伯爵様のひつじ。

たつみ

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前編

節度と程度 2

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 ディエゴは、伯爵の「葉」だ。
 カーリーや「枝」とは違い、これまで直接のやりとりをしたことはなかった。
 土壌が木に養分を与え、生かしているのだとしても、枝先にある多くの葉の1枚1枚まで認識はしない。
 
 カーリーは土壌に張った根から、伯爵の感覚や意思までをも読み取る。
 そして「枝」は、カーリーという名の木の幹と繋がっているので、場合よってはカーリーを媒介として伯爵の呼びかけに応じられる。
 だが、「葉」は、木の幹に繋がっていない。
 
 自らを生かしている土壌との距離が、あまりにも遠いのだ。
 
 経験や知識の蓄積が「枝」の能力差となるのだが、そもそも「葉」は1度きりの生に時を費やすのみ。
 己の役割をまっとうし、潰える。
 経験や知識を積み上げることのない存在だった。
 
 カーリーですら、直接やりとりしようとすると認識するのに手間取るという。
 とはいえ、数多いる「葉」の中で、特別な輝きを放つものもいるのだそうだ。
 人に例えるのならば、持って生まれた「才能」とでも言えるだろう。
 そのため、生じた時期に関係はない。
 
 その内の1人が、ディエゴだった。
 
 伯爵は、ふっと笑う。
 ディエゴを形容するカーリーの言葉を思い出したのだ。
 
「カーリー曰く、あれは冬枯れの森で凍りつきながらも必死で枝にしがみついている葉のような者だそうです。ファニーは、どう思われます?」
「そうですね。私が、その葉っぱを見たら、きっと頑張れって言いたくなります。木枯らしなんかに負けるなーって。それに、落ちないでって心配もします」
 
 言い終わったあと、ファニーが目を、ぱしぱしっとさせた。
 それから、笑う。
 
「ディエゴさんが気さくなのもありますけど、許してしまう空気が周りにできちゃうんですね」
「なんとなく、自然にそうなるようです」
 
 しかも、ディエゴ本人は意識していないらしい。
 やれと言われたことを、ディエゴのやりたいようにやる。
 すると、勝手に同調する者が現れ、一定の動きができる。
 
「人は強制されると不満をいだき、本来の力を発揮しようとはしません。いえ、しようとしても、できないのです。逃げ足のほうが速くなるほど。ですが、自らで選んだ志だと思えば、持っている以上の力を出します。戦場にいれば、ディエゴは良い将になっていたでしょう」
「それは、今の世でも通用しますか? 周りは貴族だらけですし、ディエゴさんは……リセリア人じゃないので……」
 
 ファニーが戸惑ったような表情を浮かべていた。
 心配する気持ちは、よくわかる。
 キルテス伯爵領に接しているのは、元カーズデン男爵家領地だけではない。
 むしろ、男爵領は狭く、ほかの領地のほうが接している場所が広いほどだ。
 
 なのに、なぜカーズデン男爵が伯爵領に手を出してきたのか。
 
「周りの貴族たちは、伯爵領に手を出して大丈夫なのかどうかを見定めていたと考えられます。周りの貴族が結託していることにも気づかず、踊らされていたのはカーズデンだけ。生贄にされているとも知らずに」
「支援金目的だと思ってたんですけど、そうじゃないなら、伯爵領に接してるほかの貴族から嫌がらせされるんじゃないですか?」
「しばらく大きく動くことはないと思いますよ。カーズデンが無事ではいられませんでしたからね」
 
 周囲の貴族を牽制するためにも、カーズデンを粛清した。
 彼らが生贄にカーズデンを選んだのは、爵位や領地の狭さからだけではない。
 あの領地が、ちょうど隣接している5つの貴族領の真ん中に位置していたからだ。
 
 半島に雪崩れ込むのに、うってつけの場所。
 
「もとより彼らは、カーズデンを生かしておく気などなかったのです」
「え……っ? 伯爵様が手を下さなくても?」
 
 ファニーの丸くなった目を見つめ、うなずいてみせる。
 形は変わっても、戦はなくならない。
 そして、戦場には「謀略」がつきものだ。
 
「口実さえあれば、いつでも引き金を引けるように準備をしていたでしょうに」
 
 伯爵は、微笑みを浮かべる。
 小柄で栗色の髪、輝く薄茶色の瞳を持つ、そばかすの可愛らしい女性を、心から愛おしく感じた。
 彼女がいなければ目覚めることはなかったし、伯爵領も奪われていただろう。
 
(感傷に浸り過ぎた)
(その手で創り上げられた国を残されたかったのでございましょう)
(それこそ感傷以外のなにものでもない)
 
 眠りにつく前、カーリーにくだした命令が3つある。
 城塞を守り、ゼビロスと西方を支配下におけるように動くこと。
 ファニーの先祖であるエルマーの一族と騎士団に支援金を渡すこと。
 国の情勢を見守ること。
 
(自分の領地が奪われることはないと高を括っていた)
(人にとっては長き時が流れました)
 
 ゼビロス人に領地が襲撃されないための手は打っていた。
 だから、自分が姿を現わさずとも領民は安心して暮らせると思い込んでいたのだ。
 ところが、今となっては、領民はファニーただ1人。
 守ろうとした民から見捨てられ、伯爵領は孤立している。
 
(しかしながら、男爵領は、最早、伯爵領と同義にございます)
(ほかの貴族どもは迂闊に手は出せまい。となれば、頼る先はひとつ)
(皇帝、でございましょう)
(首都のみならず、ほうぼうで貴族を抱き込み、皇帝に言うだろうさ。半島で叛逆の兆し有り、とでもな)
 
 あまりに、じっと見つめ過ぎたからか、ファニーがうつむいてしまった。
 頬が、ほんのり赤く染まっている。
 
(私は、私の羊を守れさえすればいい)
(騒ぎを起こすのは、いつでも愚か者にございます)
(くだらん。いちいち相手をしていれば、国を創り直すことになる)
(それならそれでよろしいではございませんか、伯爵様)
 
 うつむいているファニーに声をかける。
 
「裏切った者と裏切られた者の共通点は、なんだと思いますか?」
「人を信じられなくなることです」
「ほう。躊躇のない答えでしたね」
 
 ファニーが顔を上げ、困ったように笑った。
 が、すぐに視線を床に落とす。
 
「私は領地の人が離れていくのを裏切りだと感じてました。それに、事情があったのは理解してても騎士団が離れていった時に、もう誰も信用できないって思ったんです」
 
 ファニーの言葉に胸が痛んだ。
 父親を殺され、孤立無援となり、どれほど心細かったことか。
 それでも、ファニーは、この地に、伯爵の元に留まった。
 理由を、伯爵は知っている。
 
「でも、裏切ったほうも同じですよね」
 
 再び、ファニーは顔を上げた。
 まっすぐに伯爵の目を見つめている。
 
「裏切りを肯とするなら、自分だって、いつか誰かに裏切られるかもしれない。そう考えてしまうはずですから、信じられる相手なんてできっこないです」
 
 薄茶色の瞳が、きらきらと輝いていた。
 小さくて愛らしいのに、ファニーの心は強い。
 自らを利己的だと言い、人の持つ欲や醜さを認めてなお、自分なりの正しさを貫こうとしている。
 
「あっ! さっきの、誰も信用できないっていう“誰も”の中に、伯爵様は入ってません! 私は伯爵様を信じてます! だから、頑張れたっていうか……」
「私も、あなたを信じています」
 
 ぱあっと、ファニーの表情が明るくなった。
 嬉しそうに、にっこりして言う。
 
「もちろん、なにがあっても、私は伯爵様の味方です」
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