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意地の悪さにほどがない 2

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 アルサリア伯爵屋敷の客室のひとつを、勉強部屋としている。
 初日は、試験と、これから学ぶべきことを、ひと通り説明して終了。
 セラフィーナが、ぐったりしてしまい、勉強できる状態ではなかったからだ。
 集中力も落ちまくり、ナルの言葉にも生返事をすることが多くなっていた。
 だから、切り上げたのだが、今日からは本腰を入れての「勉強」の始まり。
 
「ちょっと……それ、なに……?」
「乗馬鞭です」
 
 テーブルを挟み、向かいに座るセラフィーナの目が見開かれている。
 さすがと思えるのは、瞳に「怯え」がないことだった。
 彼女は、気が強く、可愛げのない負けず嫌い。
 なにかを怖がったり、怯えたりすることを、己に許していないのだ。
 常に前に出ようとするし、立ち向かおうとする。
 
 その膝を屈させてやりたい。
 
 内心では、そんなことを思いつつ、ナルは、左の手のひらの上に右手で持った乗馬鞭を、ぱしんぱしん。
 軽い音を響かせてみせる。
 
 長さ60センチ少々。
 直系2センチ程度の握り部分から平たい長方形のフラップ部分まで、すべて黒。
 真っ黒。
 
「馬を叩くのに、牛の皮を使うというのは面白いですよね」
 
 牛の本革を使っているため、上品な光沢があった。
 それを、繰り返し、セラフィーナの前で、ぱしんぱしん。
 
「鞭で、私をぶつつもり?」
 
 挑戦的な目で睨みつけられる。
 セラフィーナは知らないのだろう。
 挑戦的な瞳が、時には「挑発的」なものになることを。
 
「ぶつ? 私があなたを? まさか」
 
 あえて、呆れた口調で言った。
 案の定、セラフィーナが少し前のめりになってくる。
 
「それなら、なぜそんなも……」
 
 言葉が、途中で止まっていた。
 というより、ナルが止めている。
 乗馬鞭をセラフィーナに伸ばし、フラップを顎の下に置いていた。
 支えるようにして、少し、クイッと持ち上げる。
 
「会話をする時に、前傾姿勢はいけません。顎の位置はこのままで、体を後ろに、背筋を伸ばしなさい」
 
 セラフィーナとの距離は約1メートル。
 ナルが手を少し伸ばせば、簡単に乗馬鞭がとどくのだ。
 そのために、わざわざ短鞭を選んでいる。
 
「それから、先ほどの話ですが、私は、あなたをぶつつもりはありませんよ。ぶつということは叱るということですからね」
 
 セラフィーナが体を後ろに引いていた。
 顎は、まだフラップの上にある。
 
「あなたは、ご自分が叱ってもらえるレベルにいると思っているのですか?」
 
 ぐぐ…と、セラフィーナの喉から奇妙な音が聞こえた。
 昨日の成績の悪さから反論はできないが、悪態はつきたいのだろう。
 今のは、罵倒の言葉を、なんとか飲み込んだ音に違いない。
 瞳に、烈火のごとき怒りが見えているけれども、ナルは気にしなかった。
 セラフィーナが嫌いだと知っている、わざとらしい「にっこり」をする。
 
「私のような魔術師に、気安くふれてほしくはないでしょう? これでも、私は、あなたに気を遣っているのですよ」
 
 セラフィーナは伯爵令嬢であり、軽々しく肌にふれることはできない。
 あらぬ噂を立てられれば「傷」がつく恐れもあるからだ。
 が、ナルにとって、それは建前でしかないのだけれども。
 
「まずは1ヶ月後の夜会に向けて、学ぶべきことに優先順位をつけました。最初は表情です。今のような、相手を射殺しかねない目つきは感心しませんね」
「な、なによ、それはナ……うぐ……」
「表情と言ったでしょう? 話す必要はありません」
 
 乗馬鞭で下がってきた顎を持ち上げ、セラフィーナを制した。
 彼女は話し始めると顎が下がってくるのだ。
 
 背筋を伸ばし、少し顎を上げ、ツンとすました姿が「令嬢」の基本。
 けれど、やり過ぎも良くない。
 微妙な角度というものがある。
 
「眉を吊り上げないでください。眉を下げて」
 
 表情を作るのも大事なことなのだ。
 貴族は「駆け引き」を好む者が多い。
 嗜みだと認識されている。
 そのため、表情を作れないと、それだけで侮られてしまう。
 
「下げ過ぎです。なんですか、そのぺしょっとした眉は。もの柔らかい眉を作ってほしいのですがね」
 
 眉を上げたり、下げたりするセラフィーナに、笑いそうになるのをこらえた。
 彼女は、意図的に表情を作るなんてしたこともないのだろう。
 ずいぶんと苦労している。
 わかってはいたが、さらに難しい注文をつけた。
 
「目は薄く閉じ、唇も軽く閉じる感じで」
 
 伏し目がちで、口元を引き結んでいる印象を与えないことが肝心なのだ。
 相手に、わずかな隙を見せつつ、その隙を突かせない。
 それが「駆け引き」においての基礎となる。
 
 が、しかし。
 
 ナルは、自分の腹筋が、くっくっと引き攣るのを感じた。
 腹に力を入れていないと、今にも吹き出してしまいそうになる。
 まともにセラフィーナを直視しているだけでも精神力を要していた。
 
(どうして、こんな面白い顔になるのでしょう)
 
 言われたことを、やろうとしているのはわかる。
 さりとて、まったくできていない。
 
 眉は、ふにょふにょへにゃへにゃしているし、目は伏し目ではなく寝ぼけまなこという調子だし、唇にいたっては涎でも垂らしそうな勢いだ。
 こんな令嬢、アドルーリット公爵子息どころか、どこの子息からも、相手にされないだろう。
 
「壊滅的ですね」
 
 セラフィーナが表情を作るのをやめ、ナルを睨んでくる。
 やりたくもないことをやっている、と言いたげだった。
 実際、それが本音だろうし。
 
「今日は、これができるまで終われないと思いなさい」
「こんなこと1日中やってら……っ……ぐぐっ……」
 
 ナルは目を細め、乗馬鞭をクイっと持ち上げる。
 それから、わずかに前へと突き出し、セラフィーナの体を後ろへと押した。
 
「体を前に倒してはいけないと言ったはずですが?」
 
 ナルにしても、セラフィーナが表情を作れるようになるまでは、試練なのだ。
 なにしろ彼女の面白過ぎる顔に、笑うことができないのだから。
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