ウソつき殿下と、ふつつか令嬢

たつみ

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 セラフィーナは、深夜、部屋から抜け出していた。
 デボラは一緒ではない。
 月明りの中、1人で庭を歩いている。
 
 胸の奥が、ざわざわして、落ち着かないのだ。
 こんな気分は初めてで、セラフィーナ自身、戸惑っている。
 頭の中に、いつもナルがいるみたいで。
 
 夜会や夕食会で、ナルとは声に出さない会話をしていた。
 即言葉そくことばという、繋がっている者同士だけで話せる魔術なのだそうだ。
 ある種、まったく閉ざされた中で会話をしていたと言える。
 
 屋敷でもどこでも、本当の2人きりにはならない。
 誰かしらが、どこかにいる。
 けれど、魔術での会話は違うのだ。
 
 ナルと完全に2人だけ。
 
 そのせいなのだろうか。
 ずっとかたわらに、ナルがいるような気持ちになってしまう。
 ナルは「用がない限り、見ませんし、話しかけたりしません」と言っていた。
 セラフィーナは、たいして気にしていなかったのだけれども。
 
 『あなたの着替えを覗くことに、魔術など使いませんよ』
 
 セラフィーナの体には興味がない、とナルは言いたかったに違いない。
 言われなくてもわかっている。
 そもそも「そういう」目で見られてはいないのだ。
 ナルにとって、自分は出来の悪い生徒でしかない。
 
 思うと、胸の奥が、ちくちくと痛む。
 ダンス練習の際に「意識されている」と感じたが、やはり「ご令嬢」に対しての立場を意識していただけなのだろう。
 
(いいけど……だって、どうせナルはいなくなっちゃうんだし……)
 
 教育係としての役目が終わったら、ナルは屋敷を去る。
 最初から決まっていたことだ。
 なのに、今となっては、ナルのいない生活が考えられずにいた。
 ずっとそばにいてほしいと感じているのは自覚している。
 
(……意地悪で……嫌味ばっかり言って、いけ好かないのに……)
 
 ナルがいなくなると想像するだけで寂しかった。
 気取らずに言いたい放題できて、口喧嘩だってする。
 そんな相手は、ナルだけだ。
 およそ貴族は「言いたい放題」なんてしやしないのだから。
 
 ネイサンでなくとも、どこかの貴族の元に嫁いだら、いつも気取っていなければならなくなる。
 自分の将来には、堅苦しく、窮屈な生活が待っているのだ。
 今回は諦めてくれたとしても、父が似たようなことを言い出すとわかっていた。
 
「体裁が……1番大事、なんだものね」
 
 セラフィーナが父に不信感をいだくきっかけになった出来事を思い出す。
 激高した父の姿に、どれほど傷ついたか。
 なぜなら、セラフィーナは、その平民の男の子と遊んでいて、本当に楽しかったからだ。
 
 家族の中にいても、しっくりこない。
 テーブルにつき談笑している家族の姿を、遠くから見ているような違和感。
 
 幼いながらも、セラフィーナは、自分が「貴族らしくない」と感じていたのだ。
 当時は、そこまで明確ではなかったため、よけいに困惑していた。
 自分の何がいけないのか、と。
 
 もとより大事件があってセラフィーナは変わったのではない。
 物心ついた頃には、すでにそんなふうだった。
 だから、家族に馴染めない自分がおかしいのだと思いつつも、原因を見つけられないまま、大人になっている。
 今だって、よくわからないくらいだ。
 
(彼は……今頃、どうしているかしら? あんな目に合ったら2度と近寄りたくないって思うわよね……)
 
 セラフィーナは5歳で、彼は、だいぶ年上のようだった。
 顔も姿もよく覚えてはいないが、優しくしてもらったことは記憶にある。
 家族といるよりも「しっくり」きた。
 言葉が言葉として通じる相手に、初めて出会えた気分になれたのだ。
 
 彼とのことがなければ、自分を保っていられなかったかもしれない。
 貴族とはそういうものだと諦めて、内心はどうあれ、体裁を重んじるフリだけはうまくなっていた気がする。
 世の中には自分の言葉が通じる相手がいると、セラフィーナは彼との出会いで知った。
 
 だからこそ、勤め人たちとは気楽につきあえている。
 家族よりも、ずっと親しく。
 
(貴族の娘なんかに生まれてこなきゃ良かった……そうすれば……)
 
 セラフィーナは足を止め、ハッとなった。
 これまでも何度も思ってきたことだ。
 そのたびに思い浮かんだのは、ぼんやりとした彼の姿。
 曖昧な輪郭の彼に、それでも思いを馳せてきたのに。
 
(なんで……? どうして……ナルが……)
 
 今、出てきたのは、ナルの姿だった。
 1度だけ見た、本物の笑顔が思い浮かんだのだ。
 きゅっと、胸が締めつけられる。
 
(そんなこと……ありっこない……)
 
 否定してみても、ナルの姿は消えなかった。
 セラフィーナの心に、図々しくも居座り続けている。
 そして、彼女も、それを許していた。
 
 貴族令嬢でなければ、そうすれば。
 
 どうだと言うのか。
 自分の思考の先を考えるのが怖くなる。
 とはいえ、嫌でも結果が突き付けられていた。
 
 そうすれば、魔術師のナルと一緒にいられたのに。
 
 ナルは魔術師で爵位を持たない。
 万が一、ナルが自分に想いを寄せてくれたとしても、うまくはいかないのだ。
 父が反対するに決まっていた。
 魔術師と親密になるなんて、父は絶対に許さないだろう。
 
 そこまで考えて、セラフィーナは諦める。
 3ヶ月後、ナルをひざまずかせることは、もうできない。
 
 自分は、ナルに恋をしている。
 
 ナルに受け入れてもらえるとは思えないし、状況だって最悪だった。
 セラフィーナはネイサンの正妻候補なのだ。
 気づいたところで、どうにもならない想い。
 
(気づきたくなかったわよ……こんなの、苦しいだけじゃない……)
 
 痛む胸を掴み、月を見上げた。
 なんだか泣いてしまいそうだったからだ。
 
「おや? チョコレートが溶けそうになっていますが、どうしました?」
 
 驚いて、声のほうへと顔を向ける。
 たった今、恋を自覚したばかりのセラフィーナにとって会いたくない人物。
 ローブ姿のナルが、立っていた。
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