理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ

文字の大きさ
上 下
79 / 304
第1章 暗い闇と蒼い薔薇

とらわれの地下室 3

しおりを挟む
 レティシアは、本気で怒っていた。
 もはや無礼者というより「恥知らず」だ。
 
「待て。落ち着け。そう怒るな」
「どの口が言ってんの?! 怒らせてるのは、あなたでしょ!」
「だが、何事も試してみねばわからぬではないか」
「たーめーしぃぃいッ?! はあっ?!」
 
 まったく常識がないにも、ほどがある。
 王太子の「普通」などレティシアには関係ない。
 彼女の「普通」や「常識」を、遥かに逸脱していることが問題なのだ。
 王子様の「普通」は、レティシアの「普通」の枠を完全にぶっ壊している。
 
「そんなこと、試しにどうですかー?なんてもんじゃないわ! お試し版とかありえないわ! 頭おかしいわ!」
「よくわからんが、俺の頭はおかしくなってなどおらん」
「だったら、なおさらおかしいっての! やらしい! 不潔!」
「いや……不潔ということはなかろう。先ほど湯に浸かってきたのでな」
「そういう意味じゃないっ!! あーもう!!」
 
 どうやっても話が噛み合わない。
 言葉がこんなに通じないとは、面倒くさ過ぎる。
 
 グレイやサリーには、前後関係からか、それなりに伝わっていた。
 だから、まったく通じないということはないはずなのに、王子様に限っては、本当に「伝わった感」が、まるきりないのだ。
 なぜ頓珍漢な返答ばかりしてくるのか、理解に苦しむ。
 ものを知らないというのが、こんなにも会話に支障をきたすものだとは。
 
「やらしい、というのは、どういう意味だ」
「……これだよ……ホントもう……」
 
 勘弁してほしい。
 さりとて、言葉を理解しようとする姿勢を無視するのもどうかと思う。
 誘拐犯で恥知らずではあれど、王子様は悪人ではないのだ、たぶん。
 薬も飲みたくないと言ったら、無理に飲ませようとはしなかったのだし。
 
「服を脱がせたり、裸を見たりさわったりしたがるってこと」
「それは当然のことだろ? そうせねば、お前を抱……」
「あーあーあーあーあー!!」
 
 耳を押さえ、大きな声で王子様の言葉をシャットアウトする。
 何度も聞きたいとは思えない台詞だったからだ。
 王子様が口を閉じたので、耳から手を離す。
 困った奴だというように肩をすくめられ、イラっとした。
 
(私が困ってるんだよ! てゆーか、5歳児だって、もう少し言葉が通じるって!)
 
 しかも、5歳児とは違い、性的なことにうとくないところが始末に悪い。
 子供相手ならレティシアも、もっと根気強くなれるのだ。
 が、王子様は子供ではなく、れっきとした大人。
 ちっともかわいくないし。
 
「お前が動揺するのもわかる」
 
 どっと疲れて脱力しているレティシアに、王子様が言う。
 正直に言えば、動揺しているというより、腹を立てているというのが正しい。
 もしくは呆れている、面倒くさがっている、でも正しい。
 が、一応は気を遣っているのかと、少し驚いていた。
 そんな感覚が、この王子様にあったなんて思っていなかったからだ。
 
 この部屋に入ってきてからの王子様は、以前の彼とは少し違う気もする。
 相変わらず面倒くさいし、上から目線な話しぶりではあるが、どことなしこちらの様子をうかがっているようなところがあった。
 微妙な内容の話をしている割に、乱暴をしそうな気配も感じられない。
 
「お前にとっては初めてのことなのだろ? だが、俺はそれなりに経験がある。万事、俺に任せておけばよい」
「…………は……?」
 
 レティシアは、己の心を正しく言葉にする。
 
(ちょっと、なに言ってるかわかんないんですケド……)
 
 何が「初めて」なのかを聞こうとして、ハッと思いあたる。
 疲れにより忘れていた怒りが戻ってきた。
 
「こ、この……っ……ハレンチ王子ッ! 悪代官ッ! ドスケベッ!!」
「どういう意味だ? お前の言葉は、わかりにくくてかなわん。もっとわかるように話はできんのか?」
 
 怒っているレティシアに対し、王子様はとても冷静。
 それがまた怒りに火をつける。
 怒りが通じていないことに腹が立つのだ。
 
 舞台上の役者のように、わかり易く地団太が踏みたくなる。
 というか、怒り過ぎていて言葉が出て来ない。
 黙っているレティシアをどう思ったのか、王子様が先に口を開いた。
 
「お前にとっても悪いことではないと思うがな。どの道、誰かに抱かれるのであれば、下手な者より手慣れた者のほうがこころよいに決まっている」
 
 なにを言っているのか、この王子様は、と思う。
 己の女性経験をひけらかし、自慢してくるなど、レティシアの理解の範疇を越えていた。
 それはもう、立て続けに世界新記録を出す棒高跳びの選手も真っ青、というくらいに、軽々と越えている。
 どうせなら、放物線を描いきながら遠い宇宙の果てまで飛んで行ってほしい。
 
「俺に抱かれてみれば、心配せずともよかったことがわかるぞ」
 
 なんだ、その「案ずるより産むが易し」みたいな言い草は、と思った。
 何から何まで論点がズレている。
 その論点がズレていることにも、王子様は気づいていないのだ。
 どこから説明すればいいのか、わからなくなる。
 どう説明しても伝わる気がしなかった。
 
 げに世間知らずとは恐ろしい。
 
 と、思ったところで、はたとなる。
 そういえば、と思い出したのだ。
 
(お祖父さまの婚姻のこと話してる時……グレイ、14歳で女性経験があるのは当然みたいなこと言ってたよなぁ。あの時、隣にサリーもいて……)
 
 もしや、まさか。
 
 この世界では、その手の話がまったくタブーではないのではないか。
 むしろ「フツー」のこととして語られているのではないか。
 
 貴族的社会でもあるのだし、欧米に近い要素が強いとするならば、ありえなくもない。
 家族で性に関する会話をしたり、学校での性教育であったり、現代日本は欧米と比較して、ずいぶん遅れていると言われていた。
 
 考えれば考えるほど、そんな気がしてくる。
 もしそうでないなら、グレイの言葉をサリーはとがめていたはずだ。
 少なくとも聞き流したりはせず、嫌な顔くらいはしただろう。
 が、そんな雰囲気は微塵もなかった。
 
(てことは……私のほうが世間知らずってこと……? だって、しょうがないじゃん! 私、心は日本人だし! 日本じゃ、そんなの日常会話じゃないもん!)
 
 この世界で、レティシアとして生きていくと決めても、日本人の要素まで捨てることはできない。
 27年も、それでやってきたのだ。
 体や心に沁みついている日本人気質かたぎというものがある。
 いきなり変わるなんて、できっこない。
 
 さりとて、そうなってくると、王子様だけが悪いとも言えなかった。
 もちろん「抱く」だのという話はともかく。
 直接的な表現については寛容になるべきなのかもしれない。
 この世界では天気の話並みに「普通」になされていることなら、いちいち反応するレティシアのほうがおかしいのだ。
 
「……頭イタイ……」
「頭痛か? だから言ったではないか。お前は怒り過ぎだ。やはり薬を……」
「絶対、飲まないからね!」
「わかった。わかったから、もうそのように怒るな。頭痛が酷くなるぞ」
 
 誰のせいで、と言いたくなるのを我慢した。
 王子様が心配げな顔でレティシアを見ていたからだ。
 
 気を遣うなら遣う、遣わないなら遣わない。
 どちらかにしてほしい。
 
 レティシアは、大きく息を吐き出してから、現状、1番はっきりしていることを口にする。
 王子様に伝わることを願って。
 
「私は、あなたと、そーいうことはしません」
「そういうこととは、なんだ?」
 
 すぐに聞き返され、言葉に窮する。
 
(そうくるか。くるよね。だって、この王子様、面倒くさい人だもん……)
 
 もはや、慣れた。
 この王子様には直球しか通じない。
 直球ですら通じないことも多々あるくらいだ。
 どれだけの剛速球が求められているのか知らないが、レティシアは、そんな剛腕投手ではなかった。
 
「だから、それは……その……だ……だ……」
 
 抱かれる、そのひと言が言えずにいる。
 27歳にもなって、と笑われるかもしれない。
 さりとて、レティシアは、まさしく王子様の言ったように「男性経験」がなかった。
 
 まるきりないというと語弊があるが、ともかく最後の一線を越えたことはない。
 性的な意味で、人にふれるのも、ふれられるのも苦手だったからだ。
 愛想をつかされてきた要素には、それも含まれている。
 
「なんだ?」
 
 少し待ってくれ、と言おうとして気づいた。
 
(ち、近ッ! 近い近い近い! いつの間に、こんな近くに来てたんだよー!)
 
 王子様が目の前にいる。
 金髪が目に痛いぐらいの近さだった。
 サッと視線を外す。
 その先には、真っ赤っ赤なベッドがあった。
 ぶわっと顔が熱くなる。
 
「そうか」
 
 短い言葉のあと、いきなり視界が変わった。
 と、思ったら、すぐにさらに視界が変わる。
 王子様に抱き上げられ、その後、ベッドに寝かされたからだ。
 
「ようやく、その気になった、ということだな」
 
 今の流れのどこにそんな要素があったのか、わけがわからない。
 だいたい、そういうことは「しない」と言ったのだし。
 レティシアは思う。
 
 やっぱり伝わらなかった。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

【コミカライズ決定】魔力ゼロの子爵令嬢は王太子殿下のキス係

ayame@コミカライズ決定
恋愛
【ネトコン12受賞&コミカライズ決定です!】私、ユーファミア・リブレは、魔力が溢れるこの世界で、子爵家という貴族の一員でありながら魔力を持たずに生まれた。平民でも貴族でも、程度の差はあれど、誰もが有しているはずの魔力がゼロ。けれど優しい両親と歳の離れた後継ぎの弟に囲まれ、贅沢ではないものの、それなりに幸せな暮らしを送っていた。そんなささやかな生活も、12歳のとき父が災害に巻き込まれて亡くなったことで一変する。領地を復興させるにも先立つものがなく、没落を覚悟したそのとき、王家から思わぬ打診を受けた。高すぎる魔力のせいで身体に異常をきたしているカーティス王太子殿下の治療に協力してほしいというものだ。魔力ゼロの自分は役立たずでこのまま穀潰し生活を送るか修道院にでも入るしかない立場。家族と領民を守れるならと申し出を受け、王宮に伺候した私。そして告げられた仕事内容は、カーティス王太子殿下の体内で暴走する魔力をキスを通して吸収する役目だったーーー。_______________

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

人質王女の婚約者生活(仮)〜「君を愛することはない」と言われたのでひとときの自由を満喫していたら、皇太子殿下との秘密ができました〜

清川和泉
恋愛
幼い頃に半ば騙し討ちの形で人質としてブラウ帝国に連れて来られた、隣国ユーリ王国の王女クレア。 クレアは皇女宮で毎日皇女らに下女として過ごすように強要されていたが、ある日属国で暮らしていた皇太子であるアーサーから「彼から愛されないこと」を条件に婚約を申し込まれる。 (過去に、婚約するはずの女性がいたと聞いたことはあるけれど…) そう考えたクレアは、彼らの仲が公になるまでの繋ぎの婚約者を演じることにした。 移住先では夢のような好待遇、自由な時間をもつことができ、仮初めの婚約者生活を満喫する。 また、ある出来事がきっかけでクレア自身に秘められた力が解放され、それはアーサーとクレアの二人だけの秘密に。行動を共にすることも増え徐々にアーサーとの距離も縮まっていく。 「俺は君を愛する資格を得たい」 (皇太子殿下には想い人がいたのでは。もしかして、私を愛せないのは別のことが理由だった…?) これは、不遇な人質王女のクレアが不思議な力で周囲の人々を幸せにし、クレア自身も幸せになっていく物語。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

できれば穏便に修道院生活へ移行したいのです

新条 カイ
恋愛
 ここは魔法…魔術がある世界。魔力持ちが優位な世界。そんな世界に日本から転生した私だったけれど…魔力持ちではなかった。  それでも、貴族の次女として生まれたから、なんとかなると思っていたのに…逆に、悲惨な将来になる可能性があるですって!?貴族の妾!?嫌よそんなもの。それなら、女の幸せより、悠々自適…かはわからないけれど、修道院での生活がいいに決まってる、はず?  将来の夢は修道院での生活!と、息巻いていたのに、あれ。なんで婚約を申し込まれてるの!?え、第二王子様の護衛騎士様!?接点どこ!? 婚約から逃れたい元日本人、現貴族のお嬢様の、逃れられない恋模様をお送りします。  ■■両翼の守り人のヒロイン側の話です。乳母兄弟のあいつが暴走してとんでもない方向にいくので、ストッパーとしてヒロイン側をちょいちょい設定やら会話文書いてたら、なんかこれもUPできそう。と…いう事で、UPしました。よろしくお願いします。(ストッパーになれればいいなぁ…) ■■

処理中です...