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うっかりし過ぎです 1

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「おい。そこで、なにをしておる」
 
 キーラミリヤこと、キーラは、一瞬、びくっと体を震わせた。
 が、本当に「びくっ」としたわけではない。
 あえて、そういう態度を取っただけだ。
 そして、やはり、びくびくした様子を装いつつ、顔を上げずに言う。
 
「お、お掃除を……」
「掃除、だと?」
 
 姿は見ていないが、声の主を、キーラは知っていた。
 事前の情報は頭に入れている。
 それが、キーラの「仕事」だからだ。
 
「顔を上げよ」
「そ、そのようなおそれおおい……」
「かまわぬ。顔を上げよ」
 
 内心、しめしめと思いつつ、顔を上げる。
 そもそも、キーラは、本当に掃除中だった。
 床を磨いていたのだ。
 そのため、声をかけられた瞬間、平伏している。
 
 両手を床についたまま、相手を見上げた。
 思った通りの人物が立っている。
 
(へえ。イラストより“イケてる”じゃん)
 
 心の中でだけ使う「本当の」言葉。
 キーラは、6歳以降、こうした話しかたをしないことにしていた。
 
「見慣れぬ顔だ。最近、雇い入れになったのか?」
「さようにございます、殿下」
 
 目の前の人物は、この国の王太子だ。
 暗くて濃い金髪で、紫色の瞳をしている。
 鼻はツンと高く、瞳は切れ長で、やや吊り気味。
 厳しそうな印象はあるが、これほどの「男前」は、滅多にいない、と思う。
 背も高くて、体格も良く、鍛えていそうな印象があった。
 
(王族が鍛錬なんてさ。近衛騎士や魔術師に守られてるくせに生意気)
 
 心では皮肉っぽく悪態をついているが、顔にも態度にも出さずにいる。
 キーラは、そうした訓練を受けていた。
 
「では、出自を教えよ」
 
 そうくると思っていたので、動揺はない。
 あらかじめ作り上げられた「出自」を、少し、たどたどしく語る。
 役作りは完璧なのだ。
 
「名、名は、キーラミリヤ。男爵家……ラピストの次女に、ございます……」
「ラピストは、確か2男1女であったはず。次女がいるとは聞かぬ」
「は、はい……長女オリビアが婚姻後、わ、私は養女として迎えられました」
「養女……」
 
 なにやら王太子は思案している様子で、言葉を止めていた。
 顎に手をやり、眉間に皺を寄せているのが、なんとも様になっている。
 キーラは、警戒の度合いを上げた。
 もしかすると、もしかする。
 
(この王子……意外と、鋭いのかも?)
 
 ここは王宮。
 
 男爵家の、いち令嬢が入れるような場所ではない。
 それは、キーラも知っていた。
 貴族の爵位意識は、どこの国も変わらないのだ。
 
 大国ロズウェルドであれば、なおさらだろう。
 色々と謎が多い国でもある。
 自国が豊かであるためか、外交にはさほど力を入れていないからだ。
 
(嫌な国……自分たちさえ良ければいいっていう考えかたなんだろうな)
 
 キーラは故郷に思いを馳せる。
 豊かで平和な国ではあったが、外交努力もしていたように記憶していた。
 しかし、彼女の記憶は6歳で、ふっつりと途切れている。
 
 その歳に、キーラは、この世界に「飛ばされて」きたのだ。
 
 彼女が降り立った地は、北方の国、フィンセル。
 1年の大半は雪に覆われているという、厳しい環境の中にある。
 それでも、キーラは生き延びられた。
 フィンセルで力を持つ者に拾われたことにより。
 
「いや、おかしい。ラピストは貧しい男爵家だ。今さら、なにゆえ養女が必要か」
「それには事情が……」
「怪しき女め。役人の目は誤魔化せても、私の目は誤魔化せぬぞ」
 
 言いながらも、なぜか「ゆったり」とした足取りで、王太子が近づいてくる。
 実は、王太子、3メートルほど手前から声をかけてきたのだ。
 そのせいで、びくびく、おどおどしたフリをしつつも、大声を出していた。
 ちょっぴり「馬鹿みたいだ」と思いながらも。
 
「殿下! お待ちください!」
「いいや、待たぬ。今すぐ私が直々にあらためてやろう」
 
 さすがにキーラも焦る。
 そのまま歩いて来られると、非常にまずい。
 が、侍女ごときが王太子を力づくで止めることはできないのだ。
 
 もとより身体能力が高かった上に、十年間、みっちりと訓練を受けた。
 魔術師はともかく、近衛騎士にも負けはしないだろう。
 少なくとも、キーラは「腕」に自信はあった。
 
「殿下! 止まってください! 殿下!」
「私に指図をするとは、ますます怪しい女だな」
 
 横柄な物言いと同じく、傲慢な性格なのか、王太子は止まらない。
 キーラを睨むようにして、近づいてくる。
 一瞬、身を挺して止めるべきか迷った。
 本気を出さなくても、止めるのは容易なのだ。
 
 メジャーリーガーのアメリカ人男性と、マラソン日本代表選手の女性を両親に、キーラは産まれた。
 その遺伝子のおかげか、瞬発力も持久力も、並み外れている。
 動体視力も鍛えられているし、判断能力にも長けていた。
 
 王太子の動きは、完全に素人も素人、ど素人だ。
 隙だらけで、簡単にねじ伏せられるに違いない。
 
(でも、私、今、侍女なんだよね。力づくで止めたりしたら、よけいにややこしくなっちゃいそうだしなぁ)
 
 思いつつも、一応、王太子を止めようと試みる。
 両手を前に突き出して。
 
「殿下! したを! お足下あしもとを、ご覧になってください!」
「そのような言葉で私が騙されると思うか? 見縊みくびるでない。注意をそらせて、逃げるつもりであろう」
「違います、殿下!!」
「事が露見したゆえ焦ってお……っ……」
 
 ばっしゃーん!!
 
 王太子の足が、たらいの中に突っ込まれていた。
 そして、その盥が引っ繰り返り、顔面に、まともに水が、ぶっかかっている。
 床を拭いていた「汚水」だ。
 
(水もしたたるいい男、とか言ったら、無礼打ちになるかな)
 
 王太子は、頭からビショビショで、まさに髪から水がしたたっている。
 汚水だけれど。
 
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