵は、くすっと笑った。
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