放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

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罪人と断罪 3

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 地響きと揺れに、驚いたのだろう、馬が前脚を高く掲げる。
 そのせいで、馬車が左右に大きく揺れた。
 御者が必死に手綱をとっている。
 その甲斐があり、なんとか馬車は、ひっくり返らずに止まった。
 
 御者が、馬車を降り、扉を開く。
 中を覗いて言った。
 
「大丈夫ですか、リリアンナ様」
「ええ……いったい、なにがあったの?」
「あなたが、我が君を怒らせたのでは?」
 
 ハッとした様子で、御者が振り返る。
 その手足が、ぐんにゃりと曲がった。
 普通は、曲がらないほうに、だ。
 絶叫が辺りに響き渡る。
 
「うるさい」
 
 ピシピシと小さな音とともに、御者の口が、黒糸で縫われていた。
 口が開けないため、御者は、叫びたくても、くぐもった声しか出せずにいる。
 おかしなほうに曲がっている膝を地面につけ、上半身だけが、まっすぐに立っている状態だ。
 両手も背中側に曲がっており、地面に手をつくことはできない。
 
 その憐れな御者の姿を、キサティーロは、冷たく一瞥する。
 が、すぐに興味をなくした。
 足音も立てず、馬車に近づく。
 
「リリアンナ・ミルター。降りなさい」
「な、な、なんなの、あなた……っ……わ、私は……」
「降りなさい」
 
 馬車の近くにいる御者に、リリアンナは、ちらりと視線を向けた。
 ゾッとする光景に、反抗するより大人しく従ったほうがいいと判断したらしい。
 震えながら、馬車を降りる。
 
「欲をかくと、ろくなことにはならないかと」
「わ、私は、な、なにもして、いないわ」
 
 実際、リリアンナが「なにもしていない」のは、キサティーロも知っている。
 けれど、それは、直接に手を下していない、という意味に過ぎない。
 それも、キサティーロには、わかっている。
 
 リリアンナは、ただ「仕向けた」だけだ。
 
 自らは表に出ず、言葉巧みに、周囲の者を操っていた。
 より多くの物を手にいれようと、己の容姿を最大限に利用している。
 その思惑が、うまくいかなかった結果が、これだ。
 
「なんでも、シェルニティ様に、森の散策を、お勧めされたとか?」
「それは、彼女を気の毒に思って……っ……」
 
 一瞬、彼女の視線が、御者に向く。
 あの日、森に入ってきたのは、シェルニティと御者の2人。
 シェルニティは崖下にいた。
 つまり、バスケットを滝に投げ込んだのは、御者なのだ。
 
「クリフォード・レックスモアが婚姻の解消に躍起になっていたのは、謁見前に、正妻を取り換えたかったからでは?」
「あ、あの人が勝手に、言い出したことだわ! 私から、正妻にしてくれなんて、頼んでもいないのに!」
 
 実際、リリアンナは、シェルニティとの婚姻を解消されては困ると考えていたに違いない。
 シェルニティとの婚姻解消は、即ブレインバーグの後ろ盾を失うことに繋がる。
 
「ですが、謁見には行くつもりでいたかと」
 
 リリアンナの顔色が変わる。
 血の気を失っていた。
 
「この御者は、あの日、シェルニティ様を殺す気だったのでは?」
「だ、だとしても、わ、私に、私には、か、関係な……し、知らな……」
「おや。つれない」
 
 謁見は公の場だ。
 普通なら、正妻を伴うことしか許されない。
 だが、例外はある。
 
 正妻が「行方不明」である場合だ。
 
 探しても遺体が見つからなければ、婚姻の解消はなされない。
 3年は、婚姻関係が維持される。
 とはいえ、いないものはいないのだ。
 どこに行くにも1人では、不都合が生じる。
 ゆえに、その場合だけは、側室を伴うことが許されるのだ。
 
 そして、婚姻関係が維持されている限り、ブレインバーグはレックスモアの後ろ盾を外れることもできない。
 事実が判明する以前に「娘が死んだ」と認めるようなものだからだ。
 当然、周囲からの「なんと薄情な」というそしりは免れ得ない。
 
 けれど、シェルニティは死なず、婚姻解消はなされてしまった。
 リリアンナは、ブレインバーグの後ろ盾を失いたくなくて、シェルニティをレックスモアに返そうと、森の家にやってきたのだろう。
 そして、あわよくばキサティーロの主を篭絡しようと考えていた。
 御者と、おかかえ魔術師とも関係を結び、彼らをすっかり「手駒」にしていたと、セオドロスから報告されている。
 
「長いつきあいのはずですよ? 少しは庇ってあげては?」
「し、知らない! 私は、なにも、知らないっ!!」
「あの魔術師のことも?」
「知らないわっ!! 魔術師なんて……っ……」
「つれないことを」
 
 キサティーロは、わずかな動作で魔術を発動した。
 御者の体が、曲がらないほうに曲がりながら、折りたたまれていく。
 リリアンナの喉から、小さな悲鳴がもれた。
 大声で叫びたくとも、声すら出ないのだろう。
 
「長いつきあいではない、と言われたので」
 
 このくらいしてもいいだろう。
 問いかけるように、キサティーロは、リリアンナに視線を向けた。
 
「なにか気になることでも?」
 
 リリアンナは、両手で口元を押さえ、次の瞬間、地面に膝を折る。
 目にした光景が、リリアンナから、胃の内容物を吐き出させていた。
 
「なぜ、シェルニティ様を?」
 
 シェルニティの「呪い」が解かれたことで、クリフォードは、価値を失った。
 ブレインバーグの後ろ盾もなくし、貴族らからも、そっぽを向かれている。
 今後、生活が困窮していくのは間違いない。
 リリアンナの思い描いたであろう、贅沢な暮らしは、幻と消えたのだ。
 
 リリアンナがクリフォードの元を去るのは必然だった。
 だとしても、シェルニティを狙った意味がわからない。
 
「……あの女が、仕組んだのよ……」
「今なんと?」
「あの女は、バスケットをありがとうと言った……私のしていることを知っていたからに違いないわ……公爵に抱き着いても平然とした顔をして……レックスモアには帰らない、捨てられるまで、ここにいる、なんて言って……捨てられるはずがないと、私を嘲っていたのよ……なにもかも知っている、と……」
 
 キサティーロは、リリアンナの言葉に呆れる。
 そうした「計算」があれば、キサティーロの主は、シェルニティをとっくに追い出していた。
 間違っても「愛したり」は、しない。
 
「なんという愚かな」
 
 結局のところ、自らの悪事が露見するのを恐れ、シェルニティを狙ったのだ。
 いわゆる、口封じ。
 
「自分で、自分の首を絞めるとは」
 
 びくっと、リリアンナの体が震えた。
 目を恐怖に見開き、キサティーロを見つめている。
 
 どんな画策をしようが、悪事を働こうが、かまわなかったのだ。
 シェルニティに手を出しさえしなければ、リリアンナは無事でいられた。
 ただ逃げただけであれば、放っておいた。
 が、リリアンナは、最後に間違えたのだ。
 それは、取り返しのつかない、大きな間違いだった。
 
(テディ、ヴィッキー)
 
 キサティーロは視線をリリアンナに残したまま、集言葉つどいことばで息子2人を呼ぶ。
 集言葉は、即言葉そくことばとは違い、複数で同時に話せる魔術だ。
 
(なにも問題はございません、父上)
(こちらも同様にございます、父上)
 
 返事に、集言葉を切った。
 そして、リリアンナに向かって言う。
 
「あの魔術師よりは、運が良かったかと」
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