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垂らされた釣り糸に 3

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 彼は、イノックエルに腹立たしさを感じつつも、ウォルトにも注視していた。
 彼を前にしても、いっこう怯む様子がない。
 まるで「殺せるものなら殺してみろ」とばかりの態度を取っている。
 彼の背後に隠れているイノックエルでは、到底、有り得ない行動だと思える。
 
 が、貴族は、歳に関係なく、多かれ少なかれ、こうした人物が多いのだ。
 シェルニティの「呪い」を解いた夜会で、それは証明されている。
 彼は、近寄りがたい人間ではない。
 それでも、彼が、ちょっぴり揶揄しただけで、貴族たちは恐れおののいていた。
 
 イノックエルの息子でなかったとしても、ウォルトは貴族として育っている。
 彼の影響を、まったく受けずにいられるには、なんらか理由があるに違いない。
 だいたい、出自の秘密を明かされても平然としていること自体がおかしいのだ。
 
(奴が声をかけて来なければ、私は、森に帰っていた。イノックエルは、妙な薬を飲まされていただろうが……)
 
 そのほうが、都合が良かったはずなのに、ウォルトは、あえて声をかけてきた。
 イノックエルに薬を飲ませることが、絶対条件ではなかったからだ。
 彼は、努めて冷静に考えをまとめる。
 
 ウォルトから魔力は感じない。
 だとしても「前例」がある以上、魔力持ちでないとは言い切れなかった。
 そして、たとえ魔力持ちでなかったとしても、例の「薬」の存在がある。
 魔術を使わなくても、魔術の使用は可能なのだ。
 
(薬での代替効果は、たいしたものではない。強い魔術にさらされれば解けてしまう程度の代物だ。脅威とまでは言えないな)
 
 魔術の代替効果を発揮する薬では、魔術に対抗することはできない。
 薬は、魔力を持たないからだ。
 本来、魔術師の持つ魔力は、必ず人に影響をおよぼす。
 魔術に、様々な制約があるのは、そのせいでもあった。
 
 魔力は器に定着するため、持ち主の「個」に染まる。
 そのため、歪められるのを嫌うのだ。
 結果、否応なく、対象となる相手に干渉する。
 転移ですら、便乗させるのは難しい。
 
 そういう影響が、薬にはなかった。
 娯楽用として重宝されているのも、ある意味、安全だからだ。
 動物に変化へんげしたところで、体には、どんな影響もない。
 が、そのぶん、効力は低くなる。
 ちょっと強めの治癒をかけただけで、解けるくらいだった。
 
 それが、わかっていたため、彼は、自制を失わずにすんでいる。
 シェルニティが、無自覚に薬を飲まされたことに対して。
 
「きみの友達は、ここには来ないのかな?」
「残念ながら、私には、友達がいなくてね。認知のされていない身では、夜会にも出られず、1人寂しく、この屋敷で過ごしていたんだ」
 
 はぐらかされても、彼は、確信していた。
 魔術代替のできる薬は、おいそれとは造れないからだ。
 
 ウォルトは、カイルと繋がりがある。
 
 血の繋がりなのか、利害での繋がりなのかはともかく。
 2人が手を組んでいるのは間違いない。
 
「きみが、私の足止めをする役目を担っているのは、よくわかったよ」
 
 ようやくウォルトが、笑みを引っ込めた。
 嫌な顔をして、彼を睨んでいる。
 彼は、ウォルトを無視して、肩越しに、イノックエルに言った。
 
「きみは、先に帰っていたまえ」
「か、帰ると仰られましても……」
 
 ウォルトに対しての憤りは、その薄気味悪さにより消えてしまったらしい。
 イノックエルは、ひどく怯えていた。
 その様子に、うんざりする。
 
「邪魔だ」
 
 イノックエルの首の後ろを、軽く、とんっと叩く。
 即座に、イノックエルは意識を失った。
 迷わず、その体を本邸へと転移させる。
 遷致せんちという、意識のない者を、指定した場所に移動する魔術だ。
 
「意外ですね。あんな奴を救うんですか?」
 
 彼は、肩をすくめてみせる。
 が、その気軽な仕草とは逆に、瞳には冷淡さが濃く漂っていた。
 
「あのような者でも、いずれ私の義父になる男なのでね」
 
 いざとなれば、見捨ててもかまわない、とは思っている。
 が、ウォルトに言う必要はない。
 
「きみこそ、ずいぶんと感傷的じゃないか。カイルのためなら、どのようなこともしそうに思えるよ」
 
 ウォルトは、彼の足止めをしていた。
 わざと声をかけ、イノックエルを出汁にしたのだ。
 そして、彼を挑発し、怒らせることもいとわないといった態度も取っている。
 命が懸かっているのに、笑みさえ浮かべていた。
 
「さて、それでは、カイルは、どこにいるのだろうね」
「さあ? 私は、そのようなかたは知りませんので」
 
 すっかり露見していると、ウォルトにもわかっているはずだ。
 それでも、しらを切っている。
 
(大層な心意気だな。だが、それが答えになっているよ)
 
 ウォルトは「友達」はいない、と言った。
 にもかかわらず、命懸けで役割を果たそうとしている。
 考えられる2人の関係性は、ひとつしかない。
 
 身内だ。
 
 利害では、そこまではできないだろう。
 代償が大き過ぎる。
 
「私を、ここに足止めして、シェリーを狙いに行ったとか?」
「さあ、どうでしょうね」
 
 ウォルトが、うっすらと笑った。
 それで、彼は状況を把握する。
 
「違うな。カイルは、森には行っていない」
 
 あまりにも見え透いている手だ。
 おそらく、カイルは。
 
「いるのだろう、カイル。いいかげん、出てきちゃあどうだい?」
 
 どこへともなく声をかける。
 カイルは指輪の効果により、魔力感知に掛からない。
 ウォルトが目くらましにもなっていた。
 そのため、屋敷内にカイルが潜んでいることに気づかずにいたのだ。
 
「あんたには、バレると思ってたよ」
 
 カイルが、室内に姿を現す。
 ウォルトの隣に並んだことで、はっきりとわかった。
 
「ああ、きみたちは従兄弟なのか」
 
 わずかに、カイルが目を細める。
 驚いたというより、なにか嬉しそうにも見える表情だった。
 
「本当に見えるんだな。アーヴィから聞いちゃいたけど、信じてなかったんだ」
「アーヴィがランディの息子だと証明したのは、私でね。疑われていたと知れば、アーヴィは傷つくだろうさ」
 
 恋に落ちた相手が王太子だと知り、アーヴィングの母イヴァンジェリンは、姿を消している。
 平民という出自を気にしたからだ。
 15年かけてフィランディが探し出したあとも、頑なにアーヴィングは別の男の子だと言い張っていた。
 
 それを、彼が正している。
 当時のことを、アーヴィングも覚えていて、カイルに話したのだろう。
 5年前、どういう経緯があったのか。
 側近としたくらいに、カイルを信頼していたからこそだ。
 
「あんたと、やりあうつもりはないぜ? 勝ち目がないからな」
 
 言葉と同時に、彼は異変を感じる。
 体が、ひどく重かった。
 全身に圧力をかけられているような窮屈さがある。
 
 彼の様子が変わったことに気づいたのか、カイルが、ニッと笑った。
 そして、彼に向かって言う。
 
「あの女を餌に、あんたを釣り出したんじゃない。餌は、あんたなんだよ、公爵」
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