理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ

文字の大きさ
上 下
281 / 304
最終章 黒い羽と青のそら

道の先には 1

しおりを挟む
 レティシアは、扉を軽くノックする。
 夕食前に帰ってきた、祖父の部屋を訪ねていた。
 
「入ってもいい?」
「ああ、かまわないよ」
 
 中からの穏やかな声に、少しだけ安心する。
 まだ、自分は手を放されていない。
 が、室内に入って、その考えが甘かったことを知った。
 
(お祖父さま……荷造り、してる……森に帰るつもりなんだ……)
 
 きゅっと、胸が痛くなる。
 ユージーンの言った「いずれ」は、そう遠くない。
 祖父は、自分の手を放そうとしているのだ。
 
「えっと……あのね……ちょっと話が、あって……」
 
 祖父が、イスから立ち上がり、レティシアの前に歩み寄る。
 頭を優しく撫でられた。
 いつも通りだ。
 けれど、いつも通りではない、とわかっている。
 
 祖父の手を、失いたくなかった。
 
 おそらく、失うことになるのだろうけれど、それでも。
 自分が動かなければ、何も変わらない。
 
「座って、話そうか」
 
 レティシアは、首を横に振る。
 腰かけてしまったら、2度と立てないかもしれない、と思ったからだ。
 祖父が、首をかしげて、レティシアを見ていた。
 
「なにかあったのかい?」
 
 穏やかで優しい口調に、泣きたくなる。
 この声も、話しかたも、言葉遣いも、何もかもが大好きだった。
 
(最初は……孫娘ってポジション最強って、思ってたのにな……)
 
 いつからかは、わからない。
 自分は、欲張りになっている。
 孫娘としてだけではなく、祖父に必要とされたくなった。
 
 欲しいのは「愛情」ではなく「愛」なのだ。
 
 己の力も、己自身も嫌っている祖父に寄り添いたいと思うのも。
 祖父と罪を分かち合いたいと思うのも。
 
(お祖父さまのことを、すごく好きだから……男の人として、好きだから……)
 
 前の世界で、恋人はいた。
 とはいえ、支えたいとか寄り添いたいとか、感じたことはない。
 ずっと一緒にいる未来さえ見ていなかった。
 
「レティ? なにか心配事があるのなら、話してごらん?」
 
 頬を、そっと撫でられる。
 ふれられるのを嫌だとも思わない。
 ふれられたいと、感じる。
 頭や頬を撫でてくれる手の感触も好きだった。
 
(ずっと……孫娘でいられたら……お祖父さまは、いつも通りを、やってくれるんだよね……私が、行かないでって頼めば、一緒にはいてくれるかもしれないけど)
 
 ラウズワース公爵令嬢が祖父の後添のちぞえ候補に名乗りを上げた時には、嫉妬もせずにいられた。
 その頃は、本当に「孫娘」として、祖父を見ていたからだ。
 なのに、以前、ユージーンが祖父のことを女性に手慣れていると言った時には、嫌な気分になっている。
 祖父の言ったことが、現実になった。
 
 『少しは嫉妬してくれてもいいのではないかな? お祖父さまを取らないで、などと言うレティが見られるかと、私は期待をしていたのさ』
 
 今、後添え候補が現れたとしたら、寛容になりきれる自信がない。
 少しどころか、大いに嫉妬するだろう。
 自分の心は、ずいぶんと醜くなってしまった。
 
(恋なんて……するもんじゃないよなぁ……家族のほうが、いいのに……)
 
 本気の恋は、諸刃の剣だ。
 楽しくて嬉しくて、幸せな気持ちになれる。
 それと同じ心で、悲しくてつらくて、嫌な気分にもなるのだ。
 
 幸せという名の安全圏には、いられない。
 
 レティシアは、恋をしてしまっている。
 だから、そこから出なければならなかった。
 
 自分で自分の心が見えている。
 気づかない振りは、お終い。
 
(死にそうになるまで、この世界が、夢だって思いこもうとしてたけど、それも、ダメだったし……今度も、ダメなんだよね……だって、ここ、夢じゃないもん)
 
 現実に、この世界は「リアル」に存在していて、祖父は目の前にいるのだ。
 心配そうに、レティシアを見つめている。
 目減りしない祖父の愛情に、いつまでも依存するのは、ズルい気がした。
 孫娘で居続けられもしないのに。
 
(ユージーンの言ってた、お祖父さまの利と……釣り合ってないじゃん)
 
 レティシアは、大きく息を吸い込んだ。
 祖父を見上げ、口を開く。
 
「私、お祖父さまのことが、大好きなんだよね」
 
 祖父の表情が、サッと変わった。
 今までの「大好き」とは、意味が違う。
 
 祖父は、レティシアのことを、いつも、わかってくれていた。
 きっと、言葉や、そこにこめられている想いも伝わっているに違いない。
 
「レティ」
 
 声に、びくっと体が震える。
 足も震えていた。
 
(あ…………)
 
 それしか、頭に浮かばない。
 自分が「別の何か」を、期待していたことに気づいたのだ。
 拒絶されるにしても、もっとやわらかいものだと、勝手に思い込んでいた。
 やんわりとなだめられるくらいのものだろうと。
 
「あ、あの……あの……」
 
 言葉が、うまく出てこなくなる。
 ただ、自分が間違えたのだ、ということは、わかった。
 これほど厳しい表情を浮かべている祖父は、見たことがない。
 
「ち、ちゃん、ちゃんと……わか、わかってる、から……」
 
 じりっと、足が後ろに下がる。
 祖父の愛情に、胡坐をかき過ぎていた。
 
 祖父は女性を断る際も、穏やかでスマート、なのに、きっぱりと拒絶する。
 さりとて、自分だけは、その枠にはいないと、高をくくっていた。
 祖父の「たった1人」との慢心があったに違いない。
 
 ひどく恥ずかしくて、悲しかった。
 
 受け入れてもらえないのは、わかっていたし、失うとも、わかっていたけれど。
 
「ちょ、ちょっとだけ……じ、時間が、あれば……だい、大丈夫……」
 
 レティシアは、無意味に笑みを浮かべる。
 恥ずかしい自分を、誤魔化したかったからだ。
 これ以上、祖父に嫌われたくなかった。
 
「お、お祖父さまに、め、迷惑、かけないよ……だ、大丈夫だから……っ……」
 
 ちゃんと孫娘に戻るから。
 とは、言い切れないまま、部屋を飛び出す。
 
 どちらに向かって駆けているのかも、わからない。
 自室に閉じこもって泣こうとか、考える余裕はなかったのだ。
 周りも見ず、ひたすら走る。
 とにかく早く立ち去ることしか、頭にはない。
 
「レティシアではないか」
 
 のんびりとした口調に、ようやく足が止まった。
 ユージーンが、薪割りの斧を置いて、近づいて来る。
 
 その姿に、ふつっと、心の糸が切れた。
 
 涙が、ぱたぱたっと、こぼれ落ちる。
 ユージーンは、一瞬だけ、表情を変えたが、すぐに戻した。
 
「ふられたか」
「そ、そ、そうだよっ! ユージーンのせいじゃんか! ユージーンが、よけいなこと言うからさあ! わ、わた、私……っ……」
 
 完全に八つ当たりだ。
 わかっているのに、止められない。
 胸が痛くて、苦しかった。
 
「お、お、お祖父さま……っ……き、きら、嫌われ……っ……ゆ、ユージーンの、せいなんだから……っ……」
「そうだな」
 
 ぐいっと、手を引っ張られ、抱き寄せられる。
 やっぱり、いつもとは違う感触だった。
 顔を押しつけているレティシアの上に、ユージーンの声が降ってくる。
 
「不足であろうが、今はこれしかない。そう思って、我慢しておけ」
 
 祖父の厳しい表情と、ユージーンの優しい声。
 どちらも悲しくて、レティシアは、涙を止められなかった。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

幸せな人生を目指して

える
ファンタジー
不慮の事故にあいその生涯を終え異世界に転生したエルシア。 十八歳という若さで死んでしまった前世を持つ彼女は今度こそ幸せな人生を送ろうと努力する。 精霊や魔法ありの異世界ファンタジー。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

ひめさまはおうちにかえりたい

あかね
ファンタジー
政略結婚と言えど、これはない。帰ろう。とヴァージニアは決めた。故郷の兄に気に入らなかったら潰して帰ってこいと言われ嫁いだお姫様が、王冠を手にするまでのお話。(おうちにかえりたい編)

稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています

水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。 森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。 公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。 ◇画像はGirly Drop様からお借りしました ◆エール送ってくれた方ありがとうございます!

ぼっちな幼女は異世界で愛し愛され幸せになりたい

珂里
ファンタジー
ある日、仲の良かった友達が突然いなくなってしまった。 本当に、急に、目の前から消えてしまった友達には、二度と会えなかった。 …………私も消えることができるかな。 私が消えても、きっと、誰も何とも思わない。 私は、邪魔な子だから。 私は、いらない子だから。 だからきっと、誰も悲しまない。 どこかに、私を必要としてくれる人がいないかな。 そんな人がいたら、絶対に側を離れないのに……。 異世界に迷い込んだ少女と、孤独な獣人の少年が徐々に心を通わせ成長していく物語。 ☆「神隠し令嬢は騎士様と幸せになりたいんです」と同じ世界です。 彩菜が神隠しに遭う時に、公園で一緒に遊んでいた「ゆうちゃん」こと優香の、もう一つの神隠し物語です。

悪役令嬢エリザベート物語

kirara
ファンタジー
私の名前はエリザベート・ノイズ 公爵令嬢である。 前世の名前は横川禮子。大学を卒業して入った企業でOLをしていたが、ある日の帰宅時に赤信号を無視してスクランブル交差点に飛び込んできた大型トラックとぶつかりそうになって。それからどうなったのだろう。気が付いた時には私は別の世界に転生していた。 ここは乙女ゲームの世界だ。そして私は悪役令嬢に生まれかわった。そのことを5歳の誕生パーティーの夜に知るのだった。 父はアフレイド・ノイズ公爵。 ノイズ公爵家の家長であり王国の重鎮。 魔法騎士団の総団長でもある。 母はマーガレット。 隣国アミルダ王国の第2王女。隣国の聖女の娘でもある。 兄の名前はリアム。  前世の記憶にある「乙女ゲーム」の中のエリザベート・ノイズは、王都学園の卒業パーティで、ウィリアム王太子殿下に真実の愛を見つけたと婚約を破棄され、身に覚えのない罪をきせられて国外に追放される。 そして、国境の手前で何者かに事故にみせかけて殺害されてしまうのだ。 王太子と婚約なんてするものか。 国外追放になどなるものか。 乙女ゲームの中では一人ぼっちだったエリザベート。 私は人生をあきらめない。 エリザベート・ノイズの二回目の人生が始まった。 ⭐️第16回 ファンタジー小説大賞参加中です。応援してくれると嬉しいです

叶えられた前世の願い

レクフル
ファンタジー
 「私が貴女を愛することはない」初めて会った日にリュシアンにそう告げられたシオン。生まれる前からの婚約者であるリュシアンは、前世で支え合うようにして共に生きた人だった。しかしシオンは悪女と名高く、しかもリュシアンが憎む相手の娘として生まれ変わってしまったのだ。想う人を守る為に強くなったリュシアン。想う人を守る為に自らが代わりとなる事を望んだシオン。前世の願いは叶ったのに、思うようにいかない二人の想いはーーー

処理中です...