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百年の恋が冷めました 3

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 ジョゼフィーネはアントワーヌと、少し距離を取って立っている。
 アントワーヌの姿を、しげしげと眺めていた。
 彼は少しも変わっていない。
 茶色の髪と瞳は、前と同じように優しい雰囲気を漂わせている。
 
(でも……ディーンとは違う感じ……)
 
 前にも感じたことのある「優しさ」の種類の違い。
 なにがどうとはわからないが、なにか違う気がするのだ。
 
「ジョージー、きみをこんな目に合わせてすまなかった。あんな男のところにいるのは、さぞつらかっただろうね」
 
 アントワーヌの言葉に、首をかしげたくなる。
 思い返してみても、この国に来て以来、ジョゼフィーネに「つらいこと」の記憶などなかった。
 食事もちゃんととれているし、眠れてもいる。
 なにより差別されることがなかった。
 
 夜会で、貴族の男に「リフルワンスの馬鹿な女」とは言われている。
 が、それだって国に対してのものだとわかっていた。
 けして「愛妾の子」という理由で蔑まれたのではない。
 
「魔術師なんてものがいては、恐ろしくてたまらなかったはずだ」
 
 それも最初のうちだけだ。
 リロイもサビナも魔術師ではあるが、もう怖いとは感じていない。
 魔術にしても「便利だな」と思っている。
 
 そもそもジョゼフィーネには前世の記憶から、ある種の「魔術」耐性があった。
 魔法や魔術に忌避きひ感がないのだ。
 むしろ、ちょっぴり、わくわくする。
 リロイが点門を開くたびに「わあ」と、内心、感動しているし。
 
 ロズウェルドとリフルワンスの戦争について、知らなくはない。
 さりとて、ジョゼフィーネの生まれる前の話であり、百年も前のことだった。
 ジョゼフィーネ自身が被害を受けてはいないため、実感がないのだ。
 
 その辺りは、前世の記憶にある人格が影響しているのかもしれない。
 それがいいことかはともかく、国の出来事と個を切り離して考える資質がある。
 
「あの男が怖くて、なにも言えなかったのだね」
 
 あの男というのは、ディーナリアスのことだろう。
 が、怖いと感じた、それも最初だけだった。
 ジョゼフィーネ自身は自覚していないが、正妃選びの儀で感じた恐怖は、畏怖の念に近しい。
 要は、ディーナリアスの「威厳」に気圧けおされていたのだ。
 
 今となっては、ディーナリアスの声は優しく聞こえる。
 彼は言葉を飾らない。
 なのに、気遣ってくれていることはわかるのだ。
 いつも落ち着いた話しかたで、声を荒げることもない。
 
 むしろ、ジョゼフィーネにとっては、安心できる相手となっている。
 なので、ディーナリアスを怖いなんて思わない。
 時々、狼狽うろたえたりする姿が、ちょっぴりかわいいと思えるくらいだ。
 
「でも、もう心配はいらないよ、ジョージー。きみは知らないだろうけれど、きみが国に帰りたいと言えばすむ。あの男にも引きめることはできないのだから」
「あ、あの……トニー……」
 
 アントワーヌの言葉に、ハッとなる。
 アントワーヌは、様々、誤解をしていると、気づいた。
 国に帰ることについても。
 
「この国では、婚姻に際して女性の意思が尊重されるらしいからね」
 
 それはわかっている。
 だからこそ、ディーナリアスは「帰さない」でいてくれているのだ。
 ジョゼフィーネの意思は「国に帰りたくない」なのだから。
 
「あ、あの、でも、私……国には……」
「わかっているよ、ジョージー」
 
 帰りたくないと言おうとした言葉が遮られる。
 アントワーヌとの会話で、今までになかった違和感をおぼえた。
 
 ディーナリアスは、ジョゼフィーネの言葉を、ちゃんと聞いてくれる。
 どんなにたどたどしくても、待ってくれたのだ。
 勝手に、話をどんどん先に進めたりはしない。
 
「きみからの手紙は読んだよ。私の立場を考えて身を引いてくれたのだろう? だから、帰ってからの生活を心配する気持ちはわかる。でも、私は心を決めていてね。帰ったあとのことは心配しなくてもいい」
「ち、ちが……」
 
 自分の気持ちを言わなければと焦る。
 そのジョゼフィーネの言葉を待たず、アントワーヌが言った。
 
「きみを、私の愛妾にする」
 
 びくっと、体が震えた。
 心が、キリキリと痛む。
 アントワーヌの言葉が、とても虚しくなっていた。
 アントワーヌにとって、自分はどこまでも「愛妾の子」なのだ。
 
 『お前は、俺の嫁だ。愛妾になどするわけがない』
 
 ディーナリアスは、自分が「愛妾の子」でも関係ないとばかりに、そう言ってくれた。
 夜会でも、人目をはばかることなく、膝抱っこ。
 そして、自分を求めてくれてもいる。
 
 そばにいたいのは、大国の王太子だからでも、次期国王だからでもない。
 きっと、ディーナリアスが「ディーン」だから、傍にいたいのだ。
 妙に生真面目なところがあって、なのに、少しだけズレていたりもする。
 そんな「ディーン」が好きなのだと、はっきり自覚した。
 
「わ、私、国には帰らない」
「ジョージー? なにを……」
「ディーンの傍にいたいから……だから、帰りたくないの」
 
 ディーナリアスの自分に向けてくれた優しさに応えたいと思う。
 ジョゼフィーネは、この国にいたい「理由」を見つけていた。
 その想いから、初めて率直にアントワーヌに自分の気持ちを言葉にできている。
 
「きみは、まさか……あの男に穢されたのかっ? そうなのだなっ?! そうでなければ、そんなことを言うはずがない!」
 
 アントワーヌの怒声に、ジョゼフィーネは怯える。
 こんな姿は初めて見たからだ。
 初めて会った時のディーナリアスより、ずっと怖かった。
 
「きみは私のものだ。ずっと私のものだったっ!!」
 
 アントワーヌが近づいてくる。
 ジョゼフィーネの体が、勝手に後ずさった。
 
「いいさ、今からでも遅くはない。きみを私のものに戻す」
 
 手紙を読んでいたのに、アントワーヌはわかっていない。
 ディーナリアスに会う、ひと月も前に、アントワーヌとの関係は終わっている。
 まさに、さっきアントワーヌが言った「未来」を望まなかったからだ。
 
「わ、私、私は、ディーンが好き……あなたの愛妾には、ならな……」
「あの男に抱かれたから、そう思いこんでいるだけだっ!」
 
 アントワーヌの手が伸びてくる。
 体を返し、扉を開けて逃げようにも、間に合わない。
 扉にすがりついて、ぎゅっと目を伏せた。
 瞬間、背中に、声が響く。
 
「俺の嫁に、ふれるな」
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