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後日談

心というのは

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 空は晴れていて、とても気持ちのいい季節になっていた。
 周りの木々は、少しずつ緑の色を取り戻しつつある。
 春の訪れが近いのだ。
 そんな空を見上げ、吐息をもらした。
 
 苺をとけこませたような金髪が、ゆるく風になびいている。
 明るい陽射しに、金色にも見える薄茶色の瞳は、ほんの少し揺れていた。、
 
 悩んでいる、と言えば、悩んでいる。
 
 ブレインバーグ公爵家令嬢だったシェルニティは、もうすぐ嫁ぐのだ。
 そして、令嬢ではなくなり、公爵夫人、となる。
 式までは、ひと月ほど。
 
「ねえ、アリス。私、ろくでもないことを考えているような気がするの」
 
 さわさわとした心地良い感触。
 アリスという名の馬を、シェルニティは、とても気に入っていた。
 暗い青にも見える毛並みと目が、とても美しい馬だ。
 たてがみを撫でながら、首元に頬を押し当てる。
 
「あなた、知っていた? 式が終わったあとは、新婚旅行というものに出かけるのですって」
 
 式の準備は「完璧に」着々と進んでいた。
 婚姻相手の屋敷で、こじんまりと行う予定だ。
 参列者も、公爵家の式としては、異例と言えるほど少ない。
 けれど、シェルニティは納得している。
 
 そもそも、シェルニティに知り合いが少ないからだ。
 そして、彼と重複している。
 シェルニティの縁者を呼ぶ予定はなかった。
 そのほうがいいと、彼女自身も思っている。
 
 生まれながらに、家族と言える者たちとは疎遠。
 これまで、誰とも近しい関係になったことはない。
 最近、ようやく両親や妹と「会話」するようになったくらいなのだ。
 そのため、あまり親近感をいだけずにいる。
 
 シェルニティにとって、彼らは、好き嫌いの判別すらつけられない、他人よりも他人な人たち。
 正直、突然に距離を縮められても、戸惑いするだけだった。
 それを見越して作られたであろう列席者一覧に、シェルニティは感謝している。
 
「ほかは、すべて決まっているのだけれど、旅程だけ2種類あったの。どちらかを選ぶことになると思うわ」
 
 式の翌日の日程には「新婚旅行」との記載があった。
 彼と2人で旅行に出るのだ。
 婚姻した2人が、完全に2人きりで過ごすものらしい。
 とはいえ、ほとんどの場合、シェルニティは彼と2人で過ごしている。
 すでに一緒に暮らしているからだ。
 
 もちろん、彼と旅行に出るのは初めてなので、それはそれで嬉しい。
 ただ、そこには、ある種の意味が含まれてもいる。
 
「私は、夏には20になるのよね」
 
 ぺろん。
 
 アリスが、シェルニティの頬を舐めてきた。
 くすぐったくて、思わず、笑ってしまう。
 アリスには、こういうところがある。
 馬であるにもかかわらず、シェルニティの不安や心配を、察しているかのような仕草を見せるのだ。
 
「そう、心配することはないのよ、アリス」
 
 ここ、ロズウェルド王国の出産適齢期は16から18歳とされている。
 25歳まではともかく、そこを境に、出産時の死亡率が急激に上がるのだ。
 25歳を越えての出産では、そのほとんどで、子か母親のどちらか、もしくは、双方ともに命を落とす。
 これは、ロズウェルドにのみ魔術師が存在していることに起因しているそうだ。
 
 死亡率が高くないとはいえ、適齢期を過ぎてからの出産に危険が伴うのは確か。
 よって、適齢とされる時期が限られているのは、しかたのないことだった。
 早いに越したことはないとされるのもまた、しかたのないことなのだ。
 とくに、彼のような人にとっては。
 
 シェルニティになにかあれば、彼は、心に計り知れない痛手を被る。
 
 シェルニティが自信過剰なわけでも、大袈裟でも比喩でもない。
 本当にそうなのだと、彼女は知っている。
 それでも、彼は、シェルニティとの子供を望んでくれた。
 ならば、早いに越したことはないと、シェルニティも思っている。
 
 のだけれども。
 
 シェルニティは、アリスの顔を両手でつつむようにして、瞳をじっと見つめた。
 鼻に、鼻を、つんっとくっつける。
 アリスの耳が、視界の端っこで、ぴくぴくっとした。
 
「自信がないの」
 
 言ってみてから、少し考える。
 自分の心情と、微妙に、ずれている気がしたからだ。
 
「いいえ、そうじゃないわね。自信なんて持っているのかもわからないわ」
 
 自信がある、というのが、どういう心持ちのものなのかすら、シェルニティにはわからなかった。
 もとより自信なんて持ったことがない。
 自分にあるのかすら、判断できずにいる。
 
「でも、彼は違うでしょう? 放蕩していた頃の女性遍歴を書き出せば、恐ろしく長くなるに違いないものね。だから、自信がないというより不安と言うべきかも? がっかりされるのじゃないかと思っているみたい」
 
 はぁ…と、深い溜め息をついた。
 こんなふうに悩むことなど、1年前なら有り得なかっただろう。
 婚姻の解消をしたため、経歴上、彼女は「婚姻しなかった」ことになっている。
 
 が、1年ほど前には、夫とされる男性がいたのだ。
 ただし、その「夫」は、シェルニティを妻とは見做みなしていなかったし、当然に、ベッドをともにしたこともない。
 それどころか、婚姻の手続きの際ですら、彼女の手にふれようともしなかった。
 婚姻後の態度は、推して知るべし、だ。
 
 もっとも、シェルニティは、貴族教育をきちんと受けてはいたので、男女のいとなみがどういうものかは、知っている。
 ただ、それは知識上のものに過ぎず、自分には関係ないものだと、あまり真剣に捉えてはいなかった。
 性的な理由も含め、自分を求める男性がいるとは思っていなかったので。
 
「ねえ、アリスっ?」
 
 急な呼びかけに驚いたのか、アリスが、パタパタッとまばたきをする。
 逆に、シェルニティは目を伏せた。
 
「私……おかしいのかしら? 彼に口づけをされるようになってから、もう少し、彼にふれてみたいとか、ふれられたいとか、私からも口づけてみたいとか……」
 
 ふう…と、また深い溜め息をつく。
 目を伏せているシェルニティは気づいていないが、アリスは半分だけ目を閉じていた。
 もしアリスが「人」であったなら、困ったような、いたたまれないような表情をしていると言えただろう。
 
「駄目ね、こういうことを言っては。あなたは知らないでしょうけど、女性がこういうことを口にするのは、はしたないって思われるらしいわ」
 
 貴族教育では、そのように教わっている。
 駆け引きとして遠回しに言うのはともかく、直接的な言いかたは「はしたない」ことなのだ。
 ゆえに、彼に、自分の悩みを打ち明けることはできない。
 
 彼は、今日は所用で、2人の住んでいる森の家を空けている。
 夕食までは戻れそうにないと言われていた。
 そのため、彼に聞かれることはないだろうと思い、こうしてアリスに悩みを打ち明けているのだ。
 
「もちろん子供のことはあるけれど、それとは別なの……そのせいね。よけいに、不安になってしまうのよ。彼の知っている、どの女性よりも、私は経験不足だってわかっているもの」
 
 ふ…と、アリスの息が耳元をかすめる。
 気づいて、目を開け、顔を離した。
 なにか、アリスの顔が、キリリとして見える。
 
 ぺしっ!
 
 シェルニティは、アリスの鼻の頭を、軽く叩いた。
 アリスが、わずかに首をかしげている。
 
「あなたもよ! あなたが美男子なのは知っているわ! でもね、放蕩するなら、少しは気にかけてあげて! あなたのお相手の栗毛の可愛い子が、今頃、あなたをがっかりさせたかもって、落胆しているかもしれないのよ!」
 
 ぷんっとして、シェルニティは、アリスに背を向けた。
 アリスが呼び止めるように鳴いていたけれど、そのまま家に向かう。
 
「リンゴも干しブドウも、今日はあげません! 反省して、アリス!」
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