放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

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伝えたいことは 4

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 ぴくっと、彼の指先が動いた。
 フィランディも、なにか察したらしく、カウチから体を起こす。
 
「どうした?」
「なにか、網に引っ掛かったようだ」
「絶対防御を、かけておらんかったのか?」
「彼女は、人だ。知らずに森を出ようとすれば、命にかかわる」
 
 彼だけが行使可能な魔術のひとつである「絶対防御」は、領域にかけておくと、どのような魔術も物理的な攻撃も跳ねのける力があった。
 が、元は「人」に対して効果を発揮する力でもある。
 森を出入りできるのは、彼が「許可」した者か、動物だけだ。
 
 彼には、シェルニティを幽閉する気はなかったし、そもそも、1人での暮らしを始めて以降、そうした魔術は使っていない。
 代わりに、山を取り囲む一帯には、彼の魔力を散らしてあった。
 誰かが山に踏み込むと、たちまち網に引っ掛かる。
 彼は、険しい表情で、即言葉そくことばにより、アリスに連絡を取った。
 
(アリス)
(遅せ……すぐ……戻……)
 
 アリスの、こんな声は、初めてかもしれない。
 彼は、挨拶も抜きに、すぐさま転移する。
 即言葉にアリスが応えたため、居場所はわかっていた。
 
「アリス!」
 
 変転をほどいて、アリスは人の姿に戻っている。
 が、ひと目で大怪我を負っているのがわかった。
 瀕死といってもいい。
 足は折れているし、肋骨が腹から飛び出している。
 辺りは血だらけだ。
 
 即座に、治癒をほどこすす。
 緑の光につつまれたあと、アリスが立ち上がった。
 まだ、だいぶフラついている。
 
「シェルニティがついてっちまった……オレのせいだ」
 
 アリスを盾に取られ、転移の便乗を承諾させられたらしい。
 アリスの悔しげな顔を見れば、すべてを訊かなくとも、わかる。
 魔術師の存在に気づかなかったのは、森の領域外だったからだ。
 
 アリスには魔力を取り込み、捨てるという能力がある。
 アリスに向かって使われた魔術から、魔力痕を取り込み、それを森へと捨てた。
 彼の網に引っ掛かったのは、アリスが捨てた「魔力」の欠片だったのだ。
 
「前にも、この辺りをうろついてたヤツだ」
「レックスモアの、おかかえか」
 
 変転は、魔術とは違う。
 アリスは魔力持ちでもないため、魔力感知には引っ掛からない。
 相手の魔術師は、アリスを「馬」と見做みなしていたはずだ。
 近くにいようが、気にとめてもいなかったに違いない。
 
「オレは……リカのところに行かなきゃならねえ」
「わかっているさ」
 
 アリスの痛みは、リカの痛みにも成り得る。
 何事もなければ、2人は「個」でいられるが、痛みは共有されるのだ。
 おそらく「与える者」の力が失われかけることによる警鐘だろう。
 片方の身に、命の危険があるのが伝わる。
 
 パッと、アリスが烏に姿を変え、飛び立った。
 アリスがリカのためになんでもするように、リカも同じく、なんでもする。
 止める必要があるのは、彼も理解していた。
 
「キット」
「我が君のおそばに」
 
 キサティーロが姿を現し、彼の傍にひざまずいている。
 そして、いつもの淡々とした口調で、当然のごとく、言った。
 
「リリアンナ・ミルターを始末いたします」
 
 彼は、頼むとも任せるとも言わない。
 が、キサティーロは、すぐに姿を消す。
 リリアンナは魔力持ちではないため、魔力感知では探せない。
 だとしても、キサティーロは、すぐに居場所を特定できるはずだ。
 長男のセオドロスの情報は、貴族に関わる者すべてに及んでいるのだから。
 
「まったくもって、きみは正しい」
 
 彼の周りに、深い闇が広がり始める。
 それが、森全体を覆い尽くした。
 さらに広がり続け、空をも隠す。
 星も月も見えなくなり、光が消えた。
 
 アビゲイルのことで、彼は「愛」を失った。
 もとより、あれが「愛」と呼べるものではなかったと、気づいてもいた。
 本当には、婚姻する前から、薄々、わかっていた気はする。
 
 『人ならざる者……あなたに愛されるほど、恐ろしいことはないわ』
 
 死ぬ間際、アビゲイルは、そう言った。
 野心から彼と婚姻はしたものの、ずっとローエルハイドの血を恐ろしいと思っていたのだろう。
 だから、彼との子を成すことも望まなかった。
 彼に愛されることも。
 
 気づいてから、彼は、誰かを愛することに臆病になっていたのだ。
 自分の血がうとましかった。
 言われるまでもなく、それが「恐ろしい」血だと、知っている。
 
 人ならざる者は、たった1人の愛する者のためだけに存る。
 
 どれだけ周りを大事にできても「たった1人」には代えられない。
 その1人のために、見境をなくす。
 逆に、その1人さえいなければ、周りを気にかけてもいられるのだ。
 
 彼は、己の血を疎んじ、恥じ、誰かを愛するのをやめた。
 なにか「愛らしきもの」で納得しようと放蕩もしてみたが、結局は、それすらも見つけられなかったのだ。
 この血を絶やしてもかまわない。
 長らくの放蕩生活の末、そう結論し、彼は、隠遁した生活を始めている。
 
「きみは、いつも正しいよ、ランディ」
 
 彼は、暗闇の中、転移した。
 レックスモアの城塞の前にいる。
 おかかえ魔術師が、ここに戻っていると、わかっていたからだ。
 
 きっと、シェルニティも、魔術師の近くにいるに違いない。
 直接に手をくだすつもりなら、とっくにやっている。
 つまり、己の手を汚さず、クリフォードにやらせるつもりなのだ。
 そして、リリアンナのため、シェルニティの死を見とどけようとする。
 
 けれど、肝心なシェルニティの位置を確定できずにいた。
 アリスがかき集めたとはいえ、その魔力痕は小さく、情報量が少なかったのだ。
 彼の魔力感知でも魔術師の魔力が、地上にないことしかわからない。
 そのため、直接の転移は不可能だった。
 
「シェリー、私は……」
 
 シェルニティの笑顔が、思い出された。
 初めて笑った日のことだ。
 彼が「心細くなる」と言った時、なぜか彼女は笑った。
 それ以降、シェルニティは堅苦しい話しかたをやめている。
 
「あの時、きみが、なぜ笑ったのかも、私は知らずにいる」
 
 ほかのことは、色々と訊いていたのに、それは訊かなかった。
 訊けないまま、彼女を失うかもしれない。
 まるで、人魚が泡に還ってしまったように。
 
 思っただけで、息が苦しくなる。
 愚かにも、ここに至るまで、己の心を誤魔化していた。
 が、これほどまでに明らかだったのだ。
 
 シェルニティを奪われた。
 
 そのことで、今、彼の心には、激しい怒りがあふれかえっている。
 抑制など到底できない、未だかつて感じたことのない、大きな怒りだった。
 
(これが愛というものなら、彼に伝わるといいのだけれど……ねえ、ジョザイア、私、あなたを愛しているみたい……)
 
 シェルニティの声だ。
 確かに、聞こえた。
 
 彼は、両手を真横に広げる。
 そして、天を仰ぎ、目を伏せた。
 
「私もさ、シェリー」
 
 暗闇と静寂に、城がつつまれる。
 その中で、彼の声だけが、響いた。
 
「私も、きみを愛している」
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