伯爵様のひつじ。

たつみ

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前編

快と不快と 3

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 伯爵は、今朝も古風な貴族服を身に着けている。
 今時の貴族は髪を短くしているそうだが、切らずにおいた。
 ファニーが「肖像画」の姿を気に入っていると知ったからだ。
 もとより時流に合わせるつもりもない。
 
 さりとて。
 
「昨今、シルクハットをかぶる男は少ないらしいな。肖像画にも描かれていないし、かぶらないほうがいいだろうか」
「伯爵様がそうなさりたいのであれば」
「あまりに仰々し過ぎる。それに、いっそう年を食っているように見えるのが、どうにも気に入らん」
「他領地に出向かれるのではございませんので、正装でなくともかまわないのではないでしょうか。ファニー様も、気になさらないと存じます」
 
 うむ、とカーリーにうなずいてみせる。
 が、すぐに別のことが気になり始めた。
 
「女性の家を朝から訪ねるというのは、どうなのだ?」
「ファニー様は早起きにございますから、気になさらないと存じます」
「では、贈り物を用意したほうがよいだろう? 宝石を詰めた樽を……」
「伯爵様、ファニー様は貴族の女性ではございません。そのような大層な贈り物をされれば、逆に恐縮されてしまうかと存じます」
「しかし……」
 
 手土産もなく、朝から女性の家を訪ねるのは気が引ける。
 とはいえ、カーリーの言うことも、もっともだと思った。
 ファニーは贅沢を望んでいない。
 婚約者として伯爵家に自ら居座ることもできたのに、さっさと帰ってしまったほどに欲がないのだ。
 
「それでは花をお持ちになってはいかがでしょう?」
「花か。ならば、薔薇……いや、あれには棘がある。花束にするには……」
「棘を処理したものを、1本だけお持ちになれば良いかと」
「1本? それは貧相に過ぎるのではないか?」
「伯爵様、ファニー様が慎ましいかただとご存知にございましょう」
「そうか。そうだな」
 
 答えると、カーリーが用意していたかのごとく、1輪の薔薇を差し出して来た。
 白色を選んだのは、自分とカーリーの感覚が、ほかの枝葉えだはより強く共有されていることを示している。
 薔薇を贈り物と決めた際、伯爵は「白」をイメージしていたのだ。
 
 手の中にある花を、くるんと回して見つめていた伯爵の眉がひそめられる。
 カーリーは無表情だが、同じ感覚を持っているのがわかった。
 花を持っていないほうの手を軽く振ってみせる。
 自分が対応する、という意味だ。
 
(どうした、ナタリー。ファニーに、なにかあったのではないだろうな)
 
 ナタリーから伝わってくる感覚に「危険」はない。
 だが、どうしようもなく「不快」だった。
 
(リーストンの娘が来ております)
(あれには、カーズデンのところにいろと指示したはずだが?)
 
 ちらっとカーリーに視線を投げる。
 カーリーが、小さくうなずいた。
 ということは、指示を無視したらしい。
 
(ファニーは、あれを気にかけていた。どういうことだ、ナタリー)
 
 ファニーとリーストンの娘は懇意ではなさそうだった。
 それでも、ファニーが気にかけていた相手だ。
 ナタリーが、なぜこうも「不快」になっているのかが、わからない。
 
(……ファニー様に不遜な態度を取り、困らせているからにございます)
(困らせている?)
(こちらに戻れるよう伯爵様に進言しろと、ファニー様に命じております)
(ファニーは?)
(伯爵様のお決めになられたことに口を挟むのを躊躇ためらっておいでです)
 
 伯爵は、ふっと口元を緩める。
 ファニーならば、いくらでも口出しをしていいのに、と思ったのだ。
 
───私の羊……お前が望むのなら、なんでもくれてやるのに。
 
 けれど、ファニーは、多くを望まないと知っている。
 手にした白い薔薇を見つめた。
 ファニーは宝石よりも、1輪の花に喜ぶ。
 そういう女性なのだ。
 
(言いたいことがあるなら、私に言えと言っておけ。すぐに行く)
(かしこまりました)
 
 なににせよ、ファニーを困らせているのであれば、捨て置くことはできない。
 ナタリーの不快感は、伯爵のものでもある。
 
「私の目覚めとともに、騎士団は存在価値を失った。気づいていないとはな」
「愚かな者にございます」
 
 カーリーの声にも不快感が混じっていた。
 伯爵が鍵を取り出すと、なにもない空間に鍵穴が現れた。
 これは伯爵の持つ「番人の鍵マスターキー」のみに付与された能力だ。
 
 扉がなくても鍵を持てば、鍵穴を出せる。
 加えて、鍵は伯爵の意思によってのみ発現するため、盗まれることもない。
 何をどうしているのか詳細は不明だが、深い眠りにつく前、カーリーが作って持ってきた物だ。
 
 さらに、カーリーは、その劣化版を作り、150年ほど前からキルテス伯爵領の資金源とした。
 ほかにもいくつか資金源はあるが、税収がなくとも領地を維持するに十分以上な額となっている。
 
 鍵を回し、なにもない空間に足を踏み出した。
 2歩目は必要なく、ドアの内側に立っている。
 
「伯爵様、ご案内いたします」
 
 出迎えたナタリーが向かった先は食堂だ。
 4人掛けのテーブルに向き合って、ファニーとリーストンの娘が座っている。
 飛び上がるようにして、ファニーが立ち上がった。
 口元に笑みを浮かべ、ファニーへと歩み寄る。
 
「お、おはようございます、伯爵様!」
「昨夜は疲れたでしょうに、あなたは働き者ですね。これで少しは気持ちが癒されるといいのですが」
 
 言って、薔薇を差し出した。
 ふわぁっと、ファニーが嬉しそうに顔をほこらばぜる。
 見ると、胸があたたかくなった。
 彼女は感情を隠すことなく、ありありと表現するのだ。
 
「ありがとうございます。とっても綺麗です!」
「喜んでいただけたのなら、私も朝から押しかけて来た甲斐がありました」
 
 ファニーの薄茶色の瞳が、きらきらしている。
 思わず、栗色の髪にふれたくなったが、無闇に女性にふれるのは不躾だと思い、やめておいた。
 
「ところで、何か困ったことはありませんか?」
「え……えーと……? あ……人員の確保が必要なんですけど、それは、まぁ……おいおいと言いますか……」
 
 ははっと、少し困ったようにファニーが苦笑いする。
 ファニー自身は、リーストンの娘に「困らせられている」との自覚がないらしい。
 だが、ナタリーの報告と不快感からすれば、無理な要求をされていたのは間違いないのだ。
 
 枝葉に始末させるのが手っ取り早くはある。
 が、後々ファニーに気がかりを残すことはしたくない。
 適当に追いはらってしまおうと思った時だ。
 
「下賤な仕事は奴隷を買ってやらせればよろしいのです。それよりも、牧場の警護のため、騎士団を領地にお戻しください」
 
 レセリア帝国に奴隷制があるのは事実だが、帝国法に記載はない。
 別の法として、新たに制定されたものだった。
 すなわちオスカー・キルテスの立案したものではない、ということだ。
 
 リーストンの娘に向けたファニーの瞳が、不安そうに揺れている。
 
───とても、不愉快だ。ああ、とても不愉快で、不快だ。
 
 戦場で多くの者を殺した自分の理想と思想は、けして美しいものではない。
 だが、平和な帝国で、理想は消え、歪んだ思想だけが育ち続けていると感じた。
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