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幸せというのは 2

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 シェルニティの気配が消えるのを感じた。
 キサティーロが、屋敷に連れ帰ったからだ。
 あとは、キサティーロに任せておけばいい。
 
「そうやって、彼女を、自分の手元に置いておくわけだな。選択肢も与えずにさ。ブレインバーグやレックスモアと、なにが違うんだ」
「悪女と罵っていた割には、労りの心もあるらしい」
「俺は、やめといたほうがいいと思うが、こいつが惚れてるなら手助けはするよ」
 
 カイルが、後ろに立っているアーヴィングを指さして言う。
 言葉を耳にしつつも、彼の心は凍えていた。
 
「あんたは卑怯だ」
 
 彼は、カイルの言ったことを否定しない。
 なにが言いたいのか、わかっている。
 
「審議のことも聞いたぜ? 故意に写真を撮らせて婚姻解消させるってのは、いい手じゃないか。特殊な境遇で育って、愛情も向けてもらえずにいた女だもんな。手を差し伸べて、助けてくれた男にすがりついてくるって、見越してたんじゃないか?」
「かもしれないね」
 
 まるで関心がないといった調子で答える。
 カイルも表情を変えなかった。
 アーヴィングのほうが、苦しげに顔をしかめている。
 
「そのあとは、森で2人きり。たまに屋敷に行ってたみたいだが、所詮、あんたの縄張りだ。そうやって縛って、あんたから離れていかないように、依存させてる。さぞ簡単だっただろうな。彼女を、躾けるのは」
「嫌味を言うのなら、もう少し機知に富んだもので頼むよ、きみ」
「生憎、俺は、あんたほど優雅な暮らしはしてきちゃいないもんでね」
 
 彼は、小さく吐息をつきながら、わずかに首をかしげた。
 この会話に意味はないのだ。
 まるで、嫌なことがあった日の憂さ晴らし程度のものに過ぎない。
 
「それなら、もう黙っていてくれないか。私は、アーヴィに話があるのだよ」
 
 魔術を使えば、簡単にカイルを、ねじ伏せられる。
 が、今は、それをする気はなかった。
 煩わしいので、口を縫ってしまいたくはなるけれども。
 
「あんたは、愛をそそぐための入れ物がほしいだけだ」
 
 初めて、彼の心に、波が立つ。
 それを察したのか、カイルが言い募った。
 
「1度、失敗して、壊しちまってるからな」
「カイル、よせ!」
 
 アーヴィングが止めても、カイルは鼻で笑うだけだ。
 主従関係が、まったく成立していない。
 側近であるはずのカイルが、アーヴィングより立場が上のように振る舞っている。
 
「今度は壊さないように大事にしてるつもりなんだろうが、結局は同じさ。いずれ壊しちまうよ。あんたの力は、守るためのものじゃない」
 
 彼の心から、感情が消えていた。
 闇色の瞳でカイルを、ただ見つめる。
 
「人ならざる者が、人並みの幸せを? 笑える話だな」
「カイル! よせと言っているだろう!!」
「怒鳴るなよ、アーヴィ。本当のことじゃないか。お前のほうが、絶対に、彼女を幸せにできるんだ。そうだろ?」
「僕は、彼女が幸せなら、それでいい」
「それじゃ、俺は納得できない。お前にも幸せになってもらいたいんだよ」
 
 2人の会話は、彼の心にはとどいていなかった。
 周りの音も消え、彼は無音の世界にいる。
 
 なにも、わかっていない。
 
 そのことに、怒りを覚えていた。
 自分が愚かであったことも、卑怯であったことも、自覚している。
 シェルニティに選択肢がなかったのも、事実だ。
 けれど、彼には、わかっていることがある。
 
 それを、なぜ、彼らは、わからずにいるのか。
 少なくとも、彼らは知っていなければならない。
 彼女について、あれこれ言うのならば。
 
 シェルニティの困ったように小さく笑う姿が、見える。
 
 どんな想いで、彼女は微笑んだのか。
 自らを「薄情」だと言う彼女の心を思うたび、彼の心は痛むのだ。
 
 なぜ気づかないのか。
 なぜわからないのか。
 
 怒りに身のうちが震えた。
 人の言う、あたり前や普通が、あたり前や普通でない者だっている。
 ほとんどの人が、当然にできることや、無意識にしていることが、できない者もいるのだ。
 
 列に加われず、ぽつんと1人、その流れを見送っているみたいに。
 自分には順番が回って来ないと知りながら、立ち去ることもできず。
 
 シェルニティには「幸せ」が、わからない。
 
 人は「幸せになりたい」と言う。
 幸せにするとか、幸せにしたい、とか言う。
 まるで、幸せでないことが悪いかのごとく、幸せという言葉を繰り返す。
 
 幸せがなにか、わからずにいる者を置き去りにして。
 
「なんとも勝手な言い草だ」
 
 彼の口調は、とても平坦だった。
 感情が、まったく乗っていない。
 
(幸せでなければ、不幸せだとでも言うのか。不幸せであるにもかかわらず、シェリーは、笑っているのだと)
 
 幸せか不幸せか。
 その2つだけが、世界の「解」であるかのように言われたくはない。
 「どちらでもない」が存在しない世界は、否応なくシェルニティを締め出す。
 そんな世界に、彼女を置き去りにはしないと、彼は決めている。
 
 彼は、シェルニティから幸せをもらっていた。
 だからこそ、彼女が、いつか自然に感じられるようになればいいと思うのだ。
 彼が幸せにするのではない。
 
 彼女自身が、感じる。
 それが、すべてだ。
 
 自分にできるのは、愛をそそぐことだけだと思っている。
 シェルニティが、列に並べず眺めているのなら、自分もそうする。
 同じ場所に立ち、隣で同じように、流れゆく列を眺め続ける。
 
 彼女の手を、握って。
 
 彼は、そうか、と思った。
 ほんのわずかだが、心が安定する。
 
「幸せというのは、それほど大層なものかね? なければ、死ぬのかね? 生きていけないほど、必要なものなのかね?」
 
 アーヴィングが、きゅっと唇を噛んだ。
 なにか言いたげな表情を浮かべているが、反論をしてくる様子はなかった。
 代わりに、カイルが返事をする。
 
「なくても生きていけるだろうが、あったほうがいいに決まってるさ。不幸を喜ぶ奴なんていないからな。けど、あんたじゃ、彼女を幸せにはできない。一緒にいるだけで、不幸にする」
「知っているとも」
「それなら、解放してやるべきなんじゃないのか? 彼女を自由にさせろ」
「彼女は、とっくに自由になっていると思うが」
 
 カイルが、険しい目つきで、彼を睨んできた。
 彼は、無感情に、その目を見つめ返す。
 
「気にいらないね、そういう詭弁は」
 
 瞬間、彼に向かってナイフが投げつけられた。
 それを、指先2本で挟んで止める。
 即座に、投げ返した。
 
 アーヴィングに向かって。
 
 が、ナイフはアーヴィングには当たらない。
 キィンと音を立てて弾かれる。
 
「俺の息子に手出しをすることは許さんぞ、ジョザイア」
 
 彼の幼馴染み、現国王フィランディ・ガルベリーが、剣を構えて立っていた。
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