46 / 84
教育的指導 2
しおりを挟む ディーナリアスはジョゼフィーネを腕に、カウチに座る。
ジョゼフィーネが顔を上げ、彼を見つめていた。
薄紫色の瞳を、ディーナリアスも見つめ返す。
「本当を言うと、俺は、あの男を殺したかったのだ」
「え……」
これはディーナリアスの本音だ。
本当にアントワーヌを殺したかったし、殺そうかとも思っていた。
「あ、あの……お、怒って……?」
アントワーヌの言ったことやしたことにディーナリアスが怒っているのだと、ジョゼフィーネは考えているらしい。
それで、アントワーヌを殺したかったのか、と問うている。
ディーナリアスは、小さく首を横に振った。
「単に、邪魔だった」
「じ、邪魔……?」
その自覚が、今はある。
が、ほんの少し前まで、ディーナリアス自身、違う理由づけをしていた。
アントワーヌがジョゼフィーネを傷つけているから。
確かに、間違いではない。
アントワーヌはジョゼフィーネを傷つけていた。
それに腹を立てていたことも、事実ではある。
だが、本音は別のところにあった。
「お前を取られると思ったのだ」
アントワーヌの元に、ジョゼフィーネが帰ってしまうのではないか。
そのことに抗おうとした。
手段として最も簡単なのは、アントワーヌを「始末」すること。
いなくなってしまえば、取られる心配もない。
「お前は国に帰りたくないと言っていた。だが、心はあの男の元にあるのではないかと、俺は……嫉妬をしたのだな」
「嫉妬……」
ディーナリアスは、軽く肩をすくめてみせる。
ジョゼフィーネが驚いたという顔をしていたからだ。
彼女は、己に対する価値の評価が、ひどく低い。
些細な仕草ひとつで、ディーナリアスの心を揺らがせているなどとは思ってもいないのだろう。
ディーナリアスにしても、自分の感情が、これほど御しきれなくなることがあるとは知らなかった。
ずっと文献以外には無関心で、心が揺らぐような経験もしたことがない。
感情と行動は、いつだって折り合いがついていた。
「しかし……なんというか……」
ジョゼフィーネから視線を外す。
ひと回り以上も年上のくせに、自分は子供のようだと、恥ずかしくなった。
「どうでもよくなった」
アントワーヌのことは、やはり許せない、と思う。
とはいえ、本当に、どうでもいい相手になってしまった。
目障りではあるが、殺すほどでもない。
「も、もしかして……あの……あの……」
「聞いた」
ちらっと、ジョゼフィーネに視線を向ける。
今度は、彼女のほうが、うつむいていた。
頬が、ほんのりと赤くなっている。
恥ずかしそうにしている姿が、とても愛らしかった。
「盗み聞きするつもりはなかったのだがな」
ジョゼフィーネの頭を撫でながら、弁解を口にする。
彼女に誤解されたくなかったのだ。
「お前につきまとって、常に盗み聞きをするような趣味はないのだぞ? 今回は、少々、心配だったので、護衛についていただけだ」
こくりと、ジョゼフィーネがうなずく。
まだ頬は赤かった。
その頬を、そっと撫でる。
「お前が、あの男に会いたいと言ったことを、俺は誤解していたようだ」
言葉に、ジョゼフィーネが顔を上げた。
誤解していたという意味がわからなかったのだろう。
なにか不思議そうにしている。
そう、彼女には、こういうところがあるのだ。
とても無防備で、愛らしい。
それが、ディーナリアスをたまらない気持ちにさせるとも思っていない。
ジョゼフィーネは計算で表情を作れるほど器用ではなかった。
ディーナリアスの気を引こうとしているのではないとわかっている。
無自覚だからこそ困ってしまうのだ。
うっかり自制を放り出しそうになる。
(これでは……迂闊に手が出せぬではないか)
ともすれば、アントワーヌの二の舞。
あんなふうにジョゼフィーネを傷つけることは、絶対にしたくない。
だから、ディーナリアスは、精一杯、自制心を保つ努力をしていた。
「わ、私、言おうと……」
「そうだな。お前は、俺に話そうとしていた。それを遮ったのは、俺だ」
ジョゼフィーネが、アントワーヌへの気持ちを打ち明けようとしていると思い込み、口を塞いだ。
ほかの男にいだいている心情など聞きたくなかったのだけれども。
「……それも……嫉妬……?」
「そうだ」
自信なさげに聞いてきたジョゼフィーネに、きっぱりと言い切る。
実際、それが原因なのだし、否定する意味はない。
ディーナリアスは、自分の「失敗」を認めていた。
ジョゼフィーネの言葉を無視するアントワーヌを不快に感じたが、思い返せば、自分も似たようなことをしていたのだ。
「つくづくと、俺は心の狭い男なのだと、実感しておる」
「そ、そうかな……?」
「お前の口から男の名が出るだけで、嫌な気分になる程度には、心が狭い」
そういう経験も初めてで、どうするのが正解なのか、わからずにいる。
正直に話すくらいのことしかできない。
何事にも無関心で生きてきたため、言い繕うとの発想がなかった。
そんな必要がなかったからだ。
「そのせいで、お前を不安にさせたのではないか?」
「あ……う……その……」
「よい。口でどう言おうと、お前は顔が正直なのでな」
つん、と頬をつつく。
ジョゼフィーネが困ったように眉を下げた。
その顔を見て、少し笑う。
「俺の嫁は、本当に愛くるしい顔をする」
ジョゼフィーネが顔を上げ、彼を見つめていた。
薄紫色の瞳を、ディーナリアスも見つめ返す。
「本当を言うと、俺は、あの男を殺したかったのだ」
「え……」
これはディーナリアスの本音だ。
本当にアントワーヌを殺したかったし、殺そうかとも思っていた。
「あ、あの……お、怒って……?」
アントワーヌの言ったことやしたことにディーナリアスが怒っているのだと、ジョゼフィーネは考えているらしい。
それで、アントワーヌを殺したかったのか、と問うている。
ディーナリアスは、小さく首を横に振った。
「単に、邪魔だった」
「じ、邪魔……?」
その自覚が、今はある。
が、ほんの少し前まで、ディーナリアス自身、違う理由づけをしていた。
アントワーヌがジョゼフィーネを傷つけているから。
確かに、間違いではない。
アントワーヌはジョゼフィーネを傷つけていた。
それに腹を立てていたことも、事実ではある。
だが、本音は別のところにあった。
「お前を取られると思ったのだ」
アントワーヌの元に、ジョゼフィーネが帰ってしまうのではないか。
そのことに抗おうとした。
手段として最も簡単なのは、アントワーヌを「始末」すること。
いなくなってしまえば、取られる心配もない。
「お前は国に帰りたくないと言っていた。だが、心はあの男の元にあるのではないかと、俺は……嫉妬をしたのだな」
「嫉妬……」
ディーナリアスは、軽く肩をすくめてみせる。
ジョゼフィーネが驚いたという顔をしていたからだ。
彼女は、己に対する価値の評価が、ひどく低い。
些細な仕草ひとつで、ディーナリアスの心を揺らがせているなどとは思ってもいないのだろう。
ディーナリアスにしても、自分の感情が、これほど御しきれなくなることがあるとは知らなかった。
ずっと文献以外には無関心で、心が揺らぐような経験もしたことがない。
感情と行動は、いつだって折り合いがついていた。
「しかし……なんというか……」
ジョゼフィーネから視線を外す。
ひと回り以上も年上のくせに、自分は子供のようだと、恥ずかしくなった。
「どうでもよくなった」
アントワーヌのことは、やはり許せない、と思う。
とはいえ、本当に、どうでもいい相手になってしまった。
目障りではあるが、殺すほどでもない。
「も、もしかして……あの……あの……」
「聞いた」
ちらっと、ジョゼフィーネに視線を向ける。
今度は、彼女のほうが、うつむいていた。
頬が、ほんのりと赤くなっている。
恥ずかしそうにしている姿が、とても愛らしかった。
「盗み聞きするつもりはなかったのだがな」
ジョゼフィーネの頭を撫でながら、弁解を口にする。
彼女に誤解されたくなかったのだ。
「お前につきまとって、常に盗み聞きをするような趣味はないのだぞ? 今回は、少々、心配だったので、護衛についていただけだ」
こくりと、ジョゼフィーネがうなずく。
まだ頬は赤かった。
その頬を、そっと撫でる。
「お前が、あの男に会いたいと言ったことを、俺は誤解していたようだ」
言葉に、ジョゼフィーネが顔を上げた。
誤解していたという意味がわからなかったのだろう。
なにか不思議そうにしている。
そう、彼女には、こういうところがあるのだ。
とても無防備で、愛らしい。
それが、ディーナリアスをたまらない気持ちにさせるとも思っていない。
ジョゼフィーネは計算で表情を作れるほど器用ではなかった。
ディーナリアスの気を引こうとしているのではないとわかっている。
無自覚だからこそ困ってしまうのだ。
うっかり自制を放り出しそうになる。
(これでは……迂闊に手が出せぬではないか)
ともすれば、アントワーヌの二の舞。
あんなふうにジョゼフィーネを傷つけることは、絶対にしたくない。
だから、ディーナリアスは、精一杯、自制心を保つ努力をしていた。
「わ、私、言おうと……」
「そうだな。お前は、俺に話そうとしていた。それを遮ったのは、俺だ」
ジョゼフィーネが、アントワーヌへの気持ちを打ち明けようとしていると思い込み、口を塞いだ。
ほかの男にいだいている心情など聞きたくなかったのだけれども。
「……それも……嫉妬……?」
「そうだ」
自信なさげに聞いてきたジョゼフィーネに、きっぱりと言い切る。
実際、それが原因なのだし、否定する意味はない。
ディーナリアスは、自分の「失敗」を認めていた。
ジョゼフィーネの言葉を無視するアントワーヌを不快に感じたが、思い返せば、自分も似たようなことをしていたのだ。
「つくづくと、俺は心の狭い男なのだと、実感しておる」
「そ、そうかな……?」
「お前の口から男の名が出るだけで、嫌な気分になる程度には、心が狭い」
そういう経験も初めてで、どうするのが正解なのか、わからずにいる。
正直に話すくらいのことしかできない。
何事にも無関心で生きてきたため、言い繕うとの発想がなかった。
そんな必要がなかったからだ。
「そのせいで、お前を不安にさせたのではないか?」
「あ……う……その……」
「よい。口でどう言おうと、お前は顔が正直なのでな」
つん、と頬をつつく。
ジョゼフィーネが困ったように眉を下げた。
その顔を見て、少し笑う。
「俺の嫁は、本当に愛くるしい顔をする」
10
お気に入りに追加
693
あなたにおすすめの小説
義母様から「あなたは婚約相手として相応しくない」と言われたので、家出してあげました。
新野乃花(大舟)
恋愛
婚約関係にあったカーテル伯爵とアリスは、相思相愛の理想的な関係にあった。しかし、それを快く思わない伯爵の母が、アリスの事を執拗に口で攻撃する…。その行いがしばらく繰り返されたのち、アリスは自らその姿を消してしまうこととなる。それを知った伯爵は自らの母に対して怒りをあらわにし…。
転生したから思いっきりモノ作りしたいしたい!
ももがぶ
ファンタジー
猫たちと布団に入ったはずが、気がつけば異世界転生!
せっかくの異世界。好き放題に思いつくままモノ作りを極めたい!
魔法アリなら色んなことが出来るよね。
無自覚に好き勝手にモノを作り続けるお話です。
第一巻 2022年9月発売
第二巻 2023年4月下旬発売
第三巻 2023年9月下旬発売
※※※スピンオフ作品始めました※※※
おもちゃ作りが楽しすぎて!!! ~転生したから思いっきりモノ作りしたいしたい! 外伝~
オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。
異世界で温泉はじめました 〜聖女召喚に巻き込まれたので作ってみたら魔物に大人気です!〜
冬野月子
恋愛
アルバイトの帰り道。ヒナノは魔王を倒す聖女だという後輩リンの召喚に巻き込まれた。
帰る術がないため仕方なく異世界で暮らし始めたヒナノは食事係として魔物討伐に同行することになる。そこで魔物の襲撃に遭い崖から落ち大怪我を負うが、自分が魔法を使えることを知った。
山の中を彷徨ううちに源泉を見つけたヒナノは魔法を駆使して大好きな温泉を作る。その温泉は魔法の効果か、魔物の傷も治せるのだ。
助けたことがきっかけで出会った半魔の青年エーリックと暮らしながら、魔物たちを癒す平穏な日々を過ごしていたある日、温泉に勇者たちが現れた。
※小説家になろう、カクヨムでも連載しています
困りました。縦ロールにさよならしたら、逆ハーになりそうです。《改訂版》
新 星緒
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢アニエス(悪質ストーカー)に転生したと気づいたけれど、心配ないよね。だってフラグ折りまくってハピエンが定番だもの。
趣味の悪い縦ロールはやめて性格改善して、ストーカーしなければ楽勝楽勝!
……って、あれ?
楽勝ではあるけれど、なんだか思っていたのとは違うような。
想定外の逆ハーレムを解消するため、イケメンモブの大公令息リュシアンと協力関係を結んでみた。だけどリュシアンは、「惚れた」と言ったり「からかっただけ」と言ったり、意地悪ばかり。嫌なヤツ!
でも実はリュシアンは訳ありらしく……
【完結】【35万pt感謝】転生したらお飾りにもならない王妃のようなので自由にやらせていただきます
宇水涼麻
恋愛
王妃レイジーナは出産を期に入れ替わった。現世の知識と前世の記憶を持ったレイジーナは王子を産む道具である現状の脱却に奮闘する。
さらには息子に殺される運命から逃れられるのか。
中世ヨーロッパ風異世界転生。
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています
水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。
森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。
公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。
◇画像はGirly Drop様からお借りしました
◆エール送ってくれた方ありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる