33 / 64
ちっちゃな小鳥 1
しおりを挟む
ナルは、夜会に出かける前の、セラフィーナを見つめている。
白に近いベージュの、肩紐がないイブニングドレス姿は、きっと大勢の男性を振り向かせるに違いない。
赤い髪は品よくまとめられ、頭の上で結い上げられている。
耳の横にかかる、ほつれ毛が、可愛らしい印象も醸し出していた。
淡い化粧が、なおさらにセラフィーナの顔立ちを引き立たせている。
勉強部屋の客室で、最後の調整、というところ。
2人以外には、誰もいない。
「合格かしら?」
セラフィーナらしくもない、覇気のない口調だった。
ナルは気づかないフリをする。
これから「正妻選び」の夜会に彼女は赴く。
婚姻には後ろ向きなのだから、憂鬱になるのはしかたがないことなのだ。
「ひとまず、外見は」
「あなたが言うなら問題ないわね」
「デボラに感謝しなさい」
「ええ、わかっているわ。私、自分では、なにもできないもの」
かなりの重症だと思う。
ナルの、いちいちの嫌味に、セラフィーナは応じようとしない。
反発する気力もないようだ。
それほど行きたくないのか。
思うと、複雑な心境になる。
セラフィーナを送り出さなければならないのに、このまま引き留めたくもある。
彼女に、しょんぼりした姿は似合わない。
その思いはあっても、引き留めることはできなかった。
「ナル……私……選ばれると思う?」
口調に不安が滲んでいる。
ネイサンとの婚姻がセラフィーナは嫌なのだ。
それは、ナルにもわかっている。
「選ばれなければ困るのではないですか?」
「……そうね。困るわね……」
嫌がる彼女を送り出すことに、後ろめたさを感じた。
胸が、ずきずきと痛んでもいる。
できるなら引き留めて、抱きしめたかったけれど。
「そろそろ出かけなければ、遅れますよ」
玄関ホールには、外套を持ったトバイアスが待っている。
見送りにと、デボラも来ているだろう。
アルサリア伯爵は正妻と、すでにアドルーリット公爵家に向かっていた。
あとはセラフィーナが馬車に乗って屋敷を出るだけだ。
「ナル……練習をしておきたいわ」
「練習? 今夜は、それほど駆け引きは必要にならないと思いますが」
「駆け引きの練習ではないの」
ナルの近くまでセラフィーナが、歩み寄ってくる。
心臓が、どくりと音を立てた。
肩紐がないドレスは、肩も腕も剥き出しだ。
ぴったりとしていて、体の線も露わだった。
穏やかな色合いが、よけいに扇情的に映る。
なめらかな肌にふれたくなったが、我慢した。
できれば視線をそらせたい。
けれど、そらせてしまうと、意識しているのが明確になる。
しかたなく、ナルはセラフィーナと視線を合わせ、精一杯、自制心を働かせた。
セラフィーナが、ナルを見上げてくる。
茶色い瞳が、わずかに潤んでいた。
「口づけの練習がしたいの」
喉の奥で、なんとか呻き声を押しとどめる。
セラフィーナは真剣で、本気なのは疑う余地もない。
貴族令嬢がする「誘い」とは、まったく別物だとわかる。
立ち尽くしている姿が、とても無防備だからだ。
「必要ありませんね」
「どうして? するかもしれないでしょう?」
「するとしても、もっと先のことになるはずです。夜会での口づけは額か頬だけですよ」
口づけなんか、絶対にできない。
セラフィーナにふれないようにすることにも、必死になっている。
口づけなどしようものなら、自制心は一瞬で瓦解するはずだ。
そのままベッドに連れて行きかねない。
今だって、我慢するのが、つらくてたまらないのだから。
セラフィーナがうつむく。
胸が、きゅっと痛んだ。
ナルとしても、引き留めたい気持ちでいっぱいになっている。
「小さな小鳥が羽ばたく日が来た、というところですね」
「うまく羽ばたける気はしないけれど」
かぼそい声で、セラフィーナが答えた。
彼女が本気になれば、どんな貴族の子息でも、その愛を勝ち取ろうと、簡単に、跪くだろうに。
「今日が、お約束の3ヶ月目となります。いかがでしょう? あなたは私を跪かせられそうですか?」
『あなたが誰とも恋に落ちず、3ヶ月後も先ほどと同じ言葉が言えたなら、私は、潔くあなたの前に跪きましょう』
教育係に不満を持っていたセラフィーナに提示した賭け。
その期限が今夜なのだ。
彼女の中で結論が出ていてもおかしくはない。
が、しかし。
「ネイサン様でなくとも、夜会で、ほかの誰かと恋に落ちる可能性もあると言ったのは、あなたよ、ナル?」
「そうでしたね」
「結果は夜会から帰ったあと教えるわ」
セラフィーナは顔を上げ、ナルから視線をそらせた。
そして、スッとナルの横を抜け、扉に向かう。
ナルも見送るため、後を追おうとした。
「見送りはいいわ。あなたの“教育”は、ここまでよ」
さっきまでの頼りなげな口調は消えている。
ぴしゃりと言い切り、ナルを置き去りに、セラフィーナは部屋を出て行った。
ナルは、閉められた扉を見つめる。
しばしの間のあと、自分の右手に視線を落とした。
軽く、その手を開く。
「……私のちっちゃな小鳥……」
セラフィーナの怒った顔、不満げに口をとがらせるさま、大口を開けての笑顔。
それらが、手の中に見えた。
その手を握り締める。
「風切り羽を切り落とすことができれば、良かったのですがね」
そうすれば、小鳥は空を飛べない。
飛べない小鳥は、ずっと自分の手の中に。
白に近いベージュの、肩紐がないイブニングドレス姿は、きっと大勢の男性を振り向かせるに違いない。
赤い髪は品よくまとめられ、頭の上で結い上げられている。
耳の横にかかる、ほつれ毛が、可愛らしい印象も醸し出していた。
淡い化粧が、なおさらにセラフィーナの顔立ちを引き立たせている。
勉強部屋の客室で、最後の調整、というところ。
2人以外には、誰もいない。
「合格かしら?」
セラフィーナらしくもない、覇気のない口調だった。
ナルは気づかないフリをする。
これから「正妻選び」の夜会に彼女は赴く。
婚姻には後ろ向きなのだから、憂鬱になるのはしかたがないことなのだ。
「ひとまず、外見は」
「あなたが言うなら問題ないわね」
「デボラに感謝しなさい」
「ええ、わかっているわ。私、自分では、なにもできないもの」
かなりの重症だと思う。
ナルの、いちいちの嫌味に、セラフィーナは応じようとしない。
反発する気力もないようだ。
それほど行きたくないのか。
思うと、複雑な心境になる。
セラフィーナを送り出さなければならないのに、このまま引き留めたくもある。
彼女に、しょんぼりした姿は似合わない。
その思いはあっても、引き留めることはできなかった。
「ナル……私……選ばれると思う?」
口調に不安が滲んでいる。
ネイサンとの婚姻がセラフィーナは嫌なのだ。
それは、ナルにもわかっている。
「選ばれなければ困るのではないですか?」
「……そうね。困るわね……」
嫌がる彼女を送り出すことに、後ろめたさを感じた。
胸が、ずきずきと痛んでもいる。
できるなら引き留めて、抱きしめたかったけれど。
「そろそろ出かけなければ、遅れますよ」
玄関ホールには、外套を持ったトバイアスが待っている。
見送りにと、デボラも来ているだろう。
アルサリア伯爵は正妻と、すでにアドルーリット公爵家に向かっていた。
あとはセラフィーナが馬車に乗って屋敷を出るだけだ。
「ナル……練習をしておきたいわ」
「練習? 今夜は、それほど駆け引きは必要にならないと思いますが」
「駆け引きの練習ではないの」
ナルの近くまでセラフィーナが、歩み寄ってくる。
心臓が、どくりと音を立てた。
肩紐がないドレスは、肩も腕も剥き出しだ。
ぴったりとしていて、体の線も露わだった。
穏やかな色合いが、よけいに扇情的に映る。
なめらかな肌にふれたくなったが、我慢した。
できれば視線をそらせたい。
けれど、そらせてしまうと、意識しているのが明確になる。
しかたなく、ナルはセラフィーナと視線を合わせ、精一杯、自制心を働かせた。
セラフィーナが、ナルを見上げてくる。
茶色い瞳が、わずかに潤んでいた。
「口づけの練習がしたいの」
喉の奥で、なんとか呻き声を押しとどめる。
セラフィーナは真剣で、本気なのは疑う余地もない。
貴族令嬢がする「誘い」とは、まったく別物だとわかる。
立ち尽くしている姿が、とても無防備だからだ。
「必要ありませんね」
「どうして? するかもしれないでしょう?」
「するとしても、もっと先のことになるはずです。夜会での口づけは額か頬だけですよ」
口づけなんか、絶対にできない。
セラフィーナにふれないようにすることにも、必死になっている。
口づけなどしようものなら、自制心は一瞬で瓦解するはずだ。
そのままベッドに連れて行きかねない。
今だって、我慢するのが、つらくてたまらないのだから。
セラフィーナがうつむく。
胸が、きゅっと痛んだ。
ナルとしても、引き留めたい気持ちでいっぱいになっている。
「小さな小鳥が羽ばたく日が来た、というところですね」
「うまく羽ばたける気はしないけれど」
かぼそい声で、セラフィーナが答えた。
彼女が本気になれば、どんな貴族の子息でも、その愛を勝ち取ろうと、簡単に、跪くだろうに。
「今日が、お約束の3ヶ月目となります。いかがでしょう? あなたは私を跪かせられそうですか?」
『あなたが誰とも恋に落ちず、3ヶ月後も先ほどと同じ言葉が言えたなら、私は、潔くあなたの前に跪きましょう』
教育係に不満を持っていたセラフィーナに提示した賭け。
その期限が今夜なのだ。
彼女の中で結論が出ていてもおかしくはない。
が、しかし。
「ネイサン様でなくとも、夜会で、ほかの誰かと恋に落ちる可能性もあると言ったのは、あなたよ、ナル?」
「そうでしたね」
「結果は夜会から帰ったあと教えるわ」
セラフィーナは顔を上げ、ナルから視線をそらせた。
そして、スッとナルの横を抜け、扉に向かう。
ナルも見送るため、後を追おうとした。
「見送りはいいわ。あなたの“教育”は、ここまでよ」
さっきまでの頼りなげな口調は消えている。
ぴしゃりと言い切り、ナルを置き去りに、セラフィーナは部屋を出て行った。
ナルは、閉められた扉を見つめる。
しばしの間のあと、自分の右手に視線を落とした。
軽く、その手を開く。
「……私のちっちゃな小鳥……」
セラフィーナの怒った顔、不満げに口をとがらせるさま、大口を開けての笑顔。
それらが、手の中に見えた。
その手を握り締める。
「風切り羽を切り落とすことができれば、良かったのですがね」
そうすれば、小鳥は空を飛べない。
飛べない小鳥は、ずっと自分の手の中に。
0
お気に入りに追加
215
あなたにおすすめの小説
うっかり王子と、ニセモノ令嬢
たつみ
恋愛
キーラミリヤは、6歳で日本という国から転移して十年、諜報員として育てられた。
諜報活動のため、男爵令嬢と身分を偽り、王宮で侍女をすることになる。
運よく、王太子と出会えたはいいが、次から次へと想定外のことばかり。
王太子には「女性といい雰囲気になれない」魔術が、かかっていたのだ!
彼と「いい雰囲気」になる気なんてないのに、彼女が近づくと、魔術が発動。
あげく、王太子と四六時中、一緒にいるはめに!
「情報収集する前に、私、召されそうなんですけどっ?!」
◇◇◇◇◇
設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。
R-Kingdom_11
他サイトでも掲載しています。
口下手公爵と、ひたむき令嬢
たつみ
恋愛
「放蕩公爵と、いたいけ令嬢」続編となります。
この話のみでも、お読み頂けるようになっております。
公爵令嬢のシェルニティは、18年間、周囲から見向きもされずに生きてきた。
が、偶然に出会った公爵家当主と愛し愛される仲となり、平和な日を送っている。
そんな中、彼と前妻との間に起きた過去を、知ってしまうことに!
動揺しながらも、彼を思いやる気持ちから、ほしかった子供を諦める決意をする。
それを伝えたあと、彼との仲が、どこか、ぎこちなくなってしまって。
さらに、不安と戸惑いを感じている彼女に、王太子が、こう言った。
「最初に手を差し伸べたのが彼でなくても、あなたは彼を愛していましたか?」
◇◇◇◇◇
設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。
R-Kingdom_9
他サイトでも掲載しています。
世話焼き宰相と、わがまま令嬢
たつみ
恋愛
公爵令嬢ルーナティアーナは、幼い頃から世話をしてくれた宰相に恋をしている。
16歳の誕生日、意気揚々と求婚するも、宰相は、まったく相手にしてくれない。
いつも、どんな我儘でもきいてくれる激甘宰相が、恋に関してだけは完全拒否。
どうにか気を引こうと、宰相の制止を振り切って、舞踏会へ行くことにする。
が、会場には、彼女に悪意をいだく貴族子息がいて、襲われるはめに!
ルーナティアーナの、宰相に助けを求める声、そして恋心は、とどくのか?
◇◇◇◇◇
設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。
R-Kingdom_2
他サイトでも掲載しています。
人でなし主と、じゃじゃ馬令嬢
たつみ
恋愛
公爵令嬢のサマンサは、間近に迫った婚約を破談にすべく、ある屋敷を訪れる。
話してみると、その屋敷の主は、思っていたよりも、冷酷な人でなしだった。
だが、彼女に選ぶ道はなく、彼と「特別な客人(愛妾)」になる契約を結ぶことに。
彼女の差し出せる対価は「彼の駒となる」彼女自身の存在のみ。
それを伝えた彼女に、彼が言った。
「それは、ベッドでのことも含まれているのかな?」
◇◇◇◇◇
設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。
R-Kingdom_5
他サイトでも掲載しています。
放蕩公爵と、いたいけ令嬢
たつみ
恋愛
公爵令嬢のシェルニティは、両親からも夫からも、ほとんど「いない者」扱い。
彼女は、右頬に大きな痣があり、外見重視の貴族には受け入れてもらえずにいた。
夫が側室を迎えた日、自分が「不要な存在」だと気づき、彼女は滝に身を投げる。
が、気づけば、見知らぬ男性に抱きかかえられ、死にきれないまま彼の家に。
その後、屋敷に戻るも、彼と会う日が続く中、突然、夫に婚姻解消を申し立てられる。
審議の場で「不義」の汚名を着せられかけた時、現れたのは、彼だった!
「いけないねえ。当事者を、1人、忘れて審議を開いてしまうなんて」
◇◇◇◇◇
設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。
R-Kingdom_8
他サイトでも掲載しています。
理想の男性(ヒト)は、お祖父さま
たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。
そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室?
王太子はまったく好みじゃない。
彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。
彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。
そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった!
彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。
そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。
恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。
この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?
◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
R-Kingdom_1
他サイトでも掲載しています。
不機嫌領主と、嫌われ令嬢
たつみ
恋愛
公爵令嬢ドリエルダは、10日から20日後に起きる出来事の夢を見る。
悪夢が現実にならないようにしてきたが、出自のこともあって周囲の嫌われ者に。
そして、ある日、婚約者から「この婚約を考え直す」と言われる夢を見てしまう。
最悪の結果を回避するため策を考え、彼女は1人で街に出る。
そこで出会った男性に協力してもらおうとするのだが、彼から言われた言葉は。
「いっそ、お前から婚約を解消すればよいではないか」
◇◇◇◇◇
設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。
R-Kingdom_7
他サイトでも掲載しています。
純潔の寵姫と傀儡の騎士
四葉 翠花
恋愛
侯爵家の養女であるステファニアは、国王の寵愛を一身に受ける第一寵姫でありながら、未だ男を知らない乙女のままだった。
世継ぎの王子を授かれば正妃になれると、他の寵姫たちや養家の思惑が絡み合う中、不能の国王にかわってステファニアの寝台に送り込まれたのは、かつて想いを寄せた初恋の相手だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる