放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

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 シェルニティと彼は、昼食をすませ、お茶を飲んでいる。
 不意に、彼の表情が、一瞬、曇った。
 が、すぐに、元の穏やかさを取り戻す。
 
 シェルニティには、表情を読み、相手の心情を察するという能力はない。
 代わりに、観察することで、状況を判断しようとするところがあった。
 それは、次の行動を定めるためでもある。
 叱られる心構えをする、とか、ここにいるべきでない、とか。
 なにか起こっていたとしても、誰も状況を教えてくれなかったため、自然と身に着いた「癖」のようなものだ。
 
(なにかあったのかしら? あまり良いことではない? でも、彼は不快そうにはしていないから、悪いこと、というわけではないのかも)
 
 彼の家で過ごすようになり、シェルニティは、うつむくことが少なくなった。
 そのため、人の顔を、じっと見てしまう。
 口調や物音より、表情を観察するほうが、多くの情報を得られるからだ。
 
「お客様が、いらしたの?」
 
 険しいというほどではなかったものの、さっきの彼の表情は、リリアンナが突然に訪ねて来た時と、少し似ていた。
 加えて、キサティーロが、追加で、お茶を用意している。
 そこから、誰か来たのではないか、と判断したのだ。
 
「きみに隠し事はできないね」
 
 彼が、緩やかに微笑む。
 その顔に、シェルニティは、また不安になった。
 なぜ胸が、ざわざわするのかは、わからない。
 けれど、どうにも落ち着かない気分になる。
 
(夜会のあとから、かしら……彼は、不愉快そうには見えないのに……)
 
 笑顔が、笑顔に見えないのだ。
 かと言って、怒っているとか、不愉快になっているとかとも違う。
 なにかが起きている、との判断はできても、シェルニティには、彼の心情を推し量ることができない。
 ただ曖昧な不安に駆られるだけだった。
 
「もうすぐ、ここにアーヴィが来る」
「え? 王太子殿下が?」
「今しがた、彼から連絡があったのだよ。私たちが……きみが、こちらに来ていると言ったら、ここに来たいと言うのでね」
 
 夜会のあと、彼の言っていた言葉を思い出す。
 近いうちに、王太子が訪ねて来るだろうと、言っていた。
 その通りになったらしい。
 
「私に、会いにいらっしゃる、ということかしら?」
「そうだよ、シェリー。彼は、きみに会いに来る」
 
 シェルニティは、さらに落ち着かない気分になる。
 森の家に逃げ帰りたいような気持ちだ。
 
 王太子は、彼女に対して、ほかの人たちとは異なる態度を取っていた。
 それは、おそらく「感じのいい」ものであっただろう。
 顔を背けられたり、いない者のように扱われたりするより、ずっと好意的な振る舞いだったのは、間違いない。
 
 夜会の際、王太子に対して、不愉快さは感じなかった。
 もっとも、シェルニティが不愉快になること自体、少ないのだけれど。
 ともあれ、王太子は「いい人」ではある。
 
「公爵、シェルニティ姫。突然、お訪ねして、すみません」
「やあ、アーヴィ。父上は、ちゃんと置いて来たようだね」
 
 王太子が、軽やかに笑った。
 彼にからかわれても、まるで気にしていないようだ。
 親しげな様子で、テーブルに近づいて来る。
 
 キサティーロが、追加のお茶を置いた席のイスを引いた。
 王太子は、キサティーロに手を上げ、礼の意思を示している。
 勤め人にも、礼儀正しい人なのだろう。
 
「先日の夜会以来だね、シェルニティ姫。ああ、座ったままで」
 
 立ち上がって挨拶をしようとしたシェルニティを、王太子が制した。
 上げかけた腰を、イスに戻す。
 どうにも落ち着かず、彼女は、実は、まごついていた。
 本来なら、最初に声をかけられた時点で立ち上がるべきだったのだ。
 
 王太子が座るのを待ち、挨拶をし、同意を得てから座る。
 それが、正式な「礼儀」なのに、うっかりしていた。
 さりとて、王太子は、やはり気にしていない様子で微笑んでいる。
 
「ご挨拶が遅れ、失礼いたしました、王太子殿下」
 
 シェルニティは、ちらっと、彼のほうに視線を向けた。
 彼が会話に入ってくれれば、聞き役になれるのだ。
 夜会の時のような雰囲気なら、シェルニティも、まごついたりはしない。
 
(彼以外の人に、まっすぐ見られるのには慣れていないのだもの……)
 
 彼と、出会った頃、最初は、やはり戸惑った。
 まじまじと見られたのが、初めてだったからだ。
 が、彼は「外見を気にしない人」だと分かり、気が楽になっている。
 それからは、彼が自分を見て話してくれるのが、逆に嬉しくなった。
 
 とはいえ、シェルニティは、これまで山の家で過ごしている。
 夜会の日は別として、近くにいたのは、彼とアリスだけだ。
 アリスは馬だし。
 
「キット」
 
 彼が、キサティーロに呼びかける。
 ごくごくわずかだが、キサティーロが顔をしかめた気がした。
 シェルニティは観察をしているのであって、表情を読んでいるのではない。
 キサティーロが顔をしかめたことには気づいても、その理由までもはわからずにいた。
 
「私には、子守りという重大な任務があるらしいよ? だから、彼女に庭の案内をするのは、きみとアーヴィに任せる」
「……かしこまりました」
 
 キサティーロが、頭を下げる。
 やはり、なにか気に食わないことでもあるかのようなそぶりだ。
 
(そういえば、さっき、彼に庭の案内をさせると言っていたわね)
 
 己の思惑が外されてしまったのが、気に食わないのだろうか。
 そう考えはしたが、キサティーロが、そういう人物にも思えなかった。
 キサティーロは、シェルニティの知る執事の中で、最も優秀に感じられる。
 そもそも主に物申せる執事など、そう多くはいない。
 
 キサティーロ自身に、相応の自負があり、また、主にも認められていなければ、到底、許されることではないのだ。
 彼女の知る執事の中には、薄っぺらな自尊心を振り回したり、立場を勘違いしたりして、独断を通そうとする執事もいた。
 
 けれど、キサティーロは、そういう執事ではない。
 なにもかもが完璧だった。
 立場をわきまえた上で、彼に物申している。
 それすら、彼の「要望」であるかのように。
 
「あとを頼んでもいいかな、アーヴィ」
「もちろんですとも」
 
 王太子に声をかけ、彼が立ち上がった。
 キサティーロは、無言を貫いている。
 
(キットには、気に入らないことがあるのでしょうけれど……その、気に入らないこと、というのは、彼の意に沿わないのね。だから、なにも言わないのだわ)
 
「我が家の庭には、めずらしい花も多いのでね。楽しんでおいで、シェリー」
「わかったわ。あまり、あの子たちに厳しくしないでね」
「善処するよ」
 
 軽く肩をすくめ、彼は立ち去る。
 その背を追いたくなるのを、シェルニティは我慢した。
 そもそも、どうして追いたくなったのかも、わからないし。
 
「では、我々も行こうか」
「ええ」
 
 王太子が立ちあがり、シェルニティに腕を差し出す。
 彼女は、まごつきながらも、その腕に手を置いた。
 
(なんだか、私……1人に戻ってしまったみたい……1人ではないのに、おかしいわね……)
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