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ちっちゃな小鳥 1

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 ナルは、夜会に出かける前の、セラフィーナを見つめている。
 白に近いベージュの、肩紐がないイブニングドレス姿は、きっと大勢の男性を振り向かせるに違いない。
 赤い髪は品よくまとめられ、頭の上で結い上げられている。
 耳の横にかかる、ほつれ毛が、可愛らしい印象も醸し出していた。
 淡い化粧が、なおさらにセラフィーナの顔立ちを引き立たせている。
 
 勉強部屋の客室で、最後の調整、というところ。
 2人以外には、誰もいない。
 
「合格かしら?」
 
 セラフィーナらしくもない、覇気のない口調だった。
 ナルは気づかないフリをする。
 これから「正妻選び」の夜会に彼女は赴く。
 婚姻には後ろ向きなのだから、憂鬱になるのはしかたがないことなのだ。
 
「ひとまず、外見は」
「あなたが言うなら問題ないわね」
「デボラに感謝しなさい」
「ええ、わかっているわ。私、自分では、なにもできないもの」
 
 かなりの重症だと思う。
 ナルの、いちいちの嫌味に、セラフィーナは応じようとしない。
 反発する気力もないようだ。
 
 それほど行きたくないのか。
 
 思うと、複雑な心境になる。
 セラフィーナを送り出さなければならないのに、このまま引きめたくもある。
 彼女に、しょんぼりした姿は似合わない。
 その思いはあっても、引き留めることはできなかった。
 
「ナル……私……選ばれると思う?」
 
 口調に不安が滲んでいる。
 ネイサンとの婚姻がセラフィーナは嫌なのだ。
 それは、ナルにもわかっている。
 
「選ばれなければ困るのではないですか?」
「……そうね。困るわね……」
 
 嫌がる彼女を送り出すことに、後ろめたさを感じた。
 胸が、ずきずきと痛んでもいる。
 できるなら引き留めて、抱きしめたかったけれど。
 
「そろそろ出かけなければ、遅れますよ」
 
 玄関ホールには、外套を持ったトバイアスが待っている。
 見送りにと、デボラも来ているだろう。
 アルサリア伯爵は正妻と、すでにアドルーリット公爵家に向かっていた。
 あとはセラフィーナが馬車に乗って屋敷を出るだけだ。
 
「ナル……練習をしておきたいわ」
「練習? 今夜は、それほど駆け引きは必要にならないと思いますが」
「駆け引きの練習ではないの」
 
 ナルの近くまでセラフィーナが、歩み寄ってくる。
 心臓が、どくりと音を立てた。
 
 肩紐がないドレスは、肩も腕も剥き出しだ。
 ぴったりとしていて、体の線も露わだった。
 穏やかな色合いが、よけいに扇情的に映る。
 
 なめらかな肌にふれたくなったが、我慢した。
 できれば視線をそらせたい。
 けれど、そらせてしまうと、意識しているのが明確になる。
 しかたなく、ナルはセラフィーナと視線を合わせ、精一杯、自制心を働かせた。
 
 セラフィーナが、ナルを見上げてくる。
 茶色い瞳が、わずかに潤んでいた。
 
「口づけの練習がしたいの」
 
 喉の奥で、なんとか呻き声を押しとどめる。
 セラフィーナは真剣で、本気なのは疑う余地もない。
 貴族令嬢がする「誘い」とは、まったく別物だとわかる。
 立ち尽くしている姿が、とても無防備だからだ。
 
「必要ありませんね」
「どうして? するかもしれないでしょう?」
「するとしても、もっと先のことになるはずです。夜会での口づけは額か頬だけですよ」
 
 口づけなんか、絶対にできない。
 セラフィーナにふれないようにすることにも、必死になっている。
 口づけなどしようものなら、自制心は一瞬で瓦解するはずだ。
 そのままベッドに連れて行きかねない。
 
 今だって、我慢するのが、つらくてたまらないのだから。
 
 セラフィーナがうつむく。
 胸が、きゅっと痛んだ。
 ナルとしても、引き留めたい気持ちでいっぱいになっている。
 
「小さな小鳥が羽ばたく日が来た、というところですね」
「うまく羽ばたける気はしないけれど」
 
 かぼそい声で、セラフィーナが答えた。
 彼女が本気になれば、どんな貴族の子息でも、その愛を勝ち取ろうと、簡単に、ひざまずくだろうに。
 
「今日が、お約束の3ヶ月目となります。いかがでしょう? あなたは私を跪かせられそうですか?」
 
 『あなたが誰とも恋に落ちず、3ヶ月後も先ほどと同じ言葉が言えたなら、私は、潔くあなたの前に跪きましょう』
 
 教育係に不満を持っていたセラフィーナに提示した賭け。
 その期限が今夜なのだ。
 彼女の中で結論が出ていてもおかしくはない。
 が、しかし。
 
「ネイサン様でなくとも、夜会で、ほかの誰かと恋に落ちる可能性もあると言ったのは、あなたよ、ナル?」
「そうでしたね」
「結果は夜会から帰ったあと教えるわ」
 
 セラフィーナは顔を上げ、ナルから視線をそらせた。
 そして、スッとナルの横を抜け、扉に向かう。
 ナルも見送るため、後を追おうとした。
 
「見送りはいいわ。あなたの“教育”は、ここまでよ」
 
 さっきまでの頼りなげな口調は消えている。
 ぴしゃりと言い切り、ナルを置き去りに、セラフィーナは部屋を出て行った。
 
 ナルは、閉められた扉を見つめる。
 しばしの間のあと、自分の右手に視線を落とした。
 軽く、その手を開く。
 
「……私のちっちゃな小鳥……」
 
 セラフィーナの怒った顔、不満げに口をとがらせるさま、大口を開けての笑顔。
 それらが、手の中に見えた。
 その手を握り締める。
 
「風切り羽を切り落とすことができれば、良かったのですがね」
 
 そうすれば、小鳥は空を飛べない。
 飛べない小鳥は、ずっと自分の手の中に。
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