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にっこりしてください 2

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 遅かった、と思う。
 2人は、サシャの主の「逆鱗」に触れてしまったのだ。
 サシャは、咄嗟にヤミを庇うことで精一杯だった。
 まるで小さな子供のように、ヤミがサシャのローブにしがみついている。
 
 誰もが、口もきけずにいる。
 動くことすらできない様子だ。
 アネスフィードも配下の者も立ち尽くしている。
 
 吐く息が白い。
 息をするのも苦しいほど、空気が凍えていた。
 吸い込むたび、体も内側から凍りつくようだ。
 辺り一帯が、恐ろしいほどの静けさに憑りつかれている。
 
 サシャは、自らの主を見つめていた。
 さっきまでとは、別人のような姿。
 
 黒髪、黒眼。
 
 その姿を知らない者は、この国にはいない。
 が、実際に見た者は、ひと握りの者たちだけだ。
 遥か昔、隣国リフルワンスから戦争を仕掛けられ、たった1人で数十万の敵を退けた英雄の話が、ロズウェルドでは語り継がれている。
 のちに大公と呼ばれるようになった偉大な魔術師であり、騎士。
 
 ジョシュア・ローエルハイド。
 
 実在した人物であり、伝説のような話も史実だった。
 実際、ロズウェルドには、未だに「ローエルハイド公爵家」が存在している。
 ただ、彼らは、表であろうと裏であろうと、滅多に姿を現さない。
 王宮に属しもせず、独立独歩を好んでいるからだ。
 
「なんで……」
 
 ヤミが震える声でつぶやいていた。
 言いたいことが、サシャにはわかる。
 
 王族とローエルハイドには血縁があった。
 それは長い時の中で、多くの枝葉えだはに分かれている。
 王族の中には、少なからずローエルハイドの血が混じった者がいるのだ。
 それでも、誰でもが「力」を持っているわけではない。
 
 150年ほど前に「それ」があらわれたのは、現在ガルベリー17世と呼ばれているディーナリアス・ガルベリー。
 
 ウィリュアートン公爵家に受け継がれている文献に、そう書き記されている。
 アネスフィードは、ディーナリアスの玄孫なのだ。
 だから、ヤミは、ダドリュースに「それ」が顕れたことに驚いている。
 顕れるとすれば、アネスフィードだと思っていたからに違いない。
 
 血の濃さや近さなどとは、まったく無縁に「それ」は顕れる。
 まるで選ばれたかのように。
 
(ヤミは、それをわかっていないのだろうね)
 
 サシャは、ヤミの首にかかっているネックレスに視線を向けた。
 大公が、ユージーン・ガルベリーのために造ったとされる品だ。
 それには特殊な能力が授けられている。
 サシャは魔力顕現けんげんした際、当時は父が身につけていたそのネックレスとダドリュースに、同じ「色」を見た。
 
 黒髪、黒眼は「人ならざる者」の証。
 
 強大な力を持ち、どのようなものにも縛られることがない。
 魔力も魔術も自由自在。
 国どころか、世界までをも破滅させられる。
 
 空気がさらに冷たくなり、サシャは、ハッとなって、空を見上げた。
 キラキラと、何かが小さく輝いている。
 
(星が……星が降って、くる……)
 
 リフルワンスの敵兵数十万を皆殺しにした魔術だ。
 空から大量の星が流れ落ちて来る。
 自分では止められないと、サシャにはわかっていた。
 
 人ならざる者、その存在は、たった1人の愛する者のために在る。
 
 今、ダドリュースの心にはキーラしかいないのだろう。
 ほかの者など、どうでもいいのだ。
 彼女のためなら、どこまでも冷酷に、残酷になれる。
 同情も憐憫もない。
 そして、容赦もしないのだ。
 
 ダドリュースの瞳には闇しかない。
 
 周囲から、どれほど愚かだとのそしりを受けようが、気にすることなく、いつでも呑気にかまえていたサシャの主。
 あの、のんびりとした雰囲気は、かき消えている。
 冷淡さだけが、ダドリュースを取り囲んでいた。
 語弊はあるかもしれないが、それでも、これが本当の姿なのだ、と思う。
 
 サシャが、ただ1人、王に戴く人物。
 
 どのようなことであれ、ダドリュースが決めたことに従うと決めていた。
 彼が、この世界を不要だと判断しているのなら、それを否定する気もない。
 魔術師として優秀であればあるほど「人ならざる者」を、無条件に敬愛する。
 そして、サシャは、とても優秀だった。
 
 ダドリュースの漆黒の髪が、小さく揺れている。
 闇を宿す瞳には、感情の欠片もなかった。
 
 サシャは、ローブを掴んでいるヤミの手を離させる。
 さっきは、ダドリュースの魔術から反射的に「弟」を庇っていた。
 叛意はんいとも取られかねない行動だったと反省している。
 
(兄として、最後の情、ということにしておこうか)
 
 ダドリュースに仕える、とは、そういうことだ。
 血縁よりも、主の心を優先する。
 
(きみは気づくべきだったのだよ、ヤミ)
 
 魔術師は「与える者」から魔力を授かっていた。
 表向きは、国王が「与える者」とされている。
 が、実際には、ガルベリーの直系男子が、その責を負っていた。
 
 与える者と国王が切り離れたのは、ユージーン・ガルベリーの代のこと。
 与える者の血筋であるユージーンは宰相となり、ウィリュアートン公爵家の養子に入った。
 代わりに、直系としての血筋を持たないユージーンの弟、ザカリー・ガルベリーが、国王として即位している。
 
 ダドリュースは、ガルベリーの名を持ってはいても、直系ではない。
 ユージーンの代から「与える者」の血筋は、ウィリュアートンに移っているのだ。
 
 すなわち、現在「与える者」は、ヤミュサーレ・ウィリュアートン、ただ1人。
 
 ヤミが、ダドリュースの即位までを条件に、魔術師長代理と契約し、すべての魔力を与えている。
 その魔術師長代理が、国王と契約している王宮魔術師たちに魔力を分配しているのだ。
 予定通りダドリュースが即位した場合、ヤミはダドリュースと契約をし直し、すべての魔力を与えることになっていた。
 
 ヤミのネックレスには、すべての王宮魔術師から魔力を取り上げる力がある。
 が、ダドリュースが相手では、なんの役にも立たないのだ。
 人ならざる者に他者からの魔力など必要ない。
 
(実際、我が君はヤミとの契約前でも魔術をお使いになっておられた。不勉強に過ぎるね、きみは)
 
 たとえ1日1回であろうと、魔術は魔術だ。
 魔力がなければ発動できないはずなのに、ダドリュースは平然と使っていた。
 契約との縛りもなしに。
 
 それができるのは「与える者」の直系か、その対極にある「人ならざる者」、この2つの系譜にある者だけなのだ。
 ダドリュースは直系ではない。
 ならば、おのずと答えはひとつ。
 
(世界中に、星が降りそそぐ……)
 
 凍てついた空気の中、誰も動けずにいる。
 ダドリュースに全員が畏怖を覚え、圧倒されているのだ。
 まつ毛をわずかに震えさせただけで、全身が砕け散りそうに思えるほどの恐怖。
 ダドリュースの闇の前で、動ける者はいないだろう。
 
 サシャは、そんな人ならざる者となった主の姿を、しっかりと見ている。
 その時だ。
 
「殿下!」
 
 キーラの声だ。
 誰もが恐怖に震える中、彼女が、ダドリュースに駆け寄る姿が見えた。
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