放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

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放蕩公爵の愛ある日常 3

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 結局、必要があれば、シェルニティの好きなほうで呼ぶ、ということになった。
 正式名でも、愛称でも、どちらでもかまわない、としている。
 とはいえ、彼自身、愛称で呼ばれたことがない。
 周囲の者は、正式名か爵位で呼ぶからだ。
 
(確かに、ほかの者とは違った呼ばれかたをする、というのは特別な気持ちになるものだね)
 
 シェルニティは、必要が生じた時のために「愛称を考えておく」と言った。
 どういうものになるのか、少し楽しみな気がする。
 シェルニティの声が聞こえた時、彼女は、彼を正式名で呼んでいた。
 が、あれは、笛を通じて流れてきた、彼女の心の声なのだ。
 直接に、呼ばれたことは、1度もない。
 
(私は、最初に名乗らなかったし、彼女も、私の名を知っていたはずなのに呼ばずにいたし……無意識とはいえ、ずっと我が家の伝統に則っていたわけだ)
 
 思って、少し苦笑いをもらした。
 あの日、シェルニティが滝に身を投げたのは、偶然だ。
 けれど、出会うべくして出会ったのかもしれない、と思える。
 
(そういうことなら、あれも生かしておいても良かったかな)
 
 名など、すでに覚えてはいなかった。
 シェルニティに、森の散策を勧めたという女性。
 さりとて、消してしまったものはしかたがない。
 死んだ者を生き返らせる魔術はないのだ。
 
(今後は“消しかた”にも、配慮するとしよう)
 
 なにしろ、彼のしたことの罪は、シェルニティが負うことになる。
 できるだけ「殺さず」に「消す」方法を考えておこうと思った。
 キサティーロにも言っておこうとして、やめておく。
 どうせ、キサティーロは、言わなくても、わかっているだろうから。
 
 『遠回りのせいで、シェルニティ様を危険にさらしたと、反省されましたか?』
 
 主に対しても、キサティーロは厳しい。
 庭の散策をアーヴィングに任せた際、キサティーロは不満そうだったのだ。
 なにも言わずにいたのは、彼が「言われたくない」という雰囲気をまき散らしていたからに過ぎない。
 
(いったい、シェリーは、どうやって、キットに気に入られたのだろうね)
 
 5日に1度くらいの頻度で、王都の屋敷を、2人で訪れていた。
 キサティーロは、シェルニティを認めている。
 彼ですら数回しか見たことのない、小さな笑みを浮かべる時があるほどなのだ。
 よほど、気に入っている証拠だった。
 
(……どうも、私には“恋敵”が多いようだ)
 
 キサティーロは既婚者で、妻を愛していると知っているので除外するとしても、シェルニティの周囲にいる男性陣は、こぞって彼女を気に入っている。
 アリスを筆頭に。
 
「なにか、悩ましい命題でもあるの?」
 
 シェルニティが、ぽすんと、彼の隣に座ってきた。
 森の家の、いつものソファだ。
 体を彼のほうに向け、首をかしげている。
 
 彼女は、長い髪を後ろで、ひと括りに束ねていた。
 まるで、アリスの尾のように、少し揺れている。
 シェルニティは、もう顔を隠したりはしない。
 美しくなったから、というよりは、必要を感じなくなったからだろう。
 
「悩ましい命題というよりは、不条理に苦しんでいる、といったところさ」
「不条理?」
「私は、嫉妬をせずにはいられず、どうすれば、きみを独り占めできるかを考えてばかりいる。なのに、きみときたら、ちっとも嫉妬してくれない。これは、とても不条理だと言えるのじゃないかい?」
 
 一瞬、きょとんとした顔をしたあと、シェルニティが笑った。
 彼女が笑うと、以前よりも、ずっと周囲が明るく感じられる。
 夕食をすませ、外は、すっかり暗くなっているとしても。
 
「あなたが嫉妬すると、アリスの尾に火をつけたくなるのは、知っているけれど、私は、誰の尾に火をつければいいのか、わからないのよ」
 
 現状、彼の周りに、女性の影はない。
 もちろん「美女の馬」もいない。
 
「それでは、もし、私の中の、放蕩の虫が目を覚ましたら、どうするね?」
「サロンに通ったりする、ということかしら?」
「こっそり、お忍びでね」
「朝には帰ってくるでしょう?」
「それは……まぁ……そうだが……」
 
 シェルニティの表情に、変化はなかった。
 少なくとも「嫉妬」の感情は見受けられない。
 
「私は、まだ朝食を作れるようになっていないの。だから、朝食を作って、あなたを待つ、ということができないわ。やっぱり料理を習っておかな……」
「シェリー、本気で言ったわけではないよ」
 
 彼のほうが、慌てている。
 本気に受け止められるとは、思っていなかったからだ。
 シェルニティに「放蕩者」の烙印を押されたくなくて、急いで訂正した。
 
「そうなの? 男の人って、放蕩するのが好きなのでしょう?」
「私は違う。放蕩なんてしないさ。絶対にね。いいかい? わかったね?」
 
 互いの気持ちを確認し合ってから4ヶ月余り。
 シェルニティの感情は、日増しに豊かにはなっていた。
 それでも、嫉妬や独占欲というのは、分かりにくい類の感情なのだ。
 彼女に言ったように「自然発生的」なものであり、意識しているものでもない。
 
 彼は、シェルニティの感情の成長を、待っている。
 彼女の愛を疑ってはいないが、様々なことを理解した上で、最終的な決断をするべきなのだ。
 だから、急かせるつもりはなかった。
 実際、シェルニティと同じ部屋で眠ったことすらない。
 
「放蕩していた頃には“フラれた”ことなんかないさ」
 
 シェルニティが、彼の言った言葉や口調を真似て言う。
 揶揄しているという響きはなく、面白がっているようだ。
 
「そんなふうに言っていたのに、やめられるの?」
「実際、やめていたよ。ここ……4,5年ほどはね」
「放蕩する男性は、40歳を越えても、サロン通いをするわ」
「私は愛に憑りつかれている憐れな男で、夜な夜な耐え難い苦痛を味わっている。だが、その苦しみを紛らわせるために、サロンに足を向けたりはしないよ」
 
 彼も、おどけて、軽く肩をすくめてみせる。
 どうやら、シェルニティは、愛と放蕩は別物と認識しているらしい。
 知識として「男性は放蕩をするもの」との刷り込みがあったのだろう。
 
(イノックエルの奴め。あいつが、側室まで迎えておきながらサロン通いを続けているものだから、シェリーが誤解しているじゃないか)
 
 イノックエルに、軽くイラっとした。
 次に、会ったら、少しばかり嫌味を言ってやることにする。
 遅かれ早かれ、会うのは間違いないのだ。
 
「そうね。そうしてくれると、嬉しいわ」
「当然だよ、きみ。私が、きみを置いて、どこに行けると言うのだい?」
「ええ……実は、あなたがいない夜や朝は、寂しいだろうと思っていたの」
 
 ほんの少し、気後れした様子で言う、シェルニティに、胸が、きゅっとなる。
 夫の放蕩に口出しをするのは、貴族では好まれない。
 正妻も自尊心から、知らない顔をするのだ。
 シェルニティが、言いにくそうにしたのは、その知識ゆえだろう。
 
「シェリー、私たちは、貴族らしくない、貴族だ。民服を着て、布靴を履いてさ。畑仕事をしたり釣りをしたり……勤め人も、ほとんどいない。そうだろう?」
「王都のお屋敷でも、民服ですものね」
「その通り」
 
 彼は、シェルニティの顎に軽く片手をそえて、持ち上げる。
 澄んだ綺麗な瞳を見つめて言った。
 
「私は、きみを愛しているのだよ? 片時も離れたくないってくらいにね」
 
 彼女の唇に、そっと口づける。
 同じくらい、そっと唇を離した。
 シェルニティが閉じていた目を開き、彼に言う。
 その表情には、強い決意が滲んでいた。
 
「私、あなたに言わなくちゃならないことが、あるの」
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