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第2章 黒い風と金のいと
あの日と同じ空 4
しおりを挟む「おや、お客様のようですよ、殿下」
サイラスは、扉のほうに視線を向けた。
つられるようにして、王太子もそっちを見ている。
そして、その目が見開かれるのを、サイラスは視界の隅でとらえていた。
「案外、あちらも、殿下に気があったのですかね」
サイラスは、口元を歪めて笑う。
扉の向こうから姿を現した娘。
レティシア・ローエルハイド。
彼女が、ここにいることを、王太子も信じられないといった様子だ。
駆け寄ることも忘れている。
「なぜ、お前が……」
言いかけて、何かに気づいたらしい。
焦りが顔に出ていた。
「後ろにいるのは……」
「ザカリー! 逃げよっ! 早くッ!」
「兄上……っ……」
サイラスは、目を細める。
王太子を、弟とは会わせていなかった。
少なくともサイラスが手配をしたことはない。
「私の目を盗んで、こそこそ会っておられたと……殿下も、したたかにおなりあそばしましたねえ」
「お前に育てられたからな」
「でしょうとも」
王太子は、サイラスの思うようには育たなかった。
つまり、失敗作だ。
かと言って、今さら第2王子に鞍替えすることもできない。
「どうします? 殿下のお心次第では、私は”今まで通り”を、続けても良いと考えておりますが?」
「それは……できん」
「さようでございますか」
言葉と同時に、王太子が扉のほうに向かって駆ける。
サイラスは、左手をサッと振った。
王太子の体が、横へと吹っ飛ぶ。
「王子様っ?!」
その王太子へと、レティシアが駆け寄るのが見えた。
が、それはそのまま放置する。
「ザカリー! 逃げるのだ! 兄の頼みだ! 逃げよ、ザカリーッ!!」
サイラスの手から、光の矢が放たれる。
幾本もの矢は、扉を無視して突き抜けた。
サイラスは、溜め息をもらす。
それから、王太子のほうへと向き直った。
「兄の言うことを、よく聞く弟でよかったですねぇ」
ここで逃がしても、たいした問題ではない。
順番が前後しただけで、どうせ始末するのだ。
サイラスが始末するつもりでいるのは、ザカリーだけではないけれど。
「しかし、よく来てくださいました。大公様の孫娘、あなたには、とても大きな使い途があるのですよ」
レティシアは、床に倒れている王太子の近くにしゃがみこんでいた。
サイラスのほうに顔を向け、眉をひそめている。
「なんでこんなことするの?」
「あなたに言ってもわからないことです」
「王子様はさあ、あなたのこと大事だって言ってたんだよっ?」
「だから、どうだと言うのですか?」
命の恩人であり、育ての親。
王太子から、よく言われていた言葉だ。
しかし、それは、サイラスが、そうなるべく仕組んだことに過ぎない。
副魔術師長、ひいては魔術師長に続く道を作るために命を助けた。
自分の人形とするために育ててきた。
それだけのことだ。
心の中で、サイラスは、王太子のことを馬鹿にしてきている。
「殿下は、私を裏切ったのです。大事が聞いて呆れますね」
「裏切ったって、なんであなたにわかるのっ? 大事だから、傷つけたくないから、隠したりすることだってあるんだよっ?!」
「そうでしょうかね? 私には、後ろめたいことがあった、としか思えません」
レティシアの言葉は、サイラスにとっては、なんの意味も持たない。
そもそもの出だしを、彼女は間違えている。
サイラスは、王太子から「大事に思われたい」とは思っていないのだ。
「私は、殿下に、どんな期待もしていませんでした。にもかかわらず、勝手に王様気取りで、国の平和と安寧を語るようになって、迷惑な話です」
王太子は、ただ言うなりになっていればよかった。
期待していたことがあるとすれば、その1点に尽きる。
さりとて、その期待すら裏切られた。
もう王太子に用はない。
したくもない努力をする必要はなくなったのだ。
「王子様は王子様じゃん。国のことを考えるのが仕事でしょ? 国の平和と安寧を語って、何が悪いの? おかしいのは、あなたのほうじゃんか!」
「レティシア、よせ。俺のことは、よいのだ」
「良くない! なんで、あんな奴のこと庇うんだよ! 酷いことばっかりして、酷いことばっかり言って……っ……」
「よいのだ、レティシア」
王太子が、レティシアの体を庇うように前に出てくる。
ぴくりと、サイラスは眉を吊り上げた。
よろめきながらも、立ち上がった王太子が、サイラスと視線を交える。
レティシアも立ち上がっている。
「最初から、あなたが殿下の正妃になっていれば、こんなことにはならなかったのですがねぇ」
今となっては、もう遅い。
使いたくなかった手段を取ってしまった。
サイラスの「趣味」ではない、人から魔力を奪う魔術を発動している。
強掠という魔術だ。
サイラスは、万々が一を、考えていた。
どうしても王太子に即位させられなかった際の、最後の手段。
副魔術師長になった時から、すでに準備はしている。
が、使わずにすませたかったから、王太子に尽くしてきたのだ。
「サイラス……なぜ、このようなことを……」
さっきレティシアは、王太子が裏切ったかどうかはわからない、と言った。
大事であればこそ隠し事をすることもある、と。
(あなたは、今、どう考えておられるのでしょうね、殿下)
王太子は、自分に裏切られたと思っているだろうか。
思っていないのなら、とんでもなく間が抜けている。
強掠を使うと判断した時、サイラスは王太子を裏切ることも決めていた。
培ってきた信頼も思い入れも、全部、屑籠に放り込んでいる。
王太子のことなど、どうでもよかったからだ。
苦渋の決断ですらなかった。
サイラスにすれば、当然の帰結。
「私の目的は、魔術師長になることではない、と申し上げたはずです」
「大公とやりあって、どうなる? 命を落とすだけではないか」
「今の私には、力があるのですよ。器が魔力で満たされれば、大公様と互角に渡り合うに十分な力となり得ます」
サイラスの体には、幾筋もの魔力の糸が絡みついている。
もう少しで器は満たされるだろう。
そして、魔力は吸収され続けるため、底をつく心配もない。
思う存分に、力をふるうことができるのだ。
「ですが、大公様との戦いは、少し後にするつもりです」
サイラスは、かつての空を思い描く。
あの空が、もう1度、見たかった。
美しくも残酷な、光の流れ落ちる光景。
それは、ずっとサイラスの心を惹きつけ続けている。
あれほどに感動したことは、なかった。
「あなた方は、見ていないのでしょう? あの美しい空を」
「空……?」
彼らは、まだ生まれていなかったのだ。
見れば、きっとわかる。
「私が見せてあげますよ。数多の星が降る空を」
レティシアが唇を震わせた。
王太子の腕を、ぎゅっと掴んでいる。
「…………ギャモンテルの……」
「その通りです。史実だけでは物足りないでしょうからね。本物を、私が見せてさしあげます」
「よせ、サイラス! そのようなことをすれば……っ……」
国が亡ぶ。
そんなことは、サイラスには、とっくにわかっていた。
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