52 / 64
にっこりしてください 4
しおりを挟む
キーラが自分の腕の中にいる。
ぬくもりを全身で感じていた。
心が自然に凪いでいく。
にっこりしているキーラは、やはり可愛らしかった。
その彼女の両手が伸びてくる。
両の頬をつつまれた。
(口づけの心構えをしておかねば。先ほどは準備ができておらず、ほとんど覚えておらぬからな)
などと考えながら、目を伏せるべきかで悩む。
目を伏せてしまうと、キーラの顔が見えない。
さりとて、口づけとは、そういうもののような気もする。
ダドリュースは、むむ…と、顔をしかめた。
「ちょっと! そういうことじゃなくて!」
「目を伏せぬほうが良いのか?」
「違う! おっかない顔するの、やめてってこと!」
「おっかない?」
自分のことなので、よくわからない。
まだ心が少し錆び錆びしている気はするけれども。
「ほら! にっこりして!」
キーラが猫目を細めている。
どうやら自分は怖い顔をしているようだ。
視線だけを、ちらっと周囲に向けてみる。
なにか嫌な気分になった。
「だが……あやつらは、私から、お前を奪おうとした」
「しょうがないじゃん。私が諜報員だっていうのは事実なんだから」
「そのような些末なことで、お前を殺そうとしたのだぞ」
「些末って……国を平和に保っておきたいって気持ちでしょ?」
ダドリュースは、ムと口をへの字にする。
いくらキーラの言うことでも、納得できかねたのだ。
「たとえ、どのような重大な情報が漏れようと、魔術を封じられようと、国を守るのが、あの者どもの役割だ。情報を盗まれた程度で揺らぐのであれば、あのような機関などいらん」
「でも、事前に防ぐことも大事じゃない?」
「それはそうだ。だが、すべてを防ぐことなどできはせぬのだぞ、キーラ」
問題なのは、情報が漏れることではない。
漏れた場合に「備える」ことだ。
少なくともダドリュースは、そう考えている。
「あのねえ、蟻のいっけつ?って言葉があってね。どんなに大きなものでも小さな穴から致命的な崩壊を招くことがあるんだよ。あの人たちは、それを防ごうとしただけだと思う」
「お前を王宮に入れた時点で、穴を開けられたも同然ではないか」
「もお! いつから、そんなに頑固になったのっ?!」
むにゅっと、頬が掴まれた。
キーラは怒った顔をしている。
「いいから、にっこりして!」
「だが……」
「私は生きてて、死んでない! 傍にもいる! なにが不満?!」
「それは……」
「にっこりして!!」
キーラの、ぷんぷんしている姿は、とても可愛らしかった。
心に凝り固まっていた氷が融けていく。
ダドリュースは、もとより大雑把な性格でもあった。
まぁ、いいか。
キーラを見ていて、そう思った。
自然と口元に笑みが浮かぶ。
「お前は本当に可愛らしい」
髪と瞳の色は黒いままだったが、闇は遠ざかっていた。
やわらかい色が漂っている。
(こういう時にこそ、私から口づけを……)
ダドリュースは、やはりダドリュースで。
どんな時でも、残念な男だった。
キーラに口づけようと、体を前へとかしがせる。
とたん、キーラが手に力をこめた。
ぐいっと、ダドリュースの顔を上へと持ち上げる。
「今、そういう場合じゃないの。あれを、なんとかして」
視界には、流れてくる大量の星。
そういえば、と思い出した。
ダドリュースは本気だったのだ。
本気で思っていた。
キーラ以外のすべてを亡ぼす。
が、キーラは、それを望んでいないらしい。
望まれていないことをして、嫌われてしまうのは困る。
キーラは、ダドリュースの「たった1人」なのだから。
「早く! もう落ちてきちゃうじゃん!」
「案ずるな。私は、魔術の腕は確かなのだぞ」
ちょっぴり得意げに言う。
彼には自尊心や自己顕示欲はない。
が、やはり好きな女性には「いいところ」を見せたかった。
ぱちん。
ぶわっと、空に金色の輪が広がる。
世界を覆うほどの光の円だ。
落ちてきた星が、その円に当たり、砕けて消えていく。
「これでよかろう?」
キーラに、にっこりしてみせた。
褒めてもらえるかも、と期待している。
「なに、その顔」
「お前が、にっこりしろ、と言ったのではないか」
「そんな、わふわふしろ、とは言ってない。褒めてほしそうな顔されてもねえ」
「褒めてもらえぬのか? なぜだ?」
「魔術が解けて調子に乗ってるから」
確かに、そういうところはあったかもしれない。
キーラに口づけをされた直後に気づいたのだ。
自分の裡にある力が、どれほどのものか。
使う際は注意をしようと考えていたのだが、うっかり忘れていた。
なにしろ、キーラが奪われると思っていたので。
「……普通は王子様のキスで魔法が解けて、いい感じのハッピーエンドになるのにさ。逆だし、ヤバい奴になっちゃうし……まったくもう……」
「よくわからんが……私に落胆しておるのだな」
ダドリュースは、一気に、しゅんとなってしまう。
いいところを見せようとして、見事に失敗してしまったようだ。
こんな調子では、いつキーラに見捨てられるか、わかったものではない。
慣れないことはしないに限る。
今度からは、我を張らず、すぐにキーラの言う通りにしよう、と思った。
「でも、やっぱり、そういう残念王子のほうが、私は好きだけど」
好き。
言葉が、ダドリュースの頭の上で、ぐるぐると回っている。
同時に、ぽんぽんっと花も咲いた。
「では、王宮に戻り、私と……」
「それは駄目」
「なぜだ? お前も私を好いておると、今……」
言いかけて、ハッとなる。
忘れていたことを思い出したのだ。
ダドリュースは、どこまでも、非常に残念な男だった。
「そうであった! お前は病なのであったな! すぐに治療をせねば!!」
ぬくもりを全身で感じていた。
心が自然に凪いでいく。
にっこりしているキーラは、やはり可愛らしかった。
その彼女の両手が伸びてくる。
両の頬をつつまれた。
(口づけの心構えをしておかねば。先ほどは準備ができておらず、ほとんど覚えておらぬからな)
などと考えながら、目を伏せるべきかで悩む。
目を伏せてしまうと、キーラの顔が見えない。
さりとて、口づけとは、そういうもののような気もする。
ダドリュースは、むむ…と、顔をしかめた。
「ちょっと! そういうことじゃなくて!」
「目を伏せぬほうが良いのか?」
「違う! おっかない顔するの、やめてってこと!」
「おっかない?」
自分のことなので、よくわからない。
まだ心が少し錆び錆びしている気はするけれども。
「ほら! にっこりして!」
キーラが猫目を細めている。
どうやら自分は怖い顔をしているようだ。
視線だけを、ちらっと周囲に向けてみる。
なにか嫌な気分になった。
「だが……あやつらは、私から、お前を奪おうとした」
「しょうがないじゃん。私が諜報員だっていうのは事実なんだから」
「そのような些末なことで、お前を殺そうとしたのだぞ」
「些末って……国を平和に保っておきたいって気持ちでしょ?」
ダドリュースは、ムと口をへの字にする。
いくらキーラの言うことでも、納得できかねたのだ。
「たとえ、どのような重大な情報が漏れようと、魔術を封じられようと、国を守るのが、あの者どもの役割だ。情報を盗まれた程度で揺らぐのであれば、あのような機関などいらん」
「でも、事前に防ぐことも大事じゃない?」
「それはそうだ。だが、すべてを防ぐことなどできはせぬのだぞ、キーラ」
問題なのは、情報が漏れることではない。
漏れた場合に「備える」ことだ。
少なくともダドリュースは、そう考えている。
「あのねえ、蟻のいっけつ?って言葉があってね。どんなに大きなものでも小さな穴から致命的な崩壊を招くことがあるんだよ。あの人たちは、それを防ごうとしただけだと思う」
「お前を王宮に入れた時点で、穴を開けられたも同然ではないか」
「もお! いつから、そんなに頑固になったのっ?!」
むにゅっと、頬が掴まれた。
キーラは怒った顔をしている。
「いいから、にっこりして!」
「だが……」
「私は生きてて、死んでない! 傍にもいる! なにが不満?!」
「それは……」
「にっこりして!!」
キーラの、ぷんぷんしている姿は、とても可愛らしかった。
心に凝り固まっていた氷が融けていく。
ダドリュースは、もとより大雑把な性格でもあった。
まぁ、いいか。
キーラを見ていて、そう思った。
自然と口元に笑みが浮かぶ。
「お前は本当に可愛らしい」
髪と瞳の色は黒いままだったが、闇は遠ざかっていた。
やわらかい色が漂っている。
(こういう時にこそ、私から口づけを……)
ダドリュースは、やはりダドリュースで。
どんな時でも、残念な男だった。
キーラに口づけようと、体を前へとかしがせる。
とたん、キーラが手に力をこめた。
ぐいっと、ダドリュースの顔を上へと持ち上げる。
「今、そういう場合じゃないの。あれを、なんとかして」
視界には、流れてくる大量の星。
そういえば、と思い出した。
ダドリュースは本気だったのだ。
本気で思っていた。
キーラ以外のすべてを亡ぼす。
が、キーラは、それを望んでいないらしい。
望まれていないことをして、嫌われてしまうのは困る。
キーラは、ダドリュースの「たった1人」なのだから。
「早く! もう落ちてきちゃうじゃん!」
「案ずるな。私は、魔術の腕は確かなのだぞ」
ちょっぴり得意げに言う。
彼には自尊心や自己顕示欲はない。
が、やはり好きな女性には「いいところ」を見せたかった。
ぱちん。
ぶわっと、空に金色の輪が広がる。
世界を覆うほどの光の円だ。
落ちてきた星が、その円に当たり、砕けて消えていく。
「これでよかろう?」
キーラに、にっこりしてみせた。
褒めてもらえるかも、と期待している。
「なに、その顔」
「お前が、にっこりしろ、と言ったのではないか」
「そんな、わふわふしろ、とは言ってない。褒めてほしそうな顔されてもねえ」
「褒めてもらえぬのか? なぜだ?」
「魔術が解けて調子に乗ってるから」
確かに、そういうところはあったかもしれない。
キーラに口づけをされた直後に気づいたのだ。
自分の裡にある力が、どれほどのものか。
使う際は注意をしようと考えていたのだが、うっかり忘れていた。
なにしろ、キーラが奪われると思っていたので。
「……普通は王子様のキスで魔法が解けて、いい感じのハッピーエンドになるのにさ。逆だし、ヤバい奴になっちゃうし……まったくもう……」
「よくわからんが……私に落胆しておるのだな」
ダドリュースは、一気に、しゅんとなってしまう。
いいところを見せようとして、見事に失敗してしまったようだ。
こんな調子では、いつキーラに見捨てられるか、わかったものではない。
慣れないことはしないに限る。
今度からは、我を張らず、すぐにキーラの言う通りにしよう、と思った。
「でも、やっぱり、そういう残念王子のほうが、私は好きだけど」
好き。
言葉が、ダドリュースの頭の上で、ぐるぐると回っている。
同時に、ぽんぽんっと花も咲いた。
「では、王宮に戻り、私と……」
「それは駄目」
「なぜだ? お前も私を好いておると、今……」
言いかけて、ハッとなる。
忘れていたことを思い出したのだ。
ダドリュースは、どこまでも、非常に残念な男だった。
「そうであった! お前は病なのであったな! すぐに治療をせねば!!」
0
お気に入りに追加
109
あなたにおすすめの小説
【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから
gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?
こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。
「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」
そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。
【毒を検知しました】
「え?」
私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。
※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです
別に要りませんけど?
ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」
そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。
「……別に要りませんけど?」
※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。
※なろうでも掲載中
「婚約を破棄したい」と私に何度も言うのなら、皆にも知ってもらいましょう
天宮有
恋愛
「お前との婚約を破棄したい」それが伯爵令嬢ルナの婚約者モグルド王子の口癖だ。
侯爵令嬢ヒリスが好きなモグルドは、ルナを蔑み暴言を吐いていた。
その暴言によって、モグルドはルナとの婚約を破棄することとなる。
ヒリスを新しい婚約者にした後にモグルドはルナの力を知るも、全てが遅かった。
女嫌いな辺境伯と歴史狂いの子爵令嬢の、どうしようもなくマイペースな婚姻
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「友好と借金の形に、辺境伯家に嫁いでくれ」
行き遅れの私・マリーリーフに、突然婚約話が持ち上がった。
相手は女嫌いに社交嫌いな若き辺境伯。子爵令嬢の私にはまたとない好条件ではあるけど、相手の人柄が心配……と普通は思うでしょう。
でも私はそんな事より、嫁げば他に時間を取られて大好きな歴史研究に没頭できない事の方が問題!
それでも互いの領地の友好と借金の形として仕方がなく嫁いだ先で、「家の事には何も手出し・口出しするな」と言われて……。
え、「何もしなくていい」?!
じゃあ私、今まで通り、歴史研究してていいの?!
こうして始まる結婚(ただの同居)生活が、普通なわけはなく……?
どうやらプライベートな時間はずっと剣を振っていたい旦那様と、ずっと歴史に浸っていたい私。
二人が歩み寄る日は、来るのか。
得意分野が文と武でかけ離れている二人だけど、マイペース過ぎるところは、どこか似ている?
意外とお似合いなのかもしれません。笑
妹がいなくなった
アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。
メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。
お父様とお母様の泣き声が聞こえる。
「うるさくて寝ていられないわ」
妹は我が家の宝。
お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。
妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる