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第2章 黒い風と金のいと
そんなこととは露知らず 2
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グレイの唐突な「退職願」に、レティシアは驚いた。
が、すぐに気を取り直している。
「街で、なんかあったんでしょ?」
それ以外に考えられない。
グレイが自ら退職したがるなんて、ありえないからだ。
グレイは祖父に心酔している。
幼い身で魔術騎士の隊に入り、執事修行をしてまで、祖父の側にいることを望んでいた。
にもかかわらず、退職をしたいと言う。
不自然過ぎて、話にならない。
「言って」
少し強い調子で、レティシアはグレイに呼びかけた。
話したくない様子なのは、わかっている。
グレイにはグレイなりの想いもあるのだろう。
だとしても、簡単に「退職願」を受理するわけにはいかない。
単なる職場の人であってでさえ、退職するとなれば、何があったのだろう、と考えずにはいられなかった。
ましてや、グレイは単なる職場の人とは違う。
大事な身内だ。
サリーが何か言いかけたが、その前に声がかけられていた。
「私戦を挑まれたのだね」
祖父の声は穏やかで、グレイを責めるものではない。
が、グレイはひどく緊張した様子になり、うつむいている。
レティシアはレティシアで、祖父の「私戦」との言葉に、怯んでいた。
驚くというよりも、一瞬で緊迫感につつまれたのだ。
(私戦……家同士の……)
少し前に、グレイやサリーと勉強したばかりだった。
とても荒っぽくて貴族らしからぬ風習。
とはいえ、この世界では、それがまかり通っている。
いわゆる「合法」なのだ。
「相手は、ラペル公爵家かな?」
祖父が聞いたのは、グレイではなかった。
グレイの後ろに立っていた3人を見ている。
テオが、くっと顔を上げ、前に進み出てきた。
「そうです。ラペルの家の騎士でした」
「そんなところだろうね」
なんでもなさそうな口調に、レティシアは少し安心する。
おそらく祖父は、なんとかする手立てを持っているに違いない。
グレイが退職なんかせずにすんで、事を荒立てないような、何かを。
(だよね。お祖父さまだもん。大丈夫だよ)
が、グレイは、うつむいたままだ。
祖父のゆるやかな声にも、顔を上げようとしない。
その姿を見て我慢できなくなったのか、テオが口を開く。
「グレイが悪いんじゃねぇんすよ! 悪いってなら、俺だ! 俺が、あいつのこと突き飛ばしたからっ……」
「それは、私を庇ったからでしょ!」
横からアリシアが口を挟んできた。
すると、隣にいたジョーも黙ってはいない。
「元はと言えば、私があいつのこと、うまくあしらえなかったせいで……」
声が重なり合う中、パンパンっという手を打つ音が響く。
祖父が両手を叩き、3人を制したのだ。
すぐに3人が黙り込む。
「事情はわかったよ」
レティシアにも、だいたいの予想がついた。
まずジョーが、その騎士に絡まれでもしたのだろう。
それをアリシアが庇い、そのアリシアをテオが庇った。
結果、テオに突き飛ばされた騎士が、私戦を挑んできたということだ。
「きみたちに非があるとは、誰も思っていないさ」
こくりとレティシアもうなずく。
そもそも、その騎士がジョーに「あしらわれる」ような何かをしたのが悪い。
アリシアがジョーを庇うのもわかるし、テオの気持ちもわかる。
レティシアが、その場にいたら、きっと同じことをしていた。
むしろ、先んじて、その騎士に食ってかかっていただろう。
「私が……愚かだったのです……」
グレイが力なく、そう言った。
彼は、まだうなだれている。
「その通りだ。きみは、もう騎士ではないのだからね」
グレイは元魔術騎士だが、今は執事として屋敷勤めをしている。
さりとて、騎士としての資質は捨てられるものではないはずだ。
あの地下室でも、グレイは騎士として戦ったに違いない。
見れば、サリーが沈痛な面持ちでいる。
まるでグレイが悪いとでも言うような表情だ。
「……お祖父さま……あの……グレイ、悪くないよね……?」
重過ぎる空気に、なんだか不安になっていた。
レティシアの感覚からすれば、グレイはちっとも悪くない。
やられたらやり返せ、とは言わないが、身内を助けようとするのは当然のことに思える。
が、静かに祖父は首を横に振った。
「いいや、グレイが悪い」
「……なんで? だって、グレイは……」
「彼が騎士ではなく、執事に徹しきれていれば、私戦は避けられたのだよ」
うなだれたままのグレイを、祖父は見つめている。
どんな感情が、その瞳にあるのか、レティシアにはわからなかった。
いつにない、祖父の厳しさを感じる。
「私戦は、騎士同士でなければ成立しないのでね」
パッと、レティシアは4人を見た。
グレイ以外の3人は平民だ。
グレイは貴族出身であり、元魔術騎士。
グレイ以外の者とでは、私戦は成立しない。
喉が、こくりと上下する。
もし市場に行ったのが3人だけだったら、こんなことにはなっていない。
もしかすると怪我をさせられていたかもしれないが、私戦にまでは発展していなかった。
『なら、グレイもついて行ってあげれば?』
自分の声が耳に蘇ってくる。
グレイを一緒に行かせたのはレティシアだ。
その安易な判断が、グレイを窮地に立たせている。
また自分のせいで、周りに迷惑をかけてしまった。
「違うよ。グレイのせいじゃない。3人についてってって頼んだのは私だもん。だから、私のせいだよ。グレイは、悪くない」
この世界は、前の世界とは違う。
わかっていたつもりでも、まったくわかっていなかった。
王子様を世間知らずだと思っていたが、自分だって変わらない。
本の上での知識だけで、わかった気になっていたのが間違いだった。
「たとえレティがグレイを行かせたのだとしても、それは関係のないことだ。グレイが騎士として振る舞ったことが問題なのだからね」
いつもはレティシアに甘く、どんなことでも許してくれる。
その祖父が、レティシアの言葉を否定していた。
「ともかく、グレイには、この屋敷から出て行ってもらう」
「そんな……っ……」
「わかったね、グレイ」
最後通牒に、グレイがようやく顔を上げる。
が、すぐに頭を下げた。
「かしこまりました」
誰も何も言わない。
ぎゅうっと、胸が圧し潰されそうになる。
「嫌だ! 嫌だよ、お祖父さま!」
レティシアは、祖父にすがりついた。
一心に祖父の瞳を見つめて言う。
「ここから出たら、グレイ、殺されちゃうよ! グレイが強くたって、相手は家ぐるみで来るんだよっ? そんなの、グレイ、死んじゃう! お祖父さま!」
祖父の困ったような表情に、目が潤んできた。
何を言っても駄目な気がしたからだ。
それでも、諦めきれない。
「お願い、お願い、お願い! 一生に一度のお願い! グレイを助けてあげて! この先、どんな我儘もしないし、お願いもしないから!」
祖父が、レティシアの頭を、いつものように撫でてくる。
困ったような笑みは消えていなかった。
そして、穏やかな口調でレティシアに訊ねる。
「この決断は覆らない。それでも、レティ、お前は私を信じるかい?」
が、すぐに気を取り直している。
「街で、なんかあったんでしょ?」
それ以外に考えられない。
グレイが自ら退職したがるなんて、ありえないからだ。
グレイは祖父に心酔している。
幼い身で魔術騎士の隊に入り、執事修行をしてまで、祖父の側にいることを望んでいた。
にもかかわらず、退職をしたいと言う。
不自然過ぎて、話にならない。
「言って」
少し強い調子で、レティシアはグレイに呼びかけた。
話したくない様子なのは、わかっている。
グレイにはグレイなりの想いもあるのだろう。
だとしても、簡単に「退職願」を受理するわけにはいかない。
単なる職場の人であってでさえ、退職するとなれば、何があったのだろう、と考えずにはいられなかった。
ましてや、グレイは単なる職場の人とは違う。
大事な身内だ。
サリーが何か言いかけたが、その前に声がかけられていた。
「私戦を挑まれたのだね」
祖父の声は穏やかで、グレイを責めるものではない。
が、グレイはひどく緊張した様子になり、うつむいている。
レティシアはレティシアで、祖父の「私戦」との言葉に、怯んでいた。
驚くというよりも、一瞬で緊迫感につつまれたのだ。
(私戦……家同士の……)
少し前に、グレイやサリーと勉強したばかりだった。
とても荒っぽくて貴族らしからぬ風習。
とはいえ、この世界では、それがまかり通っている。
いわゆる「合法」なのだ。
「相手は、ラペル公爵家かな?」
祖父が聞いたのは、グレイではなかった。
グレイの後ろに立っていた3人を見ている。
テオが、くっと顔を上げ、前に進み出てきた。
「そうです。ラペルの家の騎士でした」
「そんなところだろうね」
なんでもなさそうな口調に、レティシアは少し安心する。
おそらく祖父は、なんとかする手立てを持っているに違いない。
グレイが退職なんかせずにすんで、事を荒立てないような、何かを。
(だよね。お祖父さまだもん。大丈夫だよ)
が、グレイは、うつむいたままだ。
祖父のゆるやかな声にも、顔を上げようとしない。
その姿を見て我慢できなくなったのか、テオが口を開く。
「グレイが悪いんじゃねぇんすよ! 悪いってなら、俺だ! 俺が、あいつのこと突き飛ばしたからっ……」
「それは、私を庇ったからでしょ!」
横からアリシアが口を挟んできた。
すると、隣にいたジョーも黙ってはいない。
「元はと言えば、私があいつのこと、うまくあしらえなかったせいで……」
声が重なり合う中、パンパンっという手を打つ音が響く。
祖父が両手を叩き、3人を制したのだ。
すぐに3人が黙り込む。
「事情はわかったよ」
レティシアにも、だいたいの予想がついた。
まずジョーが、その騎士に絡まれでもしたのだろう。
それをアリシアが庇い、そのアリシアをテオが庇った。
結果、テオに突き飛ばされた騎士が、私戦を挑んできたということだ。
「きみたちに非があるとは、誰も思っていないさ」
こくりとレティシアもうなずく。
そもそも、その騎士がジョーに「あしらわれる」ような何かをしたのが悪い。
アリシアがジョーを庇うのもわかるし、テオの気持ちもわかる。
レティシアが、その場にいたら、きっと同じことをしていた。
むしろ、先んじて、その騎士に食ってかかっていただろう。
「私が……愚かだったのです……」
グレイが力なく、そう言った。
彼は、まだうなだれている。
「その通りだ。きみは、もう騎士ではないのだからね」
グレイは元魔術騎士だが、今は執事として屋敷勤めをしている。
さりとて、騎士としての資質は捨てられるものではないはずだ。
あの地下室でも、グレイは騎士として戦ったに違いない。
見れば、サリーが沈痛な面持ちでいる。
まるでグレイが悪いとでも言うような表情だ。
「……お祖父さま……あの……グレイ、悪くないよね……?」
重過ぎる空気に、なんだか不安になっていた。
レティシアの感覚からすれば、グレイはちっとも悪くない。
やられたらやり返せ、とは言わないが、身内を助けようとするのは当然のことに思える。
が、静かに祖父は首を横に振った。
「いいや、グレイが悪い」
「……なんで? だって、グレイは……」
「彼が騎士ではなく、執事に徹しきれていれば、私戦は避けられたのだよ」
うなだれたままのグレイを、祖父は見つめている。
どんな感情が、その瞳にあるのか、レティシアにはわからなかった。
いつにない、祖父の厳しさを感じる。
「私戦は、騎士同士でなければ成立しないのでね」
パッと、レティシアは4人を見た。
グレイ以外の3人は平民だ。
グレイは貴族出身であり、元魔術騎士。
グレイ以外の者とでは、私戦は成立しない。
喉が、こくりと上下する。
もし市場に行ったのが3人だけだったら、こんなことにはなっていない。
もしかすると怪我をさせられていたかもしれないが、私戦にまでは発展していなかった。
『なら、グレイもついて行ってあげれば?』
自分の声が耳に蘇ってくる。
グレイを一緒に行かせたのはレティシアだ。
その安易な判断が、グレイを窮地に立たせている。
また自分のせいで、周りに迷惑をかけてしまった。
「違うよ。グレイのせいじゃない。3人についてってって頼んだのは私だもん。だから、私のせいだよ。グレイは、悪くない」
この世界は、前の世界とは違う。
わかっていたつもりでも、まったくわかっていなかった。
王子様を世間知らずだと思っていたが、自分だって変わらない。
本の上での知識だけで、わかった気になっていたのが間違いだった。
「たとえレティがグレイを行かせたのだとしても、それは関係のないことだ。グレイが騎士として振る舞ったことが問題なのだからね」
いつもはレティシアに甘く、どんなことでも許してくれる。
その祖父が、レティシアの言葉を否定していた。
「ともかく、グレイには、この屋敷から出て行ってもらう」
「そんな……っ……」
「わかったね、グレイ」
最後通牒に、グレイがようやく顔を上げる。
が、すぐに頭を下げた。
「かしこまりました」
誰も何も言わない。
ぎゅうっと、胸が圧し潰されそうになる。
「嫌だ! 嫌だよ、お祖父さま!」
レティシアは、祖父にすがりついた。
一心に祖父の瞳を見つめて言う。
「ここから出たら、グレイ、殺されちゃうよ! グレイが強くたって、相手は家ぐるみで来るんだよっ? そんなの、グレイ、死んじゃう! お祖父さま!」
祖父の困ったような表情に、目が潤んできた。
何を言っても駄目な気がしたからだ。
それでも、諦めきれない。
「お願い、お願い、お願い! 一生に一度のお願い! グレイを助けてあげて! この先、どんな我儘もしないし、お願いもしないから!」
祖父が、レティシアの頭を、いつものように撫でてくる。
困ったような笑みは消えていなかった。
そして、穏やかな口調でレティシアに訊ねる。
「この決断は覆らない。それでも、レティ、お前は私を信じるかい?」
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