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教育的指導 2

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 ディーナリアスはジョゼフィーネを腕に、カウチに座る。
 ジョゼフィーネが顔を上げ、彼を見つめていた。
 薄紫色の瞳を、ディーナリアスも見つめ返す。
 
「本当を言うと、俺は、あの男を殺したかったのだ」
「え……」
 
 これはディーナリアスの本音だ。
 本当にアントワーヌを殺したかったし、殺そうかとも思っていた。
 
「あ、あの……お、怒って……?」
 
 アントワーヌの言ったことやしたことにディーナリアスが怒っているのだと、ジョゼフィーネは考えているらしい。
 それで、アントワーヌを殺したかったのか、と問うている。
 ディーナリアスは、小さく首を横に振った。
 
「単に、邪魔だった」
「じ、邪魔……?」
 
 その自覚が、今はある。
 が、ほんの少し前まで、ディーナリアス自身、違う理由づけをしていた。
 
 アントワーヌがジョゼフィーネを傷つけているから。
 
 確かに、間違いではない。
 アントワーヌはジョゼフィーネを傷つけていた。
 それに腹を立てていたことも、事実ではある。
 だが、本音は別のところにあった。
 
「お前を取られると思ったのだ」
 
 アントワーヌの元に、ジョゼフィーネが帰ってしまうのではないか。
 そのことに抗おうとした。
 手段として最も簡単なのは、アントワーヌを「始末」すること。
 いなくなってしまえば、取られる心配もない。
 
「お前は国に帰りたくないと言っていた。だが、心はあの男の元にあるのではないかと、俺は……嫉妬をしたのだな」
「嫉妬……」
 
 ディーナリアスは、軽く肩をすくめてみせる。
 ジョゼフィーネが驚いたという顔をしていたからだ。
 彼女は、己に対する価値の評価が、ひどく低い。
 些細な仕草ひとつで、ディーナリアスの心を揺らがせているなどとは思ってもいないのだろう。
 
 ディーナリアスにしても、自分の感情が、これほど御しきれなくなることがあるとは知らなかった。
 ずっと文献以外には無関心で、心が揺らぐような経験もしたことがない。
 感情と行動は、いつだって折り合いがついていた。
 
「しかし……なんというか……」
 
 ジョゼフィーネから視線を外す。
 ひと回り以上も年上のくせに、自分は子供のようだと、恥ずかしくなった。
 
「どうでもよくなった」
 
 アントワーヌのことは、やはり許せない、と思う。
 とはいえ、本当に、どうでもいい相手になってしまった。
 目障りではあるが、殺すほどでもない。
 
「も、もしかして……あの……あの……」
「聞いた」
 
 ちらっと、ジョゼフィーネに視線を向ける。
 今度は、彼女のほうが、うつむいていた。
 頬が、ほんのりと赤くなっている。
 恥ずかしそうにしている姿が、とても愛らしかった。
 
「盗み聞きするつもりはなかったのだがな」
 
 ジョゼフィーネの頭を撫でながら、弁解を口にする。
 彼女に誤解されたくなかったのだ。
 
「お前につきまとって、常に盗み聞きをするような趣味はないのだぞ? 今回は、少々、心配だったので、護衛についていただけだ」
 
 こくりと、ジョゼフィーネがうなずく。
 まだ頬は赤かった。
 その頬を、そっと撫でる。
 
「お前が、あの男に会いたいと言ったことを、俺は誤解していたようだ」
 
 言葉に、ジョゼフィーネが顔を上げた。
 誤解していたという意味がわからなかったのだろう。
 なにか不思議そうにしている。
 そう、彼女には、こういうところがあるのだ。
 
 とても無防備で、愛らしい。
 
 それが、ディーナリアスをたまらない気持ちにさせるとも思っていない。
 ジョゼフィーネは計算で表情を作れるほど器用ではなかった。
 ディーナリアスの気を引こうとしているのではないとわかっている。
 
 無自覚だからこそ困ってしまうのだ。
 うっかり自制を放り出しそうになる。
 
(これでは……迂闊に手が出せぬではないか)
 
 ともすれば、アントワーヌの二の舞。
 あんなふうにジョゼフィーネを傷つけることは、絶対にしたくない。
 だから、ディーナリアスは、精一杯、自制心を保つ努力をしていた。
 
「わ、私、言おうと……」
「そうだな。お前は、俺に話そうとしていた。それを遮ったのは、俺だ」
 
 ジョゼフィーネが、アントワーヌへの気持ちを打ち明けようとしていると思い込み、口を塞いだ。
 ほかの男にいだいている心情など聞きたくなかったのだけれども。
 
「……それも……嫉妬……?」
「そうだ」
 
 自信なさげに聞いてきたジョゼフィーネに、きっぱりと言い切る。
 実際、それが原因なのだし、否定する意味はない。
 ディーナリアスは、自分の「失敗」を認めていた。
 ジョゼフィーネの言葉を無視するアントワーヌを不快に感じたが、思い返せば、自分も似たようなことをしていたのだ。
 
「つくづくと、俺は心の狭い男なのだと、実感しておる」
「そ、そうかな……?」
「お前の口から男の名が出るだけで、嫌な気分になる程度には、心が狭い」
 
 そういう経験も初めてで、どうするのが正解なのか、わからずにいる。
 正直に話すくらいのことしかできない。
 何事にも無関心で生きてきたため、言い繕うとの発想がなかった。
 そんな必要がなかったからだ。
 
「そのせいで、お前を不安にさせたのではないか?」
「あ……う……その……」
「よい。口でどう言おうと、お前は顔が正直なのでな」
 
 つん、と頬をつつく。
 ジョゼフィーネが困ったように眉を下げた。
 その顔を見て、少し笑う。
 
「俺の嫁は、本当に愛くるしい顔をする」
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