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ご冗談を 4
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オリヴァージュの姿は、横目でも見えていた。
ゆるく足を組み、ずっと頬杖をついて、こちらを見ている。
視線にからめとられ、ひどく具合が悪いことになっていた。
否応なく、胸がどきどきしてしまう。
身分を隠し「ナル」として接していた理由はわかった。
オリヴァージュは、彼個人を尊重してほしかったのだろう。
セラフィーナにも、その気持ちは理解できる。
爵位や格付により、手のひらを返す貴族が、いかに多いか。
セラフィーナは、それを知っている。
父という見本がいるからだ。
最初から、オリヴァージュが身分を明かしていたら、父はきっと諸手を上げて、歓迎していたに違いない。
容易く想像できるのが、セラフィーナにとっても、情けなかった。
彼女自身の、父に対する不信感の元でもある。
父には明確な「差別意識」があるのだ。
オリヴァージュにとって、己ではなく、身分を尊重されるのは不本意だろう。
セラフィーナにとっても同じだった。
貴族令嬢として生まれたのはしかたがない。
選びようもないし、どこで生まれたかった、という希望もなかった。
ただ、貴族だからこうしなければいけないとか、こうすべきだとの考えすべてに、納得もできずにいる。
たとえば政略的な婚姻も、そうだ。
貴族の令嬢ならば、あたり前に受け入れるはずのこと。
それが、セラフィーナには受け入れ難い。
つきあう相手を限定されるのだって、違うと感じる。
好きな相手とつきあうのが、なぜいけないのか。
叱責されることだとは思えない。
セラフィーナは、人を人として見る。
身分や立場の違いなど関係なかった。
多くの貴族が重視している「体裁」も、くだらないと思う。
それが、幼い頃から、父や兄たちに違和を感じる理由だった。
彼女は、どうしたって貴族の有り様に馴染めないのだ。
似た感覚があるので、オリヴァージュに「しっくり」くるのかもしれない。
思えば、オリヴァージュが身分を隠している理由もわかる気がする。
さりとて、彼が自分に好意を寄せているとは、やはり信じられないのだけれど。
「私を見たまえ」
唐突に、オリヴァージュの声音が変わった。
淡々とした口調でもなく、陽気さもない。
軽口を叩きそうな雰囲気も、まったく感じられなかった。
むしろ、冴え冴えとした厳しさが漂っている。
オリヴァージュの真剣さに、セラフィーナはたじろいだ。
有無を言わせない響きが、セラフィーナの心を挫けさせる。
反発することもできず、オリヴァージュのほうへと顔を向けた。
まっすぐに見つめてくるダークグリーンの瞳。
そこにも、真剣さがあふれていて、セラフィーナは息をのむ。
視線が交わっても、オリヴァージュは、にこりともしない。
ナルの時のような皮肉っぽい表情すら浮かべてはいなかった。
「これから、私がする問いに、きみは正直に答えなければならない。いいね」
セラフィーナの同意は、期待されていないのだろう。
セラフィーナに警告したに過ぎない。
冗談は抜きだ、と。
体の角度も頬杖をついている姿も、さっきまでと同じだ。
なのに、ずいぶんと傲慢そうに見える。
王族の持つ威厳が、そう見せているのかもしれない。
「教育係として屋敷に行った日、私はきみに、誰かに心を奪われたことはあるか、と訊いた。きみは、どう答えた?」
『今まで、あなたは誰かに心を奪われたことがありますか?』
ナルの言葉を思い出す。
対して、セラフィーナの答えは。
「ない、と答えたわ」
「そうだ。ない、と答えた」
なんだか、とても心もとない気がする。
今にも落ちてしまいそうな吊り橋を渡っているような気分だ。
「では、私が不躾にも、夜にきみの部屋を訪れた際、思い入れのある品はあるかと訊いた、その問いに対する答えは?」
『なにか思い入れのある品はございますか?』
「ない……と、答えたわ」
「ああ、そうだ」
言ってから、オリヴァージュが頬杖をやめた。
体をまっすぐにして、右手を軽く握りこむ。
その手を開き、セラフィーナに「それ」を見せた。
オリヴァージュの右手の親指と人差し指に挟まれているもの。
目にして、鼓動が激しく波打つ。
声をなくしているセラフィーナに見せつけるように、オリヴァージュは、それを何回か裏表に返していた。
けれど、そうされなくても、彼女には、それが「何か」わかっている。
鈍い銀色をした指輪だ。
やがて、オリヴァージュは動きを止め、右手に持った指輪を、するりと、左手の薬指にはめた。
そして、何事もなかったかのように、両手を胸の前で軽く組む。
「私は、きみに、思い出のある場所あるかと訊いた。答えは?」
『どこか思い出のある場所はありますか?』
セラフィーナは、体を小さく縮こまらせた。
答えを言うのが怖かったのだ。
それでも、答えないという選択肢はなかった。
自分がどう答えたかは、覚えている。
「…………ない……と……」
オリヴァージュの顔を、見ていられなかった。
小声で答えながら、うつむく。
「最後の問いだ」
びくっと、体が震えた。
オリヴァージュの最後の問いは、わかっている。
「あの日、きみは、私になんと言った?」
曖昧な記憶の中、はっきりと刻まれていることもあった。
セラフィーナは、あの日、自分が言った言葉を忘れていない。
ずっと覚えていて、だからこそ、屋敷に留まり続けていたのだ。
「待っていてね。私、すぐに大きくなるから」
「待っていてね。私、すぐに大きくなるから」
セラフィーナに合わせて、オリヴァージュが同じ言葉を言った。
ハッとなって、セラフィーナは顔を上げる。
「…………あなたは……平民の子じゃ、なかったのね……」
ゆるく足を組み、ずっと頬杖をついて、こちらを見ている。
視線にからめとられ、ひどく具合が悪いことになっていた。
否応なく、胸がどきどきしてしまう。
身分を隠し「ナル」として接していた理由はわかった。
オリヴァージュは、彼個人を尊重してほしかったのだろう。
セラフィーナにも、その気持ちは理解できる。
爵位や格付により、手のひらを返す貴族が、いかに多いか。
セラフィーナは、それを知っている。
父という見本がいるからだ。
最初から、オリヴァージュが身分を明かしていたら、父はきっと諸手を上げて、歓迎していたに違いない。
容易く想像できるのが、セラフィーナにとっても、情けなかった。
彼女自身の、父に対する不信感の元でもある。
父には明確な「差別意識」があるのだ。
オリヴァージュにとって、己ではなく、身分を尊重されるのは不本意だろう。
セラフィーナにとっても同じだった。
貴族令嬢として生まれたのはしかたがない。
選びようもないし、どこで生まれたかった、という希望もなかった。
ただ、貴族だからこうしなければいけないとか、こうすべきだとの考えすべてに、納得もできずにいる。
たとえば政略的な婚姻も、そうだ。
貴族の令嬢ならば、あたり前に受け入れるはずのこと。
それが、セラフィーナには受け入れ難い。
つきあう相手を限定されるのだって、違うと感じる。
好きな相手とつきあうのが、なぜいけないのか。
叱責されることだとは思えない。
セラフィーナは、人を人として見る。
身分や立場の違いなど関係なかった。
多くの貴族が重視している「体裁」も、くだらないと思う。
それが、幼い頃から、父や兄たちに違和を感じる理由だった。
彼女は、どうしたって貴族の有り様に馴染めないのだ。
似た感覚があるので、オリヴァージュに「しっくり」くるのかもしれない。
思えば、オリヴァージュが身分を隠している理由もわかる気がする。
さりとて、彼が自分に好意を寄せているとは、やはり信じられないのだけれど。
「私を見たまえ」
唐突に、オリヴァージュの声音が変わった。
淡々とした口調でもなく、陽気さもない。
軽口を叩きそうな雰囲気も、まったく感じられなかった。
むしろ、冴え冴えとした厳しさが漂っている。
オリヴァージュの真剣さに、セラフィーナはたじろいだ。
有無を言わせない響きが、セラフィーナの心を挫けさせる。
反発することもできず、オリヴァージュのほうへと顔を向けた。
まっすぐに見つめてくるダークグリーンの瞳。
そこにも、真剣さがあふれていて、セラフィーナは息をのむ。
視線が交わっても、オリヴァージュは、にこりともしない。
ナルの時のような皮肉っぽい表情すら浮かべてはいなかった。
「これから、私がする問いに、きみは正直に答えなければならない。いいね」
セラフィーナの同意は、期待されていないのだろう。
セラフィーナに警告したに過ぎない。
冗談は抜きだ、と。
体の角度も頬杖をついている姿も、さっきまでと同じだ。
なのに、ずいぶんと傲慢そうに見える。
王族の持つ威厳が、そう見せているのかもしれない。
「教育係として屋敷に行った日、私はきみに、誰かに心を奪われたことはあるか、と訊いた。きみは、どう答えた?」
『今まで、あなたは誰かに心を奪われたことがありますか?』
ナルの言葉を思い出す。
対して、セラフィーナの答えは。
「ない、と答えたわ」
「そうだ。ない、と答えた」
なんだか、とても心もとない気がする。
今にも落ちてしまいそうな吊り橋を渡っているような気分だ。
「では、私が不躾にも、夜にきみの部屋を訪れた際、思い入れのある品はあるかと訊いた、その問いに対する答えは?」
『なにか思い入れのある品はございますか?』
「ない……と、答えたわ」
「ああ、そうだ」
言ってから、オリヴァージュが頬杖をやめた。
体をまっすぐにして、右手を軽く握りこむ。
その手を開き、セラフィーナに「それ」を見せた。
オリヴァージュの右手の親指と人差し指に挟まれているもの。
目にして、鼓動が激しく波打つ。
声をなくしているセラフィーナに見せつけるように、オリヴァージュは、それを何回か裏表に返していた。
けれど、そうされなくても、彼女には、それが「何か」わかっている。
鈍い銀色をした指輪だ。
やがて、オリヴァージュは動きを止め、右手に持った指輪を、するりと、左手の薬指にはめた。
そして、何事もなかったかのように、両手を胸の前で軽く組む。
「私は、きみに、思い出のある場所あるかと訊いた。答えは?」
『どこか思い出のある場所はありますか?』
セラフィーナは、体を小さく縮こまらせた。
答えを言うのが怖かったのだ。
それでも、答えないという選択肢はなかった。
自分がどう答えたかは、覚えている。
「…………ない……と……」
オリヴァージュの顔を、見ていられなかった。
小声で答えながら、うつむく。
「最後の問いだ」
びくっと、体が震えた。
オリヴァージュの最後の問いは、わかっている。
「あの日、きみは、私になんと言った?」
曖昧な記憶の中、はっきりと刻まれていることもあった。
セラフィーナは、あの日、自分が言った言葉を忘れていない。
ずっと覚えていて、だからこそ、屋敷に留まり続けていたのだ。
「待っていてね。私、すぐに大きくなるから」
「待っていてね。私、すぐに大きくなるから」
セラフィーナに合わせて、オリヴァージュが同じ言葉を言った。
ハッとなって、セラフィーナは顔を上げる。
「…………あなたは……平民の子じゃ、なかったのね……」
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