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第1章 暗い闇と蒼い薔薇
頭のネジが2,3本 3
しおりを挟む「いっただきまーす!」
ぱん!と、レティシアが両手を合わせる。
向かい側に座っている大公も同じように「いただきます」をしていた。
前に大公がその意味を聞いたので、今は、その場にいる全員が知っている。
『料理の素材って全部、命でしょ? その命をいただくわけだから感謝しないと。それに料理を作ってくれてる人たちにも』
『つまり感謝の意味がこめられている言葉ということだね』
そんなやりとりが交わされたのだ。
まだ王宮からレティシアが帰って間もない頃だったので、彼女の「感謝」など誰も信じてはいなかった。
またぞろ「なにか企んでいる」としか思っていなかったのだが、1ヶ月が経つ今は、周囲の空気も変わり始めている。
レティシアの「朝当番」「昼当番」が効いているのだ。
最初は嫌がっていた者たちも、少しずつ慣れ始めている。
名前呼びも、ぎこちないながら浸透しつつあった。
なぜそう思うのか、グレイにもわからなかったが、とにかく彼女の言葉や態度には「嘘」がないと感じる。
彼女の首にかけられているネックレスも大事にしてくれているようだ。
浴室以外で外したのを見たことがないと、サリーも言っていた。
実際、手入れの仕方までサリーやグレイは聞かれている。
大公と楽しげに話しながら食事をとっているレティシアに、グレイはサリーの言葉を思い出していた。
『以前の姫さまがあんなふうだったのは、ローエルハイドの血が重荷だったからかもしれないわね』
言われてみれば、そんな気もしてくる。
なにしろ大公の力は尋常ではないのだ。
欲しがる者が多い反面、疎まれることも少なくない。
強過ぎる力は脅威と成り得るからだろう。
彼女がそうした悪意にさらされた可能性はあった。
なにより、彼女自身がローエルハイドの血を恐れたのかもしれない。
レティシアが変わったのは7歳の誕生日前。
大公の魔力が顕現したのは8歳。
彼女に、その兆候が現れていたとしてもおかしくないのだ。
(私たちには、わかりようのない苦しみを感じておられたのか)
グレイに、その可能性を話したサリーは、ひどく物憂げだった。
同じ気持ちをグレイも味わっている。
彼女が性悪だと決めつけて、冷たく接してきた。
けれど、その心の裡を1度でもわかろうとしただろうか。
ジョシュア・ローエルハイドの力を受け継いでいるのは、この世界でたった1人、彼女だけなのだ。
7歳にも満たない子供が背負うには重過ぎる血の鎖。
明るいレティシアに、むしろグレイは感傷的になっている。
「ん? んんーっ?!」
そんな感傷を吹き飛ばす勢いで、レティシアが声をあげた。
そして、ガタンっと立ち上がる。
「こ、これは……今すぐ料理長を呼んで!」
食堂内に、一気に緊張が走った。
ついに彼女は1ヶ月前の彼女に戻ってしまったのか。
そんな空気が充満している。
平然としているのは大公だけだ。
「か、かしこまりました!」
転がるようにしてアリシアが食堂を飛び出していく。
すぐに料理長のマルコムこと、マルクが姿を現した。
マルクは頑固なところがあり、いつもいつも自分の料理を残していたレティシアに良い感情を持っていない。
朝当番、昼当番を、ずっと拒んできてもいる。
今も、解雇されたってかまわないとばかりに不機嫌そうな顔をしていた。
「……マルク……」
サリーが不機嫌顔のマルクを咎める。
はっきりとは言わないまでも、口調にそれが現れていた。
サリーも、以前のレティシアに戻ってほしくないと思っているからだろう。
ずだだだだ!
サリーとグレイの横を、レティシアが駆け抜ける。
まさに疾走。
「私の料理に不ま……」
マルクの言葉は最後まで続かなかった。
駆けた勢いのままのレティシアに抱き着かれたからだ。
「ちょ……っ……」
マルクの焦った声もなんのその。
レティシアは、ぎゅうぎゅうとマルクを両腕で抱きしめる。
「感動した! 金のトロフィーあげたいくらい感動した!! あのクリームシチュー、めっちゃ美味しいッ! 私の大好きな味だよ、マルクー!!」
「え……あの……ひ、姫さ……ちょ……」
マルクは目を白黒させ、言葉もうまく発せられない様子だ。
それにもレティシアはおかまいなし。
パッと体を離したかと思いきや、じっとマルクを見つめた。
料理長としてマルクは頑固で、融通がきかないところがある。
味にうるさく、とにかく細かい。
それでもほかの料理人たちが、どれだけどやしつけられてもマルクを悪く言わないのは、一目置いているからだ。
「マルク……」
「は、はい……なんでございましょうか……」
その偏屈なマルクが、気圧されている。
レティシアはマルクを見つめ、とても真面目くさった顔で言った。
「……おかわり、ある?」
「お、おかわり……っ?」
「ないのっ?! 1皿じゃ、絶対に足りないよー!」
「いえいえいえ! ございます! ございますとも!」
ぱあっとレティシアの顔が明るくなる。
嬉しそうに笑みをたたえ、うんと大きくうなずいた。
「おかわりなかったら、ちょびちょび食べようと思ってたけど、あるんなら、がっつりイケる! よーし、食べるぞー!」
そして、テーブルに戻りかけてから、くるんっと振り返る。
本当に嬉しそうな顔をして言った。
「おいしいご飯、ありがと、マルク!」
マルクは、ぽかんとした様子で突っ立っている。
その間にもレティシアはテーブルに戻っていた。
シチューを口に入れて、ひと言。
「んまー!」
朝当番、昼当番を務めたことがある者は知っている。
レティシア用語で「美味しい」の上位を意味する言葉だと。
ゆえに、マルク以外、誰も驚かなかった。
レティシアが「元」に戻っていないのを確信して安堵しているだけだ。
緊張がほどけていく。
「レティは、クリームシチューが好きなのだね。初めて知ったよ」
「おウチご飯は、なんでも美味しいよ? でも、これは特別! 1番好きなメニューだから」
本当に美味しそうに食べるレティシアから視線をマルクに移した。
まだそこに突っ立っている。
グレイは苦笑を浮かべ、マルクの肩に手を回した。
さりげなく厨房のほうへと、一緒に歩いていく。
「ひ、姫さまはいったい……」
レティシアが変わったという話をまるきり信じていなかったマルクだ。
話してもいないのだから、その衝撃やいかに。
「姫さまは、頭のネジが2,3本、飛んでおられる。今はあれが普通なのさ」
「ネジ……? なんのことだ……?」
意味がわからないのも無理はない。
レティシア用語は突飛なものが多かった。
「正妃選びの儀を辞退され、いろいろなことが吹っ切れた、という意味だ」
レティシアは「吹っ切れた」としか言わなかったが、おそらくそういうことなのだろうと、言葉を付け足す。
そのほうがマルクには分かり易いと思ったからだ。
「そうなのか……頭のネジが2,3本……本当に、変わられたんだな……」
これで屋敷内のレティシアに対する認識は、ほぼ統一されたと言ってもいい。
レティシアは、頭のネジが2,3本飛んでいる。
共通認識ができたことは喜ばしいことだ。
少なくともグレイは、そう感じている。
今のレティシアには、あまり悪感情をいだいてほしくなかったからだ。
「姫さまは、2皿目を召しあがるだろうか?」
マルクの問いに、グレイは笑って答えた。
「間違いない」
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