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不完結な対話 3

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「ええと……私……あの店に、行ってきてもいいかしら?」
 
 シェルニティは、先日、入った店の手前で足を止める。
 少し気後れしながら、彼に訊いてみた。
 
 彼は、穏やかな表情を浮かべている。
 そのことには、安心していた。
 屋敷にいる時とは違い、よそよそしさが緩和されていたからだ。
 
「かまわないとも。きみが決めきれないのなら、私も同行しようか?」
「えっ? そ、それは……」
 
 シェルニティの言う店は、女性物の下着を売っている店だ。
 正直、身につけかたすらわからないものもあった。
 が、それらは、カイルが行っていた「刺激的」なものなのだろう。
 たぶん。
 
 シェルニティは知らなかったけれど、その店は、かなりの高級店だった。
 貴族の令嬢や夫人らが利用する、独特の店でもある。
 とはいえ、目的はひとつ。
 
 誘惑。
 
 それ以外にない。
 振り向かせたい子息や夫を、その気にさせるため、彼女らも必死なのだ。
 ゆえに、高額であっても、惜しみなく財をはたく。
 
「お店の中に男のかたは、いらっしゃらなかったから……あなたが来ると、目立つのではないかしら?」
 
 彼が、小さく笑った。
 笑顔にも安堵が広がる。
 彼に感じたよそよそしさは、屋敷の「当主」としてのものだったに違いない。
 王太子に言われた言葉を気にし過ぎていたのだろう。
 
(よく考えてみれば、お父さまと王太子殿下とでは、お客様としての質が違うものね。側近内定のご挨拶にいらしていたのだから、私と話してばかりいられないのも当然だったのだわ)
 
 つい自分の気持ちに必死になり過ぎて、状況を把握しきれていなかった。
 気づいて、少し不思議になる。
 
 今までは、叱られないため状況を把握しようと、周囲や人々の観察をしてきた。
 なのに、優先してきたはずの「状況の把握」がおろそかになっている。
 無自覚ではあるが、シェルニティは「感情」を優先させているのだ。
 それは、彼女の心に芽吹いた感情が、着実に成長している証だった。
 
「悩みどころではあるが、ここは紳士的にいこう。きみに恥ずかしい思いをさせるのは本意ではないからね」
「あなたは、いつだって紳士よ」
「それなら、紳士らしく、向こうで大人しくしていようかな」
 
 彼が、軽くシェルニティの頬を撫でてから、体を返す。
 胸の奥が、ちくりと痛んだが、彼女も店内に足を踏み入れた。
 見慣れない品の数々に、どぎまぎしつつ、ある場所を探す。
 寸法などが合っているかどうか、身につけて試してみる場所だ。
 
(材質が違っているらしいから、肌触りに関しては試すことはできないのね)
 
 試しに身につけてみる下着は、売り物とは材質が違うらしい。
 先日、来た際、別の客に店員が、そのようなことを説明していたのを聞いた。
 下着なのだから、1度でも誰かが身につければ売り物にならなくなる。
 実際の売り物は高級品なので、おいそれとは試させたりできないのだろう。
 
(あれが、そうみたい。仕切りがついていて中が見えなくなっている部屋……)
 
 シェルニティは、そちらに向かって歩いて行った。
 周囲の女性は、自らの下着選びに熱心で、彼女に注意を向けてはいない。
 店員も、シェルニティが、下着を試そうとしているのだと思っているようだ。
 購入を迷っている客を優先している。
 
 が、シェルニティは、その部屋には入らない。
 代わりに、その奥に、隠されるようにして取り付けられている、裏口の扉に手をかけた。
 王太子から指定された通り、そこから外に出てみる。
 店の表の華やかさとは比較にならないほど、寂れた雰囲気が漂っていた。
 
 周囲には人もおらず、通りの向こうの喧噪も遠くに感じる。
 1本裏通りに入るだけで、街の景色が一変するなど、シェルニティは知らない。
 なんとなく漠然とした不安に駆られた時だった。
 
「シェルニティ姫、こちらに」
 
 アーヴィング王太子だ。
 さらに奥まった路地裏に、シェルニティは走り込む。
 早く話を終わらせて、彼の元に戻りたかったのだ。
 
「あの、あまり時間が……」
「わかっています」
 
 王太子は、ひどく真剣なまなざしで、シェルニティを見ている。
 切羽詰まった様子に、シェルニティは戸惑った。
 
「最初に手を差し伸べたのが彼でなくても、あなたは彼を愛していましたか?」
「え……」
 
 王太子の言葉は、あまりにも唐突だ。
 そもそも、考えたこともない問いでもあり、即座には返事ができない。
 実際、彼女に、最初に手を差し伸べ、笑いかけてくれたのは彼なのだ。
 
「もし僕が、先に出会えていれば、僕を愛してくれていたのではないでしょうか」
「そんな……」
「僕は、審議の時から、きみに惹かれていた」
 
 急に、王太子の口調が変わる。
 言葉にある真剣さも増していた。
 
「呪いがかかっていた、きみにね」
 
 審議の時は、まだシェルニティには痣があったのだ。
 彼からも同様の話はされている。
 王太子だけは、痣があっても彼女を美しいと思ったのだ、と。
 
「公爵は、不公正だったと思う。きみが公爵と一緒にいるところを、写真に撮られていると知っていて、わざと放置していた。審議で、きみの不利になるとわかっていたのに」
「そのことは、彼から聞いているわ。ちゃんと話してくれたもの」
「だとしても、それは後付けだろう? 前もって、きみと話し合い、きみの承諾を得てからすべきことだ。たとえ婚姻解消を前提にしていたとしてもね」
「結果は、私の望み通りになったのよ。不満はないわ」
 
 王太子につられ、シェルニティの口調も崩れていた。
 彼を不誠実かのように言われて、胸が、じりじりしている。
 正しく「それは違う」と言いたいのに、感情を言葉にできずにいた。
 状況や推測を話すことには慣れていても、感情を言葉で表現するのは、まだ慣れていないのだ。
 
「きみは、本当に、わかっているのか? 彼に愛されることが、どういうことか」
「……わかっているわ……」
「きみになにか起これば、彼は周囲を壊す。人を殺しもするし、世界を破滅させることもいとわない。それは、とても恐ろしいことだ。その罪を、きみまで背負うことになるのだよ? きっと罪悪感に押し潰されてしまう」
「心配してくれているのは、わかるけれど……私は、大丈夫よ」
 
 王太子が話している内容は、彼とも話し合っている。
 話し合った結果、シェルニティは、彼と一緒にいることを選んだのだ。
 
「私は、彼を愛しているの」
「きみたち2人の幸せが、ほかの誰かの幸せを奪うものだとしても?」
 
 その言葉には、現実感が乏しかった。
 彼とずっと一緒にいたいと思った。
 それが愛なのだと知った。
 けれど。
 
 彼女には「幸せとはなにか」が、わからない。
 
 幸せは、シェルニティにとって、本の中に出てくる「単語」でしかないのだ。
 産まれてから今まで、実感したこともなければ、考えたこともない。
 それは、彼女とは「無縁」で有り続けたものだった。
 
「誰かを踏みつけにして手に入れた幸せで、本当にきみは幸せになれるのか?」
 
 王太子の話は、いくら聞いても、シェルニティの心には響かない。
 本気で心配してくれている、真摯な気持ちは伝わってくるのだけれど。
 
「僕でなくてもかまわない。きみが、本当に幸せになれる人を選ぶべきだ」
 
 なんだか、ひどく悲しくなる。
 王太子が、こんなふうに言うのは、きっと自分のせいなのだ。
 人との関係性や感情について理解が追いついていないとの、自覚があった。
 
「人は……どうしても、幸せにならなければならないの?」
 
 シェルニティは、彼と、ずっと一緒にいたい、とだけ思っている。
 曖昧で、漠然とした「幸せ」が、彼よりも大事だとは、感じられなかった。
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