放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

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放蕩公爵の愛ある日常 2

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 彼が、不機嫌な表情を浮かべていた。
 腕組みをして、アリスを睨んでいるようだ。
 
(まあ……彼ったら、また嫉妬をしているの……?)
 
 アリスは馬なのに、と思う。
 しかも、美男子で、とても「いい子」だ。
 鼻をすりつけてくる仕草も、可愛らしい。
 
「もう我慢がならないね」
「え?」
 
 彼が、ツカツカと、2人、いや、1人と1頭のほうに歩み寄ってきた。
 その姿に、シェルニティは焦る。
 
「だ、駄目! アリスの尾に火をつけては……」
 
 思ったのだけれど、違った。
 彼は、シェルニティの腕を掴み、引き寄せたのだ。
 すぐさま唇が重なる。
 
 しかも、とても深く。
 
 少し息が苦しい。
 心臓が、どきどきし過ぎていた。
 無意識に、彼の背中に両手を回す。
 強引な仕草であったにもかかわらず、嫌だとは感じていない。
 
 繰り返し、何度か口づけてから、彼が、ようやく唇を離した。
 シェルニティは、ちょっぴり、ぽやっとなっている。
 突然のことに、状況がのみこめていない。
 
 彼を愛しているし、彼からも愛されている。
 そして、愛がどういうものかを知った、とは思っていた。
 とはいえ、シェルニティは、まだまだ感情面にはうといところがある。
 いわゆる「複雑な心境」を細かく理解するには至っていないのだ。
 
「私に口づけたかったの? 我慢ができないくらい?」
「うん」
 
 こくりと、彼が、真顔でうなずく。
 なにかあるような気はするのだが、その「なにか」が、わからない。
 訊けばいいのだろうけれども。
 
(なぜかしら……それを訊くのは、恥ずかしい気がするわ)
 
 彼は、真面目な顔をしている。
 もとより、嘘はつかない人だ。
 愛する人に口づけたくなる、というのは、ごく一般的な感覚だと、知っている。
 そう、知識の上では。
 
 愛とはなにか、との命題は解消されても、そこに付随する感覚は、未だに不明な部分が多い。
 シェルニティは、彼の嫉妬や独占欲について、あまり実感がなかった。
 言葉では知っていても、自分の感覚が伴わずにいる。
 
 着替えなどはともかく、シェルニティにふれたがる人などいなかった。
 できれば、さわりたくないと思われることのほうが多かったのだ。
 シェルニティを抱きかかえてくれたり、頬にふれたり、口づけたりしてくれたのは、彼が初めてだった。
 
 最初から、彼にふれられることに抵抗は感じずにいる。
 むしろ、嬉しいし、抱きしめ返すのも、心地良くなっていた。
 伝わってくる鼓動や、ぬくもりに、安心する。
 
 ぱっしん!
 
 音に、びっくりして、振り向いた。
 アリスが、蹄を数回、慣らして、プイッとそっぽを向き、歩き出す。
 なにやら機嫌が悪そうだ。
 
「リンゴをあげなかったから、アリス、怒ってしまったのかしら」
「あとで、山ほど、くれてやるから平気さ」
「そうね。少し多めに収穫してから、あげることにするわ」
「それがいい。というよりもね、きみ。アリスは、きっと放蕩しに行ったのだよ」
 
 そういえば、アリスは「放蕩馬」だったことを思い出す。
 彼に飼われているのでもないようだった。
 呼ぶと来るのだが、いつもいるわけではない。
 ふらりと現れては、いつの間にか姿が見えなくなっている。
 
「しかたがないわね。アリスは美男子だから、人気があるでしょうし」
 
 2人で、リンゴの木の下まで歩いた。
 彼が梯子を出して、木にかける。
 シェルニティは、梯子を上り、リンゴに手を伸ばした。
 
(魔術で収穫したほうが早いけれど、質や味が落ちるのは困るもの)
 
 それに、こうして2人で作業をするのが楽しい。
 掃除と料理は、相変わらず、彼がしてくれるのだけれど。
 
(そのうち、私もできるようになりたいわ)
 
 森の暮らしでは、なんでも自分たちでする。
 シェルニティは、どんどん新しいことを覚えていた。
 知識が、実践と結びつくようになっている。
 思っていたのと違うことも、少なくはない。
 それが、また楽しかった。
 
(今さら思い出したけれど、彼に、どう呼べばいいか、聞いていなかったわね)
 
 彼は、シェルニティを愛称で呼んでいた。
 審議の時から、ずっとだ。
 対して、シェルニティは、彼に「あなた」と呼びかけている。
 名は知っていたし、心で呼んだことはあった。
 けれど、実際、口に出して呼んではいない。
 とくに、困ってはいなかったからだ。
 
(彼は、正式名で呼ばれることが多いわ)
 
 幼馴染みの国王も、彼を正式名で呼んでいる。
 リンクスやナルもだ。
 
 ロズウェルドでは、独特の慣例があった。
 周囲に正式名で呼ばれている者を愛称で、逆に、周囲から愛称で呼ばれている者を正式名で呼ぶ、ということに意味がある。
 ほかの者とは違い、自分は相手にとって「特別な存在」だと知らせるためだ。
 誇示する、と言ってもいい。
 
「シェリー、もうバスケットが、いっぱいになってしまったよ?」
「え……?」
 
 考えごとをしているうちにも、リンゴを、せっせともいでいたようだ。
 見下ろすと、彼の手にしているバスケットがリンゴであふれそうになっている。
 アリスにあげても、十分なくらいの量だった。
 
 シェルニティは、梯子を下りて、彼の前に立つ。
 そして、考えていたことを、訊いてみた。
 
「私、あなたを、どう呼べばいいかしら?」
「慣例のことかい?」
「そうなの。でも、あなたの愛称を知らないし、あなたが、愛称で呼んでほしいと思っているかも、わからないから」
 
 彼が、リンゴのバスケットを片手に、反対の手でシェルニティの肩を抱く。
 2人で、家のほうに歩いた。
 そろそろ、昼食時なのだ。
 
「それが、困ったことに、我が家には別の慣例……伝統というものがあってね」
「伝統? どういう伝統なの?」
 
 彼は、歩きながらでも、器用に肩をすくめる。
 シェルニティは、その横顔を見つめつつ、歩いていた。
 
「名を呼ばない」
 
 彼も、シェルニティのほうに顔を向ける。
 ちょっぴり、いたずらっぽく笑っていた。
 
「冗談ではなくてね。本当に、そういう伝統なのさ」
「名を呼ばないの?」
「ああ、男側は呼ぶのだが、女性側がね」
「私も、あなたを名で呼んではいないわ」
「きみは、すでに伝統を踏襲しているようだ」
 
 どういう意味があるのか、ちっともわからない。
 通常の慣例では、周囲の者との「差」を表している。
 が、名を呼ばないことは、それほどめずらしくないのだ。
 貴族同士であれば「きみ」や「あなた」を使ったり、爵位で呼んだりするので。
 
「どういう意味があるの?」
「それが、私にも、よくわからないのだよ。昔からの伝統と言うしかない」
「いつから、そうなっているの?」
「大公の時代からさ」
 
 それでは、かなり昔からになる。
 大公と呼ばれた「英雄」は、かれこれ3百年ほど前の人なのだから。
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