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目覚まし代わりの 4

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 イノックエルが「命懸け」といったていでやって来たことに、彼は呆れている。
 彼は夜会でシェルニティの「呪い」について、貴族を前に語っていた。
 そこにはイノックエルもいたのだから、呪いがかかっていると、彼が口にした時点で「犯人が誰か、彼は知っている」と考えるべきだったのだ。
 
 彼は「なんでもきちんと心得ている」のだから。
 
 もし、シェルニティが己の境遇を嘆き苦しんでいたり、家族を恨んでいたりしたならば、彼も容赦はしなかった。
 夜会の日に、徹底して、イノックエルを追い詰め、ブレインバーグを破滅させていたはずだ。
 どの道、彼女を実家に帰す気なんて、彼にはなかったのだし。
 
(だが、彼女は、ちっとも気にしてやしないのだからなあ。私だけが報復に熱心になる意味はないさ)
 
 はっきり言って、彼にとっては、シェルニティ以外、どうでもいい。
 どうでもいいから、相手にもしない。
 彼女に害を及ぼすことさえなければ、費やす時間が惜しいくらいなのだ。
 今こうしているのも、無駄だ、としか感じていなかった。
 
 イノックエルとの「会話」なんて、ちっとも面白くない。
 それでも「会話」は必要なのだから、うんざりする。
 シェルニティとの「会話」なら、うんと楽しめたのに。
 
「ちょっと考えてみればわかりそうなものだよ、きみ」
 
 なぜ「呪い」などという手段を「犯人」は講じたのか。
 しかも、母親の胎内にいる赤子にのみ作用するような手間までかけている。
 正妻個人に恨みがあったのなら、殺すほうが手っ取り早い。
 正妻の座がほしかった、というのでも、同じだ。
 
「王宮ほどではなくとも貴族屋敷で死人が出れば、それなりに調べが入る。それを気にしたってことは、身内に決まっているじゃあないか。魔術で、人を殺したりやなんかすれば、すぐに露見してしまうしね」
 
 魔術を使えば、必ずそこに「魔力痕」が残る。
 王宮魔術師が遺体を見れば、事故や病でないと、すぐにわかってしまうのだ。
 もちろん、病死に見せかけることはできるが、かなり高位の魔術師でなければ、難しい。
 そして、通常、高位の魔術師は、そういう「危ない橋」は渡らないものなのだ。
 露見すれば、王宮魔術師としての資格を失い、魔術師ではいられなくなる。
 相応の利、もしくは弱みでもない限り、危険は冒さない。
 
「そもそも、そういう、しち面倒くさい手段を取った理由を、私は、ひとつくらいしか思いつけないね」
「……お、仰る通りで……はい……」
 
 なにが「仰る通り」なのかはともかく、イノックエルは、無駄に足を運んだことには気づいたようだ。
 もうずっと、イノックエルの額には、汗が浮き通しだった。
 彼は、ちらりとシェルニティに視線を向ける。
 視線が合い、彼女が少し戸惑ったように、小さく笑った。
 
(なぜイノックエルが、わざわざ言いに来たのか、わからないのだろうな)
 
 シェルニティは、屋敷では、いないも同然の扱いを受けてきた。
 その側室とだって、ほとんど面識もなく、会話もなかったに違いない。
 なぜ「呪い」をかけたかとの理由はわかっても、恨みには繋がらないのだろう。
 親近感もなければ同族意識もないのだから、裏切られたといった負の感情もわかないのだ。
 
 彼の中にある「どうでもいい」という意識と、少し似ている。
 両親も含め、周囲の者とシェルニティとの距離は、とても遠い。
 人が「赤の他人」と表現するよりも、ずっと。
 
「そ、それで……わ、私は、これから、どうすれば……」
「どう、とは?」
 
 イノックエルの言いたいことは、わかっていた。
 わかっていて、訊いている。
 
「つ、つまり……その……ば、罰……と、言いましょうか……」
「そのようなこと、私に訊かれてもねえ。知るわけがない。きみが決めれば、いいことだろう。きみ自身の問題なのだから、きみが、カタをつけたまえ」
「で、ですが……私にはどうも……どうすればいいものか……」
 
 彼は、わざとらしく額に手をあて、大きく溜め息をついた。
 それだけで、イノックエルの汗の量が増える。
 いいかげんハンカチを出せばいいのに、両手はシルクハットを握ったままだ。
 そして、救いを求めてだろう、シェルニティを、ちらちらと見ている。
 彼は、イノックエルの、世話のひとつも焼いたことのない娘に助けを乞うている姿に、イラっとした。
 
 彼とて、本来、気の短いほうではない。
 ただ、シェルニティが絡むと、そうはいかないのだ。
 自制が、非常に難しくなる。
 
「どうでもすればいいさ。側室を迎えた時点で、きみがサロン通いをやめ、愛妾を囲ったりしなければ、こういう事態を招かずにすんだ。などと言ったって、すでに起きてしまったことは変えられないのだからね」
 
 イノックエルの顔が、みるみる蒼褪めていく。
 どこまで知られているのか、ひどく不安になっているのだろう。
 当然、彼は「どこまでも」知っている。
 
「その愛妾の息子はどうしたのだったか。ああ、そうだ。まだ認知はしていないのだったな。さっさと嫡子として迎えていれば、“犯人”も、諦めがついただろうに。気の毒なことだよ、まったく。そのとばっちりを受けたのが誰かを考えると、私も、他人事ひとごととは言えなくなりそうな気がしてくる」
「こ、こ、公爵様……私は、わた、私は、ど、どうしても、あ、諦めが……」
「ロゼッティの息子に跡を継がせることをかい? だとしても、十年前には諦めをつけていておかしくないはずだ。そうじゃないかね、きみ」
 
 ロズウェルドでの出産適齢期は、16歳から18歳だ。
 18歳を越えると、母か子の死亡率が上がっていく。
 25歳までは、それほど高くはないのに、そこを越えると、一気に死亡率が高くなり、母子の、どちらかは必ず命を落とすと言えるほどだった。
 
 そして、基本的には35歳を過ぎると、子を成せなくなる。
 35歳で出産し、その子が無事に育ったという記録は、長いロズウェルドの歴史の中でも、たった1件しか事例がない。
 
 これは、ロズウェルドだけに魔術師が存在していることと関係していた。
 現在、ガルベリー17世と呼ばれている、ディーナリアス・ガルベリーの研究により明らかになったのだ。
 
 ロズウェルド王国の者には魔力をめておくための「器」がある。
 魔力顕現けんげんするかはともかく、誰もが持っていた。
 他国の者には、この「器」がない。
 そのため、魔術師も存在しないのだ。
 
 通常、魔力の顕現時期は、概ね5歳から12歳とされていた。
 例外はあるにしても、ごく少数だ。
 15歳を越えて魔力顕現すると、魔力の暴走を抑えきれず死に至る。
 ロズウェルドで、大人とされる歳が14歳と定められているのも、ここに理由があった。
 魔力顕現してもしなくても14歳を無事に迎えられれば「魔力的要素」として、体が安定するからだ。
 
 つまり、14歳で子を成すことは、理屈の上では、可能ということになる。
 ただ、問題は魔力顕現だけではない。
 ほかの臓器と同じように、母親の胎内にいる間に「器」が作られるため、母体に大きな負担がかかる。
 
 よって、魔力的にも身体的にも、最も危険性の少ない16歳から18歳が「出産適齢期」と、限定されてしまうのだ。
 この時期であれば、懐妊から出産までが、およそ半年。
 ほとんど痛みもなく出産できる。
 そこから、少しずつ出産までの期間が延び、苦痛を伴うことになっていく。
 
 ロズウェルドで出産した女性が、男性より短命なのも「器」を作るからだ。
 男性の寿命が70から80歳に対し、女性は50から60歳と、20年も短い。
 
(男が長生きをし過ぎるから、こうした事態が起きるのかもしれないな)
 
 男性は「器の種」を与えるに過ぎず、女性と比較すると、体に受ける影響は遥かに低かった。
 そのため長命でもあり、子を成す時期にこだわらずにいられる。
 早かろうが遅かろうが、どちらでもいい、と考えている者が少なくないのだ。
 
 むしろ貴族の男は、子を成すのを後回しにしたりする。
 当主の座にしがみつきたかったり、遊蕩を続けたかったりする者は、とくに。
 
 ロゼッティがシェルニティを産んだのは16歳であったはずだ。
 であれば、命の危険がまだ少ないとされる25歳まで「諦め」がつけられなかったとしても、それは、かれこれ9年前の話になる。
 ロゼッティは、現在、34歳。
 イノックエルの言う理由が「真実」ならば、およそ十年前には「諦め」がついていなければおかしい。
 
「後継ぎができたとなると、側室や愛妾を新たに迎える理由づけが薄くなる。それなのに、きみは30歳という若さで、正妻と側室を、ほぼ同時期に迎えた。当時、きみには、複数の愛妾がいたのにね。まったくもって、おかしな話じゃないか」
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