理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ

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第2章 黒い風と金のいと

守るための力 1

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 大公の恐ろしさは身に沁みている。
 そう思っていた。
 が、まったくわかっていなかったことを知る。
 
 人ならざる者、自然の脅威に等しい者。
 
 その判断は、間違ってはいない。
 ただ、わかっていなかったのだ。
 暴風雨などといった、生易しいものではなかった。
 
 天変地異。
 
 何が起こるのか、自分はどうなるか。
 なにも考えられず、闇だけが広がる。
 成すすべもない。
 知らない間に昏倒していた、ということもあり得た。
 気を失うくらいですめばいいが、闇にのみこまれ、正気を失う者、死ぬ者も出るだろう。
 大公の闇とは、無意識の底にまで恐怖を叩きつけてくる。
 思考も感情も、すべてが恐れに塗り潰され、逃避すらも許されない。
 
(なんという……)
 
 ユージーンが立っていられたのは、直接に大公の力を受けていないからだ。
 そして、本当に、ほんのごくごくわずかだが、大公を知っていたからにほかならない。
 それでも、言葉が浮かんでこなくなっている。
 視界には、大公とサイラスの2人。
 サイラスは、口元を掻きむしっていた。
 
 サイラスの口には、黒い糸の×××××。
 
 さっき大公に「縫われ」ている。
 なんの動作もなかった。
 ぶっ倒れなかったのが不思議なくらい、恐ろしい光景だった。
 その糸を、サイラスが引きちぎっている。
 同時に、治癒もかけているようだ。
 点々と空いた穴が塞がっていく。
 
「おや? もうほどいてしまったのか。きみとの会話は、実に退屈極まりない。終わるまで、そのままにしておいてほしかったのだが」
 
 ぞわぞわと悪寒が、体中に這い回る。
 淡々とした口調はいつも通りだが、その声は低くて暗い。
 静かであるからこそ、なおのこと、恐ろしさが増す。
 地の底に引きずり込まれそうな気がした。
 
「大公様と、お話ができる機会を、逃すことはできませんのでね」
 
 サイラスの瞳も、暗く影っている。
 痛みは、感じていないのだろう。
 ユージーンに魔力感知はできないが、感知するまでもない。
 光る帯が、目視でも確認できていた。
 サイラスに、魔力が集まっている。
 かなりの量になることは、ユージーンにも感じられた。
 見えているのは光の帯なのに、空気がひどく重苦しい。
 
「どうやって、ここにお入りになられたのです?」
 
 サイラスは、大公がこの部屋に入ることはできない、と言っていた。
 それを前提に、レティシアを殺そうとしていたのだ。
 何か策を用いていたのは明白だった。
 大公には破れない、との自信も持っていたように思う。
 魔術に関して門外漢のユージーンには、それが何かなど、見当もつかない。
 
「レティに呼ばれたからさ」
 
 馬鹿にされたと思ったのか、サイラスが顔を歪めた。
 が、ユージーンは、大公の言葉が真実であることを感じとっている。
 レティシアが呼んだから、大公は、ここに来たのだ。
 
「彼女に、何の力もないことは存じております。魔力の量は、たいしたものですが、それだけでは何もできません」
 
 レティシアは、魔術を使えない。
 ユージーン以上に、魔術のことを知らないようでもある。
 だから、サイラスの理屈自体は、間違いではなかったのだけれど。
 
「それとも、大公様が、彼女を操っておられるのですか?」
「きみは、とても下品だ」
 
 大公は、すでにサイラスを相手にする気がない。
 会話自体に、意味はないのだろう。
 単に、サイラスの心を弄んでいるだけだ。
 
 サイラスは、大公を怒らせるために、散々あれこれと試していた。
 レティシアを傷つけたり、殺そうとしたり。
 そのために、ユージーンを利用しさえしている。
 けれど、大公はサイラスを相手にはしなかった。
 今もしていない。
 ユージーンには、それがわかる。
 
 なにを言うのがサイラスには効果的か。
 
 それを大公は知っていて、あえて会話につきあっているに過ぎないのだ。
 大公が、サイラスに言葉を与えるたび、サイラスの心は壊れていく。
 サイラスには、それがわかっていない。
 できることなら、食い止めたかった。
 けれど、どうにも手立てを見つけられずにいる。
 大公の闇に耐えるだけで、精一杯だった。
 
(おい)
 
 耳元で、小さく、ジークの声がする。
 すぐに返事ができなかった。
 少しでも大公の気をこちらに向けられれば、足元から体がバラバラになりそうだったからだ。
 
(お前、逃げたほうがいいんじゃねーか?)
 
 ジークは、いたって平気そうに、そう言う。
 いつも大公といるので、慣れているのかもしれない。
 もっとも、そうでなければ大公の「手の者」としては失格だろうが。
 
(俺が転移させてやってもいいぜ? 王宮内なら、ぶっ倒れねーだろ)
 
 逃げたい。
 こんな場所からは、一刻も早く逃げたかった。
 正直、恐ろしくてたまらない。
 せっかくジークも、逃げろと言ってくれている。
 逃げる手伝いまでしてくれるらしいし。
 
(俺も、ヒマしてるわけにいかねーからサ。とっとと決めな)
 
 逃げるなら今しかない、ということだ。
 そのありがたい提案に、乗ってしまいたくなる。
 が、視界にはサイラスがいた。
 己が何を相手にしているかも気づかず、張り合おうとしている。
 少しずつ心を削り崩されながら、それもわからず、力を誇示しようとしている姿に、胸が痛くなった。
 
 砂山の棒倒しでは、順繰りに砂を掻き取る。
 けれど、サイラスの番は回っては来ない。
 ただ削り取られ、いずれ棒は倒れる。
 
 ユージーンは、わずかに首を横に振った。
 そのくらいしか、できることがなかったからだ。
 喉に恐怖が張り付いていて、言葉は出てこない。
 それでも意志は示した。
 
(そっか。相変わらず面倒くせえ奴だな、お前って)
 
 その通りだ、と思う。
 サイラスに育てられ、サイラスに頼ってばかりいた。
 今の自分を創ってくれたのは、サイラスなのだ。
 にもかかわらず、自分は、なにひとつ、サイラスのためになることをしてやれなかった。
 サイラスの言うことを聞き、レティシアを諦めれば良かったのだろう。
 国のことなど考えず、サイラスに力を与えてやれば良かったのかもしれない。
 なのに、どちらもできずにいる。
 
(俺は……面倒くさいのだろうな……あれレティシアにも、よくそう言われる)
 
 そして、今は今で、サイラスにこだわっていた。
 なにかしてやりたかったし、できることはないかと、思ってもいる。
 けれど、やはり、どちらも「ない」のだ。
 大公の、この怒りの前では、自分がいかに無力かを思い知らされていた。
 
 『お前が余を嫌っておろうと、余にとってお前は大事な息子だ。妃との間の、たった1人の子でもある。嫌いなはずがなかろう』
 
 父の言葉が、思い浮かんだ。
 子を想う親の言葉だった。
 そうか、と思う。
 
(サイラス……たとえお前が、俺にどのような価値もおいておらずとも、俺にとってお前は、大事な育ての親なのだ……たった1人の……)
 
 親にとって子がそういうものであるのなら。
 子にとってもまた、親とはそういうものなのだ。
 騙されても、虐げられても、それでも、その手を求めてしまう。
 
(……大公……サイラスに機会を与えてやってくれ……頼む……)
 
 聞こえないとわかっていても、心の中で願った。
 大公にとって、なにより大事なのはレティシアだ。
 その彼女を殺そうとしたサイラスが、許されるはずはない。
 
 それでも、ユージーンは、繰り返し、願わずにはいられなかった。
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