放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

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ずっとがほしくて 1

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 シェルニティは、大きく息をついた。
 わけがわからなさ過ぎて、混乱している。
 
「意味がわからないって顔をしているね」
 
 家に戻ってきたところだった。
 居間に入り、足を止めている。
 シェルニティの前には、彼が立っていた。
 
「まったく、わからないわ」
 
 彼が、なにかをしたのだろうと思う。
 そのあと、今までシェルニティに見向きもせずにいた貴族らが、なぜだか、押し寄せてきたのだ。
 可哀想だの、良かっただの、同情と称賛の間で、彼女はもみくちゃ。
 あげく、出席していた貴族子息が、こぞってダンスの申し入れをしてきた。
 すべて、彼があしらってくれたので、踊らずにすんで、どれほど安堵したか。
 
 両親までもが「いつでも屋敷に帰っておいで」などと言い出す始末。
 しかも、恐ろしく優しい声音で。
 
 貴族たちの態度、それに状況の変化。
 それらに、シェルニティはついていけていない。
 なにがどう変わったのか、まるきり自覚がないからだ。
 
「今夜、と決めていたわけではなかったのだよ」
 
 彼が、気づかわしげに、シェルニティの頬を撫でてくる。
 なにか、いつもの「彼らしく」なかった。
 シェルニティの知っている彼は、堂々としていて、自信にあふれている。
 初めて会った日には「心細くなる」姿など想像できない、と思ったのだ。
 
 なのに、今は、少し不安そうに感じられる。
 なにに、というのは、わからないものの、彼の黒い瞳に、微妙な揺れがあるのはわかるのだ。
 その意味を知りたくて、シェルニティは、彼を、じっと見つめる。
 
「私に……落胆しているかい?」
 
 声に、胸が、きゅっと締めつけられた。
 わずかだが、彼の感情に、ふれた気がする。
 
 彼は、恐れているのだ。
 
 シェルニティには、その感覚がわかる。
 彼女は、両親にも元夫にも、なにも期待されていなかった。
 産まれながらに「落胆」させていたからだと、知っている。
 
 だから、拒絶されてもしかたがないと思ってきた。
 元夫から叱られるたび、また「追加」で落胆させた、と感じ続けていた。
 そうして、さらに拒絶されるのだと、納得してきたのだ。
 
 頬にある彼の手に、シェルニティは手を重ねる。
 彼を見つめて言った。
 
「あなたに、落胆したことなんてないわ。ちっともがっかりしていないのよ、私」
 
 彼が、体を前に倒してくる。
 目を伏せたシェルニティの額に、口づけが落とされた。
 
「説明もなしに、勝手な真似をしてしまったのでね」
「そのことなのだけれど、あなた、なにをしたの?」
「座って話そうか」
 
 彼の手が頬から離れ、シェルニティの手を引く。
 一緒に、ソファへと座った。
 彼の体からは、まだほんの少し緊張が伝わってくる。
 なにがそれほど怖いのかわからないが、彼が恐れを抱いているのは感じていた。
 
「まず、きみの右頬にあった痣は、生まれつきのものだが、きみにも、きみの母親にも責任はない。あれは性質たちの悪い魔術の類で刻まれたものだった。いわゆる呪いというやつさ」
「呪い?」
「きみが、お腹にいる時に、呪いがかけられていたのだよ」
 
 まるで知らなかった事実に、改めて驚く。
 けれど、母が様々な治癒を試していたのを思い出した。
 
「魔術師のかたに診てもらったこともあったわ。治癒院にいらしたかたよ?」
「魔術師なら、誰でも見抜けるわけではないからだね。母体に少しずつ影響させる魔術は、直接にかけられた魔術とは違う。きみの母君に作用するものでもない」
「魔術がかけられているのはお母さまなのに、お母さま自身には、影響しないものだということ?」
 
 彼が、小さくうなずく。
 確かに、シェルニティの母に「痣」はなかった。
 産まれるはずのシェルニティにだけ影響する魔術だったのだろう。
 
「おそらく日々の食べ物か飲み物に混ぜ込まれ、きみが産まれるまでの間に、呪いが刻まれていったのだろう」
「そうだったの……私に産まれてほしくなかったのかしら?」
「どうだろうね。ただ、きみのご両親が関わっていないのは、わかるだろう?」
「わかるわ。でなければ、あんなふうに態度が変わるはずがないもの」
 
 彼が、硬い表情でうなずいた。
 彼に言ったように、両親は関わっていないと思える。
 あの「いつでも帰っておいで」は、そういうことだったのだ。
 そして、恐ろしく優しいと感じた声音に、嘘はなかった。
 
「呪いは、きみの体に浸透していた。そういうものを見抜くのは難しいのだよ」
「あなたは、いつから見抜いていたの?」
 
 彼が、スッと視線を外す。
 両手を膝の上で組み、体を前に倒して、うつむいていた。
 
「……最初から」
「え? あの、滝の時から?」
「そうだ」
 
 それでも、痣は見えていたはずだ。
 ましてや「呪い」がかかっていると気づいていたのなら、よりいっそう、ほかの人たちより、気味が悪いと思われそうなものだけれど。
 
「痣は見えていたのよね?」
「見えていたよ。きみの本当の姿もね」
 
 本当の姿がどういったものかはともかく、彼は、呪いのかかった見知らぬ女性を助け、家に招いた、ということにはなる。
 彼は、そっけない態度でありながらも、シェルニティを拒絶はしなかった。
 そこに、どういう気持ちがあったのかが知りたくなる。
 
「なぜ、私を見捨てなかったの? 私の、本当の姿とやらが気になったから?」
「いいや。そうではない」
「そうよね。あなた、あの時、言ったもの。私には興味がないって。2度も」
「実際、私は、少し腹立たしかった。この森での、静かな暮らしを脅かされた気がしていてね。きみを、世間知らずの貴族の奥方だとも思っていたし」
「それなら、なぜ?」
 
 彼が、うつむいたまま、肩をすくめた。
 さっきからずっと、シェルニティを見ようとしない。
 なにか気がかりなことがあるらしく、眉間に皺を寄せている。
 
「平たく言えば、きみを気に入ったからさ、シェリー。きみは、およそ貴族らしくなくて、無防備で、屈託がなくて……笑ったのは、本当に、久しぶりだった」
「あなたに気に入られて良かったわ」
「そう思うかい?」
「思わない理由がある、と考えているみたいに聞こえるのだけれど」
 
 彼は、顔を上げない。
 シェルニティを見てくれない。
 そのことに、不安を覚える。
 まさか、との思いがよぎった。
 
 まさか「いずれ」が来てしまったのだろうか。
 
 いずれ、ここを去る日が来る。
 わかっていたが、それが今日になるとは思っていなかった。
 心臓が、にわかに、嫌な鼓動を打ち始める。
 
(どうか……どうか違いますように……今日は嫌よ。今日だなんて言わないで)
 
 いつならいいのか、それも、わからない。
 だとしても、今日、いきなり、というのは、どうしても嫌だった。
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