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第2章 黒い風と金のいと
王子様の決断 1
しおりを挟む彼は、孫娘の寝顔を見つめていた。
ベッドの縁に座り、その頭を撫でる。
それから、額にキスを残して部屋を出た。
公爵家の中の、自室に引き上げる。
そこには、グレイが待っていた。
彼は、室内にあるソファに腰かける。
立っているグレイに、イスは勧めなかった。
座りたければ座ればいい、と思っている。
彼に、貴族的なこだわりはない。
ただ屋敷勤めをしている者たちは、慣習にとらわれていた。
促されなければ、腰をかけようとはせずにいる。
が、今、ここに、レティシアはいないのだ。
あえて促す必要を、彼は感じない。
グレイの意思に任せている。
「これから、おそらく面倒なことになる」
グレイは、表情を引き締め、わずかにうなずいた。
彼の口調に、いつもの軽口めいた調子がないことに気づいているのだろう。
緊張感が伝わってくる。
彼は、グレイを信頼していた。
(やはり執事には向かないね)
騎士としての選択をしたことを「強く」叱責したが、それは屋敷から離れさせるために過ぎない。
そもそも、グレイをこの屋敷に残したのは、彼だ。
何かあった時、身近にいられない彼の代わりに、レティシアを守れるようにと考えてのことだった。
「動きがあった時、きみには、屋敷の者を守ってもらいたい」
グレイが、黙ってうなずく。
彼の言わんとしていることを、理解しているのだろう。
レティシアは、彼が守る。
近くにいられるのだから、人の手を借りる必要はない。
が、彼の孫娘には、大事な者が多いのだ。
「きみも含めて、だ。わかっているね、グレイ」
レスターの時のような戦いかたは許さない、と言外に伝えた。
彼女にとって「ウチのみんな」の命は、等しく重い。
1人でも欠ければ、傷つき嘆くのが、目に見えている。
「大公様が、レティシア様をお守りすることに専念できるよう努めます」
彼は、軽く眉を上げ、グレイの言葉に応えた。
グレイを「普通」の執事に格下げはしたが、優秀なのは認めている。
十歳の頃から、グレイは、彼に尽くしていた。
けして、死んでもいい者だとは思っていない。
さりとて、グレイは騎士なので、ともすれば己の命を引き替えにする。
だから、釘を刺したのだ。
「サリーは素晴らしい女性だ。そう思わないかね、グレイ?」
「え……? は……あの……大公様……」
唐突な言葉に、グレイが戸惑っている。
しかし、彼は、とても真面目に話しているのだ。
「サリーを失うのは、レティにとって、大きな痛手になる。もちろん、きみにとってもだ。違うかね」
「……違いません」
サリーは、心が強く、聡明な女性だと思っている。
15歳の頃、彼が声をかけ、公爵家に連れてきた。
追い詰められた様子ではあったが、サリーは「公爵家で働かせてくれ」と嘆願はしなかったのだ。
彼の問いに、ただ淡々と答える姿を思い出す。
『王宮とは関わりたくはございません』
なぜ王宮勤めをしないのかと聞いた彼に、サリーは、きっぱりと、そう答えている。
とても潔かった。
なぜなら、彼は「大公」であり、息子は「宰相」だったからだ。
王宮と関わりたくない、などと言えば、働き口にはなり得ない。
本来的には、だけれども。
「わかっていればいい。あとは、いつでも対処ができるようにしておきたまえ」
「かしこまりました」
グレイが頭を下げてから、退室する。
扉が閉まったとたん、声がした。
「サイラスが、なんかやらかすのか?」
ジークが、彼の隣に立っている。
イスの背もたれに肘をつき、その手に顎を乗せていた。
「そう遠くはないね」
予感や直感ではなく、彼は筋を見通している。
サイラスはせっかちで、かつ、サイラス自身が思うより単純なのだ。
道をいくら分岐させ、枝道を作ろうと、通れる道は常に1本。
どちらかを選べば、どちらかを諦めるしかない。
そして「選択」という道は、引き返しが効かないものでもある。
「ジークも、王宮に行くことになるよ」
「うへえ……俺、王宮って嫌いなんだよな」
ジークが、王宮を嫌っているのは知っていた。
面倒事ばかりだと、彼も思っている。
関わらずにすむのなら、それに越したことはなかったのだけれど。
「いいじゃないか。観光がてら遊びに行くにも悪くないだろう?」
「魔術師が、うじゃうじゃいるのにかよ」
「そのくらいなくっちゃ面白味もないさ」
「そりゃ、そーだ」
彼は、小さく笑った。
王宮魔術師程度、ジークの相手にはならない。
遊び相手にすらならないかもしれなかった。
「不思議なものだね」
つくづくと、そう思う。
ジークには、彼の力が宿っていた。
が、彼ほどの威力はないし、数も少ない。
言うなれば、彼の劣化した存在と言える。
さりとて、ジークにはジークにのみ与えられた資質があった。
変転や積在といった力が、それだ。
ジークは、その資質と、彼に与えられた力を器用に取り交ぜて使う。
変転したまま魔術を使えるのが、その証。
魔術では彼の劣化と言えても、資質において彼にないものを持っていた。
この世界で、ただ1人、彼に並ぶ者。
それが、ジークなのだ。
少なくとも、彼は、そのように認識している。
ジークを育てていた、いわゆる両親は、ジークを受け入れられなかった。
心情を理解できなくはない。
彼も、基本的には、自分の本質を受け入れられる者などいない、と思ってきたからだ。
息子は気づいているらしかったが、問い質されたことはない。
真正面から聞いてきたのは、レティシアだけだった。
それほどに、彼やジークの力は異質であり、脅威と見做される。
だからどうだということはないけれども。
「アンタは、ムチャクチャだけどな」
ジークの器用さを褒めたお返しだろう。
ジークなりに彼を褒めている。
ジークが、イスから離れ、彼の前に立った。
両腕を頭の後ろで組み、足も軽く膝のところで交差させる。
「待ってりゃ良かったのにサ」
サイラスは「待て」が、できない。
王太子の背中を押したことで、なおさら待てなくなっているはずだ。
飢えて凶暴になっている獣というのは始末に悪い。
彼は、サイラスに対する評価を変えていなかった。
サイラスが、自分に執着するひとつの要因は魔術にあると感じる。
そのためには魔力が必要だが、直接には与えてもらえない。
長く「おあずけ」させられているのだ。
だから、鎖を引きちぎろうとしている。
もう「待て」ができないから。
「私の力をあげられるものならあげたい、と言いたいところだがね。碌なことをしない者に、くれてやることはできないな」
「アンタだって、ロクなもんじゃないぜ?」
ジークは正しい。
自分のしてきたことも、碌なものではなかった。
ジークの言葉に、彼は肩をすくめてみせる。
「自覚しているかどうかが、大事なのさ」
「まぁね。わかってんだけどね」
彼は、立ち上がり、窓の外を眺めた。
多くの瞬く星が見える。
その中で、ひと際、大きく光る星があった。
昔から、方角がわからなくなった際、目印にすると言われている星だ。
(私にとっての、レティだね)
彼女は彼に「正しい答えをくれる」と言ったけれど。
彼に正しい答えを示してくれる、それがレティシアの存在だった。
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