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伝えたいことは 2
しおりを挟む「い、意味がわからないよ、リリアンナ」
「出て行く、と言ったの」
クリフォードは、混乱している。
リリアンナの態度が、急に変わっていた。
クリフォードを映す瞳には、明らかな蔑みの色が漂っている。
優しく美しかったリリアンナとは別人のように、冷淡な表情を浮かべていた。
「期待外れだったわ、あなた」
「期待外れ……」
「そうよ。もっと頭の良い人かと思っていたけれど、勘違いだったみたい」
辛辣な口調に、茫然となる。
言い返すことすらできなかった。
シェルニティとの婚姻解消で、ブレインバーグの後ろ盾をなくし、貴族らからは距離を置かれるようになっている。
そして、夜会で公爵が演じた「呪いの解かれた姫君」の一幕が、クリフォードの転落を決定的なものにした。
今や、貴族らは、レックスモアを完全に無視している。
あのあとの夜会は、酷いものになった。
主催者であるクリフォードも隣に立つリリアンナも、まるで「いない者」として扱われたのだ。
話しかけても冷たくあしらわれ、冷淡なまなざしを向けられた。
代わりに、主役となったのは、シェルニティだ。
「わ、私だって、知らなかった……彼女に呪いがかけられていたなんて……」
シェルニティは、美しかった。
痣がなくなっただけではない。
見たこともないような、艶やかな赤味がかった金髪と透き通るような肌。
金色にも見える澄んだ薄茶色の瞳に、ほんのり赤い唇。
女性らしいたおやかさと、健康的な張りのある、魅力的な体つき。
ホールからの大歓声にもうなずけるほど、美しかったのだ。
クリフォード自身、見惚れてしまったのは、自覚している。
最初から、あの姿であったなら、自分の妻であることを誇りにできていた。
すぐさまベッドをともにしていたに違いない。
が、過去に戻ることはできないのだ。
クリフォードはシェルニティを疎んじ、婚姻の解消までした。
その事実は覆せないし、周囲にも、それは知れ渡っている。
だから、貴族らは、2度とクリフォードを相手にしない。
あんな劇的な情景は、長く語られるだろうから。
同時に、クリフォードは絵本に出てくる「悪役」のごとく扱われるだろうから。
地位も立場も、貴族としての名誉も失った。
すでに勤め人も、幾人かは辞めたがっている。
そこから、噂が飛び火し、別の領地に移動する領民も出てくるかもしれない。
領主が落ちぶれたと聞けば、動揺もする。
もとより、領民の少ない土地柄だ。
隣の辺境地に移動されるだけでも、大きく税収が減る。
上位貴族のキャラック公爵家などアテにはならない。
ほかの貴族に無視されているのだから、支援の請願が通るはずがなかった。
今後は、徐々に生活にも困窮していくはずだ。
それでも、残されたものはある。
クリフォードは、信じていた。
自分のしてきたことは顧みず、なんの根拠もなく、信じていた。
リリアンナだけは、傍にいてくれると。
「私は、何度も言ったわ。側室でいいってね。なのに、あなたは、聞かなかった。それどころか、余計なことばかりして、私の足を引っ張ったのよ」
リリアンナの口調は、聞いたこともないほど冷たい。
瞳には、嫌悪と侮蔑が浮かんでいる。
その豹変ぶりに、クリフォードは、混乱していた。
「私は、きみのために……」
「それが、迷惑だったって、なぜわからないの? 本当に馬鹿な人ね」
芯から、うっとうしそうに、リリアンナが顔をしかめる。
茫然としながらも、気づいた。
リリアンナは、手に荷物を持っている。
「本気で、出て行く、つもりでは、ないだろうね……?」
「本気に決まっているでしょう? もう、ここに用はないわ」
「そんな……だが、きみは、私を愛して……」
リリアンナが、馬鹿にしたように、鼻で嗤った。
クリフォードが、放蕩中、彼に本気になった女性に対してしてきたように。
『私を愛しているだって? サロンに出入りしている女性とは、遊びに決まっているじゃないか。サロンで囁かれる言葉を信じるなんて、有り得ないだろう』
そんなふうに、相手の女性を鼻で嗤い、見捨ててきたのだ。
煩わしくて、うっとうしいとも思っていた。
同じことを、今、リリアンナは、自分に感じているのだろうか。
クリフォードは、まだ、リリアンナの心変わりを信じられずにいる。
「私に必要だったのは、あなたの愛じゃないのよ。辺境地でも、まずまずの贅沢ができると思ったから、あなたを選んだに過ぎないわ」
「きみは、私に純潔を捧げてくれたじゃないか!」
また、リリアンナが嗤う。
瞳に漂っていた侮蔑の色が濃くなっていた。
「あなた、純潔なんて相手にしたことないでしょう? それで、なぜ、わかるの? むしろね、あなたのような人のほうが、少し演技をすれば簡単に騙されるものよ。はっきり言って、あなたとベッドをともにするのは苦痛でしかなかったわ」
クリフォードは、言葉を失う。
持っていた自尊心が、粉々に打ち砕かれていた。
長続きしたかはともかく、リリアンナは、初めて本気になった女性だ。
彼女のために、放蕩もやめたほど、夢中になっている。
その相手から、罵倒されているのだ。
「手慣れた女性なら、あなたとの2度目は、考えなかったでしょうね。あなたは、いつも自分本位な抱きかたしかしない、女性を満足させることのできない男だもの。まぁ、本物の放蕩者とは言えないわね」
あまりのことに、眩暈がする。
額を押さえても、体がふらついた。
改めて気づく。
自分は、なにもかもを失ったのだ。
地位や名誉、財産だけではない。
手に入れたと思った愛も、まやかしだった。
リリアンナは、彼ではなく、彼の財を欲していた。
それも、もう彼女に与えることはできない。
つまり、リリアンナを繋ぎとめられない、ということ。
彼女は、去っていく。
「恨むのなら、あの女にしてちょうだい」
そうだ、と思った。
こんな目に合っているのは、自分のせいではない。
「きっと、あの女にかかっていた呪いが、あなたの人生を狂わせたのよ」
リリアンナの言葉に、クリフォードの心が、かき乱されていく。
呪いの解けた美しい姿ではなく、呪いの刻まれた顔を思い出した。
「彼女の呪いが解けたせいで、あなたに遷ったのかもしれないわね。お気の毒に」
リリアンナの言う通りに違いない。
順風だった人生を、滅茶苦茶にしたのは「あの女」なのだ。
クリフォードは、自分の失態を認められずにいる。
どうしても認めたくなかった。
「あの女と関わらなければ……あの女さえいなければ……」
恨みに憑りつかれて、ぶつぶつと、つぶやくクリフォードの耳に、リリアンナが囁いた。
「あの女がいなければ、あなたの人生が好転する可能性はあるのじゃない?」
「私の、人生……」
「そうよ、クリフォード。あの女の呪いが、災いの元。それなら、元を断てばいいだけの話でしょう?」
絶望に叩き込まれたクリフォードを、リリアンナの言葉が侵食していく。
ほかに縋れるものがなかったからだ。
「でなければ、レックスモアの名も、いずれ消えるでしょうね。私には、もう関係ない話だけれど、忠告はしたわ。さようなら、クリフォード・レックスモア」
リリアンナがクリフォードに背を向ける。
けれど、クリフォードには見えていなかった。
彼に見えているのは、あの「痣」だけだ。
「シェルニティ・ブレインバーグ……お前に、呪いを叩き返してやる……」
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