上 下
5 / 84

心の準備ができてません 1

しおりを挟む
 ようやく声が出た。
 まるきり慣れてはいないが、別の恐怖に後押しされている。
 
(ふ、服に……靴……ほ、宝飾品……きっと最期の望みってことだし……)
 
 それなら、別のものがいい。
 とまでは言えなかったが、服や靴や宝飾品になんて興味はなかった。
 興味のないものを「最期の望み」に確定されるのは、さすがに困る。
 人生に未練はなくとも、最後につまらないものを与えられて終わるなんて。
 
「だが、なくては困るであろう?」
 
 たしかに着替えは必要かもしれない。
 人生最期に着ていた服が、姉の着古したドレスとなるのは情けない気がする。
 ほんの少しだけマシな服であってもいいと、思えた。
 
(せ、せめて新品……どうせ私には、似合わないだろうけど……)
 
 ジョゼフィーネのハイパーネガティブ症候群は猛威を振るっている。
 死の覚悟の前でも衰えることがない。
 彼女はとにかく自分に自信が持てずにいた。
 彼女の心の部屋、その隅っこの、三角な壁に頭を押し当てている。
 
 そこから出る気にもならない。
 心の中でも引きこもりなのだ。
 
「で、では……き、着替えは、い、1枚で……」
「俺の嫁は財布の紐が固いのだな」
 
 ばくっと、心臓が大きく跳ねていた。
 ジョゼフィーネは、無自覚に王太子の胸を右手で掴む。
 左手は、彼に、がちっと掴まれていたからだ。
 
 『俺の嫁』
 
 リフルワンスでは、そんなことを言う者は、誰1人いない。
 そもそも「嫁」だなんて口にするはずもなかった。
 
 そんな言葉は、この世界にはない。
 
 ジョゼフィーネが知っているのは、前世の記憶があるからだ。
 この世界で、妻は妻でしかありえなかった。
 
 女主人として、家人から「奥様」と呼ばれることはある。
 赤の他人から「○○夫人」と呼ばれることもある。
 が、それらは、夫から妻に対しての呼びかたではない。
 
「あ、あの……」
 
 さらにジョゼフィーネは勇気を振り絞る。
 もう水がひとしずくも落ちないくらい絞りに絞った雑巾並みに。
 
「あ、あなたは……」
 
 彼の言う「嫁」とは「あちら」側の言葉だ。
 もしかすると王太子も自分と同じく転生したのかもしれない。
 それが気になった。
 
(どの道、殺されるとしても……日本で生きてた人に殺されるなら……)
 
 少しは「本望」と言える気がする。
 そもそも、ジョゼフィーネは人生を降りたがっていたのだ。
 誰にどう殺されたって「本望」となりそうなものだが、それはともかく。
 
 ぎゅぎゅうっ。
 
 意気込みが仕草に出てしまう。
 ジョゼフィーネは王太子の左胸のあたりを右手で鷲掴み。
 シャツが、くしゃっとなっているのにも気づかない。
 それよりも、ほかのことで頭がいっぱいになっていた。
 
「な、なぜ嫁と……?」
「俺の嫁だからだ」
「で、ですが……あの……正妃……妻といった……」
「リフルワンスではそう呼ぶのだろうが、我が国は表現豊かな国なのだ」
 
 しゅわしゅわと、気持ちが沈んでいく。
 自分と似た境遇の人がいるかもしれないと、ちょっぴり期待していたせいだ。
 ジョゼフィーネのハイパーネガティブにブーストがかかる。
 
(……引きこもりの私じゃ、ほかの国のことなんて知らなくて、当然……屋敷の外に出たことないし……また、お姉さまたちに馬鹿にされる……でも、どうせ、私、馬鹿だし……たぶん、もう死んじゃうから関係ないけど……)
 
 目の前にいる王太子は、とても無表情。
 ジョゼフィーネは「気に入られていない」と、完全に思い込んでいた。
 
 だいたい、この婚姻は、互いの国のための政略結婚に過ぎないのだ。
 地味で目立たなくて、会話もままならない自分は、ひどく不快だろう。
 気に入らない者など、王太子の一存で首をねられたってしかたがない。
 
(会話が下手なのも、引きこもってた、私の……自業自得だし……)
 
 どんどん後ろ向きになっていく。
 後ろを向き過ぎて、ころんと背中から転がってしまいそうなくらいだった。
 
「俺の曾祖父が字引きの編纂へんさんをしていてな。とても多くの新語を見つけている」
「み、見つけ……?」
「当時、懇意にしていた女性から多くを学んだようだ」
「そ、その、そのかた、は……?」
「70年ほど前に、この世を去っておる」
 
 仮に、だが。
 仮に、その女性がジョゼフィーネと同じように日本から転生したのだとしても、もう会うことはできない。
 同郷か確かめるすべはなかった。
 
(そんなもんだよ……所詮、私の人生だし……いいことなんてあるわけない……)
 
 最期くらいは良いことがあるかも、との願いも散る。
 ジョゼフィーネは、がっかりしてうつむいた。
 しかし、王太子の服はつかんだままだ。
 無意識なので、ジョゼフィーネは手を離していないことに気づかずにいる。
 
「お前も字引きに関心があるのか」
 
 字引きに興味などない。
 と言えば嘘になるので、ジョゼフィーネは黙っていた。
 
 どうせ、そのうち殺されるのだ。
 興味があろうと、関係ない。
 字引きを読む前に、この人生は終了する。
 
 今の彼女は、なにが起ころうと、すべて後ろ向きにしか捉えられない。
 ハイパーネガティブ機能は、簡単にはオフにならないのだ。
 
 なでなで、なでなで。
 
 さりとて、なぜ王太子は、さっきからずっと自分の頭を撫でているのか。
 撫でられて、こちらが気を良くしたところを見計らい、頭をカチ割る気でいるのだろうか。
 それくらいしか頭を撫でられている理由を思いつけなかった。
 
「俺にしがみついておるのは、そういう意味か?」
 
 苦痛なく殺してほしい、という気持ちはある。
 が「そういう意味」として、表明した覚えはない。
 そもそも、しがみついている意識もなかったし。
 
「嫁というのも悪くはないものだ」
 
 くいっと顎を持ち上げられ、視線が交わる。
 直後、スッと王太子の顔が、ジョゼフィーネに近づいて、きた。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

クラスメイトの王子様系女子をナンパから助けたら。

桜庭かなめ
恋愛
 高校2年生の白石洋平のクラスには、藤原千弦という女子生徒がいる。千弦は美人でスタイルが良く、凛々しく落ち着いた雰囲気もあるため「王子様」と言われて人気が高い。千弦とは教室で挨拶したり、バイト先で接客したりする程度の関わりだった。  とある日の放課後。バイトから帰る洋平は、駅前で男2人にナンパされている千弦を見つける。普段は落ち着いている千弦が脚を震わせていることに気付き、洋平は千弦をナンパから助けた。そのときに洋平に見せた笑顔は普段みんなに見せる美しいものではなく、とても可愛らしいものだった。  ナンパから助けたことをきっかけに、洋平は千弦との関わりが増えていく。  お礼にと放課後にアイスを食べたり、昼休みに一緒にお昼ご飯を食べたり、お互いの家に遊びに行ったり。クラスメイトの王子様系女子との温かくて甘い青春ラブコメディ!  ※完結しました!(2024.5.11)  ※小説家になろうとカクヨムでも公開しています。  ※お気に入り登録、いいね、感想などお待ちしております。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

うっかり王子と、ニセモノ令嬢

たつみ
恋愛
キーラミリヤは、6歳で日本という国から転移して十年、諜報員として育てられた。 諜報活動のため、男爵令嬢と身分を偽り、王宮で侍女をすることになる。 運よく、王太子と出会えたはいいが、次から次へと想定外のことばかり。 王太子には「女性といい雰囲気になれない」魔術が、かかっていたのだ! 彼と「いい雰囲気」になる気なんてないのに、彼女が近づくと、魔術が発動。 あげく、王太子と四六時中、一緒にいるはめに! 「情報収集する前に、私、召されそうなんですけどっ?!」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_11 他サイトでも掲載しています。

飯屋の娘は魔法を使いたくない?

秋野 木星
ファンタジー
3歳の時に川で溺れた時に前世の記憶人格がよみがえったセリカ。 魔法が使えることをひた隠しにしてきたが、ある日馬車に轢かれそうになった男の子を助けるために思わず魔法を使ってしまう。 それを見ていた貴族の青年が…。 異世界転生の話です。 のんびりとしたセリカの日常を追っていきます。 ※ 表紙は星影さんの作品です。 ※ 「小説家になろう」から改稿転記しています。

不機嫌領主と、嫌われ令嬢

たつみ
恋愛
公爵令嬢ドリエルダは、10日から20日後に起きる出来事の夢を見る。 悪夢が現実にならないようにしてきたが、出自のこともあって周囲の嫌われ者に。 そして、ある日、婚約者から「この婚約を考え直す」と言われる夢を見てしまう。 最悪の結果を回避するため策を考え、彼女は1人で街に出る。 そこで出会った男性に協力してもらおうとするのだが、彼から言われた言葉は。 「いっそ、お前から婚約を解消すればよいではないか」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_7 他サイトでも掲載しています。

世話焼き宰相と、わがまま令嬢

たつみ
恋愛
公爵令嬢ルーナティアーナは、幼い頃から世話をしてくれた宰相に恋をしている。 16歳の誕生日、意気揚々と求婚するも、宰相は、まったく相手にしてくれない。 いつも、どんな我儘でもきいてくれる激甘宰相が、恋に関してだけは完全拒否。 どうにか気を引こうと、宰相の制止を振り切って、舞踏会へ行くことにする。 が、会場には、彼女に悪意をいだく貴族子息がいて、襲われるはめに! ルーナティアーナの、宰相に助けを求める声、そして恋心は、とどくのか?     ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_2 他サイトでも掲載しています。

若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ
恋愛
子爵令嬢アシュリリスは、次期当主の従兄弟の傍若無人ぶりに振り回されていた。 そんなある日、突然「公爵」が現れ、婚約者として公爵家の屋敷で暮らすことに! 屋敷での暮らしに慣れ始めた頃、別の女性が「離れ」に迎え入れられる。 そして、婚約者と「特別な客人(愛妾)」を伴い、夜会に出席すると言われた。 だが、屋敷の執事を意識している彼女は、少しも気に留めていない。 それよりも、執事の彼の言葉に、胸を高鳴らせていた。 「私でよろしければ、1曲お願いできますでしょうか」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_4 他サイトでも掲載しています。

もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない

もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。 ……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。

処理中です...