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第2章 黒い風と金のいと

お祖父さまの独り言 2

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 自室にいるレティシアの後ろに、サリーは控えている。
 レティシアは黙ったまま、肩を震わせていた。
 
「……グレイが出て行きました」
 
 レティシアからの返事はない。
 グレイは、朝早くに屋敷を出ている。
 見送られるのは嫌だったのだろうし、見送りをされる立場でもない。
 屋敷は、静まりかえっていたが、誰もがグレイが去ったと知っている。
 昨夜、眠れた者は1人もいなかっただろう。
 
「なんで……グレイが出てかなきゃなんないのかな……」
 
 納得できない気持ちは、わからなくはない。
 相手に非があるのは明白なのだ。
 サリーだって、感情の上では納得できずにいる。
 だが、やはり貴族とは「そういうもの」だとも思っていた。
 
「なんかさ……こういうの嫌だね……」
 
 ぽつ…と、レティシアの言葉が転がる。
 どう声をかければいいのか、迷った。
 レティシアが、己を責めているのは、わかっている。
 グレイをついて行かせたばかりに、こんなことになったと思っているはずだ。
 
「ごめんね……サリー……」
 
 レティシアは、サリーがグレイに好意を寄せていると知っている。
 グレイのほうから言わせるのだと、意気込んでいた。
 ほんの少し前まで、そんなことで笑っていられたのだ。
 それが、急転直下。
 サリーも、本当には、まだ心がついていけていない。
 あの地下室でも思ったこと。
 
 グレイはいつもそばにいた。
 
 今さら、いなくなられても、困る。
 グレイには「なんとかする」などと言ったが、どう「なんとかする」のかなど頭に浮かびもしなかった。
 そのくらいしか、言えなかっただけなのだ。
 
「……ごめん、サリー……私、なんにもできないね……貴族なんて言ったってさ、自分の身内1人、守れないんだよ……」
 
 彼女は自分を責めている。
 大公の決定に納得はしていない。
 が、答えは出ている。
 公爵からも連絡があったのだ。
 大公の指図に従うように、と。
 
(セシエヴィル子爵家とグレイとでは……重みが違うのだもの)
 
 妻や母の実家と敵対したくないなんて、当然だろう。
 どちらに天秤が傾くかなど、考えなくても明白だった。
 大公も公爵も、素晴らしい主だと言える。
 こうなった今も、サリーはそう思っていた。
 恨む筋でもない。
 
「手袋を拾ったグレイが悪いのです」
 
 そうだ。
 グレイが悪いのだ。
 地下室でも、そうだった。
 サリーを庇って、グレイは死にかけている。
 もう騎士ではないくせに、グレイは騎士をやめられない。
 肝心な時には、いつだって騎士としての選択をする。
 攻守にかかわらず、騎士は戦いを旨としていた。
 そのせいか、命に関して無頓着に過ぎるのだ。
 悲しむ者が誰もいないとでも思っているのだろうか。
 
「……サリー……?」
 
 レティシアが振り向いた。
 笑ってみせようとしたのだが、サリーはうまく笑えずにいる。
 唇が震えていた。
 
「あ、あの男……あのヘタレは……」
 
 レティシアは、何もできない、と言った。
 が、自分はもっと何もできない。
 少なくともレティシアは大公に歎願をしている。
 何度も何度も。
 結果はくつがえらず、その上、相手方に自分の祖母の実家があると知って、どれほど心を痛めていることか。
 レティシアが負うべき責任などないのだ。
 何も言わなかった自分より、遥かに手を尽くしてくれている。
 
 姉が理不尽に領主に奪われた時も、何もできなかった。
 貴族とは、こういうものだと割り切るしかなかった
 
 今回も、割り切るしかないのだろう。
 サリーのメイド服をつかんだ両手に力が入った。
 その辺りがよれて、くしゃくしゃになる。
 
「き、騎士などというものにこだわって……ば、馬鹿な人です……」
 
 自分を庇って死にかけて。
 あんな場面で名前を呼んでおいて。
 
(手袋を掴む前に……なんで考えなかったの、グレイ? 少しも思い浮かばなかったの? 私の顔は……見えなかったのよね……あなたは、騎士だから……)
 
 レティシアが、サリーの肩を抱いてきた。
 そのまま、2人でベッドに腰かける。
 腰かけても、サリーは服から手を放せずにいた。
 その手にレティシアの手が重ねられる。
 
 この屋敷に来てからの5年、いろんなことをグレイに教わった。
 以前のレティシアの対処の方法も含めて。
 サリーをメイド長に抜擢したのもグレイだ。
 屋敷全体を仕切ってきたのはグレイだが、細々としたことはサリーが請け負っていた。
 そうやって2人で支え合ってきている。
 支えを失った自分がどうなるか、グレイには考えてほしかった。
 レティシアは変わり、もう虐げられることはない。
 仕事上のことだけで言うなら、グレイなしにやってはいけるだろう。
 その内、新しい執事も雇われるはずだ。
 だとしても、サリーにとっての「支え」は、それだけではかった。
 
 『逃げてほしかったよ。サリンダジェシカ』
 
 あの時の、笑ったグレイの顔が見える。
 とたん、こらえていたはずの涙が、はたはたっと、こぼれ落ちた。
 これでは、レティシアに、なおさら責任を感じさせてしまう。
 わかっているのに、止めることができない。
 
 真面目で有能だけれど、少し間が抜けているグレイ。
 魔術騎士然としている時は男らしいのに、自分の前では腰砕けなグレイ。
 15歳の頃からずっと、彼女はグレイに恋をしていた。
 15も年上なのに、彼は1度もサリーを子供扱いしたことがない。
 
「つ、ついて来いって……言ってくれもしないで……っ……」
 
 何か自分に言うことがあるのではないかと問うたサリーに、グレイは感謝の言葉を口にしただけだ。
 もちろんサリーも、グレイがそんなことを言うはずがないと、わかってはいたのだけれど。
 
「……あ、あのような、ヘ、ヘタレ男は……どこへなりと行って、ど、どこかで、の、野垂れ死ねば、よいのです……っ……」
 
 ぽろぽろと、涙がこぼれる。
 こんなに苦しい気持ちになったのは、初めてだった。
 どんなに嫌なことがあっても、グレイに愚痴ったり、八つ当たりしたりすることで、いつも胸のモヤモヤは晴れていたからだ。
 
 実家から、何度か婚姻の打診があったが、サリーはすべて断っている。
 サリーは今年で20歳。
 最も適齢とされている歳を越えていた。
 どんな良縁にも、そっぽを向き続けたのは、グレイからの求婚だけを待っていたからだ。
 何歳になろうと関係ない。
 
 ずっと一緒にいられると、思っていた。
 
 こんな形で離れることになるなんて想像できるはずもない。
 もしわかっていたら、と思う。
 
「……こんなことなら……私が押し倒しておけば……良かったかもしれませんね……グレイは……彼は、とことん……ヘタレですから……」
 
 気持ちを伝え、押し倒すなりなんなりして、グレイの傍にずっといられる自分になっておくべきだったのかもしれない。
 たとえ、一生、尻に敷くことになっていたとしても。
 
「サリー……ごめん……ごめんね……」
 
 言葉に、ハッとなる。
 自分の気持ちに精一杯になり過ぎていた。
 そのせいで、レティシアの気持ちを考えていなかったことに気づく。
 慌てて、両手で涙をぬぐった。
 考えても今さらなのだ。
 
 グレイは出て行った。
 屋敷にはいない。
 
「レティシア様は悪くありません。悪いのは、あの駄目執事ですわ」
 
 痛む心を抑えつけ、サリーはしゃきっとしてみせる。
 それから、レティシアに笑いかけた。
 今度は、うまく笑えた。
 
「そろそろ朝食のお時間です。ちゃんと召し上がられませんと、マルクが残念がりますよ」
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