伯爵様のひつじ。

たつみ

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後編

誤解に倒錯に 1

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「完成しましたね!」
「思いのほか手間取りましたが、これで私も牧場生活が始められます」
 
 伯爵の隣に立ち、ファニーは出来上がったログハウスを見上げる。
 すべて木製だが、小屋とは違い、頑丈そうだ。
 真隣にあるファニーの家と横幅は同程度だが、高さがあるので大きく見えた。
 
 1階の裏手にはバルコニー、2階には窓がある。
 部屋は、1階と2階に、合わせて4室。
 1階には、調理場と食堂を兼ねた部屋と、広い風呂もあるのだ。
 
 ファニーの家にも「風呂らしき」ものはあった。
 だが、浴槽を置いてあるだけで、沸かした湯と水を調整しつつ、入れなければならない。
 湯を沸かすのも大変だし、沸かした湯を繰り返し浴槽に運ぶのも大変なので、冬場以外は、ほとんど水風呂ですませていた。
 
 とはいえ、ナタリーが来てから、驚くほど「風呂の準備」が早くなっている。
 なにしろ牧場から帰って来ると、すでに用意ができているのだから。
 
 が、しかし。
 
 伯爵の建てた家にある風呂は見たことのない種類の物だ。
 なにをどうやっているのかはわからないが、浴槽に取りつけられているレバーを下げると、ほど良く暖かい湯が出てくる。
 火を焚いているわけではなく、地面の下で熱を加えているのだとか。
 
(熱を加えたお湯が出てくる前に、濾過されてるんだっけ)
 
 だから、安心して入れる、と伯爵は語っていた。
 なにがどう安心なのかはともかく、便利なことは間違いない。
 
「風呂は、いつでも使っていただいてかまいませんよ」
「えっ?」
「あ、いえ、その際、私は家の外に出ますから、ご心配には及びません」
「そ、そういう心配はしてません……」
 
 恥ずかしさに顔が熱くなって、ファニーは体を縮こまらせる。
 伯爵が「覗き見」をするだなんて考えてもいない。
 ただファニーにとって風呂は贅沢な代物だったので、驚いただけだ。
 逆に「覗き見」を疑っていると誤解されたのが恥ずかしかった。
 
「私の裸を見たがる人なんていないですよ」
 
 そう言って、ははは…と笑ってみせる。
 体型を気にしたことはないが、魅力的とは言い難いと、わかっていた。
 なので、価値もないのに「覗き見」を警戒する自意識過剰な奴だと思われたことのほうが、恥ずかしかったのだ。
 
「ファニー、無警戒はいけません。実際、ポール・カーズデンは、あなたを襲おうとしたではありませんか」
 
 あれは、支援金目的の嫌がらせに過ぎない。
 ファニーは、自分に男性を惹きつける魅力があったからだ、とは思えずにいた。
 ポールからも散々こき下ろされていたし。
 
(伯爵様、気を遣ってくれてるんだ。私が女性的じゃないってことを気にしてるって思ってるのかも……)
 
 確かに、伯爵といると気になることもある。
 身だしなみが大雑把なことや顔のそばかすとか。
 だからと言って、急に自分を変えることはできない。
 しかも、気になるのは、伯爵の前でだけだ。
 
 ファニーは、伯爵を見上げる。
 金色の瞳が、いつもながらファニーの心を鷲掴み。
 うっかり思ったことが口からポロっと。
 
「……伯爵様にだけは見られたくないかも」
 
 自分の貧相な体を。
 
 ほかの人なら見られても平気というわけではないが、頬を引っ叩くくらいですませられる。
 だが、相手が伯爵となれば、恥ずかしさが先に立つだろう。
 
「ファニー、私は……けして、そのような不埒な真似はいたしません」
「え……? あ! いえ! 伯爵様がお望みなら、いくらでも見てもらっていいんですけど、見ても楽しくないっていうか、伯爵様に見せられるようなものじゃないっていう意味です!」
 
 伯爵の誤解を慌てて訂正しようとしたため、よけいに恥ずかしいことを口走ってしまった。
 ファニーは体を硬直させ、なのに、視線は伯爵からそらせなくなっていた。
 伯爵の瞳が細められる。
 ひどくゆっくりとした動きに見えた。
 
「では……ああ、いや……そうしたことは気にせず、気軽に風呂を使っていただいてかまわないと言いたかったのです」
 
 ちゃぷん。
 
 自分が浴槽につかっている姿を想像しようとしたのだが、失敗。
 浮かんできたのは、伯爵の姿だ。
 暑くなったので、伯爵は以前よりも、もっと薄着になっている。
 広く開いた胸元が、目の前にちらついていた。
 
「わ、わあ! た、楽しみですねえ! その時はお願いします!」
 
 不埒なことを考えているのは自分だ。
 ぶんっと頭を振り、視線を無理やりに伯爵から引きはがす。
 夢想はやめようと、せめて本人の前ではやめようと決めていたのに無理だった。
 
「そ、それじゃあ、私は仕事に行ってきます!」
 
 近くにいると想像してしまいそうなので、とにかく離れることにする。
 ファニーは体を返すと、後ろも見ずに駆け出した。
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